L.A. ギャング ストーリーのレビュー・感想・評価
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見どころは何処だ?
ルーベン・フライシャー作品は『ゾンビランド』は大好きだし、『ピザ・ボーイ〜』もそこそこ好きだったけれど、正直この題材は彼にうってつけの企画なのかについてはかなり懐疑的だった。それでもこの豪華キャストだし、期待するなという方が無理!
しかし、やっぱりこれは…。
個人的にこの時代のロサンゼルスといえば、ジェイムズ・エルロイのL.A.三部作のイメージなので、これでは圧倒的に暗さが足りない。
ルーベン・フライシャーらしく軽い方向で突き抜けていればまだしもそれも中途半端。中途半端に明るくて軽い。
ロサンゼルスを文字通り牛耳る大物ギャングミッキー・コーエンから街を取り戻す為に編成された警察内の特別チーム。
しかし、繰り出す作戦はどれも出たとこ勝負で杜撰極まりない。
ミッキー・コーエンの愛人と警官ジェリーの恋愛についても必然性が感じられず余計。
こういう脚本上の失敗以上に致命的なのは、これだけのキャストを集めておいて誰一人として魅力的に映らない。
やっぱりこれはルーベン・フライシャー向きの企画ではなかったとしか言いようがない残念な作品。
誰もがバッヂを付けている…。
よかった。1949年の終戦して数年後に実際に実在した人物をベースに作られた映画だっていうから驚き。あんなに見るからに悪そうな奴が、判事や弁護士などを丸め込み、町を支配しようとしている、というからたった約60年そこら前だとしても今とはまるで世界が違うということを痛感させられる。(^-^;先人の努力の上に我々の安全や安心、そして平和がなっていることを痛感させられた。
現代版ギャングもの
かっこいいー
目には目を、毒には毒を、ギャングにはギャング警察を
もしアナタが、一捻りある映画や斬新な映画が好きというならば、この映画はオススメしない。
何故なら、超ド直球の映画だからである。
1940年代のロス。街を牛耳るギャングとロス市警の戦い。
1940〜1950年代に量産された犯罪映画、ハードボイルド映画、フィルム・ノワールの雰囲気そのまま。
久しくこういう映画は見ていなかった。
「アンタッチャブル」「L.A.コンフィデンシャル」が好きなら絶対見逃せない。
事実に着想を得た映画。
街を牛耳るギャングのボス、ミッキー・コーエンは実在の超大物ギャング。あのアル・カポネと親交もあり、メディアにも登場して「俺は誰も殺していない。つまり、殺す必要のない奴は」とまで語った、セレブ並みの悪のカリスマ。
そんなコーエンの非道に立ち向かうは、ロス市警。
だが、普通の刑事だったら太刀打ち出来ない。そこで集められたのが…はみ出し刑事たち。
目的は逮捕ではなく、組織の壊滅。手段は超手荒な実力行使。
毒には毒を、だ。
よって、映画も渋いハードボイルドではなく、バリバリのアクション、アクション、アクション!
生きるか死ぬか、男たちの戦いにハラハラドキドキ。
勝っても彼らに賞賛は無い。出世も名誉も無い。一歩間違えれば、あるのは、死。
何故、男たちは戦うのか?
わざわざ言葉にして説明する必要もあるまい。
うっすら「七人の侍」と同じものを感じた。
役者陣も適材適所。
ジョシュ・ブローリンの男臭い風貌はこういう映画にぴったり。
ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンの美男美女で華を添える。キュートな印象でしかなかったエマは妖艶な魅力で見る者を虜にする。
脇をジョヴァンニ・リビシ、マイケル・ペーニャら個性派で固める。ロバート・パトリックもいい感じに老けた。ニック・ノルティは貫禄たっぷり。
そして、コーエンに扮したショーン・ペン。問題児だった若き頃を思い出させるような、凄みたっぷりの存在感と怪演。
これだけ面白味が詰め込んであるのに、アメリカでは興行・批評共に不発。
何の何の、充分面白い!
この雰囲気と、ワイルドな男たちにしびれろ!
