「作家・細田守の評価を決定付けた一作」デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム! 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
作家・細田守の評価を決定付けた一作
《デジモン公式チャンネル(期間限定公開)》にて視聴。
【イントロダクション】
1999年3月から2000年3月までフジテレビジョンなどで放送されたテレビアニメ『デジモンアドベンチャー(通称:デジモン)』の劇場版作品。TVシリーズから3ヶ月の春休みを舞台に、太一達が世界を破滅させかねない新種のデジモンに立ち向かう。
監督は『時をかける少女』(2006)や『サマーウォーズ』(2009)の細田守。脚本は『映画 聲の形』(2016)や『ガールズ&パンツァー』シリーズの吉田玲子。
【ストーリー】
八神太一達がデジタルワールドの危機を救って帰還してから数か月が経った2000年の春休み。突如ネットに出現したデジタマから生まれた新種デジモンは、ネットのあらゆるデータにアクセスしてそれらを捕食。様々な機関を暴走させながら急速に進化していく。
いち早く事態に気付いた光子郎と、彼に助力を求められた太一はパートナーであるデジモン達と再会し、再び戦いへと乗り出すことになる。
【感想】
私自身は、『デジモン』シリーズは殆ど未履修。幼少期に「『キン肉マンII世』の同時上映作品だから」という理由で、東映アニメフェアで何となく鑑賞した『デジモンテイマーズ/冒険者たちの戦い』(2001)の内容をうろ覚え程度。しかし、本作が細田守監督にとって『サマーウォーズ』(2009)の原型となった重要な作品である事、それ故にネットでは度々本作と比較されるとあって鑑賞。
「デジモンに思い入れのない立場」としての率直な意見としては、「『ぼくらのウォーゲーム』にも『サマーウォーズ』にも、それぞれの長所と短所があり、それ故に評価が分かれているのも納得が行く」というものだ。
本作で足りないと感じた部分は『サマーウォーズ』で強化され、逆に『サマーウォーズ』で淡白だと感じた部分は本作の方が良く描けていた。『サマーウォーズ』の成功以降、作品を重ねる毎にかつての高い評価を落とし続けている印象のある細田守監督だが、どうにもこの人は初期から決して器用なタイプではなかった様子だと感じた。
本作が優れている点は、短い上映時間でテンポ良く話が展開される点と、世界中の子供達の協力が事態の解決に寄与する点。「島根にパソコンなんてあるわけないじゃん」という、『秘密結社鷹の爪』に登場する島根県出身の吉田くんが泣いてしまいそうな優秀なネットミームを生み出した点だろう。
とはいえ、上映時間が短い為に活躍する登場人物を絞ったそうなのだが、その割には太一と空の喧嘩やヒカリが参加する誕生会、パソコンを求めて奔走するヤマトとタケル、丈の中学受験にミミのハワイ旅行と、無駄なシーンも多く見られ、それらを省けばもう2人くらいは問題なく物語に組み込めたのでは?と思ってしまう。それ故に、タイトルにある“ぼくらの”感は薄いと感じた。また、後述するが世界中から送られてくるメールについても手放しで賞賛できる点ばかりではない。
対する『サマーウォーズ』の優れた点は、予算やコンピュータの進化によるデジタル世界のCG表現のクオリティ向上、未知の敵による日常への非日常の侵食描写、その敵の誕生に関するハッキリした経緯等である。
しかし、どちらの作品にしても、“子供達の団結”や“田舎の大家族の団結”という「一体感」の演出には思うところがあり、細田守監督はキャラクター描写があまり上手くはないと感じた。どちらの作品も別の方が脚本を担当しているので、キャラクター描写に関しては細田監督の責任によるところは少ないのかもしれないが。
本作の舞台は、太一達がデジタルワールドを救ってから3ヶ月後の出来事であり、後日談に位置する。にも拘らず、太一が父親のパソコンに衝撃を与えてフリーズさせてピンチに陥ったり、絶えず烏龍茶を飲んでいた光子郎が肝心な所でトイレに行きたくなるなど、「え?世界を救った後なのに、まだそんな初歩的なミスしてるの?」と呆然としてしまった。太一がパソコンに疎い事、光子郎が緊張を紛らわす為に水分補給し続けているというのは分かるのだが、そうした子供達のミスは「子供らしさ」という大義名分を盾にした「大人の事情」、つまりは「脚本の都合」に他ならないと思え、性質が悪いと感じた。
本作のヴィランである新種のデジモンは、作中では全ての段階において名称が明かされないという攻めた作り。また、発生原因も作品を観る限りではイマイチ判然としない(ネットのバグの集合体らしい)。一応、wikiから格進化段階の名称を抜粋すると、クラモン→ツメモン→ケラモン→(二段階進化)インフェルモン→ディアボロモンとなる。
インフェルモンは進化途中のグレイモンを攻撃して進化を阻むという容赦のなさを、ディアボロモンはNTTの電話回線に侵入して回線を麻痺させたり、ペンタゴンにアクセスして核弾頭のコントロール権を奪取して発射したりと、敵側の攻撃には常にリアリティがある。
それに対して、太一達子供側は、太一とヤマトが突然デジタル世界に入ったり、世界中の子供達からの応援メールが不思議な力でウォーグレイモンとメタルガルルモンを合体させてオメガモンを誕生させたりと御都合的な描写が目立つ。敵の描写にリアリティがあるからこそ、こうした逆転描写はよく言えば「夢がある」、悪く言えば「子供騙し」という面が余計に目立って見えた。
細田守作品ならではの崩した表現のアニメーションも、それをアクションシーンの外連味を出す為に用いるのならば理解出来るが、本作ではデジモンバトルにはそれなりに作画に力が入っているのに対して、現実世界の人々が皆崩れた印象を受ける作画となっており、これでは単に製作期間の無さを感じさせる「手抜き」のような無意味な崩しとしか感じられず、鑑賞のノイズとなり苦手だと感じた。
調べると、本作は決定稿前のプロット段階で何度かボツになった案があるらしく、そうした紆余曲折が悪い意味で作品に反映されてしまっているのかもしれない。
【総評】
「短い上映時間でテンポ良く話を展開せねばならない」という制約故、登場人物達の活躍を絞ったり、核ミサイル着弾のタイムリミットを作中の時間経過とリンクさせたりと、創意工夫は見て取れる。しかし、本作では充分に描き切れなかった部分が多々あったからこそ、細田守監督は『サマーウォーズ』を手掛けたのだろうと思う。
個人的には、一見様向けに世界観や登場人物を設定し直し、且つ過去の反省を踏まえてバージョンアップさせてみせた『サマーウォーズ』に軍配が上がっていると考える。
個人的には、本作の鑑賞によって細田守監督の作家性の弱点に対する見解がより一層強化された事で、11月公開予定の『果てしなきスカーレット』に対する不安が増してしまったのだが、果たしてどうなることやら。