劇場公開日 1972年5月20日

デカメロンのレビュー・感想・評価

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3.5パゾリーニが描くルネサンスの「生」と「性」のおおらかな艶笑譚。肥溜めに落ちるニネット・ダヴォリ!

2022年11月21日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

ぴあフェスのパゾリーニ特集上映京都編にて鑑賞、一本目。

高校の教科書にルネサンス期を代表する小説として登場する『デカメロン』や『カンタベリー物語』が、いわゆる「艶笑譚」であることを知っている人は、世の中でどれくらいいるのだろう?
僕は、高校1年の夏休みの読書感想文に、名前は知っているけど中身は一切知らない本がいいやと思い、一切の予備知識ゼロで『デカメロン』を選んで持ち帰ったのだった。
で、読み始めてびっくり。
どの話もこの話も、修道士やら庭師やらが出てきて、尼さんやら良家の子女やらとヤリまくっているではないか! どうやって女と密会するかとか、亭主を騙すにはどうしたらいいかとか、そんな話ばっかり。
とくにこの映画の二話目の原作に採用されている、聾唖を装って修道院に潜り込み、片端から修道女をコマしていく男の話に、高校生の僕は大いに衝撃を受けた。
うろ覚えだけど、「こうしてたくさんの似た顔をした赤ちゃん修道士が誕生したのでした、ちゃんちゃん」みたいなオチでさ、まあひどい話なんすよ。
なに? あの有名な試験にも出る『デカメロン』って、こんなエロ小噺集だったのかよ!
てか、少年隊ってこんな猥談集を『デカメロン伝説』とか謳い上げてたのかよ!
ルネサンスって、もっと高尚なものかと思ってたよ!(笑)

のちに『カンタベリー物語』も似たり寄ったりの艶笑譚&説話集であることを知った高校生の僕は、逆にいうと「ルネサンス」って一体なんなんだ?という深遠なる疑問にとらわれることになったわけで。
「人間礼賛」って、セックス礼賛のことなの?
中世の抑圧からの解放って、そういうことなの?
この手の疑問に自分なりの解釈がつけられたのは、のちにウンベルコ・エーコの『薔薇の名前』やホイジンガの『中世の秋』、ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』あたりを大学生になって読んで、中世という時代がどういう時代で、なにが何世紀にもわたって「わだかまっていた」のかを、何となく理解してからだった。

― ― ― ― ―

さて、パゾリーニの『デカメロン』である。
パゾリーニが、『デカメロン』を題材に選ぶのは、決して突飛なことではない。
イタリアの文学的伝統を「詩人」としてのパゾリーニが映画芸術に引き込むにあたって、彼が最初に選んだ題材は「聖書」だった。それから、次が「ギリシャ神話」。
流れとして、その次にルネサンス文学を選ぶのは、むしろ自然な選択だといえる。
それにパゾリーニはもともと、下ネタ大好き、お笑い大好き。
糞尿大好き、SM大好き、青年大好き(たぶん女もいけたのでは?)
『デカメロン』を映画化する資質や度量を、もともと備えていた人なのだ。

それに、考えてみると『テオレマ』だって現代を舞台とした艶笑譚で、そこにブルジョワジー批判やカトリックに対しての批判的思索がこめられていた。『デカメロン』とやっていることはそう大きくは変わらない。『アッカトーネ』だって『大きな鳥と小さな鳥』だって、「セックス」と「笑い」にまつわる映画のなかで、プロレタリアートとブルジョア、そして新たな「聖者」の創造といったテーマを扱っていた。
その意味では、「中世的な抑圧のなかで勃興する市民のエネルギー」を「性と笑い」をふんだんにまぶして語るルネサンス文学の映画化は、むしろ「いかにもパゾリーニらしい」選択だったといえるのではないか?

ちなみにパゾリーニは『デカメロン』のキモともいえる設定を、映画化に際して敢えて採用していない。
すなわち、「ペストが猛威をふるう街を後にして、死を恐れて逃れてきた貴族たちが、暇と恐怖を紛らわせるために、益体もない下世話話や勇気の湧いてくるような物語を語る」という、『デカメロン』の成立要因を示す設定である。
これは、作品の本質的理解からも、コロナ禍に苦しむ現代的視座からも、とても重要な設定だと思うのだが、おそらくパゾリーニにとっては、「貴族が語る」という部分に受け入れがたい部分があったのだろう。
彼からすれば、あくまで『デカメロン』は、名もなき市民たちの「下からの」(セックスも含めた)「革命」でなければならなかった。そのために「貴族の暇つぶし」としての「余裕派文学」的な背景はいったん解体され、ナポリの街のあちこちへと各エピソードはシームレスに埋め込まれ、語り始めもなければ語り終わりもない「市民生活の一風景」として再構成されたのだった。

お話としては、なんといっても一話目の、ニネット・ダヴォリ君が登場する、騙されてクソ溜めに落とされた男が泥棒の手下にされた挙句、死んだ聖職者の指輪をうまい具合に手に入れる話が面白い。
宗教権力者の象徴的財宝を、クソまみれの「愚者」が成り行きでゲットする「下剋上」の部分に、共産主義革命のアナロジーが潜んでいる点に加え、ニネット・ダヴォリというパゾリーニにとっての「天使」が最大限の魅力を発揮している点、糞尿映画としての極限をきわめている点(『直撃地獄拳 大逆転』の郷鍈治みたいw あれもみんなから「クッセエ、クッセエ」言われてて可哀想だった)を大いに評価したい。
ヘンな帽子をかぶった二人組の泥棒は、ヒエロニムス・ボスの『嘲弄されるキリスト』から抜け出してきたかのようだ。あと、さんざん女の裸が出まくる映画なのに、いちばん裸の見たかったこの話の「偽妹」は結局脱がずじまいだった……残念!

