「カウリスマキの独特な世界」ル・アーヴルの靴みがき DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
カウリスマキの独特な世界
原題:「LE HAVRE」
監督:アキ カウリスマキ
キャスト
マルセル:アンドレ ウィルム
アルレッテイ:カテイ オウテイネン
警部:ジャン ピエール ダルサン
密告者:ジャン ピエール レオ
ストーリーは
フランス北西部の港町、ル オーブルで、マルセルは妻と、つましく暮らしている。若い頃は作家として物を書いていて、芸術家らしくボヘミアンな生き方をしていたが、成功して世にでることはなかった。年老いた今、苦労させた妻と二人、日々の靴磨きをして得る小銭で何とか生活している。
ニュースでは、この港町の貨物船からアフリカの密入国者が潜んでいるところを発見され、そのうちの一人の少年が逃走していることを伝えている。
その日 マルセルが港で海を見ながら弁当を食べていると 逃走中の少年が半分冷たい海に浸かったまま隠れている姿に出会ってしまった。弁当を買って 少年の隠れているところに置いてやると 翌日には、マルセルは自分の家の犬小屋に、この少年が眠っているのを見つける。予想外の展開になってマルセルは 少年イングリッサを自分の家にかくまうことになる。
そんなときに、妻のアルエテイが病に倒れ、入院することになる。病気は重く、予後が良くない。となり近所の人々は アルレッテイの見舞いに出かけ、マルセルがかくまっている少年のために食べ物を差し入れて協力を惜しまない。
マルセルは、たった一着の背広に着替え、夜行バスでカレーの街の難民収容所の出かけて行き、少年イングリッサの祖父に会い、少年が行きたがっている母親の住所を聞き出す。父親は生きておらず、母親はロンドンで働いていたのだった。祖父を難民収容所から助け出すことは出来ないが、イングリッサを是非とも母親のところに送り届けてやりたい。マルセルは 少年をイギリスに密入国させるための船の手はずを整える。しかし船のガソリン代、2000ユーロというマルセロ達にとっては とんでもない大金を作らなければならない。
近所の人々は2000ユーロを作りために頭をひねる。おなじ靴磨きをしているチャンは 息子に玩具を買うために積み立ててきた400ユーロを出すという。ロックコンサートで資金稼ぎをしよう ということになったが、歌手で、今はただの飲んだくれのリトル ボブの助けが必要だ。彼は妻のミミが居なくなって腑抜けのようになってしまった。マルセロは、家出しているミミを説得する。ミミはあっさりボブのところに戻り、ロックコンサートは成功裏に終わり、マルセロは渡航費用を手に入れた。いざ、イングリッサを船底に潜ませでイギリスに向けて船が出ようとしたときに、執拗にマルセロをマークしていた警察署長らが追跡してきて、、、。
というおはなし。
一般的に映画は、普通の生活している人々とは違った、スターと呼ばれる美男美女が出てきて 普通の人々がいつも使っている車や家具調度品よりも洒落たものに囲まれ、そのへんで売っていないような服などを身に着けて、ちょっと小市民が住んでみたいと思うような優雅な家に住み、見ている人のために非現実的な経験をしたりして、人々を楽しませてくれるものだ。それが一般人に手の届かぬ夢物語であり、映画の中でだけ体験できる冒険だったり 普段と違う興奮や感動をもたらせてくれるものだったりする。
アキ カウリスマキ監督の作る映画は、そのすべての「一般」と対照的だ。登場人物は、美男美女とは程遠い、見ているあなたより見劣りするし、生活は貧しく、映画の中で体験していることは冴えないことばかりだ。不運続きのお人よしのおばかさんだったりする。だいたい主役も端役も笑ったり、泣いたりしない。激しいやり取りして喜怒哀楽を表現して観客を巻き込もうとなどしない。終始、無表情で、せりふを画面に向かって表情なしに並べてみせる。事件など 何も起きない。特別な出来事など何も無い。
これが、アキ カウリスマキの世界だ。見ている人は一人でじんわり感動したり、にんまり笑って そっと涙をうかべてみたりする。
だから、カウリスマキの世界は一般受けしない。それで良い。
