子供たちは見ている

劇場公開日:

解説

「終着駅」のヴィットリオ・デ・シーカが「靴みがき」「天国への門」に先立って一九四三年に監督した作品で、子供の眼を通して大人の世界を批判したものである。「靴みがき」のチェーザレ・ジュリオ・ヴィオラの小説『プリコ』より、原作者ヴィオラ、マルゲリータ・マリオーネ、「ミラノの奇蹟」のチェーザレ・ザヴァッティーニ、「ミラノの奇蹟」のアドルフォ・フランチ、「自転車泥棒」のゲラルド・ゲラルディ及びデ・シーカが脚色した。撮影はマリオ・ベノッティ、音楽は「ストロンボリ」のレンツォ・ロッセリーニの担当。主役の子供はルチアーノ・デ・アンブロジオが演じ、以下「靴みがき」のエミリオ・チゴーリ、イザ・ポーラ、アンドリアーノ・リモルディ、ジョヴァンナ・チゴーリ、イオーネ・フリガリオなどが出演する。

1943年製作/イタリア
原題:I Bambini ci guardano
配給:映配
劇場公開日:1954年3月

ストーリー

アンドレア(エミリオ・チゴーリ)とニーナ(イザ・ポーラ)は、ローマ郊外のアパートに中流家庭を営んでいた。二人にはプリコ(ルチアーノ・デ・アンブロジオ)という男の子があり、一見幸福な生活を送っているように見うけられたが、ニーナにはロベルトという秘密の愛人がいた。その日もニーナは散歩するといってプリコと公園に行きプリコが人形芝居やスケーター乗りに夢中になっている間を利用してロベルトと密会した。そのときニーナは、ロベルトからその夜のジェノア行列車で駆落ちしようと迫られ、アンドレアの留守を見計って出発してしまった。プリコを残されて困ったアンドレアは、取敢えず洋裁店を経営しているニーナの姉の許にプリコをあずけ、翌日、田舎に住む自分の母ノンナのところへ連れて行った。ノンナは娘パオリーナにプリコの世話をいいつけたが、ある晩パオリーナが恋人と密会しているところを垣間見たプリコは、誤って彼女の頭上に植木鉢を落し、ノンナの怒りにふれてアンドレアの許にもどされた。その車中プリコは高熱を発し、熱に冒されながら母ニーナを呼びつづけた。その想いが通じたのか、プリコが回復するころニーナは帰ってきた。母を見て喜ぶプリコを見てアンドレアの心も折れ、一家には幸福が立返ったようだった。しかし、ニーナを忘れられぬロベルトは、一家が海水浴に来た機会に再びニーナに近づき、アンドレアが社用で先に帰ったのを利用して束の間の逢瀬を楽しんだ。プリコは二人の抱擁をはからずも見、再び母が去って行くのではないかと直感し、ローマの父を慕ってただ一人鉄道線路をとぼとぼ歩きつづけた。その夜おそくプリコは警官に発見されニーナの許に連戻されたが、ニーナはプリコをアンドレアの許に帰して出奔してしまった。絶望したアンドレアは、プリコをのこして自殺し、それを聞いてかけつけたニーナはプリコを引取ろうとしたが、プリコは烈しく泣きながら母の手を拒んでいずこへともなく立去っていった。

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映画レビュー

5.0本物の傑作とは何か 本作を観れば分かります

2021年9月15日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

胸が潰れて、涙がこぼれました
本物の傑作です
さすが巨匠デ・シーカ監督と唸るような映画です

冒頭で家族の住む部屋の階数の高さを見せます
そして、アンドレアはニーナの喜ぶ顔が見たくてベランダ窓のカーテンを取り替えてるのですが、電報を読んだ彼がベランダにひっそりと佇む姿を見せて、家政婦アニエーゼに一旦閉じたドアをまた開かせるのです
プリコが如何に甘えん坊でママが好きかを寝かしつけられるシーンでキスをせがませて表現します
これらの簡潔で、あざとくない自然な前振りが、終盤で強烈な効果を発揮するのです

プリコ役の子役の可愛さ、演技力の高さはもちろんのことです
母親から逃げ出して、あてどもなくさ迷って歩く、夕陽にきらめく波間の美しさ
父に問われてウソを突き通そうとするも涙が目に溢れるアップのシーン
ラストシーンのプリコが歩み去るカメラの構図は強く印象に残るでしょう

タイトルが、子供たちと複数形であることに留意が必要です
原題のイタリア語タイトル自体がそうなのです
単数形では、単にこの家族だけの話で終わってしまいます
複数形であることで、観客たる私達全ての物語であり、この映画を観て私達がどう生き方を変えるのかまでのメッセージを持たせているのです

1943年10月イタリア公開作品です
大戦中の作品ですが、まるで戦後の1950年代や1960年代のような余裕のある平和な暮らしぶりです
日本なら1960年代後半くらいのイメージです
海辺のグランドホテルに中産階級の家族がバカンスに行くシーンがあるぐらいなのです

本作は日本語の資料では1944年の作品とあるものが多く、英語資料では1943年とあります
どちらが正しいのでしょうか?

1943年10月は、9月に連合軍がイタリア南部に上陸して、イタリア軍が降伏する兆しを察知してドイツ軍がイタリア全土を制圧した頃の騒然とした時期です
まして1944年などは戦火がローマにまで及んでいます
その中で、戦争の影を完全に排除して、このような映画を撮る姿勢には、監督の明確な意志を感じます
戦争に制約をうけた、その時代だけの物語ではなく、永遠に古びることのないスタンダードな映画を撮るのだという意志だと思うのです

戦後の1948年の映画史に残る名作「自転車泥棒」では、戦後の荒廃が色濃く反映されているのとは対照的です
なりふり構っていられなくなっただけかも知れませんが

本作は、大変に正統派の劇映画です
ネオレアリズモの嚆矢と書いてある資料もありますが、それは一目みれば違うと分かります
これをネオレアリズモと定義するなら、なんだってそれになってしまいます

本物の傑作とは何か
本作を観れば分かります

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