ものすごく長い感想になってしまった
実在のギャング、ミッキー・コーエンを主要人物に据えた本作。
こういう映画は、「おもしろかったー」的な小並感満載の感想が正しい。
なので、以下の感想は、もの凄く野暮で意味の無いものなんだが、好きなジャンルなだけについつい長くなってしまった。
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実在のギャング、ミッキー・コーエンが好きである。若い頃、好きが高じて、コーエンの写真集なども買い集めたりもした。ギャングの写真集など、買う方も買う方だが、売る方も売る方である。どういうつもりなんだか…。
写真集は、お宅訪問よろしく、素敵な居間で寛ぐコーエン、犬と戯れるコーエンなど様々なサービスショットが満載。
でっぷりと太っていてクマさんのヌイグルミのように可愛いらしく、ギャングの親分ぽくない。
一言でいうと、お茶目なんである。
コーエン自身もノリノリで写っておりスター気取りでちょっとマヌケだ(実際そのような取材を受けている時点で、ほんとにスターだったのかもしれんが)。
普通のスター写真集と違う所は、コーエンとの抗争で死んだギャングの写真なども収められている所だろうか…。
当時の書物を読んでも、写真集を見ても、コーエンがマジなのかフザけているのか、いまひとつわからない。
私のイメージするコーエン像で一番近いのは、小林信彦氏の喜劇小説『唐獅子株式会社』に出てくるヤクザの親分だろうか(恐らくコーエンをモデルにして書いているのではないか)。
喜劇的な人物で、普段はニコニコ笑っているが、何が怒りの沸点なのか分からず、突然キレる危ない人。
それを周りには天然と思わせといて、案外しっかり根回しもする腹芸の人。
これ、あくまで私のイメージなんで正しいとは限らないが、どちらにしても不思議な人物である。
それを今回、ショーン・ペンが演じた訳だが…。
上記のイメージからすると本来だったら、ショーン・ペンではなく、彼の弟、今は亡きクリス・ペンの役どころなんである。(コーエンと同時にクリス・ペンも大好きだった私は、いつか、彼がコーエン演じないかなあと待っていた。)
ショーン・ペンも、自分向きの役では無いと分かっていたはずだ。
だから、一生懸命太ったし、お茶目な演技にも挑戦した訳である。
だけれども、真面目な人が急に冗談を言ったりすると周りには冗談だと気付かれないのと同じで、お茶目な演技に気付いて貰えなかったような気がする。顔が恐すぎたんである。
こんなタラレバ言ってもしょうがないのだが、もしクリスが生きていたら彼がコーエンを演じて、ショーンがオマラという夢のキャスティングもあったのでは…と妄想してしまう。
それでも、真面目にお茶目を演じたショーン・ペンから、クリスへの鎮魂歌を聴いたような気がして、一人涙したのだった。
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アメリカのギャング映画というジャンルであるが、
個人的偏愛も入れつつ、ものすごーく大雑把に分類すると
第一期:1930年代『暗黒街の顔役』など
トーキー初期ゆえに、会話のテンポが良いギャング映画が求められた。
アングロサクソン系が上流、イタリア系が下流という当時の移民事情もあって、イタリア系ギャングを描いた作品は下層庶民の熱狂を持って迎えられた。
第二期:1970年代以降
モノクロの第一期作品をモチーフにし、カラーに置き換えたもの。
『暗黒街の顔役』と同じ題材の、デパルマの『スカーフェイス』『アンタッチャブル』などが有名だろうか。
この時点で、第一期当時のオールドファンからは、「味が薄まった」と評されている(阿佐田哲也氏の評などが印象的だった)。
第三期:『L.A.コンフィデンシャル』
第二期の失敗作『ハメット』などへのオマージュを含みつつ、奇跡的な傑作となった。
その後、コンフィデンシャルに触発された作品が多く作られるが、興行的な成功には至っていない。
この流れを受けての本作な訳であるが…。
ギャング映画はこのように何度も焼き直されている。
今の人にとっては名作のデパルマ作品ですら、オールドファンからは「役者の顔が薄い」と不評だったりする。
過去の作品を超えるのは本当に難しく、正攻法で作っても実りは少ない。
で、本作の監督ルーベン・フライシャーは、正攻法ではなく、前作『ゾンビランド』でとった手法…ポップで、ちょっとフザけた路線を目指したのだと思う。
