「揺れる映画、例えばエレベーターは、、、」エドワード・ヤンの恋愛時代 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)
揺れる映画、例えばエレベーターは、、、
1994年。エドワード・ヤン監督。経済的に急速に繁栄する台湾社会。そのなかでメディア企業を経営する財閥の一人を中心に、家族や友人たちの恋愛模様が描かれる。それぞれ強力なキャラクターを持つ複数の、しかし閉じた世界の住人たちの姿が徐々に浮き彫りになるだけでなく、それぞれが関係性を変えていくのがすばらしい。「見た目」や「ふり」を気にする人たちと、それに対して「真実」を求めてしまう人たちが、そのキャラに固執するのではなく、揺れ動く。その揺れ具合がすばらしい。ぐいぐいと引き込まれます。物語(とくにセリフ)と映像(光)の吸引力がすごい。多様性に向かって開かれていく喜びがあります。
例えば、エレベーター。もちろん上下に運動して目的のある男や女を目的地まで運ぶ箱なのだが、それだけではなく、箱のなかでは男女の痴話げんかもあれば、入口でのすれ違いもあり、乗りたくないのに乗せられてしまうこともある。または、到着音だけで喧嘩別れした旧友が来てくれたことを察知したりもする。そしてすばらしいラストシーンで再び出会い直す男女。なんてことだ。車があれば、といった人はいたが、エレベーターがあれば、映画はできるのだ。
政治や社会も含めて台湾社会の現在を鋭く切り取っているのに決して古臭く見えないのはカメラワークや科白回し、そして編集全体がしっかりしているからだろう。流行に合わせて「わかるよね」という妥協をせず、映画作品としてしっかり自律している。例えば、中心となっている無垢で真摯な、それだけに悩み深い女性が明らかにヘプバーンを模倣しているなど、映画史への参照。水面を反射した光や電気のない部屋に漏れてくる外のもやっとした明かりなど光への感性。これは「映画であること」へのまぎれもない刻印だ。いかに現代台湾の風俗に言及していても、決して時代に寄りかかってはいない。
こんな映画がまだ未見で残っているのだから、世界に絶望するのは早いと思える、幸福な映画体験。
ブルーレイを購入して再見。人物たちのキャラを作り上げつつ、それが変化していくのがすごい。物語内容としては冒頭に示される「豊かになった後で人間がすることとは」(孔子)がベースになっている。正解がない世界に漕ぎ出す20代の個性的な若者たちがそれぞれもがきながら絡まり合い、関係を変えていく群像劇。テーマとしてお金と情が大きな対比をつくりつつ、財閥と庶民、芸術と社会、見た目と真実、台湾と大陸などがふんだんに盛り込まれている。最初に見た時も感じたが、中心にいるチチのいかにもヘプバーン的美しさ・正しさが物語を動かしていて、目が離せない。