人肌呪文

劇場公開日:

解説

「薄桜記」の伊藤大輔のオリジナル・シナリオを「関の弥太っぺ(1959)」の加戸敏が監督した推理時代劇。「千姫御殿(1960)」の竹村康和が撮影を担当。

1960年製作/86分/日本
原題または英題:The Last of the Imperial Army
配給:大映
劇場公開日:1960年5月11日

ストーリー

旗本の伊織はつづらの中の女を救った。友人宅に預けた帰途、闇討ちにあった。翌朝、女は大久保彦左がひきとっていた。一心太助宅に預けられたが、覆面の侍が襲った時、女は消えた。その時、太助に助力を買って出たのが浪人の登之助だった。彦左は彼を見こんだ。伊織から責任を問われ、女を探すべく、彦左は登之助の長屋に居候した。登之助は喧嘩商売に出た帰途、金山奉行の子・曽根崎義江の挑戦にあうが、勝負を預けた。伊織は再び襲撃を受け、敵が金山奉行の配下と知った。彦左と登之助は試合を口実に曽根崎邸に行き、例のつづらがそこのものだと知った。--例の女はお組といい、登之助の妹だった。兄妹の父は金山奉行の配下の与力だった。伊豆の銀山で金鉱が発見され、父は竹流し金を江戸へ運ぶ途中、行方不明になった。その黄金拐帯の冤罪をはらすため、兄妹は奉行側の不正の証拠を握ろうとした。お組は奉行邸に住みこみ、銀山の機密書類を盗もうとして捕えられたのだ。彦左は同族の勘定奉行・出雲守を利用し天城の代官領へ向った。義江一味も発ち、現地の生証人を殺し、さらに彦左の一行を襲った。天城で病床にあった刑部は、義江が妹の荻江を利用して自分の毒殺をはかったのを知り怒った。荻江を供に江戸へ向った。お組はまた宝蔵に忍びこみ、義江に捕った。登之助は伊織と共に刑部一行を迎え討つが、すでに刑部は病死していた。荻江を人質にしようとするが、登之助がやめさせた。彦左は出雲守に悪事の一味だと迫り、きりつけてきた相手をきった。が、義江から釣天井の下敷きにされた。その場に落ちた仏像に、一味の連判状がかくされていた。その時、登之助たちが、曽根崎邸へきりこんだ。義江はお組をタテに逃げるが、荻江の短筒に傷つき、登之助の剣に倒れた。荻江も義江から剣を投げられ、死んだ。

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