北の零年のレビュー・感想・評価
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バブル崩壊とそこからの再生の物語として観れるように上手く翻案されています
序盤から泣き通しでした
正直自分でも単純な奴だと呆れはてます
感動的な音楽、感動的な映像、感動的な台詞
ズルい、あざとい、卑怯だとまで思います
ここが涙腺のスイッチなんだろ?
ほれ、と簡単に手玉に取られてしまったからです
問答無用と力づくでねじ伏せられて、強引に泣かされていたのです
とくに音楽は大袈裟なくらい格調高く、感動を強制的に盛り上げるほどの素晴らしいオーケストレーションでした
これ誉めてます、念のため
悔しいけれど、監督にしてやられました
でもこれで良いのでしょう
行定勲監督は要求された仕事を完璧にこなしています
吉永小百合の映画として完璧だったと思います
その意味でプロフェッショナルです
やはり吉永小百合はやはり凄い女優です
なんだかんだ思っていても画面に映っていればそれで、ねじ伏せられて納得してしまうのですから
でもなんか悔しい、卑怯だ
ただ殿がきたぞー!って言葉遣いだけは勘弁して欲しかったと思います
物語は実話を元にした翻案で、実際は殿様はもっとましな人物であったようです
領民を捨てずその地で住んで開拓に尽くしたようです
星5個にした本当の理由は別にあります
バブル崩壊とそこからの再生の物語として観れるように上手く翻案されているからです
バブル崩壊は北海道経済を特に苦しめたのです
北海道経済経済の心臓とも言える北海道拓殖銀行は1998年11月に破綻、そこに北海道を代表した企業の雪印もあの集団食中毒事件を起こして経営が大混乱に陥ったのです
北海道経済は、本作中盤の大吹雪のシーンのように立ちすくんだいたのです
それは北海道だけでなく全国でも同様に日本経済は大吹雪のなかに埋もれつつあったのです
名のある大企業でもリストラは広く大規模に行われて、親会社の都合ひとつで、子会社や事業部門まるごと売却されたりしていたのです
稲田藩の人々のように会社から簡単に捨てられたりしていたのです
実際、親会社から捨てられて、事業部門や工場が丸ごと切り離されて会社として独立した例も有りました
しかしそんな新会社の設立を主導した幹部が、やっぱり上手く行かないとなると真っ先に逃げ出して行ったところもあったようです
小松原英明のような男は本当にいるのです
この時、日本の終身雇用だとか、家族的な会社経営なんか信用できないと、誰しもが思うようになったのが本作公開の頃であったと思います
心の中で日本のサラリーマンはちょんまげを切っていたのです
経営幹部でもない一般社員は一体どうしたらよいのでしょうか?
静内を大八車に家財道具を乗せて逃げ出す人々のように、宛てもなく会社を辞めて一体家族を養えるのでしょうか?
結局、本作のラストシーンのように各自の目の前の仕事を一生懸命に日々やり遂げるしか仕方ないのです
本作の本当の感動的シーンは一体どこでしょう?
それは石橋蓮司の演じた堀部様が、渡辺謙が演じる小松原英明に立ち向かい、そしてかっての稲田藩の人々が一緒に立ち上がったシーンだと思います
親会社に捨てられて、ライバル会社に吸収合併されて卑屈に働いていた社員達が一斉に立ち上がったようなものです
子会社が独立した時の幹部が、そのかってのライバル会社にちゃっかり幹部に収まっている
そいつがいきなり古巣に乗り込んできて、大規模なリストラを要求してきたようなものです
そんな事例は大なり小なり実際に体験したり、身近に見聞きしていたことです
そして馬の奔流のカタルシス
この現代とのアナロジーを意識したクライマックスは高く評価したいと思います
だから悔しい、あざとい、ズルい、卑怯だ、とまで思っても
星5個をつけざるを得ないのです
失踪した渡辺謙が…
明治維新後のどさくさに紛れて渡辺謙が失踪して、戻っては来るけどとんでもねえ奴になってましたというあまり救いのない物語。開拓民の艱難辛苦とか、その辺はあまり描写が足りなかったと思う。繰り返し観たくはない。
4点つけたら じじいと言われた・・・
「お父上はどこへ行ってしまわれたのですか?」
「札幌へ行ったとばかり思っていましたが、どうもハリウッドまで行ってしまわれたようですよ」
「稲は持ちかえってくれるのでしょうか?」
「向こうの人に気に入られてしまって、悪者になって登場するような気がするのです・・・」
『ラスト・サムライ』公開時からかなり宣伝していたのを思い出す。当時は内容もさっぱりわからなかったが、謙さまがオスカー候補になってから脚本を大幅に書き換えたような気がしてならないほど意外な展開があった。見る前は「どうせ『デビルマン』の脚本家だし・・・」と全く期待しなかったのが幸いして、168分も全く飽きることなく集中して鑑賞できました。まぁ、方言とか敬語とかが雑すぎますけどね・・・
馬をメインのアクションに使ったり、○○○の大群といい、開拓民とアイヌの絡みといい、まるでハリウッド西部劇大作だと感じたのですよ!もしかすると、どこかの西部劇をちょっとずつパクっている可能性もあるけど、日本の歴史を見事に取り入れた大河ドラマに仕上げたことに拍手したいです。
サユリストの方には申し訳ないですが、吉永小百合の演技はダメです。ぎこちない敬語と一本調子な感情表現は荒々しい北海道の自然に対抗できないように感じました。良かった俳優は石橋蓮司と平田満。石橋蓮司は『理由』『東京タワー』と、今年観た映画に連続して出演しているので早くも「2005年最多出演賞」にノミネートです・・・
馬のシーン以外で良かったのが吹雪の中の母娘のシーンです。『八甲田山』以来、凍え死んでしまいそうなくらい寒々としたところで、思わず凍死しそうになりました(まさか・・・)。場内には、平日昼にもかかわらず50人くらい(9割くらいがシルバー)いましたけど、みんな寒そうでした。
寡黙な役だけと元会津藩のアシリカが良かった。幕藩体制の終わりと北海...