例えば、マルセロが チャンと呼ばれる同業の靴磨きと二人で壁を背に立っている。カメラは真正面だ。マルセロに靴を磨かせていた男がカメラの横を通りカメラの後ろに歩いていく、と同時に銃声がして マルセロとチャンがちょっとだけ顔をしかめる。カメラは動かない。だから死人も映らない。マルセロとチャンのわずかな表情だけで ギャングに何が起きたか想像させる。マルセロはボソッと「代金払ってもらった後で良かった。」と言うのだ。ちょっとしたハードボイルドよりも、ハードじゃないか。バシャバシャ血が流れたり ギャング同志の抗争や、物が壊れたり、人々が叫んだり大騒ぎするよりも、ずっとハードボイルドだ。
妻が、治療中は2週間面会に来てはいけないのよ、と無表情で言う。黙って聴くマルセロ。無表情でいることによって妻に状態が良いものではなく、先が余りない、ということがわかり、哀しみに心が冷えていく様子が、見ているものにはわかる。
ヨレヨレでくたびれたマルセロのジャケット、ほこりだらけの靴、深い顔の皺、くちゃくちゃのタバコの箱、それに対照的な 上等な黒のコート、帽子、ほこり一つない完璧ないでたちの警察署長。マルセロの家のクロセットには 一組の背広があるだけ、並んだアルエッテイにも2組の服しかない。家にはテレビもラジオもありそうにない。
ロックスターだったリトル ボブはミミが出て行ったあと酒に溺れていて、もう歌えない。マルセロはミミを説得して リトル ボブが酒を相手に嘆いているところにミミをつれてくる。ボブとミミのふたりは見詰め合う目がこれほど優しく見つめあうことが出来るのかというほど 優しく優しく見詰め合う。そのままカメラは動かない。長い長い台詞の無い時間が過ぎる。で、その次には、ボブがマイクを持って絶叫し、ファン達がビートに合わせて踊りながら叫びだすシーンだ。
実に表現がうまい。
マルセロが稼ぎが少なくて、パン屋にの八百屋のも借りが貯まっている。マルセルがパンを通りがかりに摑んでいくと、店主は怒って詰め寄るし、八百屋はマルセロの目の前でシャッターを閉める。そんな隣近所の人々が マルセルが不法移民をかくまったとたん、パン屋は、いくつものパンをマルセルに持たせ、八百屋は缶詰や果物を詰めた箱を渡す。会話はいっさいない。
パン屋、雑貨屋、八百屋のおやじ、パブの女主人、靴磨きのチャン、リトル ボブ、ミミなど、このル オーブルにすむ人々の心の温かさ、しわの深い顔、クタクタの服を身の纏った人々が、みな天使に見えてくる。
難民収容所に収容されたイングリッサのおじいさんに面会を要求するマルセロは、所長に肉親でないと面会できない、と言われて、私はおじいさんの兄弟だと平然と言う。署長がおまえは白人じゃないかと言うと、マルセロは「ぼくはアルビノ(先天的色素欠亡症)であって、兄弟に間違いない。肌の色で人を差別するなんて、あなたは所長の立場で民事法に違反しているではないか。」と言い返し、屁理屈を並べ立て 無理やり面会する。マルセロの不器用だが 人のためなら必要なものは必ず掴み取る姿勢に 見ているものは心から拍手喝さいする。
派手でない。地味で言葉数が少なく、役者の動きがなく、画面の背景で物語を語るカウリスマキの手法は独特だ。彼はハリウッド嫌い。才能を認められてハリウッドに招待されたが そこで自分の映画を作るつもりはないと断った。「シネマは一日、一生懸命働いた人がその日の終わりにリラックスして楽しむ為に見るエンタテイメントだ。シネマによって その日をリフレッシュできて翌日いい人間関係が築けるのであれば その映画は成功したといえる。」と言っている。
徹底した市井の人々、権力にも法にも守られていない、貧しいが、自分の足できちんと地に立っている生活者たち、彼らなりの正義、弱者の立場に立った正義の為なら どんな犠牲も恐れない人々、小さな英雄達、小さな美しい天使達を、彼は描いている。
カリウスマキはフィンランド人だが、小津安二郎のファンで 彼の作風に強い影響を受けていることが 見ていてよくわかる。小市民の単調な生活の描写を見ていると、フランスの港町なのに、昭和初期の香りがしてくる。最後のシーンで マルセルの家の前では桜が満開になって夫婦を迎い入れてくれる。小津に敬意を表したかのように、清楚な桜だ。
渋みと苦味とペーソスが合わさって、優しい笑いをかもし出してくれる。
ときには こんな映画で、心がやさしくなれる。
観てみる価値はある。