シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全396件中、61~80件目を表示
結局最後まで期待外れ
妻と観に行きましたがシリーズ通して結局何がどうだか伝わらないまま終わっちゃいましたね、終わったあとなに?結局使途は何しに来てたの?目的は?シンジのお父さんは何がしたかったの?アスカは何者?結局どうなったの?マリとはろくすっぽ会ってないのに最後何事?
じゃあ何?シンジは結局神様で転生して新しい世界作って終わり?等々、訳解らんのオンパレード、要するに作品から内容が全く伝わらなかった、人に何かを伝えるには解りやすく伝えないといけないのだが、私らには全く伝わらないまま終わっちゃいましたw
話を伝えるってことは、使途の目的は地球の支配だったとか、地下に眠る秘宝が目的だったとか、シンジのお父さんの目的は神の力を得て何々をしたかったとか、ハッキリと解りやすく伝えないとなーてのが感想でした、最後はちゃんと解りやすく作ってくれると期待したが最後まで謎のまま、名探偵コナンが犯人も謎で解決しないで終わった感じ
「たった一つの冴えたやり方」(短縮版)
※本レビューは文字数制限のため、原文(約一万字)から一部抜粋しています。他サイト・アプリにも各文字数制限まで投稿しています。
映画としては凡作以下、アニメとしては佳作以下、エヴァ作品としては史上最高傑作です。
何様と思われるかもしれませんが、私もお客様(=『全てのチルドレン』)の一人です。庵野秀明さんを始めスタッフの皆々様、26年間、誠にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
さて、エヴァを「終わらせた」ことを加味して、作品のレビューでその点について評価している方がちらほらといらっしゃいますが、終わらせたから偉い!凄い!高評価!……ではなく、本作単体、あるいは序〜シンの新劇場版を通してのストーリーや演出がどうであったのかで、本作は評価されるべきではないでしょうか?
いろいろと思うことがあって、感想を書こうか否か迷いましたが、やはりしっくりこないので、自分の整理のために書こうと、そう思い直しました。
では、感想に移ります。
【アニメーション】
アスカがシンジに無理矢理レーションを食わせるシーンだけは真に迫っていました。
元ネタはNHKスペシャル『私は家族を殺した “介護殺人” 当事者たちの告白』でしょうか?
過酷な介護現場ではああいう虐待が行われていることもあると聞きます。恐ろしいですね。人の所業ですか?アレが?と思いましたが、そもそもアスカは人間ではありませんでしたね。
あと随所に庵野モヨコ夫人(の作品)に関連したアレコレが小ネタみたいに散りばめられてるような気がしましたが、私の気のせいですかね?
もう一度きちんと見てみないと断言できないと思いますが、相当、奥様の影響があられるのかと。
正直、TV版や旧劇のように、上映終了後、パッと思い出せるような類の、印象的なシーンはありませんでした。(私はTV版も旧劇も嫌いなので、懐古厨というわけではありません)
とくにCGを含めた戦闘シーンはひどく見辛いし、カッコ悪い。作画枚数や作業工程はもしかすると新劇の方が上なのかもしれませんが、見せ方が下手なんでしょうか?クオリティは新劇の方が低いようにすら見受けられます……抜けたスタッフでもいるんですかね?
【構図】
漫画『ワンピース』のように見づらい。プロからしたらいいのかもしれないですけど、私たちパンピーはプロじゃないんで。情報量が多すぎて、何も印象に残らないんですよね。
製作スタッフの好きなものを詰め込んで作ったらしいですけど、雑多な玩具箱かあるいは幼児が乱雑に書き殴った画用紙みたいなカオス感がありました。見ていて疲れます。現代人はただでさえ生きているだけで疲れているのに、映画でも疲れるのは……まあ、つまり疲れます。
【音楽】
残念ながら印象に残るものは『One last kiss』だけ。皆さんはパッと思い浮かぶBGMが『シン』にはありますか?
ここからは私の嗜好の話になるので無視していただいて構いませんが……
例えば黒波の最期をシンジが看取り、決意を固めるシーンでオーケストラ版の『Thanatos』を流してお涙頂戴するとか、
巨大綾波が出てくるシーンであえて『甘き死よ来たれ』を流して古参ファンのトラウマを抉るとか、
ゲンドウとの戦いのシーンで『The Final Decision We All Must Take』を流すとか、
ネオンジェネシスするところでピアノバージョンの『残酷な天使のテーゼ』を流すとか、とか、とか……そういう総決算的なサービスがあったら嬉しかったなと。
【神の子、碇神児】
旧劇シンジ「他人との関わりは怖いけど、もう一度会いたい気持ちは本物。だから、やっぱり他者のいる世界で生きる……」
新劇シンジ「他者がどうなろうと関係ない。とりあえずシャッター下げて無かったことにしてやり直す。そんで、胸の大きい良い女と一緒に生きる!」
あのさぁ……26年もかけてシンジくんの選択が退化してるんだけど?何が起こってるんだ、これは!?
『魔法少女まどか☆マギカ』という作品がありました。主人公はシンジと同じ14歳で、最後は神に等しき存在になるのも全く同じなのですが……彼女が願ったのは、やり直しなどではなく、皆が積み上げてきたものを尊重しつつ、それに救いを与える、というものでした。
比べるのもアレですが、まどマギから10年くらい経った業界で出てきたアンサーが、よりによって「コレ」だと思うとなんとも憂鬱です。世相かな?終わりだよこの国。
【式波】
「殺すことも助けることもしなかった」とかキレてましたけど、過去の記録を調べもしないでシンジを糾弾してるのか?
シンジは破の時に「相手を傷つけるくらいだったら殺されてもいい」ということまで言ってましたよね?その後、シンジは、アスカを傷つけたネルフ本部や父親を攻撃しようとまでしていた。
どんだけシンジがアスカのことを大切な仲間と思っていたか、よく分かるじゃないですか。
シンジ言ったれ!私が許す!
アスカにハッキリと、こう言ったれ!
「死なせたくねェから “仲間” だろうが!!!」(ドン!!)
そんなシンジによく、イキリ倒せるなぁ……
ガキは君だよ、分かるかい?(真顔)
『礼節が人を作る』なんて言葉があります。
『死装束』なんて文化を勉強する前に、まずは礼節(マナー)を学べ!ガキアスカ!
