銀盤の女王
解説
フィギュア・スケートの世界選手ソーニャ・ヘニーの映画入り初主演作品で、「野性の叫び(1935)」「復活(1934)」のレオナード・プラスキンスがマーク・ケリーと協力して脚本を書卸し「バーレスクの王様」「ムーラン・ルージュ」のシドニー・ランフィールドが監督し、「ロバータ」のエドワード・クロンジェガーが撮影した。助演者は「ロイドの牛乳屋」のアドルフ・マンジュウ、「四つの恋愛」のドン・アメチ「五つ児王国」のジーン・ハーショルト、「女学生大行進」のネッド・スパークス、「バーレスクの王様」のアーリーン・シャッジ、ワッツ兄弟、ポラー・ミネヴィッチ等である。
1936年製作/アメリカ
原題または英題:The Girl in a Million
ストーリー
タッド・スペンサーの率いる喜歌劇団は、次の興行地を唯一の頼みに真冬のスイスに着いて見ると、予定していたホテルはその日火事で丸焼けになっていた。仕方がないので一行はハインリッヒ・ミュラー老人の経営する小さな宿屋に腰を落付けることになった。老人にはグレタという一人娘がある。その夜ここへ米国の新聞記者ポップ・ハリスがホテルの火事の原因を調査に来て泊まったが、たちまちグレタの美しい姿に惹きつけられた。タッドは落付いては見たものの今後の計画は皆無だった。ところが夜になって凍った池面を鮮やかに滑っているグレタのスケートを見て見事な考えを思いついた。それは彼女をスターにスケーチング・ダンスのショウを興行するのだ。彼は早速サン・モリッツで、興行の契約を得た。ミュラー老人は若い頃オリンピックのフィギュアー・スケートに優勝したが素人選手資格の件で失格したことがあった。老人は娘のグレタをコーチして是非娘には立派に選手権を取らしたいと祈っていた。タッドはグレタと一行を連れてサン・モリッツの興行へ出発した。これを聞いたポップはグレタがそのショウに出場してアマチュア資格を失うのを恐れ、直ちに彼らの後を追いショウの半ばでグレタを退場せしめた。その翌週オリンピック競技はドイツのガルミッシュで開かれ、グレタの見事なフォームは全審査員一致でフィギュア・スケートの優勝と決定された。ところがミュラー老人は娘がショウに出演したことを知って優勝の金メダルを返却に行った。しかしポップはグレタがショウに出場はしたが金は一文も受け取っていないことを説明したので、当事者も彼女のアマチュア資格を認め栄冠はグレタの頭上に輝いたのであった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- シドニー・ランフィールド
- 脚本
- レオナルド・プラスキンス
- マーク・ケリー
- 撮影
- エドワード・クロンジェガー
- 音楽
- ルー・ポラック
- シドニー・D・ミッチェル
- 作詞
- ルー・ポラック
- シドニー・D・ミッチェル
- アソシエイト・プロデューサー
- レイモンド・グリフィス
- 振り付け
- ジャック・ハスケル
受賞歴
第9回 アカデミー賞(1937年)
ノミネート
ダンス監督賞 | ジャック・ハスケル |
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