故郷よのレビュー・感想・評価
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悲劇は繰り返す
この作品が、仮に日本での原発災害がなかったなら、ソビエト時代の原発管理の悲劇として、第三者の視線で観ていたかもしれない。 ところが、3.11を経験した日本人の目には、この災害、悲劇は、いくら教訓があっても生かせないのだと、映るだろう。どんなに安全安心と言っても、この国から、原発が消えない限りは、本当に安全も安心もないのだ。人間の叡智を超えた科学は、危険物でしかあり得ない。 以前「マリリンとアインシュタイン」という作品で、アインシュタインが、広島の原爆の悪夢に悩まされるシーンがあるが、あれから何十年もたっていても、人類はその悪夢から解放されていない。
決して他人事ではない
チェルノブイリ原発事故を描いた映画。ドキュメンタリーではない。映画の舞台は、チェルノブイリから3キロの町プリピャチ。前半は、1986年4月26日の事故当日の様子を、後半はそれから10年後の様子を描いている。
主演は、事故当日に結婚式を挙げた花嫁アーニャを演じた、オルガ・キュリレンコ(「慰めの報酬」)。幸せの絶頂にあった花嫁は、泣きながら式の途中で「山火事の消火活動」と称して事故処理に駆り出された新郎を送り出す。しかし、彼は二度と戻ってこなかった。夫が収容されている病院に行ったアーニャを待っていたのは、彼は高い放射線を浴びており、会えば自分も死ぬという看護婦の言葉だった。それから、10年後、アーニャは、ツアーガイドとして故郷で仕事をしていた。彼女にはフランス人の恋人がおり、フランスに行こうと誘われている。一度は故郷を離れようとしたアーニャだったが、結局は彼の誘いを断り故郷に残ることになる。映画では、この花嫁の他、いち早く事故のことを知ったが、人々のそのことを伝えられず両親の呵責に苦しむ原子力発電所の技師や、事故の際にその技師の父親と離ればなれになってしまった息子の事故当時の様子と、10年後が描かれていた。
10年後の様子の描き方は現実と幻想が入り混じったようになっており、技師の父親はどうなっているのか、立ち入り制限区域内でさまよっている少女はいったい誰なのかなど分かり難い。また、事故当日、何も知らず浮かれている人々と、次第に枯れていく木々や死んでいく魚や鳥の様子の対照的な描き方がやや強調され過ぎている感じもしなくはない。
しかし、10年後、原発事故の後を見に来る世界各地からのツアー客を案内する日々を過ごしているアーニャの描き方は秀逸である。彼女は、事故の記憶から決別して新たな人生を歩もうとしても、それにどうしても踏み切ることができないでいた。その気持ちがよく描かれていたと思う。ただ、そこまで主人公を縛り付ける故郷への思いとは何なのか、それは正直なところよく分からなかった。ただ、今から10年後の日本の状況を予感させるような気もした。福島の人々の故郷に対する思いは、どうなっているだろうか。
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