シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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謎は残るが良かったと思えた作品
最初に大まかな感想を述べるとしたら「いやぁ終わったなぁ……良かったなぁ…………えーと、つまりどういうことだってばよ?」という感じだった。
上手く日本語が使えないが以下感想
一応アニメ、貞本エヴァ、ゲーム、旧劇、新劇、パチスロと大体は見てきた。だからこそ今作の終盤は見てて「あのシーンのリメイクか!」という場面がいくつかあった。1例としてゲンドウの旧劇とシンエヴァで共通のセリフがあったのだがそこで旧とシンでゲンドウの結論が変わったのはかなりグッときた。
また、ミサトにも同じものがある。ここは興奮が抑えられないのでネタバレありで書くが旧劇ではミサトはシンジに「いってらっしゃい」と言い送り出し、散った。
それがシンエヴァではシンジと話し、「いってらっしゃい」と言い、シンジは「いってきます」と言った。ここだけで泣いた同士は多いはずだ。多分。ミサトはシンエヴァでも同じく散ってしまうがシンジに世界を託し、2人の母として、美しく散った。泣いてまうやろこんなん。
ここから少し感情的な文が目立つやもしれん。そこは優しい目でスルーして欲しい。
本作のキャッチコピーでもある「さらば、全てのエヴァンゲリオン」だが最後のシーンを見る限り全然サラバしてないエヴァンゲリオンがいるような気がする。
エヴァシリーズや4号機、甲、乙号機達はどこへ行ってしまったのだろうか。
仮にこれが「サラバするのは新劇のエヴァだけです」だったとしても胎動するエヴァ8号機さんはどうなったのだろうか。まぁ話の流れ的にはエヴァ8号機になったと考えるのが妥当だろうが。そこまでのストーリーはどうなったのだろうか。
というか新劇はアニメ版のリメイクのはずだのにジェットアローンがほぼほぼ出ないではないか。いやまぁ新2号機の1部となっていたが。なぜジェットアローンをそのままの姿で戦わせるなり出すなりしてくれなかったのだろうか。尚これは完全なる私怨であり正直完全にスルーで構わない。
最後に、わたしは穏便派LAS厨である。
絶望的な終わり方
自分は2000年ごろエヴァをレンタルで見てハマりました。
エヴァのブームも去った頃で、エヴァについて語る人も周りにいなかったですがそれでも好きでした。
20年好きだったエヴァの一番最後の映画ということで、シンエヴァはとても楽しみにしていました。
ですが、結果は残念極まりなく、
自分はこれを機にオタクをやめようと思いました。
冒頭はエヴァらしい軽快な戦闘シーンで始まります。
ですが、その後の第3村のシーン。
とにかく長い。長すぎる。
黒レイが主役かと思うほど農業のシーンやら子どもをお世話するシーンやら図書館に行くシーンやら風呂に入るシーンやらが続きます。
そして、落ち込んで寝込むシンジ。
とにかく長い。長すぎる。
ずっと寝込んでる。
この時のシンジは失語症になっていたとどこかで見ましたが、映画内で失語症への言及はなかったと思います(2回見ただけなので見落としたかもしれませんが)。
そして、アスカは裸でシンジの前に現れ、それに対し大人になったケンスケがアスカにタオルをかけます。
アスカは何故かケンスケをケンケン呼びです。
男女の関係があることを、さりげなく匂わす演出です。しかし、結局アスカとケンスケが恋人同士であったかは最後まではっきりしませんでした。
何故監督がこのような、ケンスケとアスカがカップルであることを匂わせるような脚本を作ったのか全く理解できません。
加持リョウジという少年がでてきます。
ミサトと加持の息子です。
14歳です。
