「忘れえぬ別離のシーン」道(1954) よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
忘れえぬ別離のシーン
間違いに気付いているのに、その生き方とは別の生き方を選び取ることのできない愚かさ。主人公ザンパノはそのような人間の側面を極大化した人物として描かれている。
奇しくもこのザンパノについて冷静に見ているのは、彼をいつもからかう道化。この道化を通して、自らの存在意義を確認することのできたジェルソミーナ。母親にすら口減らしのために売られてしまう彼女は、おそらく生まれてこのかた何者かに必要とされることはなかった。その彼女に、ザンパノが本当は彼女を必要としていること、道端の石ころですら何かの役に立つことを教えたのは、この道化であった。
しかし、この道化はザンパノによって殺められてしまう。
自分という存在を照らしてくれるものを失ったジェルソミーナは、ふさぎ込み、大道芸の仕事をしなくなる。
このままでは食べていくことができないと思ったザンパノは、ジェルソミーナが寝ている隙に、彼女を置き去りにしてしまう。
この別離のシークエンスが重い。
一人では生きていけないことが分かりきった彼女を捨て去る冷酷さと、寒さ除けの毛布と彼女の商売道具になるであろうラッパを置き土産にする優しさ。この残酷さと優しさが同時に対比されるせいで、ザンパノの葛藤の大きさがいっそう際立つ。
このとき、ザンパノは自分がこののち後悔することも知っているし、すでにジェルソミーナのことを忘れられない自分に気付いている。だからこその優しさなのだが、だからと言って彼女を捨てることを思い止まることはないのだ。
生きていくためにほかの選択肢がない弱い存在なのは、ジェルソミーナもザンパノも同じ。彼らも、そして観客の多くも、苦難に立ち向かうことでモラルや愛情を守ることのできる強者ばかりではないことを知り、その自らの愚かさラストの海辺のシーンで思い知ることとなる。