エレファント・マンのレビュー・感想・評価
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【”I am not an animal! I am a human being!" 人の善性と悪性を美しきモノクロ映像で描き出した作品。<4K修復版にて鑑賞>】
ー19世紀のロンドンに実在した人物の物語。モノクロ映像の”黒”の美しさが印象的。ー
■今作の魅力
1.19世紀ロンドンの貧富の差が、衣装を通じてきちんと描かれている所。又、ロンドン病院の内装、意匠の美しさも素晴らしい。
2.人間扱いされていなかった、”エレファント・マン”がジョン・メリックという一人の知性ある人間であることを山あり、谷ありのストーリー展開の中で徐々に表していく所。又、その過程で、愚かしき人間の姿もきちんと描き出している所。
3.物語の切り替わりが暗転で行われている所。
4.哀切なトーンのメインテーマ。
・19世紀のロンドンの見世物小屋には、様々な”見世物にされている人たち”がいた。小人症、シャム双生児・・。だが、”エレファント・マン”と書かれた小屋は締まっている。ロンドン病院の外科医トリーヴス(アンソニー・ホプキンス)は興味を惹かれ、興行師バイツにお金を渡し、特別に見せて貰う。涙する、トリーヴス。
ー序盤は、”エレファント・マン”の姿は露わにされない。ー
・バイツに激しく棒で打たれた”エレファント・マン”を見たトリーヴスはバイツと掛け合い、傷を癒す間、彼をロンドン病院で治療する約束をし、病院の一室に住まわせる。
が、その事実が公になり、上流階級の愚かしき人々が”お見舞い”と称して、彼に会いに来るようになる。
ー気の強い婦長から”貴方がやっていることは、興行師と同じ!”と言われ悩むトリーヴスの姿。その中で、彼は”エレファント・マン”は、ジョン・メリックという名の21才の若者で、知性も教養もあることに気づくのだが、トリーヴスを演じたアンソニー・ホプキンスが素晴らしい。-
・ジョン・メリックは与えられた部屋の中で、小さな窓から見える大聖堂の模型を作る日々。大女優ケンドールとも交流が生まれ、彼女から写真を貰い、舞台にも招待される。が、愚かしき人々から安息の日々を奪われそうになるジョン・メリック。
<ラスト、壊された大聖堂の模型を修復し、”これで、終わった・・”と呟き、母とケンドールの写真を枕元に置いて、”人間として、人間が眠る姿勢で”床に入るジョン・メリックの姿は、沁みます・・。>
<2000年頃、DVDにて鑑賞>
<2020年7月12日 4K修復版を劇場にて鑑賞>
■蛇足
・興行師バイツが連れていた少年が、「ボヘミアン・ラプソディー」の制作をブライアン・シンガー監督から引き継ぎ、「ロケット・マン」でも監督した、デクスター・フレッチャーだったとは・・。
・初見の時は”当たり前だが”予想もしなかった・・。嬉しい、映画の連鎖である。。
リンチワールドが見え隠れするヒューマンドラマ
確か月曜ロードショーで放映されたのを観て以来、実に数十年ぶりに4Kで再見。
デイヴィッド・リンチがどういう監督なのかを知った今となっては、フリークスへの偏愛ぶりやホラー的演出などは、いかにも彼らしい。
今やハンディキャップ映画は珍しくなくなったものの、それでもエレファント・マンが背負う過酷な運命は、他の追随を許さない。
にしても、たまたま会話していた相手がアメリカのインランド・エンパイアという地域の出身と聞き、その地名から映画『インランド・エンパイア』を思いついたリンチが、「エレファント・マン」というタイトルに惹かれて監督することにしたというあたり、インスピレーションや直感に従う作品づくりはホントにブレない。
リメイク希望
1980年の映画なのに白黒で、カット割りから音楽まで50年遡るような凝った作りの映画。
時代が19世紀ロンドンだからなのか、この映画のテーマ故なのか。
見世物になっていたジョンを招き、安住の住処を与えた外科医トリーブス。彼の人脈なのか、人気の舞台女優など有名人がジョンを慰問するようになり、その事が新聞記事に取りざたされる様になる。ジョンの世話をしていた看護士がトリーブスに言う。
「ジョンがまた見世物になっています!」
トリーブスが自問自答し始める。
「自分も、ジョンを見世物にしていた男と変わりないのか・・・」
しかし観客は知っている。トリーブスはジョンと初めて会ったとき流した涙を。
ここに限らず、終始胸が抉られる話でした。
アンソニーホプキンス若い!髪フサフサ!