あれから14年経った世界でミサトの息子が14歳と言うのなら破のラストの時点でミサトのお腹が大きくなっていなければおかしいと思うのですが14歳です。
加持リョウジ少年は良い子そうでした。
しかし、加持リョウジ(親のほう)の去り方は尺の都合なのかあまりにもあっけなく、加持リョウジ(親のほう)の扱いがあまりに雑で可哀想になりました。最後の方でもまた扱いが雑で可哀想になります。
途中の諸々について。
アスカは昔、シンジのことが好きだったと告白に行きます。でも私の方が先に大人になっちゃった、とも告げます。
個人的な意見ですが、『シンジを好きなアスカ』を好きだった私にとってはこのシーンは悲しくも、良いシーンだったと思います。
そのぶん、序盤のケンケンとアスカは、こんなのアスカじゃないと目を覆いたくなりました。
ちなみにアスカの告白の前に、『だーれだ?』とマリがシンジに後ろから目隠しし、『ヒント、乳のでかい、いい女』と言います。
これがまさか最後のクソみたいなエンディングの伏線になるとはこの時思いもしませんでした。
シンジによる補完計画が始まります。
シンジが登場人物ひとりひとりに語りかけます。あなたは本当はこう思ってたんだよね。僕はこう思っていたよと。
この時、唐突に渚司令という存在が加持リョウジ(親のほう)と一緒に出てきます。
渚司令は碇シンジを幸せにすることで自分を幸せにしたかったと言い始めます。加持に対して『カヲルって呼んでよ、リョウちゃん』などと言います。この人は一体誰なんだろうと思いました。
渚カヲルは、使徒であり、
碇シンジのことを好きな少年であったはず。
しかしここに出てきたのは、謎の渚司令という人物でした。
クライマックス。
旧劇に続きまたしても巨大綾波。CG丸出しの巨大綾波。旧劇の巨大綾波の方が美人だったと思います。
首のないマネキンの行進。そして、天から降り注ぐ人々。猫を抱きしめて微笑んでる女性やらなんやら、色々な人間が空から降ってきます。誰なんだよ。
急に駅のホーム。これは庵野監督の地元の駅のホームだそうです。庵野がさっさとエヴァから解放されて実家に帰りてーよアピールなのでしょうか。理由はわかりません。
スーツを着た、社会人らしいシンジっぽい男が、後ろから『だーれだ?』と目隠しされます。
『胸の大きい、良い女』と答えます。
誰なんだよ、お前は。
碇シンジはそんな奴じゃなかっただろう。
そもそも、声、神木隆之介じゃねーか。
26年シンジを演じてきた緒方恵美さんに対して申し訳ないと思わないのか。監督ってきっと、人の心が無いんだね。
そしてもはや面影すらない、薬でもキメてんの?ってくらい目を見開いた大人シンジらしき神木隆之介が、マリの手を取って行こう!と階段を駆け上がります。
そして監督の地元の駅(何故か実写映像)から飛び出すマリとシンジ。
流れ出すエンディングテーマ。
いったいなんだったんだろう。この映画は。
黒レイは農作業を散々させられた挙句、シンジに名前もつけてもらえず、ネルフから離れたら生きられないとかなんとかいう理由で消滅させられ、
ケンスケとアスカはカップルにさせられて、
シンジはマリルートエンドみたいになってて、
いったい何を伝えたかったんでしょうか。
これが、90年代に社会現象を巻き起こしたアニメの最後なのか。
エヴァをずっと好きだった私の気持ちは何だったのか。
極め付けにとどめを刺してきたのは、入場者特典の公式の薄い本でした。
作画監督のとある人物がカヲレイ夫婦と子供のシンジのイラストを描いてネットで大炎上したあげく、
ラジオに出演した緒方恵美さんにこれはあくまで同人誌です、とフォローさせていました。
いや、同人誌って、そんなにポピュラーなものですか?
同人誌ってオタク界隈のみで楽しむ物ですよね?
エヴァって、大人から子供まで楽しめるエンタメみたいなツラしてのさばってるのに、同人誌を入場者特典にしちゃうんですか?
