マッチ売りの少女(1928)のレビュー・感想・評価
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流石♥フランス映画!
大変に残念な映画である。
「マッチ売りの少女」は最初から裸足である。
また、少女が「衆人から物理的な差別」を受ける事で「少女は不幸」と原作では語っていない。
寧ろ何も関心をされない事。
「完全に無視される事」に少女の「不幸」と「悲しみ」があるのだ。
つまり、
起が 父親に無理に追い出され
承が 外は寒いのに裸足。周りは忙しくしているが、誰も相手にしてくれない。
転が 全くマッチが売れないので、そのマッチをすってみた。すると、少女は少しの暖と幸せな幻想を見る。
結が 祖母の幻想に包まれ、少女は幸せに死を迎えている。
と単純な不幸でなければならない。その不幸には、神も悪魔も登場させてはならないのだ。また、少女に対して「愚かだ」などと衆人が言う訳が無い。
少女の幻想だけ(主観)で語らなければならないのだ。
少女の幻想は「ほんの僅かの暖」と「かつて受けた祖母からの愛」だけだった。
さすが、巨匠が考えるアンデルセン童話。「くるみ割り人形」が混じっている。年末だから仕方ないのか?
因みに 最初の曲はGoogleLensで調べた所、ソフィー・エリス・ベクスター Me and My Imaginationと言うらしい。現代の曲だ。残念ながら
映画の印象を大きく食ってしまっている。
【雪降る中、少女が見たファンタジックな幻のシーンの幽玄無譚なる美しさは、芸術的であると思った作品。】
ー 世界的巨匠ジャン・ルノワール監督のアンデルセン童話を題材にしたサイレント映画だそうである。-
◆感想
・ストーリーはアンデルセン童話の「マッチ売りの少女」少女だが、彼女が凍てつく中観た幻の彼女を支える騎士と悪魔の幽玄的なシーンの美しさ及び躍動感は、比類がない。
<ラストは原作通りに哀しいが、作品の全体構成がモノクロ・サイレントに見事に嵌っている作品であると思う。>
カトリーヌ・へスリング
ルノワール監督のアンデルセン原作の仏映画(1928)
凍てつく冬の夜
マッチ売りの少女の命の炎が消える前に
彼女が見た現実と夢を描く
少女を監督の嫁である
カトリーヌ・へスリングが演じていて
やっぱり時々、大人に見えたりもするが(何となく色っぽい)
細身で小柄だし、儚い感じもでていた
「女優ナナ」(1926)での場末の女感、あばずれ感との違いには仰天
監督の父親のオーギュスト・ルノワールの晩年の
モデルをやっていた人でもあった
夢の中の玩具屋の出来事からの映像が見せ場
独創性が感じられる
現実ではマッチを売り損なうし
夢の中でも食べ物にありつけないし
王子様(将校)も彼女を助けられない
運が尽きて、ひとつひとつ梯子を外されてゆくように
悲しい結末に向かう感じがよくでていた
儚い感じがいいな
後から音楽をつけたものを観たらしいのだが
監督は否定していたらしい
私は違和感を感じなかったが、駄目かな
他の映画とはまた違うおもしろさ
この監督さんの映画は少しは見たが、ここならではのおもしろい表現が見られ、おっ、と思った。
ストーリーは相変わらずの悲しい内容。しかもここでは独特に表現されているので結構印象に残る。
少女を演じた女優さんが大人で、当時28歳? きれいな人で動きは上手と思ったが、マッチ売るより体を売ってしまいそう…などとつい思ってしまう。ちょっと複雑な気持ちにさせる『少女』。大人が楽しむための映画だと思えば割り切れるけれど。
雪の中から徐々に死へ移行していく過程が神秘的だった。おもちゃの世界は少女には楽しい世界。動きがおもしろい。でも少し気持ち悪い。生き物の温もりがない気持ち悪さ。死に近い孤独な世界。超イケメンの軍人さんがおもちゃを動かしてくれる。生きるエネルギーの最後の一滴のように思える。
死は決定的。抵抗を許さず、待たない。それが絶妙に表現される。死神が駆け抜ける映像が一番印象に残った。質感のようなものがすごかった。
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