「イメージの流布について」新しき土 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
イメージの流布について
洋行帰りの日本の若者が、紆余曲折を経て、養家の娘と結婚して満州の農業振興に身を捧げる姿を描く。
その言説は、「せっかく手つかずの広大な土地があるのだから、優秀な日本人がかの地の農業を振興して、人口食糧問題を解決しよう。」というもの。
明るく、前向きな発想として表現されているこのフィルムを、当時の人々がどのように受け止めたのかは、容易に想像することができる。日本のためばかりか、匪賊の襲撃を恐れながら細々と暮らす満蒙の人々のためにもなると、当時の日本人が本気で考えていたとしても不思議ではない。そのようなことを思わせるラストシーンであった。
原節子の日本人離れした美貌は、確かにドイツ人監督の心を掴んだであろう。前年に出演した「河内山宗俊」のフィルムがかろうじて残っているが、保存状態が良くないため彼女の容姿をはっきりと観ることができない。この「新しき土」はBDでの上映だったが、おかげで原の姿をくっきりと確認することができた。
後年の小津安二郎の作品に出ている原節子の姿をして、我々観客は彼女を「日本的美しさ」を体現した女優であるかのように評するきらいがある。
だがしかし、当時の日本人女性としてはグラマラスな体型も含めて、その女性らしさは日本のものとはかけ離れたものである。
当時の観客が、満蒙開拓に平和で健康的な夢を抱いたのと同様、我々もまた、原節子という女優のイメージについて、「日本的」なる称号を勝手に与えているのだ。
ついでに言えば、戦後の小津の作品群に描かれる家族に「日本的」なイメージを付与しているのもまた戦後の観客なのだ。洋服を着て帽子をかぶり、電車に乗って会社に行く人々は昭和30年代でもごく一部の都会のエリート層であり、この時代の人口の大半は地方で農業に従事し、電気やガスのない家屋での生活がまだ一般的であった。
ごく限られた者の持つ特殊な属性が、あたかもある社会の一般的な姿、ある社会に広く認められる特徴であるかのように語られることが、たびたび起きていることなのだということを、この映画によってしっかりと確認することができた。