……まぁ、脚本に問題があるんですけどね。
クローンだかなんだか知らんけど、こんな28おったらあかんわ、終わりだよこの世界。
「ツンツンもいいですけど、礼儀だけは弁えといてくださいよ!ホンマ勘弁してほしいわ」
【真希波・マリ(ア)・イラストリアス】
君の正体は何なんだい?どっから湧いてきたんだい君は?
ゲンドウやユイと同世代なのは分かるよ。京大の同窓かなんかだろう?でもそれは映画の中で描くべきなんじゃないのかい?
せめてQとかで回想シーン必要だったでしょ……と思うのは私だけでしょうか?冬月とシンジが将棋を指すところで、冬月の語りとともに、大学での教授職時代の回想(述懐)を挟んで、そこでユイ、ゲンドウ、マリを描けばよかったのに。
過去が無ェ 記録が無ェ
正体まったく分から無ェ
背景無ェ 深みが無ェ
自己 完結で ぐーるぐる
破で登場 唐突だ
感情移入の余地が無ェ
俺らこんなキャラいやだ 俺らこんなキャラいやだ
そんな彼女がラストでシンジの手をとっても、なんの深みもカタルシスもない。
……え、漫画などのメディアミックス作品を見ればマリの正体が分かる?いやだから、映画の中でそれを描かなきゃダメでしょ。てやんでぇべらぼうめ、おとといきやがれってんだ!
【育児放棄】
ネグレクトする奴には基本的に、「基本的人権」は無いと思ってるんですよね。誰のこと言ってるか分かります?ゲンドウとミサト、君たちだよ。何カッコつけてんだよ?ダサいぞ。どんな理屈を並べ立てたところで子どもから逃げている君たちは親失格で大人失格だよ。君たちの発言には何の重みも説得力も感じられないので、終始極めて滑稽なんだよ。「だっせぇ、だっせぇ、だっせぇわ」
【VII.l.AGE】
表面的に(暖かく)描かれる子育て描写や動物、植物の描写は、その実無機質で、血の通っていないホラーゲームみたいに感じられました。
農作業もしていましたが、アレだけの人数の食料を養うには量が足りませんし、もっと生きることに必死で、ピリピリとした雰囲気が漂うのが、通常のポストアポカリプス世界だと思うんですよね。
私には、あれが上辺だけ取り繕った、崩壊しつつある絶望の限界集落にしか見えませんでした。『バイオハザード8』みたいなもんだなあと思いました。あるいは『SIREN』で描かれる、屍人視点から見た世界のようなものです。
「放浪を続ける碇神児、たどり着いた場所が、彼に希望を与える」というのが予告の文言でしたが、村がシンジに与えたのは希望ではなく、死地に赴く「覚悟と決意」ですよね。「どう足掻いても、絶望」です。
【たった一つの冴えたやり方(ネオンジェネシス)】
「『ネオンジェネシス』?……なんですか?『ネオンジェネシス』って?」
多分、「バルス!」とか「ジェセル!」みたいな、おまじないの類だと思うんですけど……
シンジの選択、というか庵野監督の選択は、エヴァが存在しない世界にして、全てをやり直すということでした。
でも、本当にそれで良かったのでしょうか?
村の人達に限らずですが、サードインパクトから生き延びた人々は、一生懸命に生きていました。その生きた証すらも、庵野監督とそのスタッフの方達は脚本上、無かったことにして「終わらせて」しまったのです。
庵野監督は3.11の震災以降、精神を病んだそうです。震災からの復興に向けた戦いは今もなお続いていますが、あの赤く染まった地球で懸命に生きる全ての人々の希望を背負った(背負わされた)碇シンジが、最後の最後に選んだ道が、全てを無かったことにした挙句、「胸の大きい良い女」とのrendez-vousというのはどういう了見なのでしょうか?
世界改変エンドも良いですが、このシンにおいては、人々の思いや、希望や、生き残るための努力やその証の一切が全て無に帰したような、言いようのない後味の悪さが残ることは否めません。
(繰り返しになりますが『まどマギ』に於いての主人公の『選択』と、ハッキリ異なる点です。余談ですが私は、まどマギという作品はあまり好きじゃないです)
世界改変ではなく、28歳になったシンジが、崩壊した世界や、失われた命たちと、がっぷり四つと向き合い、悲惨な過去から目を背けず、不確定な未来に向けて、田畑を耕し、世界の復興のために汗水垂らして働いている描写があっても良かったのではないでしょうか?
そして、破の時に叶わなかった食事会をするエンドで良かったのではないですか?
あるいは青くなった海に繰り出していくエンドでもよかったかもしれません。
ラストは、『エヴァの全てにシャッターして、とにかくさようなら! そして、マリ=庵野モヨコ夫人、シンジ=庵野監督で、2人が手を繋ぎ、アニメの世界から逃げ出し、現実の世界(庵野監督の地元)で結婚報告をしにいく、あるいは特撮製作(ウルトラマン、仮面ライダー)へと逃げ出すメタファー』なんて揶揄されているようですが、そう取られても仕方がないと思います。
この映画を礼賛している方の中には、『「エヴァ」からの卒業(式)』なんて戯けたことを述べている方がいますが、大半の視聴者は、エヴァに入学なんてしていません。日常生活で一杯一杯です。
そんな中で、こんな逃走劇を描かれても、唖然とするばかりなんですよね。
「アニメから卒業しろ」「現実を見ろ」なんて言われても、「いやいやw もともと現実見て日々一生懸命に生きてますよ。エヴァから卒業できてないの、製作側のあなたたちの方じゃないですか?「26年かけて頑張って作ったもの、その集大成が出来た!今度こそ完結する!観に来てね!」っていうから、わざわざ見に来たのに、こんな無礼な態度と結末はなんなんですか?おそらく日本のアニメ史に於いて、26年もかけてこんな酷い行いをしたのは、貴方たちくらいのもんでしょうね」と、むしろこっちが言いたいくらいですよ。
また、現実を織り交ぜたメタ演出を挿入するのは、「逃げ」だと私は思います。現代アートのように煙に巻いて高尚ぶるのは、いかがなものでしょうか?
作品世界の中で作品を完結させなければ、物語を「終わらせた」とはいえないのではないでしょうか?
逃げて逃げて逃げて、逃げた果てが「これ」。そう考えると哀しいですね。
庵野さん、これは26年前に『あなたが始めた物語』でしょう?
