「残念な映画だった」エリジウム ソラリスの海さんの映画レビュー(感想・評価)
残念な映画だった
この映画を見た理由は、とにかくマット・デイモンが主演だったからである。
彼が必殺暗殺者かつ逃亡者のジェイソン・ボーンとして主演する「ボーンシリーズ3部作(アイデンティティー、スプレマシー、アルティメイタム)」は忘れられない作品だ。
おかげで、昨年はボーン・アルティメイタムという、いかにもジェイソン・ボーンが出るように思わせる作品があった。この作品では彼(ジェイソン・ボーン)自体は、TV画面に顔が写真で写っただけという出演の仕方をしているだけであった。
昔、スチーブン・セガールが出るというので観に行った「エグゼクティブ・デシジョン」という映画があった。カートラッセルと競演という映画だったが、その映画では、ハイジャックされた飛行機を特殊部隊が救援に行くという設定で、冒頭のシーンでセガールは乗り移るのに失敗して外に飛ばされていってしまった(そのまま終わり)。
上記のとおり、マット・デイモンのボーンシリーズは終わってしまっているが、その後、彼は「ヒアアフター」で霊能力者を演じ、ついには大統領になることを運命づけられた男を演じた「アジャストメント」など、ファンとして感情移入できる風格のある役を演じてきた。
それが今回のエリジウムで演じるのは、死にかけた犯罪歴のある、ただの工場労働者の男である。彼は、富民層が住む地球上空にあるスペースコロニー“エリジウム”の医療設備(ポッド)で治療したいがために、何の展望も無しに地球脱出を試みる。
この映画で感心したのは、公開前の予告宣伝部分の映像のみで、実際のストーリーとしての本作品を観てみると、その作りの粗さにただあきれた。
「第九地区」のように、誰もが描かない設定であれば、評価されるかもしれない。しかし、貧富の差が生死を分けるという設定は、別に現実の世界そのもので珍しくもない(「タイム」では、人間の寿命と貨幣価値がリンクしているのがユニークな設定だったが)。
結局、この映画では、ストーリー、映像において、観客を説得(納得)させる試みというか丁寧さを欠いている。
つまり、映画において、主人公は死なないとか、圧倒的な敵の前には、通常では絶対勝てないはず、といった類の都合のよさには文句を言うつもりはない。
しかしながら、「普通そういう場合(設定で)、そういう行動はとらないだろう」という、ありえない場面のオンパレードで、作り手が勝手に作りたいように作っているだけという、「いいかげんさ」というか「乱暴さ」を感じてならない。
不自然な理由1 支配層を守るべき警察組織、軍隊組織のプロ集団がいない。
不自然な理由2 ジョディ・フォスター演じる長官(権力者)が、ならず者(使い捨て駒)のエージェントに直接、指示を出したり接触したりで、最後にはいとも簡単に襲われ、殺されてしまうなどあり得ない設定だ。
不自然な理由3 ヒーローでも、職業プロの軍人でも警察でもない主人公が、悪役と格闘して勝つという設定に意味を感じない。宣伝にも使われている補助スーツは戦うためのツールではなく、弱っていてまともに動けない主人公を歩けるようにするためのものにすぎない。
「エイリアン」で、シガニー・ウィーバーがエイリアンと戦うために、重機を戦闘ツール代わりにしたのとは意味が違う。
最後のオチの解決法も、ハッピーエンドだからよいというわけでもあるまい。
そんなことで貧富の差の問題が解決してしまうはずがない。あまりに子供だましの手法で、浅はかすぎる。
ジョージルーカスなどが学生時代に作った映画というように、有名になる前のアマチュア時代に低予算で作った映画ということなら納得するが、とても人材と資本を投入して作った(作るべき)映画とは思えなかった。
ダイハード3などのように、緻密で実際の犯行記録映画のような作りでも楽しくないが、何か楽しませたり、訴えかけたり、感心させてくれる要素の乏しい映画であった。
さらに言うならば、マット・デイモンが坊主頭になってまで出演するべき映画ではない。
この映画は、DVDでの鑑賞で十分な映画である