シンエヴァはどうしても100億行きたいのか、舞台挨拶だの入場者特典だの必死にやってますね。最後の悪あがきに。
どうして100億行かないのか、関係者さん、誰もわからないんですか?
この映画が、エヴァオタクにとって期待外れだったから。ただそれだけです。
私は現実に帰ります。もうアニメは一切見ないです。
監督の気分一つで、いくらでもキャラクターの性格が変わるなんて、もうこんな気分は味わいたく無い。
ありがとう。現実に帰してくれて。
一刻も早く、エヴァというクソアニメの存在が消えるくらいの大ヒットアニメが生まれてくれますように。
エヴァファンの皆様、卒業おめでとうございます。
かと言って、私も卒業。
新世紀時代からずっと変わらぬテーマ。
『大人になろ』
『ニートやめて、仕事しよ』
2度目、観賞後…
テーマは、
『妻への愛』
マリが鼻歌で歌ってる『世界は二人のために』が全てを物語っているように思いました。
愛妻家って素晴らしい。
友人の代わりに
1 はじめに
私はエヴァ初心者であり、にわかだ。
これを書くにあたり友人の見識や考察サイトから色々なものを補完し、いまこれを書き連ねている。
私とエヴァの出会いは中学生の頃だった。
当時周りはヤシマ作戦で盛り上がっていたと思う。その頃、何故これがこんなに面白いと言われているか正直分からなかった。
おそらく、当時や今含め私はシンジのことが分からず、好きとは言えなかったからだと思う。
ただ、周りの熱狂はその後も数年あいては再熱し、鎮火し再熱することを繰り返していた。
その間に、当たり前のように私も歳を重ねて行った。
そういう過程の中でエヴァンゲリオンに面白さを、親しみを、愛着を抱いたのだと思う。
今回、シンエヴァンゲリヲンを観て、ああ終わってしまったのだと思った。片手間のように追ってきたこの作品に対して一抹の寂しさを覚えた。それこそが、にわかでも私がこの作品を好きだと言える証明かもしれない。
2 シンジとアスカ、マリ
アスカとシンジがあの形で終われたことに嬉しさがあった。どちらかと言うと、エヴァの醍醐味であるシンジへの好意と嫌悪よりもアスカへの投影が私にはあったからだ。
そうとは限らないことを前提に書くけれど、幸せになりたいと思えるひとと幸せになることは割と難しいことだと思う。この人が好きとこの人と幸せになれるは意味が違うことがある。
学生の内の恋愛はとくに、大概歳の近いひとと付き合うので、同じ速度の同じ温度感で成長できないと距離や理解が遠ざかってく気がする。
上手く噛み合わないまま恋をし続けるのは結構大変だと思う。
私自身が初恋を拗らせ、何年も沢山のことがあったからかもしれないけれど。
好きだなと思う反面、未来も幸せもそこにはない。
Q前日譚の中ではアスカはシンジが死んだものだと一旦理解してるのも理由のひとつ。
だからこそ、最後に明確にアスカとはそうならないよと庵野が言ってくることは現実だなとおもうし、くっついていたら安っぽいなとすら思う。(庵野がエヴァにおいて掲げてるテーマに現実を生きろというのがあるので)
成長の先で新しく現れた相手と幸せを望むのは現実的思考で、マリがシンジを迎えに来るのは自然かも。