とはいえ、もうなんか「終わらせられて」しまったので、もう今後『エヴァ』は無いでしょうし、私も見ることはないでしょう。故に最大限の皮肉を込めて、『最後の言葉は、切ない』ものとなります。
製作スタッフにありがとう
庵野監督におめでとう
そして、過去・現在・未来、全てのエヴァンゲリオンに、さようなら
Beautifulworldって最高だよね
リアルタイムでTV番見てた思春期
もしあの当時のままこの映画を見てたらどう感じただろう。
根本は結局テレビ番のラストと同じなのかもしれない。
庵野監督が全てをかけて沢山のスタッフさんや、声優さんが練り上げた終わり方だったんじゃないかなぁと思えたのは良かった。
パンフレット買って良かった。
げんどおおおお?!?!知ってたけど、げんどおおおおおお!!とは思ったけど笑
そして、Beautifulworldはもう当時から好きだったけど。こんなにもエヴァに合う曲はないよね。
とりあえず、Onelastkiss買ってこなきゃ。
きっと庵野監督の中ではTV版が終わりだったんだと思う。
その後出来る限り色んな人に寄り添いながら、落とし処を今現在の最適解のエンディングが今回の終わり方だったんだと思う。
二回もバットエンディングにした方が、今回はハッピーエンディングに近い形にしたのはそういうことじゃないだろうかなぁ。
きっと根本は変わらないけど、ほぼ真逆のエンディング書くってきっと相当な精神の負担がかかると思うわけで。
影響力が大きい作品ほど、賛否両論になりやすいと思う。以前のエンディングで良かったと思ってる人も居るだろう。今回は、それまでのエンディングに納得で来なかった人々への出来る限りのプレゼントなんじゃないかなぁと思う。
3つのエンディングのどれかでも納得できなかった人も居るだろうけど、劇場版は旧も含めどれも何かに寄り添って落とし処を着けてエンディングを書いてくれたんだと思う気がする。
全員の気持ちを納得させる事なんて神にすら出来ないんだから。
とりあえず、寄り添って鬱に成る程悩んで終わらせてくださった事に感謝したいと思う。
終わらせない(出来ない)作品なんて割とある。
なんなら、ぶっちゃけ結局作れないでこの世を去られちゃうのではないかと
思ってすらいたから余計に終わらせてくれてありがとうございましたと、お伝えしたい。
なんて言ってみるのは今回がハッピーエンドよりだったからかもしれないけれど。
とりあえず、頑張っただけの報われが監督やスタッフさん、声優さんにあるといい。
影響力がある作品に携わるってそれはもう光栄でありながら、きっと大変な事だったであろうから。
声優さんも変わらずオリジナルの方が演じてくださったし。
とりあえず、本当に皆様お疲れ様でした。
ありがとうございました。
少年の心の中
エヴァンゲリオンは、今まで全く知らなかった。
映画好きの人たちが、この映画だけは、今、映画館で、できればIMAXで観た方が良いと話していたので、全くゼロ知識でも大丈夫ですか?と尋ねたら、序、破、Qを観てから観に行くように言われ、その通りにした。
まず、序、破、Qを観て、全く意味がわからなくて困惑した。この人気は何なんだろうと。私の理解力の乏しさなのか?と。
そして、こんなにわからないまま、映画を観て、果たして楽しめるのか?しかもIMAXで観る価値があるのか?と思いつつ、映画館へ足を運んだ。
結果、観てよかった。とても楽しかった。
映像の美しさに息を呑む。すごい。IMAXで良かった。IMAXのお陰で、感動も倍増したと思う。
ストーリーは、やはりよくわからなかったけれど、切なさが心に響いた。大好きなユーミンの曲がまさか流れるとは!イントロですぐわかった。なぜか涙が出た。歌詞が素敵。
普段から当たり前に使っている言葉を、綾波が覚えていくシーンが好き。何気なく使っている言葉の大切さ。小さな幸せ。
今まで、時間が経っても、なぜシンジだけは少年のままなんだろう?と思っていた。そして、ラストシーンでは大人のシンジ。私なりの考えにたどり着いた。
この話は、今までずっと、シンジの少年から大人への成長期の頭の中を、ストーリー化したのかな?夢のような…。だから、ずっと少年。親との葛藤、友達との葛藤、社会との葛藤。そして心も成長して、やっと大人のシンジが現れた。これが現実の世界。それだと、意味がわからなかった全てがわかる。少年の心の中の物語。私の中では、そう思うと納得。
ラストの宇多田ヒカルさんの歌も好き。
今の時代に、映画館で、IMAXで観ることができてよかった。
最高のスタッフから送り出された無
映像は素晴らしいし、劇中歌が流れる中での戦闘はほんとうに良かった!声優さんの演技も以前と変わりなく素晴らしかった!関わったスタッフの努力の結晶だと思います。
ただ、致命的に脚本が良くなかった。
私にとっては他すべての100点の要素を無に返すレベルでした。
今まで見てきた全ての創作物の中で1番悪かった。素人の書いた俺つえー系のハーレム物のなろうといい勝負です。
エヴァという伝説になった作品の最後が、神になったシンジくんは全員が自分の想像する幸せな状態にしました。この小学生が4秒で考えたような結末を書くのに12年かかったって信じられないです。
私はエヴァとは成長の物語だと思ってました。TV版で自分を認める事が出来るようになり、旧劇で他者を欲するが他者故に恐れ。ハリネズミのジレンマに苦しめられ、傷つけ合いながらもお互いが成長していくしかない。成長とは他者から与えられるものでは無く、自ら努力しなければならない。
そして新劇で神になって各々の意思など関係なく過去作品含めて魂をこの新劇の舞台に統合する。訳分からんわ(笑)
1番かわいそうなのはマリとケンスケでしょうね。この二人に何か言おうものなら、シンジorアスカがようやく幸せになったのにそれを邪魔するお前らおかしいと言えるバリアを張ったうえで舞台装置として完璧超人に描かれている。
感じ方は人各々でしょうが、エヴァファン歴が長い方やキャラに思い入れが強い方はオススメ出来ません。ハリウッド版ドラゴンボールみたいな物です。
劇場版エヴァンゲリオンが完結してよかった。
いまさらながらシン・エヴァンゲリオンを鑑賞しました。
良かった点、微妙だった点を書いていこうと思います。
