そして父になるのレビュー・感想・評価
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子の心親知らず
いつも思うのだが、是枝監督って子どもの演出を一体どう付けてるんだろ?
オトナの役者さん達も自然体の演技で魅せるが、
子役の演技はまるで“演技”を撮っていないみたい。
親に向かってぽつぽつと話す会話のリアルな感じとか、
「なんで? なんで?」と冗談めかした言い方で不安をごまかす所とか、
子どもの演技のリアルさ(あるいは切り取り方)に舌を巻いた。
ハリウッドリメイクが企画されているという本作だが、
もしアメリカの方が演技レベルの高い子役が多いとしても
この子どもの“生っぽさ“を演出するのは至難の業だと思う。
小物や細かな仕草での表現も見事。
連弾に重なる包丁のリズム。噛み潰したストロー。
優しいウィンク。壊れたロボット。手形のメダル。ちぎれた造花。
一見なんでも無さそうなものが感情を激しく揺さぶる。
役者さん達の自然な演技、ドキュメンタリックな撮り方、
細やかな感情表現の演出など、是枝監督作品に特有の
リアルで繊細な雰囲気は相変わらず素晴らしい。
ただ、この自然な空気と遊離しているとも思えるのが、人物設定。
演じた福山雅治本人も「野々宮は少し極端な例」と語っていたが、
妻とも子どもとも常に一定の距離で接するこの感じは
なかなか親近感を抱きづらい……高給取りという点も含めて。
後半その性格の要因は登場するし、これはそんな彼の成長を
描いた物語でもある訳ではあるが……。
そして、リリー・フランキー演じるもう1人の父親・斉木。
素敵な役なのだが、やや理想的“過ぎる”父親像だったと思う。
野々宮と対比させる為のキャラとして『配置』されたという作為
が感じられ、そこが映画の自然な空気にそぐわないように感じた。
(野々宮と同じように、我が子に対する戸惑いや苛立ちを
多少描いた方が、もっと現実味が出たのではと思う)
また本作は、野々宮が『自分はケイタの父親だ』と
自覚するまでの物語としては完成されていると思うが、
その周辺の人々の物語にはやや消化不良な想いが残る。
特に最後、自分を棄てた親が数ヶ月経って突然「さあ帰ろう」
と訪ねて来ても、子ども側は納得できるのだろうか?
当然ケイタは家を飛び出し、主人公が彼を追いかける訳だが、
子どもを傷付けた事に対する謝罪の言葉は最後まで無い。
『あの子はまだ釈然としない気持ちを抱えたままだろうか。
父親は勝手に“赦された”などと解釈していないだろうか。』
そんな考えが頭をよぎって、子どもを抱き締めた
父親が微笑む姿に、素直に喜びきれなかった。
とまあ、相変わらずグチっぽいレビューで申し訳ない(笑)。
そういった不満点を含めても4.0判定!と見ていただきたい。
何をもって親子は親子になるのか?
それは親が一方的に決められる事なのか?
その答えのひとつを発見するまでの葛藤の、驚くべき繊細さ。
細かなシーンや表情のひとつひとつが静かに心を揺さぶる。
終盤、子どもが撮った写真を発見するシーンに泣いた。
子どもも親も、『自分は親に/子に愛されているんだ』
という実感を得た時に、初めて親子になれるのかもしれない。
以上、好評も納得の良作だったと思います。
ところで、この前の週に『凶悪』を観たばかりだったので、
リリー・フランキーとピエール瀧が法廷の場面で
一緒に登場した時はちょっと動悸が早くなった(笑)。
〈2013.9.21鑑賞〉
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追記:
病院関係者が言っていた「こういうケースではほぼ100%交換が
選択される」というのは本当なのかしら。子どもの気持ちを
考えると、逆の選択だってもっとあっても良いと思うのに。
結局は親の気持ち優先なのかねえ。
それにしてもあの病院側の対応のお役所仕事っぷり……
ムカムカしましたよぃと。
なんだかなあ
この映画のような事態が実際に起こったとしても、ちょっとこの映画のような展開を辿るとは考え難い。
こういう法的にも微妙な問題を含み、かつ弁護士もそれなりに重要なポジションも与えられているストーリーであれば、リーガル面をあんまりおろそかにされると全体的なリアリティを大いに損ねることにもなる。
この映画ではその辺のリアリティが露ほども感じられなかったのは残念であった。
こういったケースに巻き込まれた場合、まず病院側から一定の慰謝料を提示したうえで、被害者側もそういった金銭面での補償も支えにしながら、家族をどう建て直していくかが焦点となる。そもそもリリー・フランキーなどのっけのシーンからどれだけ搾り取れるかに、並々ならぬ関心を抱いていたではないか。また、福山が二人共引き取れないか?などと考えたのもその辺の補償を差し出すことなども想定されていてしかるべきであるが、映画ではそういったサイドストーリーは全く眼中に入れられていない。
ところがそれにもかかわらず、映画中盤で唐突に裁判所でのシーンが描かれる。これはストーリー上重要なシーンではあるが、そもそもこの裁判がなんの目的で、何を裁くために行われたのか、観客にはさっぱりわからない。