最後、惣流が救われたのも良かった。14年間あの海辺で待っていた惣流は式波と同化して救われた感じがして、この辺に庵野が全てのエヴァを回収して終わらせようとしてるが見える。
3 ゲンドウとシンジ
ゲンドウの独白は本当、ゲンドウさあ…である。
孤独な幼少期を選び、人と関わることが嫌であることはいいけれど、シンジに同じことを押し付けているのはどうなんだと思ってしまう。
ユイに会ってわたしの世界が変わったなら、それ以前に自分から動けばもっと変わっていたのでは?ひいては、シンジが生まれる前にもう少しコミュニケーションを覚えられたのでは?という。
これについてはもうどうしようもない所だし、生きている誰かを傷つけそうなのであまり言えない所ではあるけれど。
作品としてはゲンドウの人間性の理由や想いが伝わってエヴァの解決に向かうのに必要な所だったと思う。
シンジがかなりゲンドウに近しい道を歩んでるのも分かる。
それでも、シンジが一歩先に成長した。
何故か考えた時、特異点はケンケンとトウジという純粋な友達がいたことなのかなと思う。
メタ的な視点になるが、14年後のケンケンとトウジが第三村でそれぞれ色々なものを乗り越えている世界線だから特異点になり得ているので、昔の友達の形ではシンジはエヴァを終わらせられないとも思うけれど。
トウジは感情に任せてシンジを殴らないし、ケンスケは裸のアスカをみてもはしゃいだりしない。どちらかと言うと、シンジの方が少し捻くれた大人びた雰囲気であった。
14年間の間に2人は成長し、ただ静かにシンジに寄り添っていたからこそ、第三村の綾波をまたしても目の前で失ったことから進もうと出来た。
アスカが生きるための尻叩きをしてくれ、2人がそのままの自分を受け入れて待ってくれている。
シンジの「なんでみんなそんなに優しいんだよ」色々集約されてる気がする。
4 ゲンドウとカヲルくん
ゲンドウとカオルくんは近い存在であることがシンエヴァで分かった。
ピアノの連弾はもう一つの親子の形か??
もちろん同一人物足り得ないのでこれは拡大解釈すぎるが。
ゲンドウもカヲルくんもシンジの幸せを決めつけ、シンジの幸せを見つけれあげられなかった点でも合致しているのかなと思う。
ゲンドウがシンジに注ぎたかった愛情をカヲルくんが持っているって言うのが近いかもしれない。
宇部新川駅でレイとカヲルくんが一緒にいるのもユイとゲンドウの再会になのかもしれない。
最後の方のシーンでカヲルくん自身がループしているので視聴者もループを観測している側か?
冬月が都合の良い逆行はないとも言っていたのでこの辺は少し曖昧。
5 ミサトさん
これまでのエヴァ作品で、ほぼ毎回ミサトさんはシンジがすることへの責任をもつと発言している。
これについて私は漠然と薄いなと感じていて、世界観として仕方がない部分があるのは前提として書く。
大体の場面において責任の所在を作ろうが責任は果たせないし、シンジの保護者という点でもシンジがしたことをシンジ自身がミサトさんに預けられる所ではない。シンジは目の前で身体で体験をしてしまっているので。
けれど、今回のミサトさんの「責任はわたしが持ちます。」というのは不思議と本当にその気があるぞと思わせてくれた。(もしかしたら、ミサトさんも私もあの場面のシンジに幼さを感じなかったからかも?)