寡黙な役だけと元会津藩のアシリカが良かった。幕藩体制の終わりと北海道開拓の歴史ものとしてみるには良作品。長かったけど。
蝦夷の開拓
大自然の開拓に向かった家臣団が開拓民になるまで、どれほどの苦労をしたか?よく伝わってくる。
時間は止まらず選択を迫られ、決して幸せとは言えない結果でも甘んじて受けて行く…辛酸を舐めながらも未来を見ていく姿に人間の強さをみた。
が、吉永小百合の年齢設定を間違ってないだろうかと思う。
志乃を還暦手前だった吉永小百合が若作りしても無理がある気がした。
同僚の妻を演じた石田ゆり子は色気たっぷりなのに対して、志乃の雰囲気は少し若いお婆ちゃんに見えて仕方ない。
「かあべえ」でも同じような年齢設定で、夫に対して年齢が高いように見えて仕方なかった。
壮大なストーリー、大味な脚本
三時間近い尺が気になって、見ようと思いつつも何となく手が出なかった映画でしたが、見てみたらホント・・・長かったなぁ、意外と長尺の映画って見てみたら長さを感じさせないとか、気が付いたらあっと言う間に見終わってたなんてこともよくあったりましますけど、これは普通に長さを感じてしまった映画でした(苦笑)
まあそれなりに大作感は味わえたし、決してつまらなかったと言う訳でもなかったのですが、でもどうしてもストーリーにもう一つ入っていけなかったところがあって・・・。
吉永小百合主演映画ですから、ある程度覚悟はしていましたけど、予想以上にサユリスト専用映画に仕上がっていたような、ってまあ私は特別苦手な訳でもなく、むしろこの方の存在自体は好きな方なんですけど、ここまで無理がある設定だとさすがに入り込めないかなぁ・・・。
吉永小百合の夫が渡辺謙で娘が大後寿々花(孫にしか見えなかった、でも可愛かったなぁ)、この設定でもう違和感たっぷり、吉永小百合は一体何歳の設定だったのだろうか、娘の年齢を考えると三十代後半か四十代前半ぐらいでしょうかね?
実年齢よりは明らかに若く見える吉永小百合でも、さすがにこれは厳しい、ご本人もこの設定では演じていて相当苦しかったことでしょう。
それでいてこれでもかと吉永小百合押しのストーリーで話を進めるから、どうにも入っていけないというか、違和感がありすぎて見ていてちょっと困惑してしまいました。
まあでも時の流れに翻弄された者達の切なさみたいなものは、豪華役者陣の好演もあって、十分伝わってきたのは唯一の救いだったでしょうか。
北海道と言う美しくも厳しい広大な土地が、より切なさを煽るようでね・・・そんな舞台設定やストーリーの基本的な部分については、まずまず悪くないなと思いましたよ。
しかしあの急に五年後になる脚本はどうなんでしょう、そこまではまだ吉永小百合押しでも十分見れる内容だったのに、何かあそこで急速に冷めました。
娘も五年で大後寿々花から石原さとみって、さすがにそれはちょっと・・・全く雰囲気すら似てなかった気が。
それと極めつけは渡辺謙の動向ですよ、おいおい!