下手にホームランを目指さず、振り逃げで出塁した感じである。それを姑息とみる人もいるだろうが、塁にも出られない作品(企画倒れでお蔵入り)も多いジャンルなので、監督の意図も分からんでもない。モデルにしたミッキー・コーエン自体がお茶目系の人であり、狙いも悪くなかったと思う。
監督の意図を一番うまく体現していたのは、ライアン・ゴズリングであろうか。
マジなのかフザけているのか分からないギリギリな感じ…コーエンの写真集にも似た感じを、うまく演じていたと思う。
監督はゴズリングと二人でフザけた方向に突っ走りたかったのだろうが、不完全燃焼に終ってしまった。
その原因は…。
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その原因は、パーカー市警本部長演じたニック・ノルティなんである。
誰だ、ニック・ノルティをキャスティングしたのは。
『ゾンビランド』の手法でいくなら、ここは反則技のビル・マーレイ的なフザけた存在を配さなきゃダメなんである。
よりによってニック・ノルティは、「L.A.のギャング映画」というジャンルに対して、地球上の誰よりもマジな人だ。
本作の元とも言える『マルホランドフォールズ狼たちの街』にも出演している。
そして「L.A.のギャング映画」の最後の砦『ホワイトジャズ』を映画化しようと奔走したりしてる人なんである。
そんなガチでマジな人を呼んではいけなかったのだ。ガチでマジなニックは、フライシャー監督のフザけた感覚なんて簡単に捻り潰してしまう。
ニック・ノルティは少々のことでは揺るがない。
それが印象的だったのは『シン・レッド・ライン』だろうか。
『シン・レッド・ライン』は戦争映画に見せかけて、実は哲学映画だったわけだが、数多出演した俳優の中でニック・ノルティただ一人だけが、戦争映画の文脈で演じていた。
空気の読まなさ加減が凄まじい。
テレンス・マリック監督の哲学すらも、ニック・ノルティには敵わなかった。
テレンスに勝ったニックにとって、フライシャーなんてハナクソみたいなもんである。
こうして、フライシャーのフザけた路線は敗れ、ニックのガチさだけが残った。
ファンにとっては、ニック・ノルティのガチな感じを拝めただけでも良しとするべきなのかもしれない。
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上記のニック問題に比べたら、これから書くことは本当にどうでもいい話だが、あと一点だけ書いておきたい。
それは、本作を見て『アンタッチャブル』と比較した感想が多いこと。
こういう感想を持たれた時点で、やっぱり本作は失敗作だったんだなあと思う。
『アンタッチャブル』は、シカゴのイタリア系ギャングを描いたもの。
本作はL.A.のユダヤ系ギャングを描いたものである。
この2つは似て非なるモノなのに、おふざけを目指したとはいえ、その描き分けが出来てない時点でやっぱりダメだったんだなあと思った。
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「おもしろかったー」と流せばいいものの、ファンにとっては心が千々に乱れるこのジャンル、
若干残念な仕上がりになってしまった本作だが、
『ハメット』のように、いつかは何かの足しになるかも知れず、
その熟成を心しずかに待ってみようと思う次第であった。
ギャングストーリーとだけあって
面白かった!とにかく面白かったのですが、その一言で終わり。
ちょっとしたB級なイメージで終わってしまった。
タイトル的に、ギャングの論争ものだものね、と分かっていましたが、
ここまで印象が薄いとは…少し残念です。
一場面場面がそこで終わってしまっている。
例えばよくある展開、悲しみや、絶望、そうしたものを背負い込んで生き残ったもの達が頑張る。それが、まるで感じられなかった。
断続性を感じないから、展開を感じない。さらには、この映画のテーマが分からない。だから、印象にも薄い場面が多かったのかもしれない。
最終的に「あくまで俺たちは警察だ」というポイントを押さえたかったとしても、ちょっといろいろ足りないかも。
なにしろ、登場キャラクターの印象、イメージ、が全然思い出せない。ここまでインパクトに欠けるのはなぜか。
ざっくり覚えているのは、「早撃ち」笑
そこが「おじいちゃんかっこいいな!」とはなったけれど、実は見ていた時あの役者をロバート・パトリックだと気づけていなかった事実!