通常この手の裁判が開かれるのは病院側と被害者側で条件面での折り合いがつかず、紛糾した場合であろうが、そもそも条件面でどう、といった交渉などそれまで映画のどこにも登場していないし、単に病院側から事件の原因がわかったので当事者から説明させることを企図しているのなら、わざわざ裁判所で行う必要はまったくない。(当然刑事事件としては時効が成立しているということなので、検察から起訴されて、ということでもないだろう)
そもそもこの映画の制作スタッフは裁判には刑事と民事があるということすらわかっているのかどうか。
いかに刑事事件としては時効だろうが、民事消滅時効は損害発生が認識されて初めて起算されるため、本件では絶対に時効が成立ということはなく、故意に赤ん坊の取り違えを行った看護師は莫大な慰謝料を請求されて然るべきであるが、そのへんも全くスルーである。
ラスト近くで福山がくだんの看護師を訪うある程度重要なシーンがあるが、その点を考慮すると、あんなものは茶番にすらならないのではと思われる。
ミステリー小説ではないので、そこまでの検証が必要かと思われる方も多いとは思うが、やはり最低限のところは押さえておいてもらわないと、人によっては安心してみることができない、ということも少しで良いから制作者側にはご理解いただきたいものである。
是枝監督らしい作品
是枝監督らしく、あまりエンターテイメント部分はなく。
あくまで自然で淡々とした描写をメインに移す作品という印象。
役者さん達の演技や子供の動きや言葉の自然さ。
そういうものは「誰も知らない」と同様で造られた世界の中にある
妙な自然さというものが突如現れると、何かハっとさせられます。
そのハッとさせられた瞬間に、親の目線でも、子供の目線でも、
現実的に彼らの心理を感じとってしまうのでしょうね。
親の辛さも、子供の辛さも、正直にいってしまうと、
この作品というのは「他人が答えを出せない」作品であって、
この家族がどう乗り越えていくかを考える作品なのだと思います。
…っと言っておきながらも、やっぱりあの結論には疑問符がorz
コンセプトとしては主人公の福山がこの事件を通して
父親とは何か「父親の自覚」を認識していく話なのだとは思います。
ですが取り違えの場合病院側の主張では「最終的には100%交換を行う」
という話が出てきていると思うのですが、最終的に彼らが選んだ道は
交換を行わないという選択なわけですよね…。
監督の考える「父親の自覚」と「結末」というものに対して、
現実的に苦悩し考え抜いた親たちが出す結論は「交換」なわけです。
もちろん観客は取り違えなんて経験をしたこともないでしょうし、
お子さんのいない観客も沢山いらっしゃると思います。
あの結末というのはようは無責任な観客であれば、
誰でも「これがベストだろう」っと思ってしまう結末ですし、
子供二人の育った環境が違いすぎるのですから、
小学生の時期に親の教育の指針も考え方も違う家に放り込まれて、
子供がその状況に適応できるとも到底思えません…。
誰もが「二つの家族を持って幸せに生きればいいではないか?」
「他人で一体なんの問題があるんだ?」っと思ってしまうわけです。
個人的にも何をそんなに悩む必要があるんだ?っと疑問でした…。
でも現実にその問題にあった当事者達はその問題に苦悩するわけです。
主人公の言うように相手の親にどんどん似ていく息子に対して、
本当に愛情を注ぎ続けれるのかと疑問にも思い、
悩みに悩みぬいて「交換」という道を選んでいますし、
過去の事例から「両者の家族の交流は不幸な結末を生む」っと
病院側も結論付けているはずなのですから、
この結末はある意味では今までの取り違えの行われた家族に対して、
大きな疑問を残す形で終ってしまっている。
彼らが何を考え、何を思い詰めそしてその結論に至ったのか、
本来焦点を当てるべき、その部分がまったくもって不明確なため
視聴者がまったく「共感」できない状況に陥ってしまっている。
そういう意味では主題に対しては本当に残念な出来でしたorz
もうひとつマイナスなのは主人公の人間像。
もう始まった瞬間に「ねぇよ」っと思ってしまうような、
なんだか絵にかいたような超一流人間。
高層マンションに住み、一流企業に務め、高級車を乗り回し、
子供に英才教育を施し、イケメンで仕事一筋。
その反面、人の心を理解できないような言動や、
どこか人間味のない人物像。っというか人格破綻してますよね…。
そしてそれを演じるのが福山雅治が…。
う~ん、なんか福山雅治にしか見えない。
でも兄弟はそんなでもなさそうだし、父親もどこか抜けた感じ。
いくら母親が再婚相手とはいえ、どうして彼のような人間が育ったのか。
そういう意味でいうと主人公の後ろにあったギター。
あの辺りの説明も微妙にほしいところorz
あと気になるのは主人公の例の一言に対する妻の反応。
夫婦の感覚なのでとてもわからない面はありますが、
傍から見ていたら「深読みしすぎじゃないの?」とは思ってしまった。
個人的にも、あの一言は凄く耳に残っていたのですが、
それ以前に病院側から「同じ時期に生まれた男子は3人」
「実際に間違っているかはDNA鑑定を待たないと」という言葉がある。
そう考えると、その状況に対してその一言が出てしまって、