良かった点
・戦闘などの演出が迫力があり、見ごたえがあったこと。
・Qで風呂敷を広げすぎた感のあったストーリーを完結できたこと。
・テレビ版、旧劇場版でなかったシンジ、ゲンドウの和解などがあったこと。
微妙だった点
・相変わらずストーリーから置いてきぼりにされてしまうこと。
特に前振りなく展開させてしまうとハラハラするというより、ポカーンとしてしまう展開が多かった。
・ストーリー的にテレビ版、旧劇場版と大差ないこと。
ゲンドウの思い描いているストーリーがテレビ版、旧劇場版とほぼ同一のため、焼き増しを見ている感が否めなかった。劇場版では手段とそれに至る段階が若干違えど、結局同じ だった。見ていて驚きがなく、退屈だった。
・最初の日常のパートが長いわりに進展がないこと。
まったくストーリーが進まないシーンが序盤40分~50分続き、時間が余ったから尺を稼いだように見えてしまった。
悪かったことをいろいろ書いてしまったが、エヴァンゲリオンが完結したことは喜ばしく、やっとエヴァンゲリオンが完結したと感じました。
もし監督が新たな作品をつくることがあったら、次はエヴァンゲリオンじゃなくて新規の作品を見たいと思いました。
ネタバレあり
らしいっちゃらしいのかもしれないけど
尺が足りないのかなんなのか
ゲンドウ喋りすぎ
中二病こじらせすぎ
あんなもん、「趣味をちょっと混ぜて楽しくお仕事しました」くらいのエピソードなのに、それが主目的であることを納得するには今でのエピソードが物足りなすぎる。
ゲンドウは後ろで顔の前で手を組んでうつむいて画策してればいいんだよ、オッサン自ら体張って戦うには狂気を醸す伏線が足りなすぎる。
わざとなのか時間が足りなかったのかわかりませんがコンテがそのまま使われるシーンもあり、駆け足でぎゅー詰めしてあっさりした最後でした。
ボディライン強調、オッパイやパンツも相変わらず、サービスショット盛りだくさん。真面目な気持ちで見たかったなー。オトコノコが作った映画という感じ。商業主義のため、ヒットのためなのか、監督の少年の心の表れか。
アニメシリーズもそんな感じだし、これぞエヴァンゲリオン、なのか?
わざとやってる風でもあり(昔のインタビューかなんかで、無意味な中二病要素を積み重ねて、謎をときたい視聴者の興味を引いてるんだ、解なんてないみたいなコメントありましたよね)、この小悪魔的振る舞いにやられちゃうんだよなぁ
「最高」の一言に尽きる ※6.14追記
公開日から通算して6回程観ました。
今までエヴァ及びヱヴァを追ってきた私や皆さんへのご褒美のような内容でした!!
皆さんが様々な感想、考察をされているので私は「最高」とだけ言っておきます。
ただし、新劇場版のみ観ている人には「???、とりあえずなんか盛り上がってるから盛り上がっとこう!」ってシーンが多いと思います。ぜひアニメ、旧劇、漫画(できればゲームやパチンコ、今までのコラボ等)も履修されるとより楽しめると思いますよ!
6.14 追記
前回の入場特典追加時に1回、
EVANGELION:3.0+1.01の公開が始まり、12日と13日に観てきて通算9回となりました。
新規カットの差し替えがちょこちょこあり、思ったよりは多かった印象です。でも続けて何回も観てないと分かりづらいかも?です。
12日からの入場特典は満足度120%、正直入手必須レベルの代物です。ぜひラストランを劇場で楽しみましょう!!
色々すごい
まず、前半から綾波の可愛さ連発で悶えた笑。全体的に時間軸や設定が凝っているのは分かったが、復習が足りなかったせいか、中盤まで映像美がすごいぐらいしか頭に残ってない気がする。後半は、シンジとゲンドウの対話に入り、時間軸も一定になった気がして、話を飲み込みやすかった。特に傷つきたくなくて身動き取れない自分はシンジとよく似ていて、今回のシンジも自分を投影したようだった。あとシンジが父親ゲンドウの欠点を言い当て、ゲンドウ自身も、ただ妻ユイの胸で泣きたかっただけとやっと本音に気づくバカ親?。ただ、この親子構造は私の父親との関係とも似ているなと思った。私の親子関係も世にありうる話として映画が示してくれたことが、考え込みがちな私にとって、すごく嬉しかった。シンジをもっと理解したいと思った。
あと、感じたことと言えば、レイがおばさん達と関わることで、仕事やあいさつの大切さを学ぶ。私は、私も学んだと思った。
20代の私は、働くことの意義や、邪道でも仕事を全うする厳しさ、その意味。トウジから教えてもらった気がする。
責任感は、特にミサトさんに見習う。
駅のホームでのマリと話すシンジの見たことないくらいの垢抜け感、そこが集大成なんだと最後に思わせてくる所だった。
庵野さんの絵日記
エヴァって結局庵野さんの絵日記を見てたわけね。
最後の最後で幸せになれたのだから、他人の幸福は素直に「おめでとう」で締めくくってあげなければね。
でも物語は相変わらず本当に難解なのよ。
マイナス宇宙?なにそれ?加持さんって結局何やったわけ???
そして予想していた通りに数々の伏線、記号は一条直也二段投げの如く放り投げたまんま。
そこんとこはいいか。頭のいい人たちが考察動画をYouTubeに挙げてくれるか。見ないけど。
そしてキャッチコピーの使い方がアレだったのが、少し笑ってしまいそうになりましたね。
シンジ君!そう来たか!みたいな。
あと、ゲンドウとの対決が『範馬刃牙』を彷彿させているように感じて(笑)
そんなことよりも、お話がとても優しいのに救われました。
「オ…オレはッ!!何を見ているんだッ!!?「」みたいな。「え?まさかジブリ見てるの?」みたいな。
そんな意外性も含めて、ちょいと甘目の採点になりました。
ラストでアニメーションから実写に切り替わったあたり
「おまえらアニメばっかり観てないで、いい加減現実に帰れ!」
みたいな相変わらずの皮肉っぽいメッセージを感じたのは穿った見方?
あンたが作ったはるんですやん(笑)
庵野さん、救われてよかったね。ちくしょう!
正直吐露すると、何だかんだ言うて勝ち組に対する嫉妬心はあるのよ!
俺は『まごころを君に』で砂の山を作っては壊しするシンジ君のトラウマから抜け出せていないのよ!
まさにあのまんまの人生を歩んでいるのよ!
庵野っ!どうしてくれようか!
コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ…
65点
映画評価:65点
壮絶な親子喧嘩?親子ごっこ?
何れにしろ終わりました。
私自身がどこまで理解し、
どこまで解読できたのか不明ですけど、
作品は中々良かったです。
確かに面白かったですけど、
これを10年待てるかと言われたら
正直、困難に思えます。
行列の出来るラーメン屋さんで
2時間待って、ようやく食べれた感じの作品。
そこそこの美味しさだったけど、
待っていた分美味しく感じてしまった様な。
そんな評価がされている気もする。
個人的には
序盤の集落のシーンがクライマックスでした。
そっくりさんの生き様と、アスカや周りの人たちの優しさが最高に微笑ましかった。
そっくりさんの最期では涙が溢れました。
とても無念でした。
そしてシンジがその無念を拾える男になっていたのにも感動しました。
ただアクションシーンが多くて
若干酔いと飽きがきましたが
2時間半はあっという間でした。
面白かったです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここからは考察になります。
※あくまでも個人的な推測ですので正しいとは限りません。
まず、
《ゲンドウ=カヲル》だったんですね。
ずーっとカヲルが何者で、
何でシンジに執着していたのか謎でした。
見えない何かで繋がっている様な雰囲気がありましたけど納得しました。
カヲルは、ゲンドウがユイと出会ってから芽生えた新しい自我なのでしょう。
孤独を望んだゲンドウの中に生まれた
愛情や温もり、希望や理想
そんなものの象徴が具現化されていたのかもしれませんね。
そして、カヲルとして生きる事にした彼は
最愛の妻ユイを失います。
そこから彼はカヲルという自我を捨てて、
ゲンドウとしてユイ復活のイバラの道を突き進もうとした事から、この作品が始まったんですね。
エヴァンゲリオンという呼び名の人造人間
その正体はユイ。
だからこそユイとのシンクロ率が必要だった。
誰もが乗れるものではない。
ユイの息子、ユイのクローン、ユイの親友
だったから乗れたのかもしれないですね。
あくまでも仮説ですけど
あれだけの壮絶な戦闘シーンは
全てまやかしだった。
いや、実験の苦労を模していたのではないだろうか?
ユイの復活には、
ユイに近しい人間の体液か何かが必要だったのでは?
その過程で起こりうる障害が《使徒》と呼ばれたのではないだろうか?
インパクトというのは
大失敗とか、実験による事故だったのかもしれない。
ネルフという科学実験所による
人体錬成の禁忌をモチーフにしていたのかもしれない。
まぁ、
どこまでが空想の世界で、
どこまでが現実だったのかは判りません。
ですけど、
こうやっていつまでも
正解のないロマンを探すのって
凄く楽しいですよね!
庵野秀明さん
お疲れ様でした。
素晴らしい作品をありがとうございました!
【2021.4.26鑑賞】
【2021.6.17鑑賞】
皆が良いと言っていたので見ました。
<前提>
・知り合いで良い感想を言っている人が多かった(見終わって燃え尽き症候群のようになった、綺麗すぎて目を背けたく成った等)ので、エヴァは自分にとって特別な思いれのあるシリーズでは無いのだが見るにいたった。
・私はそもそもTVアニメ版からあまりシンジや周りの登場人物に共感できていなかったのだから、その分今回の映画作品も共感はあまり望めないのは想定できていた。共感できない理由としては、シンジと自分はそんなに変わらない根暗な人間であって、彼の行動が自分の鏡を見ているみたいであまり見れたものでないからかもしれない。
<結論>
・ラストはまあ、そうなるわなという感じ。登場人物への深い共感やラストへの衝撃や視聴後の興奮は無い(私がこれについて対比したくなるのは、まどマギ叛逆の物語を見た時の童話の世界に入ったみたいな遊園地感、登場人物への深い共感、ラストへの衝撃が全てあった)。
・子が親に、親が子にそれぞれ面と向かって相対し、親が子を守り子が親を超克するというテーマは良いものであった。
・メタ的描写を使い視聴者から物語への没入感を剥ぎ取り、最後に視聴者を置き去りにして懸けていくシンジ達を使って視聴者にリアルに帰れと強いメッセージを送っているように感じた。物語に依存せず物語を糧として生きよという思いは至極良いメッセージだとは思うが、そのようなメッセージを送る創作物は私は他に知らない。そこに思うのは取材なしでの妄想ではあるが、監督自身エヴァの呪縛から逃れたいという思いが作品からシンジとしての自分もリアルに帰りたいという思いが表出したのかもしれないというのと、もう一つはメタ的表現はここまでエヴァを作れと自分に強いてきた「ニーズ」を批判しているのかもしれないともおもった。
・自分にとって、今回のこの作品のテーマと回答は、「逃げて」来た問題を直視し、その介錯をし、問題を終わらせ、自分の人生を歩め!という事となった。
<良かった点>
・アスカが13号機の胸に停止信号プラグを突き刺そうとしてできず、自分のリミッターを外すシーン。中二病心と言いたくないのだが、見ててとてもかっこよく爽快で興奮するシーンだった。
・町並みや海の背景描写が美しい。
・ゲンドウが初めて自分の内の問題点を語った所。聞いていると、監督が自分を語っているようで、ここに一番共感を持てた。
・エヴァを完膚なきまでに終わらせた点。25年お疲れ様。
<悪かった点>
・登場人物の発する言葉に「紋切り型の口上」、つまる処「言わされている感」をところどころ感じた点。例としては、「だから若い男は~」という言葉。劇中の最終局面でこの言葉はおそらく同一人物によって「若い男はいいね」的な言葉に変化して若い男への見識が変わったということで悪くないことではある。が、「だから若い男は」で、若い男である視聴者としての私は内心イラッときて、その後見識が変わった後の言葉を聞いて「?」となり、その変化に対して創作の意志を感じることとなった。他にも委員長がレイの疑問に対して定型的に答えた呪文のような言葉を聞いて私は委員長の自由意志を疑問視した。
・ラスト、シンジがマリと一緒に居た理由が不明な点。マリとシンジの心が通っていく描写が無かったのでラストで?となった。
・説明スピードが早すぎて物語の中の計画や設定を深く把握することができなかった点。
<その他>
・エヴァという作品が他の社会現象を起こしたアニメと比較して唯一ではないが固有に持っている特徴として、男性おたく向けを意図された軽い性的描写があることだと今回の作品を見ながら気づいた(タイトで胸やヒップが強調された衣装、そのようなヒップを意識したカメラアングル、アスカの上半身ハダカ+パンツ)。意図した性的描写がありがなら社会現象となったアニメとしてはうる星やつら、涼宮ハルヒぐらいだと思う(知らないだけかもしれない)。今後もそういう伝統を引き継いで社会現象となるアニメが作られることを願う。
