ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋のレビュー・感想・評価
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お風呂に沈んでいく女の人のシーンがとても印象に残った あんまり関係...
お風呂に沈んでいく女の人のシーンがとても印象に残った
あんまり関係ないけれど、、、
後は普通
何がすべてを捨てさせたのか?
別にマドンナを馬鹿にしてる訳ではないけど、ほとんど期待せずに観たので、意外と手堅い出来で、マドンナは監督という仕事に対して真面目に取り組んでいるんだなとある意味感心した、ってやっぱり馬鹿にしてるのかな?
この邦題の責任も大きいんだけど、やっぱり観る人はエドワード八世とシンプソン夫人の「世紀の恋」の顛末をどうしても期待してる訳であって、そうするとちょっとあれっ?と感じてしまうかもしれない。
原題の『W.E.』には、ウォレスとエドワード、ウォリーとエフゲニーのふたつの意味があり、それは最初からこれはふたつのカップルの物語ですよ、ということなんだけど、この辺りの意図をこの邦題はまったく無視してしまっている。
だからどちらのカップルの物語も中途半端に見えてしまうところが惜しい。
個人的には、シンプソン夫人の一体何がエドワードにすべてを捨てさせたのか?というところを見たかったのだけど、それはわからずじまいだったかな。
確かに、シンプソン夫人を演じたアンドレア・ライズブローはご本人にもとても感じが似ていてファッションなどは素敵なんだけど、あまり魅力的には見えなかった。
これはあくまでも個人的な意見ですが。
エドワードを演じたジェームズ・ダーシー、エフゲニーを演じたオスカー・アイザックは素敵。
ピアノ弾いちゃうのは、反則!
マドンナの立場で。
マドンナ映画監督二作目の作品。
徹底した女性目線で描かれるこの実話(ある意味)は興味深かった。
いかにもマドンナらしい、というよりこれ、マドンナ自身だよね?と
思われる取り上げ方をしていた。今じゃ、ガガにやられてるけど…
どちらかといえばマドンナもデビュー当時から悪女体質(爆)、
売れれば売れた分汚名を注がれ注目は高いがスキャンダルも多い。
今作は、世紀の悪女として名高い、ウォリス・シンプソン夫人の物語。
彼女とエドワード8世のことを描くだけの話かと思ったら、現代の
ウォリスという女性を登場させ、彼女にシンプソン夫人を回顧させる。
行ったり来たりで分かり辛い(というより鬱陶しい)流れはあるものの、
互いに幸せを追い求めて最高の位置にいながら、子宝を含め夫婦の
幸福に辿りつけない、同じような境遇といったところだろうか。
しかし英国王室というのは本当に(汗)同じ歴史を繰り返していないか。
シンプソン夫人と聞いて、すぐカミラ夫人が浮かんでしまったじゃないか。
一体いつまでそのネーミングで呼ばれるんだ(どうやら死ぬまでらしい)
国協会では国王が離婚経験者と結婚する事を認めない規定があるそうだ。
不幸なのは(互いの伴侶は言うまでなく)そこまで互いに好きで仕方ない、
しかし当然のことながら王室は認めない。あくまで別れさせようとする。
で、エドワードでいえば王位を捨てるまでに至ってしまったその経過。
気の毒に弟のヨーク公が後継者となり(それを描いた英国王のスピーチ)
エドワードとウォリスは結婚はしたものの、英国からは永久追放されて
しまったようなものだった。ダイアナ元妃だって、まさかあんな運命とは。
あぁ、恐ろしや恐ろしや…。
だけどね、そりゃ王室にそんなこととは思いますけども(スイマセン)
好きな人と結婚させてあげればいいでしょーが!そんなに好きならもう。
色々あるとは思いますよ、エエ。お育ちの面、品格の面、年齢その他…。
でも我が子がどーしても!どーしてもこのヒトじゃなきゃイヤなんだ!と
押し切ってきたらもう…仕方ないじゃありませんか。
その、愛する人に支えられて国を支えていけばいいんじゃないのかしら。
(そりゃ私だってイヤですよ、オバサン齢の妻を息子が連れてきたら~汗)
でも嫌いな伴侶とどうやって国益を担っていけばいいのか、相手にも失礼。
エドワードがやたら年上の人妻や愛人に固執したのは、国王が偏執的に
厳しく(だから弟も吃音になったという)、母親の愛情を受けないまま育った、
そんなコンプレックスの賜物だったということ(つまりは親の責任)だから。
結局、結局は…なるようにしかならないのだ。
付け加えて思うのは、王室の男子ってけっこう皆さま一途なんだな~と。
あんなオバサンどこがいいの?(ごめんなさい、誰とは言いませんよ)だって、
軽くかわして再婚しちゃいましたもんね。すごい度胸と信念ですよ。ホント。
息子の王子には是非とも(大丈夫と思いますが)王位を継いで欲しいですが。
さて…。
実際のウォリス・シンプソンという人はなかなかの策略家だったようだ。
お金持ちと結婚して何不自由なく暮らす、とは貧乏から這い上がった人間が
言う言葉。エドワードに目を付けてからは心身共に世話を焼き、ついには
彼の心をも虜にしてしまった。でも、まさか自分のために王位を退くとは…
思いも依らなかった出来事。そして悪女の烙印を押され、王室からは一切の
招待もない(晩年まで)状態だった。彼女が幸せだったか不幸だったか、何を
得て、何を失ったかは、計り知れない。でも(もちろんお金ありきとはいえ)
生活に不自由はなかったと思う。それだけでもあの時代、幸せなことだろう。
現代のウォリスが選びとった生活も、決して不幸ではない。
世間はいろいろ言うけれど、こっちにだっていろいろあるのよ、感情がね。と
マドンナが発言しているような作品だった。女性は観応えあるんじゃないかな。
(親の愛情ってやはり大事ね。愛されて育たないと愛する心が育まれないもの)
2本を1本にしたようで残念
30年代の映像が美しい。とりわけウォリスのメイキャップ&衣装と、セット&小物の色彩のバランスが綺麗だ。アンドレア・ライズブロー演じるウォリスの品ある身のこなしも優雅で吸い寄せられる魅力がある。さしものプレイボーイ、エドワード太子も陥落して当然と納得する美しさだ。
これに対してストーリーだが、何のために現代の女性の目を通して“王冠をかけた恋”を描いたのか、その趣旨がどうにもしっくりこない。撮りたい映画が2本あったのを、仕方なく無理して1本にしたという印象がどうも尾を引く。
それとも「W./E.」のウォリスとウォリー、エドワードとエフゲニ、それに私達(We)を掛けたアイデアだけが先行してしまったのだろうか?
いずれにしても、30年代当時の禁断の恋だけをドキュメンタリータッチで描くことに専念してほしかった。
なぜなら、この作品を超えるウォリスとエドワードは考えられないからだ。ふたりのシーンは、オリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティングの「ロミオとジュリエット」に匹敵する誰も超えられない風格と美しさがある。しかも新鮮だ。だからこそ余計な仕込みは入れてほしくなかった。こういう手法は、誰も超えられない作品があって、それを超えたくて四苦八苦の挙げ句やるようなものだ。マドンナには斬新かつ小細工なしの王道を見せてほしかった。
それにしても、つくづく思う。いつの時代も、たった一人の女性が歴史を変えてしまう。
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