これについては、割と漠然と思っていたことで感覚的なものなので、結末からの影響もあると思う。
それでも、14年たって28歳だったミサトさんも大人になったんだなと感じたし、母親になったんだとも思える場面だった。
また、カジさんの最後を知ってQでのミサトさんの態度にも納得した。
6 庵野
エヴァンゲリオンは庵野の私小説だと思っている。
少し調べたところQの後精神的にきつかったと聞く。
シンゴジラをやってみないかとか、ジブリの声優をやってみないかとか誘われたのは、庵野にとって休息と周りからの優しさを実感する機会だったのだろう。
だからこそ、シンエヴァでシンジは周りに助けられ前を見ることを決められ、ああいう終わりを見出せたのだと思う。
それまでのエヴァンゲリオンという作品は庵野しかり、視聴者しかりこじらせまくったもの。というか、拗らせてるからこそのエヴァンゲリオンとも言う。
最後の駅でのシーンも実生活で庵野が結婚したことも関係あるかなと思う。
シンジは自らの贖罪のためDSSチョーカーをつけているが、マリがそれを外す。
シンジ(庵野)を許し、救い、共に生きるのは、アスカやレイ(過去の女性)ではなく、新しく突然現れたマリ(安野モヨコさん)という所も反映されていそうだ。
7 ありがとう
ここまで書いてきたが、なんでエヴァが好きで、庵野のことを絶妙に雑に扱ってしまうのかはエヴァが庵野の私小説でシンジもゲンドウもおそらく庵野であったことを最初から感覚的には知っていたからなのかもしれない。
エヴァの呪縛で年を取らない子供のままのシンジは、いつまでもエヴァ(自分にとって居心地の良い世界)を卒業できない私でもあるので、完結ありがとうと言いたい。
エヴァがエヴァのままきちんと落とし前をつけれくれたことに嬉しさがある。
とにかく、製作者や鬱の庵野を支えてくれた方々、宇多田ヒカルありがとう。
8 蛇足
箇条書き感想
重複等あったらすみません▽
・庵野はシンジだと思ったらゲンドウか?
・シンクロ率無限大♾笑う
・パリ以外パチスロ感強い(新カットはマシになった方)
・アスカがシンジにレーション無理くり食べさせるシーン、シンジがまだ人間としてていをなしてる上に情けなさがあって良い(新カットは画角変わって薄れる)
・もしかしてゲンドウの眼鏡われすぎ…?
・綾波が第3村で爆けるシーン分かってたのにびっくりするし悲しい
・デカ波の恐さ
・ミサトさんの反動推進型エンジンね聞けて良かった
・綾波いつでも3歳だな
・シンジとゲンドウ戦うところ刃牙みあった。家で普通に戦ってるところとか
・その後精神性の会話する所はエヴァ
・エヴァは観測者視点からのループか?
・みんなコミュニケーション不足すぎでは?エヴァに関わると大人も成長遅くなるのか?
・大人役のシンジ神木隆之介声良い
・現実を生きろ
正直疲れた…
エヴァは序に始まり、漫画、その後の新劇場版と進んでいった自分ですが、何というかこれまで以上に「考えるな感じろ」感の押し付けがすごい。
元々、作中の専門用語や世界設定への説明が少なかったが、今回は更にそれが多い。また、キャラクターの心情の描写にしても、アニメや漫画はじっくりと見たり読んだりすることで、こちらが理解し、キャラに感情移入するようになるものだが、新劇ではキャラの掘り下げやキャラ同士の絡みが少なく、アスカが昔はシンジのことが好きだった、なんて発言をされてこっちはえぇ…っていうリアクションしかとれず、全く理解できない。また、設定が漫画、アニメ、新劇と微妙に異なったり大きく異なったりして頭がこんがらがってしまう。常に見る側として頭をフル回転させねばならずとても疲れた…。
そして、ラストでほぼ接点がないレイとカヲルがくっついているのをみて思わず気分が悪くなり、漫画ではラストに出てくるはずのアスカが全くいなかったりともやもやするところもあった。
とりあえず、エヴァが好きという点で星2にしました。
追記:他の人のコメントをみたらラストにフードを被ったアスカが居たらしく、全く気がつかなかった…
10回観て感じた違和感
※貞エヴァ夏エヴァ履修済み。TV版もリアタイ世代ではないですが観てます。
アンノ監督の私小説というメタ的側面からするとハッピーエンド大円団。だと評価できます。
が、10回観てふつふつと違和感が言語化されてきました。
