アナタハン

劇場公開日:

解説

「モロッコ」のジョゼフ・フォン・スタンバーグがアナタハン島の事実にヒントを得て日本で作った一九五三年作品で、提供は彼と大和プロダクションの協同。滝村和男が製作を担当、スタンバーグは自ら脚本・監督・撮影を統率しているが、台本・台詞は浅野辰雄、監督補佐は「私はシベリヤの捕虜だった」のシュウ・タグチ、撮影技師は岡崎宏三である。美術は「ブンガワンソロ」の河野鷹思、音楽は「欲望」の伊福部昭が担当する。出演者はNDT出身の根岸明美、「憲兵」の中山昭二、「戦艦大和」の菅沼正、「風雪二十年」の近藤宏の他、スタンバーグに見出された新人が多い。

1953年製作/日本
劇場公開日:1953年

ストーリー

一九四四年六月、サイパンへ物資補給に向かった五隻のかつお船が、マリアナ群島で敵襲を受け、僅かの軍人と船員がアナタハン島に辿りついた。この島には日下部(菅沼正)という男が、恵子(根岸明美)という他の男の妻だった女と関係を結んで二人きりで残っていた。待望んでいた救助も望み少ないと知ると、人々の関心は自然に恵子に向かうようになり、日下部の嫉妬も、隊長格の天沼(網倉志朗)の威嚇も甲斐なかった。アメリカ軍の降伏勧告も謀略としか信じられなかった一団は、やがて島の中にアメリカ機の残骸をみつけ、仙波(宮下昭三)はそこで発見した指輪を餌に恵子を獲得した。しかし、そこでピストルを拾った西尾(中山昭二)と柳沼(近藤宏)はなお強かった。仙波は西尾にあっけなく殺され。その西尾も柳沼の弾丸に倒れた。一九四九年の元日、嫉妬に狂った日下部は恵子と戯れている柳沼を刺して島の王者となったが、勿ち彼も吉里(藤川準)に殺され、吉里もまた一日も恵子を所有しないうちに姿を消した。残った男達はピストルを海に捨て、改めて合意の上で恵子の所有者を決めようとした。が彼女は既にこの島の生活を嫌いはてていた。アメリカ軍が撒いた出迎えのビラに彼女は疑うことなく従った。やがて日本から恵子が送った手紙は島の男達にはじめて敗戦を信じさせた。ひとり帰国を肯ぜぬ天沼を除いて、男達は英雄として故国に帰って来た。恵子はどこかで彼等を迎え、島の生活を追懐しているに違いない。

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映画レビュー

2.5本当にあった「アナタハン島の女王事件」

2024年4月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

寝られる

ハリウッドで映画化されてヒットしたが日本では当たらなかった、とフライヤーに書いてあるがそうだろうなあと思った。92分だけれど間延びしていた。アナタハン島に流れ着いた者は日本語で話しているがそれにかぶせて英語のナレーションが入る。その英語ナレーションが全知の語り手なので、孤島に残った日本人がまるで実験動物で上からの目線で俯瞰しているような物言いで何だか不自然で不快だった。それに登場人物の心、言葉、行動の動機といったものに関心が払われていなかった。7年も絶海の孤島に居た割には皆こぎれいだった。ケイコを巡って男達は確かに複数死んだが、元はピストルを所持した者が力を持ったという流れだ。ケイコが君臨していた訳ではない。ピストルで撃たれたら殺される。ケイコは生命力に溢れ生きたかった。だから、男達だけは日本が戦争に負けたことを最後まで信じず米軍機が撒いたチラシも信じなかったがケイコは信じた。そして残った男達を日本に家族に戻したのはケイコ=女王蜂の力だった。 おまけ 今もよく知られている(私も好きな)沖縄のつんだら節を島で皆が三線弾きつつ歌い踊る場面は好きだ。沖縄出身の人が多かったんだろうと思った。伊福部昭の音楽目当てだったので少し残念だったけれど。

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talisman

3.0記録映画としての価値が高い

2024年3月26日
PCから投稿

この映画は「島に残された33人のうち、女性1人、男32人で女性をめぐって殺し合いが起きた」という実際の事件が元になっています。 この映画自体は淡々と物語が進むあっさりとした映画ですが、この映画の最大の見どころは1953年に作られたということでしょう。 なぜなら同じ題材で作られた映画は他にありますが、新しい作品だったりします。 元の事件が1945年から1950年にかけて起き、この映画は1953年に作られています。 なのでそれだけでも非常に価値があります。

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