遠慮なき、目のご馳走
テレビ放映当時ドンピシャ14歳で、最終回のありがとう、続く劇場版にも結局ポカーンとさせられた身としては、序の頃には期待してました。
「これは年月を経て色々と円熟した庵野監督が、今度こそ物語としてきちんとスッキリするオチをつけてくれるんじゃないのか!?今度こそあの時の消化不良な気持ちを、ついに成仏させてくれるんじゃ!?」と。
しかしあれよあれよという間に物語はカオスへ。Qに至ってはこれぞエヴァ也といった感じで後半全然物語を追えませんでした。ただ、デザイン・色彩などビジュアル面は実写非実写を問わず他のどんな映画でも味わえない素晴らしさで「目のご馳走」としては大変美味しく頂きました。
今回はその更なる拡大版。最後という事もあるのか、これまでで最も遠慮なく容赦なく多くの観客を突き放し、入念に事前知識を仕入れたり聖書だの何だのを調べていないと全く理解不能な専門用語がマシンガンのように繰り出され、やはり終始ポカーンでした。
総評として物語は意味不明、ビジュアルは相変わらず素晴らしいという事で他に気になった点を。
・村での暮らしの下りが一番楽しかった。その終わり方の残酷さ・強烈さはこの先の物語の動機付けになるのかと思いきやなんとなく有耶無耶になった。
・その強烈さをもたらした綾波という存在。誕生以降「綾波的キャラクター」というものを作り出してきた強烈なアイコンだけど、まだこんなにダシが出るものかと驚いた。ただ無表情なだけじゃなく、素直に全てを受け入れて変化していく=育っていく様が小さな子供や動物のような可愛らしさを生み出したのかなと思う。
・それとまったく対比的に描かれる「全てを拒絶するキャラクター」としてのシンジ。ああ、最近忘れてたけどコイツってこういうどうしようもない、しょうもないヤツだったなぁと思い出させる執拗な、執拗な自閉ぶりに閉口。
・今回やたらサービス過剰なアスカ。昔は「オトナへの子供っぽい憧れから同年代を相手にしてない高嶺の花」だったのが、見た目は子供中身は大人という、どっかの探偵のような属性を手に入れた結果ストイックな女戦士みたいになった。最終的にその永遠の超絶美少女中学生な高嶺の花を手に入れるのが大人になったケンスケというのは一部のイケナイファンを喜ばせそうだなと思った。
物足りなさの正体
今回この作品を観るために初めてエヴァンゲリオンという作品に触れました。
TVアニメ版、旧劇場版、新劇場版序、破、Qを観たあとに本作品を鑑賞しました。
観終わった直後は「自分の期待を超えては来なかったな」という感想を持ちました。
決してつまらなかったわけではありませんが、私自身は旧劇場版の方が大きなカタルシスを得られました。
なぜ本作品ではそれほどのカタルシスを得られなかったのか自分なりにモヤモヤとした気持ちを整理してみました。
理由を挙げると、やはりラストシーンでシンジとマリが結ばれた(恋愛感情かどうかはわかりませんが互いに運命を共にしている唯一の存在だと感じました)というのが、綾波やアスカをさしおいてなぜ、と感じたからかもしれません。綾波、アスカと比べるとマリの心中がブラックボックスであることもマリエンドに抵抗があった原因だと思います。綾波やアスカの心中は作中で大いに描写され、特にアスカはその弱さもさらけ出していたので、アスカエンドを願っていた人も多くいると思います。
もう一つ、エヴァンゲリオンという作品を順を追ってみていく上で、碇シンジの葛藤が私にとって大きなものであったんだと再認識しました。本作品では序盤こそ碇シンジが葛藤の中にいる描写があるのですが、TVアニメ版や旧劇場版に比べると、だいぶあっさりした描写だったかなと思います。
以上が、私が本作品に物足りなさを感じた理由です。
ただ、今こうして本作品を振り返ってみると、一つ旧劇場版になかった良かったと思う点が浮かび上がってきました。それはネットなどの感想でも度々言われている「エヴァからの卒業」「大人になる」というキーワードによって表されていると思います。本作品のラストシーンではシンジが大人になっていますが、その世界は「エヴァのいない世界」であると考えられます。シンジは今まで綾波やアスカ、その他大勢の人に助けられ、迷惑をかけていました。ところが最後の最後で、仲間たちを助け、エヴァの呪縛から解き放っていきます。そしてそれは自らがその責任を受け入れてある種の自己犠牲を受け入れる覚悟を持ったということだと思います。
作中でアスカからも「自分のことしか考えていないガキ」と言ったような言葉を吐きかけられているように、シンジはこれまで自分のことしか考えていませんでした。それこそがエヴァンゲリオンという作品におけるシンジの「葛藤」なのですが、本作品でその「葛藤」があっさりしていると感じたのはすなわちシンジが「大人になった」ことに起因しているのかもしれません。
シンジの覚悟による行動ののち、最終的に母親、そしてマリによって救い出されるのですが、シンジの覚悟によって綾波やアスカたちをエヴァから解き放ったことには変わりありません。そしてそのことを知っているのは、その世界ではシンジとマリだけなのです。
そのような見方をすると、ひとまわり大きくなって、声変わりもし、大人の女性に恐れもなく冗談混じりに好意を伝えているシンジの頼もしさこそが、シンジの成長であり、葛藤からの卒業、すなわちエヴァからの卒業であるのかなと思いました。
戸惑い
リアルタイム視聴世代だけどものすごいファンでもなく。
一応なんとなくみてたシリーズ?だから、この波に乗っておこくらいの気持ちでみました。
エヴァのうり?である小難しい設定や考察は得意じゃないので雑感ですが。
とにかく画がよい。
リアルさだけなら君の名はに軍配あがるが、抽象的、心理描写的、エヴァのATフィールドに代表する精神世界を具現化する手法は真似できません。
たとえ映像技術がもっと発展しようと、Lシステム?(ごめんなさい設定詳しくない)に汚染された赤い世界、裏宇宙?でのシンジの記憶をたどり?ゲンドウと戦うハリボテ世界観、自作へのオマージュもふんだんにペンペンもでてきたり、戦闘後マリに回収される浜辺では絵コンテそのまま載せてたり
こういう遊びは完全無欠ファンタジーのジブリやディズニーにはできないし、初号機VS初号機の美麗さもアクションも、他の国のアニメではたどり着けない領域だと思います。
庵野監督とチーム、ジャパニメーションは世界に誇れます。
個人的には、いや綾波とアスカの扱い!
