「映画は表現方法を勉強し、今日に至る」仔鹿物語(1946) うそつきかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
映画は表現方法を勉強し、今日に至る
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今にして思えば、様々な映画表現上の「タブー」に縛られている映画だ。
少年と子鹿の美しい愛情を軸に、成長していく過程で味わう挫折や大きな決断を考えさせられる。おそらく児童文学なんかを映画化したものなのだろうと思うが、実体験をもとに語られるような話で、農業を営む人には鹿の存在は害獣以外の何物でもない。鹿が成長するにつれ実害が大きくなり、やがて少年はその責任を血で贖うことになる。
要するに、可愛いペットを手に入れて、愛情を注いでいた少年が、そのペットのやらかすイタズラ(を超えた本能に基づく行動)に手を焼き、飼えなくなって銃で撃ち殺すというお話で、銃社会のアメリカならではの教訓が込められている。
優しそうなお父さん役のグレゴリー・ペックが、その時ばかりは鬼に見える。映画表現上のタブーとは、子供に銃を撃たせるという表現と、その対象が愛くるしい子鹿だということ。なぜタブーかと言えば、「見たくない」からに他ならない。それゆえ、現在のエンタメ映画において、このような映画表現はまず見ることがない。
例えば殺してしまいたいぐらいに憎たらしい悪役の男が、惨めたらしく車にひき殺される様子なんかは、巧みな編集で見事に映像化されるだろうに、これがかわいい赤ちゃんなんかだったりすると、肝心の部分は映さない。『ペットセメタリー』なんかはその典型だ。
そして、それが映画として面白いかと言えばそうじゃない。
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