プラチナデータ : 映画評論・批評
2013年3月12日更新
2013年3月16日よりTOHOシネマズスカラ座ほかにてロードショー
管理社会の闇を“ふたりの二宮和也”が体現する逃走サスペンス
街に張り巡らされた監視カメラが犯人を割り出し、国会はマイナンバー法成立に向けて動く今。DNAで個人情報を一元化する管理社会の危うさに斬り込む本作は、もはや近未来の話とも思えない。料理しがいのある原作を捨象したプロットは明快だ。犯人を特定可能なDNA捜査システムを指揮する天才科学者・二宮和也が、データ解析によって自らを連続殺人犯と名指しされてしまい、逃走する。「マイノリティ・リポート」や「エネミー・オブ・アメリカ」を日本的風土に置き換えるだけでなく、社会派SF的なモチーフを起点に、ライブ感みなぎる大友啓史の演出は、俳優のケミストリーで勝負を仕掛けてくる。
熟練の刑事・豊川悦司は勘を信じる身体性のイコンだ。システムの信奉者が無罪を訴え真相究明を図るデジタルの矛盾と、DNAで人の全てなど分かるものかと否定するアナログの信念。追われる者と追う者の関係性は、次第に「繊細×武骨」というバディムービーの様相さえ呈する。
実は科学者は二重人格だった。ここから映画そのものが、DNA構造よろしく二重螺旋を描く。彼はトラウマから逃れるべく、避難場所を心の中に持ってしまった内的な逃亡者でもあった。これ見よがしに人格のスイッチを切り替えない二宮の演技は、新鮮だ。大友のキャメラも映像に句読点を打つことなく、彼の変容を映し出す。ひとりの人間が抑え込んでいるもうひとりの孤独な自分が堪えきれずに現れる、内なる化学反応は胸を打つ。自然体アイドルと演技派俳優という二面性を往き来し、光と闇が共存する二宮和也ならではの到達点と言える。では犯人は別人格の彼なのか。謎解きの着地点も一筋縄ではいかず、データ化不能な人間たちの真実があぶり出される。
(清水節)