マリぽっとでで全部もってくやん!
いやアスカわい?
んで、最後の最後、緒方さんじゃないんかーい!涙
緒方さんなら大人なシンジくんも演じれたのでは。。
神木くんじゃなかったら許せませんよ。
かじさんの子供でてきてのはよかった。
ぶっちゃけラス前寝ちゃってミサトさんどうなったかわからん。
ストーリーはさておき、映像技術、効果編集、そしてやっと新劇場版の終劇を迎えられたことに星4つです。
やっぱQが戦犯ですね。
泣けた
テレビシリーズしか観てない状態でいそいそと行ってきた。
始終訳わかんない展開だったが、作画があまりにも綺麗でさすがアニメ大国ニッポン!と叫びたくなる美しさだった。
キャラクターのセリフ一つ一つを理解しようとすればするほど意味わからん感じになるので途中で諦めた。
親子モノにめっぽう弱い私はミサトさんの特攻シーンに号泣した。
そりゃないぜ。フラグは立ってたけども。テレビシリーズであんなケラケラしてる感じのミサトさんが親としてこれくらいしかできないと言いながら突っ込むなんて…という衝撃と戦争映画で観たカミカゼと被り号泣。
多分庵野の意図は違うと思うけど
最後の方でシンジくんをお母さんが抱きしめるようなシーンでまた号泣
静岡のリアルな風景が遠のいたところで宇多田ヒカル
これはね、スタンディングオベーションしたくなりますよ。
ファンじゃないけど
ファンじゃ無くても感動したもん
日本人だからしなかったけど
外されてしまったアンビリカルケーブルと、断ち切れないアスカへの思い
●映画を観てよかった
リアルタイムでアニメを視聴し、第1話を観た時の「新しい何かすごいのが来た!」という感覚は、今でも忘れられません。そして旧劇を劇場で観て、どえらいインパクトをたたきつけられたのが小学生の5、6年の時でした。そんな自分はエヴァと言えばアニメと旧劇で完結している人間でした。
なので新劇は、細かい設定が変わっているし、新キャラクターもいるしなんだかなと思って今まで避けてきました。しかしこの度、シンエヴァンゲリオンでついに完結するとのことで、「そういえばエヴァ好きだったし、完結は見届けなくちゃ」と思い直し、一連の作品を視聴しついに新たな完結に追いつくことができました。
結論から書くとシンエヴァンゲリオンは、一連のキャラクター達の救済と新たな門出を祝う良い作品だったと思います。そういう意味でも全体的に優しく前向きな印象を受けて観て良かったなと感じます。なによりこうして感想や考察を書きたくなるという点で、エヴァの世界観のすごさを改めて感じさせられます。
●新劇の世界観について
新劇の最高潮は「破」でした。アスカを3号機に乗せたところで、そうくるか~と思い、トウジは悲劇から救われ、アスカは旧劇での悲劇が前倒しにされました。そして最強の使徒はレイを取り込み巨大なレイになり、シンジはレイを救うために初号機を覚醒させる。旧劇のラストが再現されたことにより、旧劇のさらにその先をこの後描いてくれるのかと自分の気持ちは最高に盛り上がりました。
ところが「Q」で14年もの月日が経ち、ヴンダーが飛行しているのを観て、世界観が大きく変わってしまったとわかりショックでした。自分が好きだったリアリティが失われてしまったのです。人知を越えた力を持つエヴァを運用するためには巨大な施設や人員が必要です。なによりアンビリカルケーブルというへその緒、または足かせなしには3分しか動けない。といった弱点や制約がアニメにリアリティを与えるのだと思います。旧劇で2号機がアンビリカルケーブルを切断された後に、量産機と死闘を繰り広げる緊張感は凄まじいものでした。
それがQ以降のエヴァたちは、パイロットがみな使徒化していることもあるからなのか、アンビリカルケーブルなしに自由に動き回ります。それはまさしくアンビリカルケーブルという名の緊張の糸が切れてしまったようにも感じました。エヴァを動力とするヴンダーや、L結界を除去するシステムなどは、日本中の電力を使ったヤシマ作戦のリアリティからはほど遠く、ヴィレのメンバーもどこか別のアニメから連れてきたような人たちで、いわゆるアニメ的になってしまったのが残念な点でした。
サードインパクトが世界規模で起きたなら、旧劇のネルフ本部壊滅以上の悲劇があったと思いますし、第三村でもシンジのことを知っている、あるいは恨んでいる人がいて襲撃にあうぐらいがリアルな展開だと思います。しかし一貫して旧劇のような悲惨なシーンを出さないのは時代に合わせた演出なのかもしれません。むしろ今の年齢になって旧劇のような演出をされたら辛さに耐えられなかったと思います。事実、レイがLCLになるシーンでかなりドキッとした自分がいました。
●アスカについて
そんな自分は特にレイ派、アスカ派、マリ派でもなかったのですが、アスカ派の人が嘆いているのを知って、いやいやそんなことはないよと考察しているうちに、自分はこんなにもアスカ派だったのかと新たな発見があり驚かされました。そもそもシンエヴァンゲリオンはアスカへの思いをより一層強くする映画と言ってよいでしょう。以下はアスカ、シンジ、マリに対する考察です。
映画内でアスカがあたかもケンスケと親密そうに振る舞うのは、全てシンジへのあてつけで、やきもち妬かせたいからです。アスカは14年間も眠っていない。つまり14歳の少女のまま、シンジのことが好きである気持ちをそのまま持ち続けています。ケンスケはアスカが求めた父親の投影で、シンジにはレイ(母)が必要だったのと同じ構造。第三村を去るアスカの姿を撮影するケンスケは、娘をカメラで撮る父、ちびまる子ちゃんでいう、たまちゃんのお父さんそのものです。
マリは冬月先生以外にはアスカやシンジとの絡みばかりで、常に浮いた存在に感じました。それは新劇を終わらせるための進行役で、映画ポスターでマリだけが靴を脱いでいるのは、逸脱したトリックスターである暗示だと思います。同時にマリはシンジとアスカの間に立っているのが意味ありげです。そんなマリが「姫」と呼ぶのはアスカ。アスカは最後の出撃の時、「昔は好きだった、私が先に大人になった」と言います。素直ではないアスカの真意は「今でもかわらず好き」です。不器用ながらも気持ちを伝えたことで、最後の戦で命を賭けることができました。