感動ポルノを題材にした重み
見世物小屋の酷さとか、当時の人々の人権意識の低さとかがテーマではないと思う。私たちは良いことをしている、という満足感を得るための対象としてしか見てもらえないことも障がい者の苦痛になっているのではないか。
悲しくてなんとも言えない気持ちになった
前情報あまりなく、デビッドリンチ監督という事で見てみた。
この時代のイギリスと物語との雰囲気は絶妙で、見てよかった一作。
なんて不平等なんだろう。。
最後まで辛い気持ちにさせられる映画だった。
リンチとは思えない感動作
イカれた映画ばっかり撮っているキチGUY監督リンチの作品とは思えない、スタンダードな造りの映画でした。普通に胸に沁みる感動作。
とはいえ、異形の者の悲しさを描いた本作はとてもリンチっぽいとも思えます。
その風貌から見世物小屋の興行師バイツの所有物として生きていたジョン・メリックさん。しかし、彼を見て興味をひかれた医学者トリーブスに引き取られ、実は高い知性を持つ心優しい人物とわかり、彼のQOLは上がっていく…そんな話でした。
トリーブスは、自分はバイツと同じでメリックさんを見世物にしてあるのでは、との葛藤で苦しみますが、はっきり言って倫理的には一緒だと思います。
しかし、トリーブスはメリックさんの尊厳を大事にするよう心がけています。見世物の仕方も、彼を奇異な存在としてではなく、すごい風貌だが心は綺麗みたいなプレゼンをしてます。なので、現実的にはメリックさんのQOLも自尊心もガン上がりだと思うので、トリーブスは単純に良いことしてるな、と思ってます。葛藤するのも彼の誠実さの現れですよね。
あと、『ワンダー 君は太陽』でも描写されていましたが、外見ってある程度慣れますね。初めてメリックさんを見たときはかなりビビりましたが、物語が進むにつれて、「メリックさん、目が綺麗じゃん」とか思うようになりました。内面に魅力があると、外見に対する印象も変わっていくな、と実感しました。
そして鑑賞後に、実はエレファントマンとはリンチ自身なのではないか、と考えています。
『イレイザーヘッド』を撮るほど、頭のおかしいリンチは、日常生活に心から適応できていたとはとても思えません。そのため「自分は異形の存在だ」と実感していたのではないでしょうか。
しかし、『イレイザーヘッド』でカルト監督としてある程度の名声を得て、本作のような規模の作品を撮ることができるくらい世間から承認されました。異形であっても真価が認められる喜びが本作から伝わってきたため、意識的かどうかは不明ですが、少なくとも無意識的にリンチはメリックに自分を重ねていたのでは、なんて想像しました。
人間の善と悪
これは素晴らしい作品。人間の善と悪の両面をマザマザと見せつけられた印象。外見だけで相手を判断する人間の愚かさを気付かされる。無駄なシーンも一切無く、最後までリンチ監督の世界観に引き込まれた。これぞ映画、感服しました。
2018-135
そこいら中にエレファント・マンはいるのだ
なんと醜悪な、正視に耐えない、
吐き気を催すほどの化け物だ
しかしそれはジョン・メリックのことではない
病院の下働きの男と、彼に金を払って夜間に彼のを好奇の視線で覗く面々のことだ
そして本作をエレファント・マンとはどんな奇形の人間なんだろうと興味本位に観に行った過去の自分のことでもある
自分もまた見世物小屋に群がる人々と同じではなかったのか
トリーヴス医師もまた、あの興業師が喝破したように、学会で他の医師に見せびらかす事が目的だったのだ
見世物小屋で金を稼ぐか、自己の研究成果として学会での地歩を固めるかの違いでしかない
見世物小屋の口上シーンと学会の発表シーンは見事な相似形を描く
しかしジョンに知性があることを知って、扱いを改めて人間として接するようになる
もしジョンに知性がなければ?
