せきれいの曲
劇場公開日:1951年7月20日
解説
製作は「目下恋愛中」の加藤譲が板谷良一と共同で当り「また逢う日まで」の水木洋子のオリジナル・シナリオで「えり子とともに」の豊田四郎が監督している。撮影は「宝塚夫人」の三浦光雄である。配役陣は、「覗かれた足」の轟夕起子、「誰が私を裁くのか」の山村聡、「宝塚夫人」でデビューした宝塚出身の有馬稲子などに、斎藤達雄、御橋公、立花満枝、左卜全、南美江などのバイプレイヤーたちである。
1951年製作/100分/日本
配給:東宝
劇場公開日:1951年7月20日
ストーリー
藤川ゆりは、上野の音楽学校の晴れの卒業式に、母ユキから贈られた「せきれいの曲」を歌った。その歌声はラジオによって、敗残の身を病床に横える島田信也のところへも流れて来た。彼はこの曲の作曲者でもあり、ゆりの父でもあったが、二十年前のふとした行きちがいから、結ばれたばかりのユキと島田の運命は、離れ離れになって再び相合うことが出来なかったのだった。ユキが音楽学校の卒業式に歌ったのもこの「せきれいの曲」で、この曲により結ばれた二人は結婚したが、その新婚の旅で他に女のあることを知ったユキは島田の許を離れ、島田も間もなく欧州へ留学の旅に出た。ゆりを生んだユキは家産を失い、女学校の教師をしながらゆりの成長のみを楽しみにしていたが華々しく留学から帰朝した島田は清島公爵や愛人甲斐愛子の後楯でファッションの時流に媚びていた。ユキは純粋音楽の立場を守って時代に逆っていたため様々の苦しい思いを味ったが、ようやくこの波を乗り切り、うれしいゆりの卒業の日を迎えたが、島田は、爆弾のために不具になり、時代に取り残された身を、かろうじて甲斐愛子の慈悲にすがって生きている身であった。しかしラジオから流れる若き日のユキそのままのゆりの歌声は彼の暗い心を美しく洗い清めてゆくのだった。