鳴門の花嫁
劇場公開日:1959年8月23日
解説
鳴門の渦潮と阿波踊りを背景にした時代活劇。「銭形平次捕物控 雪女の足跡」のコンビ西村八郎と松村正温の共同脚本を、「講道館に陽は上る」のコンビ田坂勝彦が監督し、杉山公平が撮影した。
1959年製作/87分/日本
劇場公開日:1959年8月23日
ストーリー
盛装の花嫁をのせた漁舟が逆巻く鳴門の渦潮に呑まれんとした一瞬、一人の浪人が身軽に乗り移って救った。しかし花嫁は殺されていた。これより先--三万両の公金を積んだ幕府御用船梵天丸が暴風に遭遇した。徳島藩町奉行郷田主水は廻漕問屋鳴門屋に救助を命じた。しかし救われた三人の武士は鳴門屋の雇い浪人室井一角に殺された。国家老稲葉内膳正が件の書状を焼こうとした時、躍り出た士井源之助がこれを奪い去った。海峡で花嫁の屍を拾いあげた浪人は鳴門屋を訪れ、堺の泉屋の口添えで来た月ケ瀬伝八郎だと名のった。鳴門屋は伝八郎を雇い入れた。その頃、街道を行く人々の中に琴江がいた。琴江は行先不明の兄源之助をさがしていたが、公儀隠密の源之助は国家老の配下に捕えられ岩牢で拷問をうけていた。江戸家老の息子、石崎三郎太が火急の使者として、来る阿波踊りの当日、大目付阿部伊勢守の入国を告げた。御用船沈没事件に公儀の眼が光り始めたことを知った内膳正らは新六、主馬ら事件を知る者を捕えた。主水は琴江を人質に源之助に迫った。源之助は密書のありかを白状した。偽りのありかめざして主水一味の去ったあと、伝八郎は源之助の縄をといた。その頃泉屋から屈強な浪人が鳴門屋に到着し、ようやく伝八郎の素姓は露見した。密書は源之助を慕う海女おいとの手で渦潮の底深く沈めてあった。三人は舟を出し、おいとはもぐった。源之助が引く命綱に主水一味の銃弾が当った。おいとも舟ももろとも泡立つ鳴門の渦に没した。阿波踊りの当日、踊りはクライマックスに達した。三郎太、新六、主馬、琴江らに刺客の一団が襲った。奉行所の配下も主水の下知で殺到した。その時江戸から公儀大目付伊勢守が到着した。伝八郎、源之助、おいとらの差し出す件の書状によって事件は落着した。月ケ瀬伝八郎こそ、阿部伊勢守の一子であった。