あのまま?
人間扱いしていない?
研究対象として飽きたら、彼を一体どうしたのだろう?
衰弱して倒れてしまい、役にたたなくなったジョンを杖で殴りつけ、激しく突く扱いをする興業師とどこが違うのだろう
相模原の知的障害者施設で大量殺人事件を起こした犯人の視線とどこが違うというのだろう?
ジョンは知性を隠していたのだろうか?
生まれてこの方、誰からも愛されず生きてきたのだ
両親からも捨てられたのだろうか?
興業師に売られたのかも知れない
写真の中の母の美しさだけが彼の知る唯一の愛だったのだ
人間の尊厳を来る日も来る日も毎日否定されて育つことが、一体どれほどの苦しみだったのだろうか?
人間の尊厳を認められないとは、それはコミュニケーションを否定されることだ
それゆえに知性なぞ必要ではなかったのだ
知性が在ることを伝えても誰からも取り合ってはくれないのだから
だからジョンはトリーヴス医師も最初は何も信用していなかったのだ
なんという深い絶望なのだろう
人間でいる必要がなかったのだ
人間であると思ったら生きてはいられなかったのかも知れない
自分に知性があるのかをトリーヴス医師と院長は知りたいのだと理解したとき、彼は人間に立ち戻ったのだ
生まれて初めてのコミュニケーションの成立だったのかも知れない
トリーヴス医師もまた、彼とコミュニケーションできたとき、彼は人間であることを、今更ながらにして理解したのだ
そして恥ずべきは自分であると知ったのだ
エレファント・マン
それは奇形の人間の物語
見た目が異常だから差別を受けた
しかし外見ではなく、内面が少し変わっていても
いやそれどころか、どこも何も変わりもないのにイジメという差別をよってたかってする連中もいる
コミュニケーションを拒否する人がいる
親でさえ、教師でさえ、そういう人間がいる
その現実に絶望のあまり自ら命を絶つ人さえいる
死をえらばなくても、ジョンのように精神が衰弱していく人もいる
そこいら中にエレファント・マンはいるのだ
私達は病院の下働きの男や彼が引き入れた低劣な人々になってはいないだろうか?
自分が恥ずべき人間になってはいないだろうか?
相手を理解しようとするこころ
コミュニケーションを厭わずにとろうとする努力
トリーヴス医師のように自ら気づいて改められるのだ
遅いということはないのだ
「デヴィッド・リンチの映画」特集上映
史実を元に描かれた映画だがまるで「イレイザーヘッド」の赤ちゃん"スパイク"が成長してからの物語にも思えてD・リンチと相思相愛でぴったり。
大袈裟に感傷的な演出描写は控え目に何か突き離した目線で描かれているようにも思えてA・ホプキンスの役柄がドコか冷たく若干引き気味な雰囲気で!?
