赤い家のレビュー・感想・評価
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エドワード・G・ロビンソンの圧倒的存在感。老人の妄執と若人の恋愛を対比するサイコ・スリラー
一応、ジャンルとしてはサイコ・スリラーとなるのだろうが、不思議なテイストの映画である。 一方では、鬱蒼たる森、秘められた廃村と封印された「赤い家」、孤絶して闇に生きる義足の男と妹といった、ゴチック・ホラー色丸出しの要素があって、怪優エドGと『レベッカ』の家政婦長がその謎めいた農場の主として君臨する。他方、本作には4人のフレッシュな若手俳優たちが登場し、くすぐったくなるような田舎のハイティーンの恋愛模様が、比較的本腰を入れて描かれる。 両者はむしろ対比的に表現され、過去に固執し絡めとられた老人の歪んだ愛情は、夜の森のおどろおどろしい昏さと、ピュアでうぶな高校生どうしの恋愛は、陽光あふれる田舎の瑞々しい自然とそれぞれ紐づけられる。 話の骨格ははっきりしていて、追いやすい。 エドG演ずるピートと妹エレンが守り続けてきた、森の奥深くに埋もれる「赤い家の秘密」がある。 養女のメグと、農場のバイトにきた同級生の青年ネイトは、それがなんとしても知りたい。 でもかたくなにピートは秘密を守ろうとし、怪談めいたタブー意識を押し付けようとする。 そして、その「秘密」は、どうやらメグ自身も知らない出生時の過去と結びついているらしい……。 秘密に若者たちが迫るほどに、老ピートは壊れてゆく。 過去の記憶に犯され、見境がなくなり、メグとその死んだ母親の区別もつかなくなっていくピート。 やがて起こる凄惨な悲劇。ずっと目をそむけてきた過去の悪夢に、ピートは再び飲み込まれていく……。 ゴチック・ホラーと青春映画の掛け合わせというのは、実際に観るとそう食い合わせの悪いものではないし、とにかくエドワード・G・ロビンソンが、狂気と哀愁のブレンドされた抜群の怪演ぶりで、映画をぐいぐい引っ張っててすごい。やっぱりいい俳優だよ、エドGは。 メグが大人しそうなのにまあまあやることは大胆とか、ネイトが善良そうな青年に見えて妙に意固地とか、類型から少しズレた描き方が不安感をそそる部分も、うまいといえばうまい(逆にキャラづけに違和感を感じる客もいるかもしれないが)。 あと、クソド田舎の高校生を主人公に設定したことで、車での移動がスクールバスや親に頼む以外原則封じられ、ひたすら「野中を歩く」映画になっているのも面白いところ。これは、ピートが義足で行動範囲が狭いことや、森の秘密が守られている理由とも展開上深く関連があるし、終盤にふたつの「車を用いた移動アクション」が登場することを考えると、なおさら興味深い。 少し気になるのは、「赤い家の秘密」が、高校生探偵団の活躍や新たな物品の発見によってではなく、ピートとエレンの会話の断片からなし崩し的に明らかになっていくところで、キモになるそこの部分をこんなやり方で片付けちゃってよかったのかな?とは思う。 エレンに関する終盤の扱いも、話の本筋からズレた偶発的な形でああなるのでベストとは思いづらいし、ジュリー・ロンドンの扱いもさすがにあれじゃああんまりなのでは(笑)。 あと、内容からするとちょっと長すぎるような気も。 でも、総体的にはじゅうぶん楽しく観られました。 それにしても、なんでこんなことになっちゃったんだろうなあ? なんだかんだで、15年近くピートとエレンとメグは、仲睦まじく幸せに暮らしてたのに。 直接のきっかけは、メグが内心恋心を抱いているネイトを農場のバイトに連れてきて、彼が夜の森を通って帰ろうとしたのをピートに脅されて、意地になっちゃったことなんだけど、 結局は、メグが恋に落ちて自分から離れようとすれば、ピートの「トリガー」は入っちゃったんだろうね。 そう考えると『赤い家』って、日本の横溝正史の『三つ首塔』とか『女王蜂』あたりととてもよく似た話ではあるわけだ。 意外と横溝……この映画観てるかもしれない。 1948年といえば、『本陣殺人事件』のあと、ちょうど『獄門島』を連載していた時期だし。
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