「理解し合う努力に終わりはない」ガメラ3 邪神(イリス)覚醒 チンプソンさんの映画レビュー(感想・評価)
理解し合う努力に終わりはない
平成ガメラ三部作のラストを飾るこの映画。
かつてガメラとギャオスの戦いによるガメラの活躍で家族を亡くした綾奈は、レギオンそして常となったギャオス飛来の世界で、ガメラを憎む半ばアンチヒロイン的な少女である。
渋谷に飛来したギャオスを倒す(劇中の雰囲気的には“殺す”の表現に近い)ためにガメラがまたもやってくるが、ギャオス殲滅のために放つプラズマ火球ならびに怪獣であるが故の巨体さによって、渋谷はギャオスと共に火の海と化す大惨事になる。
その光景を目にした綾奈が抱くガメラに対する憎しみは、深みを増し、
古くから伝えられている怪物「柳星張」を蘇らせてしまったことを契機に、怪物にかつての愛猫「イリス」の名を与え、ペットのように育てる。
いつか、イリスがガメラを殺す怪獣になることを夢見て・・・。
平成ガメラ三部作のラストを飾るこの映画は、前二作と違って、極めてローカルな視点から怪獣を描いている。
三部作の一作目である「大怪獣空中決戦」では、怪獣映画らしいミステリーを徐々に紐解き、日本がガメラとギャオスの立ち位置にてんやわんやするシンプルな映画。
二作目の「レギオン襲来」はガメラという人類にとって正義なのかというのをテーマに、種を越えた理解し合う希望を描いたものだった。
しかし三作目の今作は、人類皆深くに抱いている感情を一人の人間が私怨という形でガメラに反抗する話で、描き方も極めて個人的なもののように見える。
しかしこの三作品を通じて描かれた人類の損得勘定は、綾奈同様に誰もが抱くものであり、反論できない。
描き方はローカルだが、実際は極めて広い視野から描かれている。
誰もガメラを責められないし綾奈を責められない。その現実を見据えてもなお理解し合おうとするガメラと人類の関わり合いは、人間社会でも通用するテーマだ。
終盤で人類側は初めて気付かされる。ガメラは生態系を維持していると同時に人間も守っていると。
言葉を持たない、コミュニケーション出来ない関係の中、人間側が一方的に敵だ味方だと右往左往していただけだったのだと。
ラストが描写不足だという意見もあるが、テーマ的にこれは明確な答えは出ない物語であるため、あれで正解なのだと個人的には思う。
ガメラは再びギャオスに立ち向かうこと、それは「ガメラは生態系、そして人間を守っている」ことを意味するのではなく、
「ガメラ自身も生態系の一部として、理解されようと努力をする」という意味になっているのではないだろうか。
見ている側に正義の味方として明確な印象を与えるのではなく、正義の味方になろうと奮起するところを見せる。
ガメラと人類両者の理解が完全に出来ない以上、共に理解し合う姿を見せること。それがあのラストシーンではないのだろうか。
問題なのはデザインと脚本の、若干のミスリード感。
イリスのデザインはガメラとそれを取り囲むリアルな世界観とは裏腹に、極めてヒーローチック。
もっと落ち着いたデザインでよかった。
脚本は綾奈と倉田といった当事者とモブの扱いの長さが若干蛇足気味。
特に倉田らはあれよあれよと死んでしまい、それなら主人公たちが活躍して研究・結果を突き止めてもよかったじゃないかと。
細部の問題はいくつもあるが、
特撮シーンは15年経ったいまでも現行最高と言ってもおかしくない。
しかしそのせいでフルCGな部分は極めて陳腐に見えてしまっているが・・・。