モノクロでの不気味な世界観に工業地帯や意味深なイメージ映像とD・リンチの色がハッキリと表れて単に感動する作品から逸れているのが好感触。
偽善だとしても美しい
産まれつきの奇病により身体が奇形と化していた青年ジョセフメリックの一生を彼を支えた医師トリーブスら周囲の人々と共に描いたノンフィクション作品。
実話を基にした作品で、一部からは人の不幸を文芸映画風にしていると痛烈な批判を受けていたり、前作のイレイザーヘッドを観たのちに今作を観ると監督のデビッドリンチが異形のものを描きたかっただけではないのかなどの考えに行き着くかもしれないが、映画しては感動できるとても良い作品だと思う。
見世物小屋で晒し者の扱いを受けていたジョセフメリックが、外科医のフレデリックトリーブスに出会い、研究の名目で病院にて面倒を見てもらうことから始める今作。
顔面や身体の骨が異常なまでに突起し、唇は異常にめくり上がり発声もままならない姿であったが、聖書を熱心に読み込み発生の練習を独自に重ね、美しいものを見たときに感動する心を持っているなどの意外な素顔を見せていくメリックに研究対象以上の関心を持ち始めるトリーブスの関係が美しい。
メリックが世間的にも注目されていく中で、見世物小屋で働かせ賃金を稼いでいたバイツの懇願でメリックを奪還した夜警のジムに対して、トリーブスが怒りを爆発させたシーンは思わず泣いた。そしてその後ジムを殴り失神させた婦長に爆笑&さらに号泣笑。
メリックを学会で発表した功績で医師としての株と患者からの人気を得たトリーブスが結果としてメリックをバイツと同様に晒し者のようにしてしまっているのではないかという罪悪感に対して、メリックはそんなことを微塵も感じずにただひたすらにトリーブスに感謝している気持ちを表している対比でまた涙腺壊れた笑。
映像的にも題材的にももしかしたら映画化すべきものではなかったかもしれないが、とりあえずこの2人の関係性は美しい。
若かりし頃のアンソニーホプキンスの熱演もすごく良かった。
自尊心
エレファントマン
我々は誰しも人から差別される要素とか持ってると思うんだけど、その大きさとか形とかによってここまで人生が左右されるって何なんだろう。内面的か外見的か。
胸糞悪いシーンも多くて、あんなにも簡単に人の自尊心を奪うことが出来るんだなって感じた。
でも私もアンソニーホプキンスにはなれなくて、きっと嫌な男の周りにいた女か、拍手を送る1人にしかなれない。
自分も差別主義者なんじゃないか
この作品を観る前に身構えてしまった時点で、私達に無意識的にも誰かを差別する気持ちが根付いてしまっているんだと思う。100パーセント誰とも差別意識なしで接することができる自信はあるだろうか?と疑いながら鑑賞することになる。
差別される側も見た目とかじゃなく避けられる原因をもっていることもある。例えばこの作品のジョン・メリックはどんなに話しかけても最初はうまく応えてくれない。現実では、そこで大半は苛立ってしまうのではないかと思う。小学校などであるいじめも同じだろう。しかしその原因は彼が過去に知らないところで苦しんだことにあったりする。
反対に同情のアイコンとして見せ物にするのも本質を見失っているという葛藤もある。
軽率な接し方で誰かを傷つけていることを考えさせてくれる映画。
対義語:TOKYOガールズコレクション
見世物にされた奇形がよき理解者のお陰で光を摑むことに成功。苦節21年と9ヶ月。
「これでも人間なんだよ、ぼくも」
本音で打つからなきゃ道は見えない。ってこと。ワカッタ。
悲しい物語だった
子供時代に、ある種のセンセーションを伴って興味をひいた作品。しかし、子供の自分には恐ろしいエレファント・マンを見ることができなかった。
この映画がホラー作品ではないことを知ったのはレンタルのパッケージによる。
異形の人物に対する人間の様々な感情を描いているが、全ての人間がその全てを抱いている。すなわち、好奇、恐怖、憐憫、忌避、軽蔑。病院で彼を世話する医師や看護婦ですらこれらの感情からは自由ではない。見世物小屋から救い出されても、結局、ときたま人前に連れ出されて、人々の好奇と憐憫の感情を満足させることになるのだから。
そのことを最もよく理解しているのがそれらの感情の対象であるエレファント・マンなのだ。自分が社会には受け入れられない存在であること。そして、自分の安住の地は神の家である教会しかないことを彼は分かっている。
窓から見える尖塔をモデルに、紙の教会を完成させた彼が、「これですべて終わった。」という一言に涙が溢れた。生まれてから自分の為にやり通したことが紙の教会ひとつを作ることだけだなんて。
真の孤独がどれほどに残酷なものであるのか。たやすく思いやりだの、愛だのということがどれほど軽薄なものなのか。
今もTVをつければ、このたやすい思いやりが溢れている。
3.1
なんだか深いようで、そうでもないような映画。考えさせられる事があるけれども、ちょっとしたパニック系なのかとも思えてしまう。
彼の絵や大聖堂の模型をみると、かなり繊細でピュアな人柄だと思う。それゆえに苦しい事もあったはず。
最後の「ぼくの人生は満ちていたから。愛されていたから。自分が発見できた」って言葉が印象に残った。
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