最後から二つ目の、妹と姦通した下男をなぶり殺しにする三兄弟の話も衝撃的だ。ここまで比較的「陽性」の話で揃えてあったぶん、善の側が一方的に被害にあって悪がはびこったまま終わってしまう話の理不尽さにはインパクトがある。明らかに素人と思われる役者たちの、その場限りの演技の寄せ集めみたいなネオリアリズモ感が、話の異常性に拍車をかけている。それから、夢枕に立った下男の霊に導かれて死体を掘りおこした令嬢が、「全部は無理ね」と「首だけ持ち帰って愛でる」流れにも震撼した。なぜって、僕はこの映画を観る前日に、東響/ノットの演奏する『サロメ』を川崎で観ていたから。なんてシンクロニシティ!! 二日連続で愛する男の首を所望する女性の話を観てしまった……。

第二話の、偽聾啞者の庭師が修道女たちの性処理係として活躍する話も原作は面白いが、映画の方はちょっと語り口が雑な感じも。男性が女性によって消費される逆転構造や、「姦淫」や「笑い」を徹底して抑圧してきた修道院が「奇跡」を騙って性的乱行を隠蔽する流れは面白い(『カンタベリー物語』の第一話も類似の「奇跡」ネタだった)。
他に、悪行を重ねてきた男が告解によって聖人に祀り上げられる話(こういう話になると必ずフランコ・チッティが出てくる)、旦那が帰ってきたので大甕に愛人を隠す妻の話、裕福な青年と市井の少女が朝チュンしてるところを両親に見つかって逆玉の輿婚に寄り切られる話(この二人って『カンタベリー物語』の妖精王と妃?)、人間を馬に変えられると主張する神父の話(神父の顔芸が凄い!!)など。いずれも、面白いは面白いが、演出がとっつきにくくて話が頭に入ってきづらいうらみはあるかも。

最終話の、死んだ兄が「死後の世界」の様子を伝えに弟のもとを訪ねてくる話には、兄が死ぬ直前に聖母の姿を幻視するシーンがある。このショットは、明らかに活人画(タブロー・ヴィヴァン)の手法で描かれており、かつて『ロゴパグ』の1エピソード「リコッタ」で、「ピエタ」の活人画を(そこだけカラーで)組み込んでいたことを想起させる。
ベースとなっているのは、本作にも登場する初期ルネサンスの画家ジオット(家に帰って検索して初めて、パゾリーニ本人が演じていたことを知る。普通に演技うまいしw)の描いたパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の「最後の審判」で(とくに右下の木に吊るされた罪人たちはそのまま再現されている)、その絵でキリストが占めている中央の場所に、同じジオットのウフィッツィにある「荘厳の聖母」の聖母子像が当てはめてある(最後の審判の図像の中心に聖母がいるのは珍しいが、アンゲラン・カルトンの「聖母戴冠」など、例がないこともない)。
なお、この幻視のあと男はそのまま死ぬのだが、この足元から撮って極端な短縮法で横臥する姿を収める構図取りは、明らかにアンドレア・マンテーニャのミラノ・ブレラ絵画館にある「死せるキリスト」を意識したものである。
僕の気づかない他のところでも、有名絵画作品からの構図やファッションの引用は、あちこちで行われているはずだ。
パゾリーニという人は、世間一般では挑発的でえげつない映画を撮り続けた監督とのイメージが強いかもしれないが、殊に(とくにイタリアにおける)西洋文学史と西洋絵画史のコンテクストを「継承する」という点に関しては、常に強い意志を示し続けた監督でもあった。

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じゃい

3.0夢の方が素晴らしいのに何故描き続ける?(ラスト台詞)

2018年6月14日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

難しい

・イタリアの8編のエロ短篇の合間にパゾリーニ扮する画家が教会の壁画に巨大絵を描くシーンが挿入される
・女性が魅力的な美人に対して男の役者が皆癖のある顔立ち
・女王に騙され肥溜めに、シスター達の慰み者男、亭主が水がめのなかにいるときに不貞、娘の行為を目撃した両親が資産家の息子を婿に取り込む、妹とできた男を3人の兄が殺す、女房を魔法で馬にしてと懇願、弟の女房とやりまくる男
・霊となって友人のもとに現れた男が「姦淫は罪悪の勘定にも入らないってえんま様が言ってたぜ」と語るシーンが象徴的

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mimiccu