アスカは思いを伝えますが、バカシンジはそれを言葉通りとって「僕もアスカが好きだった。ケンケンによろしく」といって送りだしてしまいます。その瞬間、マリが「姫、お達者で」と言うのはあきらかに皮肉。素直に気持ちを伝えないからだと言っているわけです。結果、アスカのプラグは第三村に到着しますが、そこには誰の姿も描かれていません。
●ラストシーン
正直自分は見逃していましたが、ホームにはアスカが一人でゲームをしていたといいます。つまり孤独を抱えたアスカのままです。素直じゃない「姫」の気持ちを見透かしているマリは、わざとシンジにくっつき「私がとっちゃうぞ」とアスカにけしかけます。これは最初に書いたシンジにヤキモチを妬かせたかったアスカと同じ行動です。家出したシンジを尾行していたアスカなら、記憶があるかないかは定かではありませんが、衝動的に後を追いかけるのは想像に難くありません。その意味でマリは二人の仲をとりもつ恋のキューピッドあるいは、仲をこじらせる小悪魔なのかもしれません。
旧劇ではあまりに不器用に気持ちを伝えたシンジですが、新劇ではレイのおかげで素直に気持ちを伝えることの大切さを学んだと思います。この先、二人の関係が進展するのか、ずっとお互いヤキモキしていくことが幸せであるのかは、我々にゆだねられたのだと思います。
テレビ版のラストで、エヴァの世界には想像の余地が最大限に提示されました。その意味では新劇も一つの可能性に過ぎないのかもしれません。しかし長年にわたり楽しめるエヴァシリーズの制作に尽力してこられた監督、スタッフ、全ての方々に感謝しかありません。
長文失礼いたしました。
よかった
みんな苦悩を乗り越えて大人になりましたね。
泣いて救えるのは自分だけだって言うシンジくんの言葉が刺さりました。辛い時は泣いちゃうけどね。
まごころを君にと比べるとやはりそれぞれの人物に注目し、後味の良い終結になったのではないでしょうか。
まごころは刺激的過ぎて色んな意味で置いてけぼり食らったけど、シンは鑑賞者に少し優しくしてくれた気がする(ありがとう庵野さん)
でもリアルとアニメーションが混在されてる表現は踏襲されてたね。
それにしてもゲンドウ君ユイにゾッコン過ぎん??ホントに人類巻き込み過ぎよ?ナルトのオビトとか、他に思い当たる奴いるけどね。でもそういうとことん不器用頑固一途なキャラ好き。
シンジ君も父ちゃんに似てマジでウジウジタイム長かった。終盤でいきなり大人になった表情見てビックリしたわ、違和感あり過ぎて夢かなって思った(思春期の鑑)
アスカもレイもマリもよく頑張ったね…やはり女性ツヨシ。アナザーインパクト含め数年分の女体を見た気がする。
取り敢えず長々書いたけど個人的にはいいラストでした。
エヴァの呪縛とは、選ばれし運命の子供たちとは、謎は謎のままだが計画は阻止されたか…のか?
見事に完結。
公約どおり全てのエヴァを掃討した。
そして、イジケ少年は父親との直接対決によって遂にその成長を認めさせ、青年となった。神木隆之介というサプライズ(自分は知らなかった)まで。
…ああ、この最後の最後に青年碇シンジの姿を示すために、今まで長いイジイジ期間があったのかと、自分の洞察力の低さを痛感した。
父と息子の決戦から終劇までに見せる映像が、かつてテレビシリーズや旧劇場版では早すぎて不完全燃焼だったものを洗い替えて見せたかのようだ。
アニメーション表現の追求においても、そのベクトルにブレはなかったのだと感心しきり。
アスカの徹底的なスケベアングルや、レイ(そっくりさん)の無垢な少女演出などに見られる“オタクぶり”も同様だ。
マイナス宇宙だか何だかはつまりインナースペースだったのか、精神(魂?)世界で展開する対話による親子対決は宗教的だ。
スターチャイルドばりの巨大綾波ユイを見ると、やはり『2001年宇宙の旅』の影響はあると思う。
碇ゲンドウと冬月は綾波ユイを取り巻く三角関係だったのか、ユイを求める探求道は狂気的だ。ユイが神(のような存在)だったと明かされたが、ゲンドウと冬月がいかにして人あらざるものに変異したのか、ユイの子供であるシンジは結局何者だったのか…と、物語は混沌と混乱のまま大団円を向かえた気がする。
結局、謎解きのキーはばらまかれたが、それぞれの鍵穴を探すのは観客の宿題となった。自分はコアなファンではないので模範解答を示せないが、様々な人たちが模範解答を出し合う楽しさは、優れた「物語」の醍醐味でもある。
一見さんに気を遣うことなくマニアックなコアファンの想像をも越えている(コアじゃない自分が言って良いことではないが、多分、きっと、そうでしょ…)のは、正直アッパレだ。
少年シンジに惚れていたレイとアスカが同じような複製だったとすると、レイがそうであったようにアスカもシンジに惹かれるようにプログラミングされていたのだろうか?
エンディングシークエンスで、青年シンジが手をとったマリは大人だった。
この作品が、大成功をおさめた『シン・ゴジラ』と鋭意制作中の『シン・ウルトラマン』に挟まれていることにも意味があるだろう。
アニメーションの枠を越え、実写特撮を凌駕する驚愕のカメラワークと流麗な動作の迫力と美しさは、シリーズ集大成として燦然と映画史に足跡を刻むだろう。
ゴジラシリーズやウルトラマンシリーズへのオマージュも散りばめられていた。
個人的なことだが、アスカたちが戦いながら叫んでいる台詞、特にアバンタイトルのパリ上空でのバトルシーンなどで、何を叫んでいるのかさっぱり解らなかった。歳のせいにしたくはないが、動体視力ならぬ“動音聴力”が衰えているのだろう。
『シン・仮面ライダー』が楽しみ!
全396件中、61~80件目を表示