「青年向け雑誌連載だった劇画原作の成人指定映画だったので鑑賞の機会が無く失念していたが」堕靡泥の星 美少女狩り アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)
青年向け雑誌連載だった劇画原作の成人指定映画だったので鑑賞の機会が無く失念していたが
公開当時の1979年10月だと年齢的には鑑賞可能だったものの、同じ料金を払って観るのなら当時は迷わず洋画の大作系を選んでいた事で、こうした作品はたまたま名画座での巡り合わせでも無い限り、積極的な鑑賞とはならなかった。
しかし当時は、表紙からして可成りエロっぽい青年劇画雑誌でも、公然と書店や駅の売店等(コンビニはまだ無かった?)にチン列されており、この原作作品はそのような中でもヒットした長期連載作品だったようなので、詳しい内容はわからなかったものの、その存在は知っているような作品でもあった。
元々興味はあったものの、上記のような経緯から長年機会無いまま記憶も薄らいで45年程もの時が過ぎてしまったところが、コロナの最中に配信系にあるのを発見した事で、期せず鑑賞を果たせる運びとなった。
兎に角、一体どんな作品なのか?、ロクに前述以上の予備知識も無いままでの鑑賞に興味深々の、ボルテージはいやが上にも上がった。
そして開巻、冒頭から仰天である。
正にモロにエロ映画というか、エロ劇画の実写版世界に直ちに突入で、何か考えたりしてる間もなくこれでもか状態のグイグイさに唖然となってるうちに、その冒頭の経緯から、その後展開していく(忌わしい)主人公誕生の背景とその人格形成の因果を理解する事になるのだった。
いくら成人指定作品といっても、原作ありのストーリーものでもあるので、単純に「エロ描写を見せるための取ってつけたようなお話」などでは無いところがこの作品の面目躍如といったところである。
それでいて、出演俳優陣も手抜きなしの成人映画作品ぶりがさすが日活といったところで、東映系のお色気作品とは一線を画すレベルを見せつけられた感がした。
その出演俳優陣、何がって特に男優陣の充実ぶりが素晴らしい。
この方達が「ここまでやる」のは流石に他作品では見られないんじゃ無いかと思う。
特に、育ての父親と実際の父親が凄い。
育ての父は、日活で俳優デビューして主演作品もあって、かつては当時売り出し中の石原裕次郎を凌ぎ先んじて主演を務めた名和宏氏で、その後は映画・TVの時代劇の悪役、『仁義なき戦いシリーズ』などのやくざ映画、今作の鈴木則文監督作品の『聖獣学園』や杉本美樹系の「女番長」シリーズとか、「恐怖女子高校生」シリーズなどにも常連的に出演していて、特撮系は『大魔神逆襲』などのごく一部だがTVの時代劇と刑事物などの出演本数が驚異的に多く、昭和の時代ならこの方の顔を知らない人って殆ど居なかったんじゃ無いだろうかと思うほど。
それから、連続強◯殺人脱獄犯で、それ故に主人公の実の父親という、忌まわしい関係である役どころの山本昌平氏。
冒頭から思いっきり見せます。
この方も、名和氏に負けず劣らず東映・日活系のピンク映画から、TVの時代劇と刑事物の悪役などでの出演本数が物凄く多いのである。
しかし特撮ファンならこの方を知らない人って殆ど居な無いかじゃ無かろうかという感じの、この方といえばやっぱりギルーク司令官→ ゴーストギルーク→スーパーギルークだろうし、『スターウルフ』の ハルカン司令なんかも。
『電撃戦隊チェンジマン』の劇場用オリジナル版にも登場している。
逆に主演の神納達也役の土門峻氏や、相手役の波乃ひろみなんかは他の出演作が殆ど無い。
しかし、どちらも中々振り切った演技というか熱演でもあるだろう。
女優陣となると、当然ではあるが日活ロマンポルノ系のベテラン(?)の方たちらしい小川亜佐美や八城夏子、岡本麗、飛鳥裕子といった面々で固められていた。
この中でも飛鳥裕子は、『チェンジマン』の前作であるスーパー戦隊シリーズの『超電子バイオマン』で新帝国ギアの女幹部ファラ役でレギュラー出演していた。
今作は、原作に基づいた可成り過激な描写の性的なシーンが全編にわたって繰り広げられる所謂”ポルノ映画“の形をとった作品であるものの、同時期に流行った”ピカレスク・ロマン“系の作品であることは見逃せない点である。
因みに同年の4月には『白昼の死角』も公開され、松田優作さんの「遊戯シリーズ」や『蘇える金狼』、『野獣死すべし』などもこの時期に一致している。
今作については、制作公開よりも2年前の1977年には日活がその構想を持っていたことから、その意味ではこれら作品よりも先んじていた企画だったと言える。
この作品のような、内容的に”過激“な映像作品を撮るという事は、現在では最早不可能であろう。
まだ昭和の時代の“あの頃“だったから実現可能だったのであり、色々な意味や様々な規制に於いて、現在ではそれを許さないで状況であろうと思う。
それを考えた場合には、今となっては「時代の徒花」のような作品と捉えられるであろう作品と思うものの、邦画(映画)と漫画(劇画)の歴史上、決して無視する事の出来ない作品であるというのもまた事実であろうと、鑑賞後記として考えるに至った。
ただ、前述のピカレスクロマンの系譜で考えた場合には、今作は近年話題をさらった『ジョーカー』などのような、「ただのヴィラン系作品とは違う作品」の元祖的に解釈される要素を持った、昨今の異端と感じられるような作品の元祖とも言えよう。
(「スーサッド」系はこれらとは全然違う、「ダーティー・ダズン」の系譜というか末裔と解釈されるだろう。)
ただ、女性にはおすすめ出来ない、というか取り敢えず観ないでおいた方が良い作品でしょう、ご忠告として….
通ぶって、観て腹立てたり、文句言ったりが一番虚しいというか、悲しい結果です。
少し前にも、タランティーノ氏の『ワンスアポン』観に来ていて、終映後に怒ってるというか腹立ててる(如何にも映画通風の)女性が居てビックリしました。
だって、タランティーノ氏の作品ですよ?
なんで観に来たのって、情報乏しい昭和の時代じゃ無いんだから…..