その対象が「子供」であるのか?っと言う点に関しては
正直微妙に疑問が残る…だって主人公の家族はあれですし、
嫁さんの家族もあれなんですし…。
「自分に似てない」という点をどこまで主人公が考えているか、
その辺りってかなり微妙な気がするのですorz
色々と疑問の残る点は多いのですが、
でもそれは視聴者側の疑問であって、
「家族」というのは当事者にしかわからない。
その最強の盾がある時点で、我々は監督の考える
「家族」と「取り違え問題」に対する考察に、
答えを見出していくしかないわけですが(^^;
映画らしいドラマやエンターテイメントを求める方には
正直退屈な作品かもしれないですね(^^;
最後に夏八木勲さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
”やっぱり”という状況咀嚼
”やっぱり”(だったと思うあの時のセリフはたしか)というあのセリフの一言で主人公が状況をかみくだいたのだ、(そうなんじゃないかと思ってたんだ)と思うことで自分におきた一種ありえないことをとりあえず”やっぱり”ということにしてしまう。つまり、なんでそんなことが、おきてはいけないことが、自分の身におきてしまったんだという心の動揺をまとっていたシャツみたいなものを脱いだかのような、その一言でぜんぶ片づけてしまいたい、という意思のようなものを勝手に思った。
断片的に残る印象をあげてみると、家族のカテゴライズにかかせない(たまご)、つたないピアノ、いつまでたってもうまくならないピアノ、3年かかっても同じ曲ばかりひく近所のピアノ、弁護士の友達が(好きになっちゃいそう)と言ったあと、(いったい誰から愛されたいのかな)というあのセリフ。これを強調させるため(好きになっちゃいそう)と、ちょっと同性愛っぽいおふざけみたいなセリフが前ふりにあったので愛されたい、というキーワードにきがついた。結末として、取り違えしたけどそのまま家族として暮らす、のなら、結果として主人公の子供からみると、(本当の両親じゃない二人)に育てられることになる。どっちに転がっても繰り返される運命の皮肉。あんな父親になるもんか、あんな母親認めるもんか、と思いながら敬語で壁をつくる。そしてそれを自分の実の子にみとめて動揺する。血のつながった親子のはずなのに、琉晴の中に本当の自分が客観的に浮かび上がってくる。自分の理想の子供は慶多、こういう子供時代でありたかった、しっかりした両親のもとでしっかりした教育をうけていきたかった。しかし血のつながった子供は自分そっくり。そして恐れる。大人になった実の子は、はたして自分が実の父にした(それ)と同じことをするのかと。
まだある、まだなにかこの映画で私もまた気が付かなかったこの自分の感情に出会いたい。これはなんなのか知りたい。言葉で世界にあらわしたい。しかし現時点で知っている言葉のすべて使っても(それ)にたどりつかない。
この映画の空気にもぐりこんでみればわかる。
微妙の一言
カメラアングル、選曲、キャスト、終盤の盛り上げ方、リリーフランキーの一人だけ浮いたキャラ、すべてが微妙でした。
テーマは一時世間を騒がせた新生児取り違え事件を取り上げた時事的な話かと思いきや、ただ看護師が腹いせで子供を入れ替えただけという理不尽なもの。
しかも散々文句は言われるけど、最終的には子供に庇われて被害者から許されるという俄かに信じがたいもの。自分がそうされた場合許すかどうかはさておき、非常にリアリティに欠ける描写で幻滅しました。
正直途中まではリリーフランキーの浮いた演技が面白く、コントを観るような気分で映画を見ていたが、中盤以降の話の流れが単純すぎて退屈すぎて。。。
こういうシリアス映画の場合、音楽とラストが良ければ良い映画、となるところだが、音楽の選曲も凡庸、最後の盛り上げ方もなんでこのアングル?っていう突っ込み待ちな撮り方でガッカリです。
唯一テンポはよかったと思います。学生レベルと評する人もいるようですが、映画館で上映するレベルではあったと思います。期待しすぎなければ普通の映画として楽しめます。
そしてタイトルの意味を知る
先行公開にて鑑賞。
是枝監督作品の鑑賞は「誰も知らない」以来です。
今作でも是枝色がよく出ているなぁと思いました。
鑑賞前はタイトルの持つ意味がわからず「父親なのに『父になる』ってどういうこと?」と思っていましたが、終盤のシーンで腑に落ちました。
それまで仕事人間で家庭を顧みなかった良多が、テントの張り方をネットで調べているところに、琉晴が「次はお父さん!」と部屋に入ってきて一緒に遊んであげるシーンです。
本当の意味での父親になったんだなぁと、涙が溢れました。
しかし「産みの親より育ての親」という言葉通り、血だけではどうにもならないんだと。親の都合で環境を変えられる子供達はかわいそうでした。
実際は独身のリリー・フランキーがいいお父さんで、とても好感が持てました。
斉木家で暮らす子供達はのびのび育って、幸せそうに見えました。
子供達はほぼアドリブだったようで、それ故に演技が自然ですごく良かったです。
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