キューリー夫人
劇場公開日:1946年2月28日
解説
ラジウムの発見者たるキューリー夫人の伝記は、夫人の娘イヴ・キューリーによって出版され、既に我国にも邦訳があるが、この映画はその伝記に基づいてポール・オスボーンとポール・H・ラモウの2人が脚色し、マーヴィン・ルローイが監督に当たったものである。主役は未紹介の「ミニヴァー夫人」「さよならチップスさん」「泥中の花」等に主演したグリア・ガースン、「ミニヴァー夫人」「泥中の花」等に主演したウオルター・ビジョンで、ラジオから映画入りをしたロバート・ウォーカーが初主演するほかアルバート・バッサーマン、C・オープリー・スミス、ヴィクター・フランサン等のヴェテラン及び、最近M・G・M映画で、名子役として売出しているマーガレット・オブライエンが出演する。珍らしいことには「さよならチップスさん」「失はれた地平線」等の著者たるジェームズ・ヒルトンが映画中で説明をする。カメラは老練ジョセフ・ルッテンバーグ。
1943年製作/アメリカ
原題または英題:Madame Curie
配給:セントラル・フィルム・エキスチェンジ
劇場公開日:1946年2月28日
ストーリー
パリ・ソルボンヌ大学のペロー教授の講義をきく学生の中にマリー・スクロドウスカというポーランドの女学生がいた。彼女は物理学と数学を研究していたが、教授は彼女に鋼鉄の磁性を専攻するように勧め、実験室として物理化学部のピエール・キューリーの実験室の使用を斡旋した。教授は2人を紹介するため自宅に招いた。内気なピエールは相手が女であることを知って困ったが、しばらくするうち彼女の明敏な頭脳を尊敬するようになった。1日マリーとピエールはアンリ・バックレル教授の実験室に招かれ、不思議な現象を参観する。それは為真乾板の上に鍵を乗せ、その上にれき青ウラン(ピッチブレンド)を置くと乾板が鍵の影像を感光するのである。何か新しい光線がれき青ウランの中に含まれているに違いない。しかしマリーとピエールとは自分たちの研究があるので、この現象の研究に没頭することは出来なかったが、2人とも常にこの現象を考え続けるのであった。マリーの卒業が近づいた。卒業すれば彼女はポーランドへ帰るのである。ピエールは極力マリーにパリで留まることを勧めるが、彼女が帰国の決心を覆えさないので、最後の数日を田舎に住む自分の両親の許で送るように勧める。ここでピエールは勇を決してマリーに結婚を申し込み、彼女の承諾を得る。2人は自転車で新婚旅行に出発し、楽しい幾日かを過ごしたが、語ることはいつもれき青ウランのふうしぎな力についてであった。ついに2人はその研究に専心することを決心した。2人の研究は辛かった。しかし協力してあらゆる困難と戦い、着々研究は進められた。ついに2人は新元素の存在を確信するに至った。しかし大学当局は2人の研究に費用を出すことを拒み、2人が実験室として与えられたのは見すぼらしい掘立小屋であった。彼らはこの小屋に立て篭って日夜を分かたぬ実験に没頭し、数ヵ月の後、ついにラジウムの分離に成功したのである。かくしてキューリー夫妻は一躍世界に名を馳せることになった。この発見を独占企業化すればあらゆる富は彼らの物になる所であった。しかし彼らは富貴を好まず、ラジウムを無料で世界に送った。彼らはお互いを持っている。この上何が欲しかろう。大学は素晴らしい実験室を夫妻のために建てた。その落成当日、盛大な式典の後で、実験室は夫妻に捧げられることになっていた。その日は雨が降っていたが、ピエールは愛妻が晴れの式典につけるための耳飾りを買いに外出した。帰宅の途中彼は滑る歩道に足を奪われ、荷馬車にひかれて不慮に死を遂げてしまった。彼女が人生から求めるすべてを失ったマリーは、しかしピエールと共に始めた研究を単身雄々しくも続けるのであった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- マービン・ルロイ
- 脚色
- ポール・オズボーン
- パウル・H・ラミュウ
- 原作
- イヴ・キューリー
- 製作
- シドニー・フランクリン
- 撮影
- ジョセフ・ルッテンバーグ
- ナレーション
- ジェームズ・ヒルトン
受賞歴
第16回 アカデミー賞(1944年)
ノミネート
作品賞 | |
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男優賞 | ウォルター・ピジョン |
女優賞 | グリア・ガーソン |
撮影賞(白黒) | ジョセフ・ルッテンバーグ |
作曲賞(ドラマ/コメディ) | ハーバート・ストサート |
美術賞(白黒) | |
音響録音賞 |