そう思うと本当に、改めて役者が豪華すぎた。ショーン・ベン怖いよぉ…
おとぎ話のよう
定型化された愛に、定型化された忠信、定型化された信頼。
そんなもので満ち溢れている映画でした。
けっして悪くはない、けど何も冒険がなかった。
焼き直しのストーリー、焼き直しの愛。
苦悩も一通りやったらおしまい、で次のシーンに後を引かない。
あのシーンがあるからこのシーンではこう感じるだろう、というようなものがない。
シーンごとに世界が違うのか?と疑問に思うくらい。
あえて喪失の悲しみ、というのは具体的に描かないようにしているのでしょうか?すごくさっぱりした印象。唯一印象に残ったのが、靴磨きの少年の場合。
ただ単に時間の都合上、とかならがっかりするのですが……
ライアンゴズリングは相変わらず悲しい目が似合う。
留置所に入れられている仲間のもとに、颯爽と駆けつけるシーンは痺れるほどカッコいい。
L.A.ギャングストーリー
深みのない映画
何か映画が見たかったので、最近ハマっている「実話を基にした映画」というのに惹かれて鑑賞。
見終わった感想は、「面白かった」の一言。
ただ残念な事にどのキャラクターも全く印象に残っていない。
『アメイジング・スパイダーマン』ではあんなに可愛かったエマ・ワトソンも精彩を欠いていた。
キャラクターで一番印象に残ったのはライアン・ゴズリング演じるジェリー・ウーターズ位かな。
彼は昔っぽい正装が実によく似合う。
『ブルーバレンタイン』では甲斐性のないダサい男を演じていて、その印象がとても強かったから余計魅力的に見えた。
今回はキャラクターも良かったし、また彼の出演する作品を見たいと思った。
内容に関しては全く信念が感じられなかった。
一体何を描きたかったのかとても疑問。
主人公の本来あったであろう葛藤とか、もっと見たかったなぁという物足りなさが残る。
アクション重視ならもっと違う結果になっただろうに・・・と思う。
正直、オープニングの少しグロいシーンで、私はこの映画がずっとこの調子だったら最後まで見られないかもと一瞬思った。
それは杞憂に終わったので良かったですが・・・
男臭さをもっと出すなら徹底的に、人情にもっとアピールしたいならもっと人物描写を多く、ガンアクションをカッコ良く見せたいならもっとシーンを多く・・といった調子でとにかく何から何まで
足りない映画でした。
個人的な希望として予定調和にいかない現代で、悪者を潰すならもっと徹底的に潰してくれる映画を創って貰った方がビューアーとしてはスッキリするかな。
めちゃくちゃ刺激的!
ガッカリ…
クルマとマシンガンが牛耳る世界
登場人物に魅力があり、ストーリーもおもしろい。
力ずくで裏社会を牛耳り、あらゆるシノギで稼ぎまくるギャングの大物ミッキー・コーエンは警察も政治家も抱き込んでやりたい放題だ。そのうえカリスマ性もある。
このコーエンの組織に立ち向かうオマラ巡査部長が賄賂を受け取らない堅物で、両者が戦後間もないロサンゼルスの暗黒街で火花を散らすという荒っぽさは、久しぶりにハードボイルドという言葉が似合う映画だ。
ショーン・ペンとジョシュ・ブローリンがコーエンとオマラになりきりぶつかり合うだけでもじゅうぶん見応えがある。
そこにニヒルなウーターズ(ライアン・ゴズリング)とコーエンの情婦グレイス(エマ・ストーン)による色恋を絡めてくる。ときには、この二人のほうが主役ではないかと思わせる構成だが、話の芯がブレるどころか裏切りと報復という危ない添加剤となって緊張の糸をぐいと引き締める。
オマラの暴走を心配する妻のコニー(ミレーユ・イーノス)がまたいい。平和な暮らしを望みながらも夫の片腕となる人選に目が利くあたりは只者ではない。なかなかオイシイ役どころだ。
「ターミネーター2」でT-1000だったロバート・パトリックもカッコいいオッサンになった。腕のいいガンマンで話を最後まで大いに盛り上げる。
ギャングにはギャングを・・・クルマとマシンガンが唸る荒療治の醍醐味を存分に楽しんだ。
綺羅びやかでエネルギッシュな時代を描いた映像と音楽も文句なし。
たった113分とは思えない、旨味がぎっしり詰まった濃厚な作品だ。
p.s. こういう作品を観ると、アメリカがそう簡単に銃を手放せない土壌の上に成り立っていることがわかるような気がする。銃による事件が映画の中だけになる日が来ることを祈りたい。
シンプルな作品です。
ライアン最高!
えー?! よかったよーー!!
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