Virginia ヴァージニアのレビュー・感想・評価
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自宅にて鑑賞。F.F.コッポラ製作・脚本・監督作、原題"Twixt"。F.ミラー風の画面で、D.リンチの世界を描こうとしたのだろうが、ストーリーが弱い。恐らく迷い乍ら作ったのではないか、回収出来ていない伏線の様な意味が無いと思われるシーンや薄っぺらいプロット等に作り手の混乱がその儘、現れている。E.A.ポーと云う味付けも台無しだし、意味ありげな田舎町にその謂われ、時計台やカルト等、魅力的なガジェットや世界観が活かされていない。テロップやナレーション(独白)等が、説明的過ぎるのも気になる。45/100点。
・贔屓のV.キルマー、驚くべき体型になって“ホール・ボルティモア”として登場。“V”を演じたE.ファニングの持ち味も物凄い白塗りの下に隠れてしまい、A.エアエンライクの“フラミンゴ”のメイクも何だかだけど、B.チャップリンが“E.A.ポー”によく似ていたのだけがキャスト面の救いか。
・コッポラには悩める内面を映し出した様な本作みたいな幻想譚や恋愛モノ等では無く、もっと骨太な作風の往年を髣髴させる一作が観たい。
・鑑賞日:2013年1月27日(日)
ヴァージニアは消え逝く
レビュー執筆意欲を掻き立てられずにいられない作品でしたが、字数制限あるのでササッと行きます、ササッと。
原題『Twixt』は betweenの古い同義語。
現実と夢の狭間のような本作にはピッタリだ。そして本作にはもうひとつの狭間が存在する。
それは、少女と大人の狭間。
ポーの亡霊は語る。
「死が最も美に近付く瞬間とは? 美しい娘の死がそれだ」
そして、ポーの詩『大鴉』で繰り返される文句。
「消え去りぬ(never more)」
永遠に美しく在り続けるものより、我々は消え逝くものに美を見出だす。
二度と戻らないと知るからこその価値を知る。
枯れゆく草木。夜空の花火。薄れゆく記憶。
そして、子どもの無垢な心。
史実として、ポーは従妹ヴァージニアが14歳の時に彼女と結婚。その約10年後、彼女は肺を患って死んだ。
映画終盤でポーが呟く数々の名前が示す通り、儚く消えた妻は、彼の作品の源泉だった。
主人公にとっては事故死した娘こそが死に逝く美の象徴。
己の後悔と向き合って初めて、彼は作品を完成させる事ができた。それは儲けの為ではない。
「この作品は我々があの小さな亡霊に用意した墓なのだ」
監督自身、息子をボート事故で亡くしている。もう四半世紀も前の話なのに、未だに息子の死を悼んでいる。
“時が解決してくれる”なんて言葉があるが、時では決して癒えないものもある。
スワンバレーの町で時間の概念が意味を為さない理由はそれかも知れない。
では神父は?
神父は、無垢で美しい子ども達を穢したいという欲望を抱えていた。
もはや無垢ではない対岸の若者達に、子ども達、特にヴァージニアが穢される事を怖れた。
少女と大人の狭間にいた美しいヴァージニアはその名の通り、
神父にとって消え逝く純潔(Virginity)の象徴だった。
そして吸血鬼というキリストの敵を自分自身に信じ込ませ、
子ども達を救うという名目で、彼らの殺害を正当化した。
ハイ、そんなとこかしらん。
それらを総合して、本作で監督が語ろうとしたテーマは?
さあ。僕には分からない。
テーマは在るかも知れないし、無いかも知れない。
どちらでもいいことだ。 僕は、死に逝く美に魅せられた作家を見た。と同時に、
不可思議で、不気味で、だがユーモラスな、夢とも現実ともつかない世界に魅せられた。
以上!
自分でも何言ってるか良く分からんレビュー、終わり!
<2012/9/1鑑賞>
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