以下、良かった点と悪かった点。
素人の呟きですので、悪しからず。
◎良かったところ
これまでのエヴァンゲリヲン新劇場版
→綾波ボイス×エヴァ文字
いいですね。すごくエヴァっぽい気がします。エヴァ文字と綾波ボイスは良い組み合わせ。エヴァのヒロインはやはり綾波です。
レーションがしがしアスカさん
→やたらと凝った撮り方してましたね。面白かったです。が、そんなに力を入れるべきシーンなのかは非常に疑問。マリがヒロインならマリにやらせるべきだったと思います。
サクラとピンク髪の娘が銃を向ける場面
→ピンクちゃんはウザがられがちですが言ってること正論だと思います。初見でかなり印象悪かったですが、2回目、3回目と観るうちに納得しました。みんなでシンジ君ありがとう。だと内輪すぎて違和感があるのでその他の人の立場としてあの場面は良かったです。
ミサトさんが髪を下ろす場面
→ありがちな感想で申し訳ないですが、サングラスかけ始めてからTVシリーズからお馴染みのミサトお姉さんがいなくなった気がして寂しかったので最後にいつものミサトさんが見られたのは良かった。
幼少アスカの『作画』
→前後関係は不明でしたが、文句なしの可愛さでした。セカンドインパクトで常夏なのは日本だけなんですかね。
◎イマイチだったところ
音楽
→シンエヴァを観てからアニメ版や序破Qを改めて観ましたが面白すぎてびっくりしました。今作は音楽の印象が弱すぎます。ヤシマ作戦のテーマ並みの曲が欲しかった。というか越えられないなら序破やアニメ版の緊迫感のあるBGMを使って欲しかった。
第三村
→眠い長い。必要なシーンだとはわかりますが、もう少し短く出来ないものか。朝一で9回目のエヴァに行ったときあの部分は寝ました。エヴァは序破Qを軽く観たくらいの同行者と行ったときには訳分からんと言われていました。アヤナミレイ(仮称)がとても可愛いことしか伝わりません。
マリというヒロイン(?)
→ここですね。これが一番地雷でした。
メインヒロインに格上げするならにゃーにゃー言ったり趣味の分かれそうなキャラクターにせずに霧島マナくらいの設定にして欲しかった。彼女自体は嫌いではないのですが、アスカを可愛がるお姉さんのイメージが強く、彼女が姫と呼ぶアスカから主人公を取り上げてしまうのはわからんです。そもそも(新劇とは関係ないですが)貞エヴァの『夏色のエデン』の印象が強すぎて、母親世代の人をヒロインにするのはちょっと......。破ではめちゃくちゃレイがヒロインしてたのに意味不明です。「綾波ッ、来い!!!」はどこへ。マリとシンジだとお姉さん感強すぎませんかね。非オタクの友人は彼女の鼻歌とにゃーにゃーに引いてました。
ケンスケとアスカ
→この二人がくっついた/今後可能性があるとも思えるように描く必要があったかは不明です。アスカはエヴァのアイドルだったと思うのでシンジ以外ならわざわざ誰かとくっつける必要はないと思います。
神木くん
→神木くん自体は好きですが、突発的すぎて。緒方さんに最後までやって欲しかったです。
ラストシーンについて①
→碇シンジくんは28歳になっても「胸の大きい良い女」とか下品なこと言わないと思います。良い女はまだしも胸とは。あれ誰ですか?そういう意味では緒方さんの声を使わなくて良かったかもしれません。もはやマリ姐さんの求めた世界のシンジなんじゃないですかね。
ラストシーンについて②
→そもそも大人になったシンジくんが一人で駅から出て行くので良いのでは。個人的にはそれが一番良かったと思います。アンノさんと妻というメタ的解釈に行き着いてしまいますね。
One Last Kiss
→良い曲ですがBeautiful worldに比べると尖っていないというかイマイチだと思います。残酷な天使のテーゼで良くないですか。(あくまで個人の感想です。)
『なんかよくわからないけどすごいものを見たという気持ちにならない』とどこかの評論家の方が書いていた感想に同意です。私は夏エヴァで補完して終わらせようと思います。
これは平和でポップなエヴァですね。
別物として受け入れます。
アンノさんが現在幸せなのは大変いいことですし、関わってきた皆様には長年ありがとうございました。お疲れ様です。が、
妻への熱烈なラブレターにエヴァーを巻き込むのは御免こうむりたいニャ......
