「1978年、日本の特撮映画界は2隻の黒船を迎えた 「未知との遭遇」と「スターウォーズ」の来航だ 旧来のアナログな特撮でガラパゴス化していた日本の特撮は立ち向かう術もなかったのだ」未知との遭遇 ファイナル・カット版 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
1978年、日本の特撮映画界は2隻の黒船を迎えた 「未知との遭遇」と「スターウォーズ」の来航だ 旧来のアナログな特撮でガラパゴス化していた日本の特撮は立ち向かう術もなかったのだ
本作は1977年の米国公開
つまりスターウォーズと同じ年の公開
この2作品の大ヒットは、世界中でにわかにSF映画ブームを巻き起こした
今でもスターウォーズは知らない者が無い超有名コンテンツであるが、本作はもうあまり思い出される事も無くなっている
一体何があの当時本作を大ヒットさせたのだろう?
21世紀の現代で本作を思い出して観る意義や意味は何か?
分からないというしかない
しかしなぜか観てしまう力があるのは確かだ
X ファイルは本作のチルドレンになのはすぐ理解できると思う
1960年代のヒッピー達が好むような空気がある
米国に於ける団塊の世代であるベビーブーマーは
30歳代になる頃の作品
青春時代にヒッピー文化に触れ、超常現象などにかぶれた世代が、劇中の家族のように所帯を構え、子供が生まれ、家を買い、仕事に励み落ち着こうとしている
日常生活の中に埋没していく毎日
若い頃のヒッピー的な空想に耽った自由さを取り戻したい
そんな欲求を映画として提供する
それがテーマであったのだろう
スピルバーグの劇場公開作品は実質的にはジョーズが第一作
これが空前の大ヒットになっての第2作
相当なプレッシャーであるはず
反面好きなことは何でも出来る、要求したことは全て叶えられる立場になった訳だ
ヒッピーのさまよう自由さを取り戻したい
そのあがきをテーマに映画を撮りたい
どうせなら憧れのトリフォー監督を俳優として使いたい
特撮を駆使してかって誰も観たことの無い映像でこのテーマを撮りたい
これが本作なのだと思う
しかしそれだけで大ヒット映画になるものか?
アメリカ公開は1977年11月
スターウォーズは同年5月だから、スターウォーズの余勢をかった感じがあるのは確か
その前年の1976年はアメリカ独立200年記念
ベトナム戦争も終わり何か新しい時代が始まるような時だったのだ
1977年8月には映画「コンタクト」の元ネタになった宇宙からの謎の信号をキャッチしたというニュースが話題になった
その直後にはボイジャー1号2号が相次いで打ち上げられたニュースが続いた
まさに時流に乗った
それもたまたま
強運も名監督の力なのかも知れない
しかし本作を21世紀の日本の特撮ファンが観る意味と意義は別にある
それは日本の特撮にとっての二隻の黒船の一つだということだ
特撮はダグラス・トランブル
この名前は特撮界では黒澤明にも匹敵するビッグネームだ
コアな特撮ファンしか知らなかった、このトランブルの名前を世界に轟かせたのが本作の本当の意義であるかも知れない
1942年生まれ、本作公開時35歳
つまり平成ゴジラシリーズを担当した川北紘一と同い年だ
父は「オズの魔法使い」を担当した特撮マンだったという
若い時にNASAの仕事で作った映像がキューブリックの目に留まり、1968年公開の「2001年宇宙の旅」の特撮に参加する
超有名なスターゲートの映像は彼の手によるもの
これが26歳の時
1971年には監督として「サイレントランニング」を撮る
同年「アンドロメダ…」の特撮にも参加
1973年にはカナダのTV で「スターロスト宇宙船アーク」を製作する
コアなSFファン特撮ファンならどれも皆さん観ているはず
そしてルーカスからスターウォーズの特撮をとオファーを受けるが他の仕事があったために不参加
この当時にして既にトップランナーであったのだ
仕方なくルーカスは当時まだ無名のジョン・ダイクストラを中心にILMを設立したのだ
ジョン・ダイクストラは1947年生まれ、トランブルの5歳下
その後、ダグラス・トランブルは、本作、スター・トレック、ブレード・ランナー、ブレインストームとSF映画、特撮映画の金字塔を次々に打ち建てたのはご存知の通り
1978年、日本の特撮映画界は2隻の黒船を迎えた
日本でも大ヒットが予想されるので一層の観客動員と関連グッズの展開の為に公開が翌年にスライドされたのだ
本作がまず4月に、スターウォーズは7月に公開された
「未知との遭遇」と「スターウォーズ」は正に黒船の来航だった
旧来のアナログな特撮でガラパゴス化していた日本の特撮は蒸気機関の吐く煙のような新時代の特撮技術に立ち向かう術もなかったのだ
対抗して製作された「惑星大戦争」や「宇宙からのメッセージ」はいわば攘夷打ち払いにも似ている
デジタル技術などを駆使した新技術の海外特撮からの立ち遅れが決定的に白日の下にさらされたのだ
1968年、「2001年宇宙の旅」で受けた衝撃を無かった事にして来たツケが回ってきたのだ
海外の急速に進展して来た新特撮技術を取得するための努力をして来こず安易な企画、低予算での製作を漫然と続けてきた結果なのだ
しかしそれは現場の特撮マン達の責任ではない
海外の特撮事情の情報収集、特撮マンの海外視察、新技術への投資
こうしたことができなかった当時の日本の映画会社の上層部に責任がある
ただ、その時期は日本映画のもっとも苦しい時期だった
そんな将来を見越した投資はとてもできなかったのも確かだ
その中で川北さんのような現代に繋がる特撮マンの系譜を途絶えさせなかった
その事は評価しなければならない
人があってこそだ
二隻の黒船に全く歯も立たない
攘夷を決行しても情けない結果しか出ない
手も足も出ない
その悔しさを誰よりも感じていたのは日本の特撮マンのはずだ
それだけのインパクトを日本の特撮界に本作は与えたのだ