劇場公開日 2018年9月15日

「現実をどう演出するか?」極北のナヌーク neonrgさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 現実をどう演出するか?

2025年11月3日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画は、一般的に「世界初の長編ドキュメンタリー」と呼ばれていますが、厳密に言えば“真実の記録”ではなく、“真実を演出した映画”だと思います。
セイウチ漁のシーンにしても、イグルーの内部にしても、カメラを強く意識して動く人物たちの姿から、すでに「自然をそのまま撮っている」のではないことが分かります。けれども当時としては、そもそも誰も行ったことのない北極圏の生活を映像で見ること自体が奇跡的な体験だったはずで、観客にとっては“やらせ”よりも“発見”が圧倒的に勝っていたと思います。

演出が入っているにもかかわらず、作品としての完成度は非常に高いです。自然光だけでここまで明瞭な映像を撮っているのは驚異的で、特に編集のリズムがうまく、物語としての流れを生み出しています。ナヌークがアザラシを引き上げる場面や、家族とのやり取りなどには、単なる記録を超えた人間的なドラマが感じられます。

ただ、見ていて強く感じたのは、「これはよくできた作り物だ」ということです。いわば、非常に完成度の高い“ディズニーランド的再現”のような印象です。実際、監督のフラハティは後年『バトル・オブ・チャイナ』なども撮っており、プロパガンダや民族的理想像の提示といった側面が見え隠れします。つまりこの映画も、記録というよりは“理想化されたイヌイット像”を描いているのです。

ラストで「2年後にナヌークは死んだ」と字幕が出ますが、実際にはこれは事実ではなく、象徴的な演出です。ナヌークを演じたアララーラックは本物のイヌイットでしたが、映画の中では“実在の人物”ではなく、“失われゆく生活様式の象徴”として描かれています。つまりその死は、個人ではなく文化の死を意味しているのでしょう。

黒澤明の『デルス・ウザーラ』にも繋がっていきます。どちらも「文明と自然」「記録と物語」という境界線をめぐる作品ですが、『ナヌーク』が観察する側と観察される側の一方向的な構図であるのに対し、『デルス・ウザーラ』はその視線を互いに交わし合う“対話の映画”です。50年の時を経て、映画が「観察」から「共感」へと進化していった、その原点に『ナヌーク』があるのだと思います。

結局のところ、『極北のナヌーク』は“現実の仮面を被った神話”です。ドキュメンタリーという形式が、最初から「現実をどう演出するか」という問いの中で生まれたことを、この映画は語っています。

鑑賞方法: Blu-ray

評価: 90点

neonrg