劇場公開日 2012年5月26日

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私が、生きる肌 : 映画評論・批評

2012年5月22日更新

2012年5月26日よりTOHOシネマズシャンテ、シネマライズほかにてロードショー

悪魔的快楽領域に冷ややかに踏み込んだアルモドバルの問題作

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目の前にサイズを変えたソレが並んだ時には、さすがにコレを画面に出してしまう悪趣味に唖然としたが、考えてみればペドロ・アルモドバルはそもそもギンギラギンにさりげなく、ではなくギンギンの色彩感覚を持ったあからさまに悪趣味な(ところもある)映画監督ではあった。ソレを具体的に書くことはさすがに憚(はばか)られる。その使用目的が外科手術の最終段階における強制なのである。そして完了した<人体>とは……!?

ねじくれた復讐が大好きなアルモドバルが危険なこの題材(原作小説はフランスの作家、ティエリー・ジョンケ、ハヤカワ文庫に邦訳あり)を得たということは、渡りに舟であった。原作を未読であれば幸い、これは観てから読むべき典型例だ。ラストは小説の方がドス黒くキメている。薬品、注射針、手術器具、実験器具など、形成外科医ロベル・レガル(アントニオ・バンデラス)の自宅の秘密部屋に整然と存在する様は、ダミアン・ハーストの薬品+器具アートとドライに連携したかのようで、ポップで美しい。

妻の火傷、自殺から始まった植皮研究がエスカレートしていき、娘のレイプ事件がもたらした復讐戦もあって、「私が、生きる肌」のバンデラスはジョルジュ・フランジュの名作「顔のない眼」などの禁断をさらに越えた悪魔的快楽領域に冷ややかに踏み込んでいく。人体の表層=スキンはある意味映画の目眩ましにすぎない。バンデラスの屋敷に監禁状態にある、亡くなった妻と瓜二つのベラ・クルス役エレナ・アナヤの肉体が画面を支配しつづけ、微乳が<意味>を持つ……。

滝本誠

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