籠の中の乙女のレビュー・感想・評価
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健全さの中に狂気を宿らせないために
「ランティモス映画は教育によろしい」という暴論は私の持論なのだが、ランティモスに教育をさせるのはダメなのがよく分かる本作。これは犬に大変失礼だが、犬も手懐けられない父が子どもをしつけようとしたら、軟禁して暴力で支配するしかないだろう。しかも言語における社会通念上のシニフィエとシニフィアンをぐちゃぐちゃにさせるとかヤバすぎる教育だ。
もし外の世界を知らなければ、ホームビデオをハリウッド映画のように喜んだり、飛行機の大きさを手のひらサイズだと思うのだろうか。そしてシールをもらって喜び、プール遊びをすることにいつまでも楽しみを感じれるのだろうか。さらに性行為は?
子どもを犬のようにしつけようと手中には収められない。暴力性は突発的に生じるし、巣立ちしたい本能は備わってしまっている。
ラストの不穏さが末恐ろしいが、健全さの中に狂気を宿らせないために教育的に見直したいと思う。いやむしろ健全さを求めることが狂気なのか。
鑑賞動機:ヨルゴス・ランティモス一択
私の中でギリシャのイメージがランティモスになっているのだけど、それはギリシャにとっていいことなのか悪いことなのか、わからない。
なんかおかしさの方向性が、「あさって」とか「斜め上」とかそんなかわいいもんじゃなくて、困惑しか生まない。
「飛行機」とか「犬歯」とか「ネコ」とかさあ…何なの。
『ロッキー』、『ジョーズ』、『フラッシュダンス』、うーん『ブルース・ブラザーズ』?
不快、ショック
自己責任で
訳分からないのに観てしまう
奇妙なギリシャ人変態監督と思っていたら、見る見る内にハリウッドに進出し、次々と大作を発表し始めたヨルゴス・ランティモス監督が、その名を世に知らしめた2009年の作品です。「外は恐ろしい世界だから」と子供を自宅内に閉じ込めていた家族が呆気なく崩壊していく様を描いたコメディの様な恐ろしいお話です。
彼の作品として初めて観た「ロブスター」(2016)以来強烈な印象を残して来た「訳分からないのに何か頭に残ってしまう~」の乾いた暴力・性描写・不親切設計は昔からだったんだなと再認識できました。確固たる変態性は微動だにしていません。でも、予算も増えた近作の方が凄みは増して来ているかな。
でも、僕はやっぱり彼の作品が好きで、これからも訳分からんけど観てしまうなぁ。
まともじゃない設定
予備知識なく映画鑑賞。ランティモスの気味の悪い世界観、わりと好きなので、どんな映像を見せられるのか楽しみで映画館に足を運びました。そして見せつけられたモノ、期待の斜め上を行くものでした。
この若者たちって犬?Hanakoというお笑いトリオの犬のコントは楽しいけど(出てくる犬の設定が日本の家庭で普通に飼われている犬だから可愛いし、分かる~という感じ)、これはどういう犬なんだ。時に狂暴で時に猥褻で、いやいや彼らは犬でなく人間の若者だろ。なんなんだ、このおかしな設定は、この人達は。犬になったり若者になったり、行ったり来たり。残虐な行為や暴力的なシーンも見せられました。そういうのは苦手なので顔を背けましたが。
そして観賞後の僕の精神は何気に開放された感じで、心地よささえ。僕の中の変態が共鳴した感じ?結局、こういうへんてこりんなモノ、世界、観るのは嫌いじゃないです。
えっ?この映画の意味するところ?そんなの、べつにどうでもいいんじゃないですか。観たまんま、感じとるもの、楽しみ方?は人それぞれで。
作品も、作中人物も何がしたい?
◇長閑に見せる統制戯画
箱庭療法という心理療法があります。数種のミニチュア(人形・動物など)を砂箱に並べて、自由に1つの世界を作りあげ、そこから心の深い部分を知る遊戯療法の1つです。縦57cm×横72cm×高さ7㎝の内側が水色の砂箱。言葉では表現しきれない深層心理を砂箱の中の事物の配置から読み解く手法です。
これまで観てきたヨルゴス・ランディモス監督作品の特徴は、前提として超現実的設定という外枠の定義付けがあることです。この物語では家の敷地から出られない母と子供たちという設定の縛り。私には大きな箱庭に配置された家族の物語に感じられました。
この作品でも彼特有のクセ強い作風を一通り体験できます。家族や親子という基本的な人間関係が孕む虚構性や脆弱性、野生動物の交尾を連想させるような即物的セックス描写、命を粗末にするような動物虐待、「痛い!」って声に出して言ってしまいそうになる直線的暴力シーン、そして血🩸。
箱庭の家族たちの物語には、それぞれの自我の細かい描写が戯画化されていて可笑しく、うすら怖くなるような整った映像に誘いこまれていきます。そして、普段は気に掛けない自分自身の自我の存在に気がつかされてしまうのです。まさしくサイコでホラーな閉鎖的世界観の箱庭です。
謎の飼育…きつかった
前日に、「どうすればよかったか」(統合失調症の娘を医療にかからせず家で父母が護ろうとするが結果的に家に軟禁することになるような実録家族ドキュメンタリー)を鑑賞し、かなり心が痛みしんどかったので、今日は大好きなランティモス映画で気分転換…と思いきや…もっと酷かった。
「どうすればよかったか」には愛があったもの。
裕福な人がおこなう不条理な奇行は、貧困の中での悲惨で残虐な話よりキツイと思った。
