パシフィック・リム : 映画評論・批評
2013年8月6日更新
2013年8月9日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
破天荒なまでのビジュアルで紡ぐ、奇才デル・トロの妥協なき闘い
遂に奇才が帰ってきた。ここ数年、手掛けた作品が暗礁に乗り上げるなど苦難続きだったギレルモ・デル・トロ監督。だがその結果、彼は創造性の根源へ立ち戻ることとなる。幼い頃に親しんだ日本のロボットアニメや怪獣特撮、巨匠レイ・ハリーハウゼンへの想いを渦巻かせ、その泡立ちの裂け目から「パシフィック・リム」を出現させたのだ。
本作は人類とKAIJUとの激闘史が始まって10年以上が経過した時点から物語がスタート。そして人型巨大兵器イェーガーに乗り込む主人公はかつてKAIJUに完膚なきまでに打ちのめされた過去を持つ。つまり彼とデル・トロは同じ挫折を知る者として通底するところがあるというわけだ。
その上、出現する度にどんどん強さを増すKAIJUは、さながらデル・トロがキャリアを重ねるごとに増大していくハードルの高さを具現化しているかのよう。常に前作越えを迫られるのが監督の宿命とはいえ、本作からは妥協なく映画作りに真向かう奇才の“もうひとつの闘い”が透けて見えてくる。
だがそんな状況にあっても、デル・トロの創造性は実に単純明快だ。観客の目線は深海からビル群、そして大気圏外をも貫く破天荒な戦闘シーンへと縦横無尽に誘われる。更に3D効果で臨場感みなぎるコックピットでは、パイロットの胆力に歯を食いしばり、共に拳を突き上げ咆哮したい衝動にさえ駆られるだろう。
本作のストーリーは映画用に作られた完全なオリジナル。先人たちの意匠に敬意を表しつつも、これらをゼロからブランディングしてみせるとは、必殺技エルボーロケットにも勝る豪腕ぶりだ。もはや日本文化が着想を与えたという事実は入り口にしか過ぎない。その圧倒的なビジュアル、そして作り手の魂に恐れ入るばかりの130分だった。
(牛津厚信)