もう少し何か深い理由があるのかと思ったら、何だよそれ・・・。
まあその分、トヨエツがおいしいと言うかカッコいい役回りではありましたが。
香川照之おなじみの怪演とか、役者陣の演技や舞台設定はホント見応えあったのですが、大味な脚本・演出は正直微妙と言わざるを得ない印象の作品でした。
信頼と裏切り、そして純粋で誠の愛
時代は明治初期、自分たちの国作りのために皆が心一つになって北の大地を開拓する人々の史実を元に描いた感動巨編である。
久しぶりに心を大きく動かされたいい映画だった。できれば劇場で観たかった。
止むを得ぬ裏切りや嘘、人間の狡さや弱さが伏線として上手に描かれていたが、その分吉永小百合演ずる志乃の強い信頼と情愛がドラマ全体を通して切々と訴えてきて胸を打った。
仲間と妻子を裏切った渡辺謙演じる志乃の夫小松原英明は5年前に家老の命で旅立つ時に娘に向かって「夢というものは信じなければただの夢だ。だが、信じていればその夢はきっと真になる。父はな、ここにいる皆の夢を叶えるために行ってくるのだ」と言い残して去って行くのだった。
妻も娘もその言葉を信じて様々な苦難に耐えて長い歳月を待つのだが、やっと5年後に再開した夫であり父である英明は旅立つ前のそれではなかった。英明は開拓民を取り締まる役人となってやって来たのだ。しかも他の女と再婚していたのだった。
そして英明は再会した妻志乃に向かって平気で言うのだった。
「夢から覚めてしまったのだ…我らが国を作るなど、ただの夢だった。戯れ言でした」
そしてエンディング近くになって志乃が呟く言葉に我々観る者は救われる。
「生きている限り…夢見る力がある限り……きっと何かが私たちを助けてくれる」
この映画にはたくさんの見せ場が用意されている。二つほど取り上げてみたい。
志乃の娘多恵の許婚雄之介が雪降る死に際に「花を観たい」と言う。それを聞いた志乃は自分のと貰った花柄の着物を切り裂いて落葉樹の枝枝に飾り、故郷淡路の花に観たてているシーンがある。積もる雪景色を背景に風になびく着物の切れ切れは幻想的で美しく、それを観たまだ年端も行かぬ雄之介は多恵に感謝して息を引き取る。映画中盤の見せ場で、深い哀しみ故に観る者にエクスタシーを感じさせる。
なるほど、このシーンは行定勲監督の苦心や思い入れを感じさせるのだけれど、何となく違和感を覚えたものである。少し無理があり不自然さは否めない。
しかし、それでもこのシーンの素晴らしさは、そんな瑣末的なことで少しも揺らぐことはない。
やはり一番の見せ場はラストシーンである。
会津藩士の残党アシリカ役の豊川悦司が正しく清廉の士として相応しく、とても格好よかった。
ラストの見せ場である納屋から数十頭の馬の群れが轟音とともに駆け出して行くシーンは圧巻である。
そしてその後に暗い納屋から悠然と現れる追われ人アシリカが刀を抜きながら「我が命、この地で散らす」言い放すと、右手に持った刀を斜めに構えながら英明ら多勢の軍勢に向かって駆け出して行く。アシリカの覇気に銃を構えた軍勢はうろたえ怯むが、突然銃声が鳴り響く。アシリカを必死で助けようと彼の前に身を投げた志乃が撃たれたのだ。刀を捨てあわてて駆け寄るアシリカは倒れた志乃を抱き起こす。肩を撃たれた志乃はアシリカに「死なないで…生きて…生きてください」と切々と言う。志乃とアシリカの見つめ合う強い眼差しは身を捩るほどの愛を感じて感動する。この一連のシーンは何度も観たくなる。豊川悦司の深い演技に魅了された。
この映画にはたくさんの見せ場があって観る者を飽きさせない。エンターテイメントの映画である。
それにしてもこの映画が「パレード」や「きょうのできごと」と同じ監督だったとは思えなかった。
才能と可能性のある監督だと改めて思ったものである。
頑張っていれば、きっとなにかが助けてくれる
映画「北の零年」(行定勲監督)から。
大好きな女優・吉永小百合さんが
主演女優賞を受賞した映画として、楽しみに鑑賞した。
昨年、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で湧いた日本であるが、
この作品は、大政奉還・明治維新後の時代、故郷を追われ、
未開の地である北海道への移住を余儀なくされた武士一家の
苦難の道のりを描いた作品であることを、忘れてはならない。
彼女の姿に見入っていたためか、メモは少なかったけれど、
「生きる力がある限り、夢みる力がある限り」に続けて
「きっと何かが私たちを助けてくれる」が胸に響いた。
リズムが良かったからだろうか、とても印象に残っている。
極寒の中、食べるものにも困っていた北海道の開拓民は、
何を支えに、生きてきたのだろうか、とても気になった。
そんな時、ふとメモしたフレーズが蘇った。
「頑張っていれば、きっとなにかが助けてくれる」
それを信じて、彼らは耐えてきたのかもしれない。
今、私達にできることは、そんな夢見る人たちを
しっかり、そして温かく支援してあげられるシステム、
それが必要なんだろうな、と静かに観終えた。
やはり、彼女は素敵だなぁ・・(笑)
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