外の世界の穢れ?を見せないで育てるのに、息子に性的なことはちゃっかりあてがうことの意味が謎だった。
ランティモスの支配的な不条理映画「哀れなるものたち」「ロブスター」「女王陛下のお気に入り」は好きだしリピート鑑賞したくなるのだけど、
この映画と「憐れみの3章」はもう観なくていいかな…て感じかも。
不快で胸クソ悪い。
やっぱり惹き込まれる
教育大事
ラモンティスは、やっぱり変態だな。
不快感を作品にする変態
ヨルゴス・ランティモス監督といえば、シュールでテンションの低い作風の人と思っていた。それであながち間違いではないだろうが、後発の作品を観るに、テンションの低さは余り関係がないようだ。(本作のテンションは低いが)
ランティモス監督は、普通から少しズレた人を描き、そのズレから派生する普通ではないことを最大限に膨らませる。つまり、行動が極端で気持ち悪いのだ。
私のような普通のつまらない人間に理解ができるギリギリの行動をとらせ、居心地の悪さを生み出す。
それがシュールなコメディでもあり、不快感でもある。
ランティモス監督は、不快感を作品にする変態なのだと分かった。
ではこの作品の話をしよう。
本作は、そんなカテゴリがあるのか分からないが「トゥルーマン・ショー」や「ブリグズビー・ベア」のような閉じ込められた人の物語だといえる。題材自体は珍しいとはいえないわけだ。
それでもどこか、今まで見たことがない感覚に陥るのが、ランティモス監督らしい不快感の創出ということになるだろう。
閉じ込められた人は、どの作品でもどこか幼稚だ。幼稚さから抜け出すのは、好奇心と、それを埋める経験からくる。世界が狭く、必要な経験を得られなければ幼稚なまま体だけ大きくなるというわけだ。
この幼稚さもランティモス監督は最大化する。価値が分からないからお札と硬貨を交換する子どものような行動を成人した体で行う姿は、理解、憐れ、笑い、複雑で様々な感覚を与えてくる。
しかも、その根源となる「お父さんが仕向けていること」の理由が説明されないことにも気持ち悪さがある。
軟禁しているまでは、理由を推測できなくもない。しかし、軟禁以外の強いていることになると途端に理解不能になる。
このわけの分からなさもまたランティモス監督が生む不快感の正体だろう。
つまりランティモス監督は、なんか適当に作品作ってそうに見えても巧妙に仕組んでいるのだろうなと分かるわけだ。
その仕掛け自体を理解できるかどうかはまた別の問題になるわけだが。
いついつ出やる。
全て自分で管理して支配したい人=男
「ロッキー」と「ジョーズ」と歌 "Fly me to the moon"(父親による正しくない訳詩つき)にこの映画の中で出会えてほっとした程、親子間も夫婦間もきょうだい間も変てこな家庭の話だった。母親がカセットテープを通して子ども達に教える語彙レッスンが不思議。対象となる語は、新しいもの、家にいては見えなくて出会えない事物に限られている、海とかゾンビとか高速道路とか。家では普通に話していたし基本語彙は正しく学習している。飛行機が今の東京都内みたいに頻繁に上空を飛んでいる。飛行機の音も聞こえるし機体も庭から見えるし、飛行機オモチャを塀の外に投げる遊びもしてるから、飛行機は飛行機として知っている。
もう大人の体なのに長男も長女も次女も子どもみたい。次女が一番まともでしっかりしていて長男が一番幼くて変。長男の部屋の壁は真っ白で絵もポスターも貼ってない。その代わりベッドのヘッドボードにベタベタ貼られた小さいシールとそれを指差しして確認する長男が不気味。ご褒美に父親から貰うんだけどこんなのをセックスする年齢の男が喜ぶなんて!
外の人間は外の世界を持ち込んで来るからと、クリスティーナはクビ、息子には今度はあまり若くない女性を、と言いつつ、外部からはダメだと言ってたから、結局二人の娘のどちらかを息子に選ばせることにした父親。バスルームにいたあの二人は長男の妹達に見えましたが間違っている?選ばれたのは長女で母親が彼女の化粧と髪をとかす手伝いしてたように思った。
両親の結婚記念日で踊る姉妹。妹は早々に疲れて退場するが姉は一人で最後まで踊りきる!暗黒舞踏か体ぐにゃぐにゃ体操か凄くシュールで兄のギターのメロディーと無関係。このてんでばらばら感は笑えた。
「ロッキー」見たから鉄アレイも平気な長女、血だらけになりながら犬歯を無事取ったがその後が問題!パパに依存していてはだめだよ。パパが言ってた「家から出るには車が必要」に縛られていた。家から出るというのは本当に自分一人で誰の力も助けも借りずに自分の足で出ることなんだよ、と言ってあげたかった。
父親は大きな工場の社長っぽいが何か危ないヤバい物を作ってるんではないか?と思った。その意味ではピュー主演の映画「ドント・ウォーリー・ダーリン」を思いだした。家にいる主婦の妻達はなあんにも知らされず籠の鳥状態。他人依存症と血だらけシーンに関してはギリシャの映画「PITY ある不幸な男」を思い出した。調べたらなんと!「PITY」もこの映画も「ロブスター」も「聖なる鹿・・・」も脚本を手がけているのはエフティミス・フィリップ!ランティモス監督も変だけど脚本家フィリップも相当変わってる!ギリシャの映画、面白い!
はあ
没
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