おさらばです。全てのエヴァンゲリオン。
サマーウォーズ???
あるきっかけで序が終わった頃から取りつかれ、破、急も封切一番で観賞した日が昨日のように思い出され、終わりを受け入れ作品に向かうまで3月かかり劇場に向かいました。
まずは、終劇に導いてくださいました皆様へ感謝します。
興行的には、前作でボロクソにされた仮称綾波が、今回は多少可愛らしいキャラに戻り少し安心。じゃなきゃ、キャラ商品売れませんよ。
しか~し!!、最後の最後で大どんでん返し。現世に戻り、最後、駅の3番ホームに入線する単行電車のCGが全てを台無しにした。単一直線移動であまりにもに甘い。NHK特番であれまで拘り見せてたのに、普通の作品にも劣るじゃん。電車も左右に揺れるし、パンタグラフも跳ねるんよ。最後の最後に手ェ抜くんじゃねーよ!
ちなみに妻のコメントは、ただ一言。サマーウォーズかよ。だって。
サマーウォーズ…確かに言われれば半分はそうかも。
スイカの苗が青々繁る、夏の思い出にリピート♪ 終劇
大作。見てよかった
良い評判を聞かなかったが、全然良かった
いい評判を聞いてなかったので、公開から時間があるときに見ようと思っていたらこんな時期に
期待もせず、せっかく前の映画まで見てきたから見ようと思ってみたら、すごかったやっぱり
戦闘シーンも葛城さんの元の髪型が見れたことも、げんどうさんも悩んでたことも
ただTV放送を見てただけだと、ここまでよかったと思わなかったと思う
オリラジあっちゃんの説明動画やら、エヴァのクイズ番組の動画、都市伝説でのシンジ役の収録エピソードだったり、
いろんなファンのひとの解説や情熱にここまで連れてきてもらった感じがする。
感謝さえしています
展開の早い戦闘シーンも、覚醒シーンも、それだけで胸をアツくさせて、気持ちを湧き踊らせるが、
それだけでなく、日々なんとなく抱えていた、誰にも言えない不安みたいなものを代わりに言ってくれて、誰もが持ってる感情なんだと気づかせてくれ、
「この世界は美しい」ということを、ストーリーやら脚本やら製図の緻密さで、ほんとにそうなのかもしれない?と思わせてくれる
虚構対現実
どれだけ庵野さんが意図したことを汲み取れているかわからないが、凝縮されたエネルギーの塊をもらった感じ
2時間半強、長いとも思ったけど、この時間でこんな気持ちになれるんだったら短いのかもしれないと思った
発案から何年もかけて、生命を賭してる感じも、説得力を持たせるというか、
こんなに長い時間をかけて、この間にも恐らく想像もできない努力や労力、充実も、色んなものを置いていってくれた感じがする
加持さんやミサトさん、ゆいげんどうさんじゃないけど
1800円も高くなかった気がする
映画館で見てなかったら後悔はしてたと思う
また見たいかと言われたら見たいが、体力的に、一人で寝っ転がって、休憩はさみながら観たい
あとは、相変わらずのわけわかんないところも、気持ち悪いのも良かった。
いつか理解したい
☆4.8くらいをつけたいです
あとは、宇多田ヒカル
今でもよく宇多田ヒカルのアルバムを聞くが、Beautiful Worldは映画と相まって、聞いていて神秘的な感じがして、日常生活においても聞き始めると気持ちが持っていかれる
ゲーム『キングダムハーツ』中の『光』もそうだったが
劇中では、現実の駅みたいなところから曲が始まり、エンドロールが終わるまで、作品の終わりの寂しさを、ネガティブなものから「この世界は美しい」っていう勇気をもらう
ほのかに力強く
最後の最後、監督の名前でエンドロールが終わるところで、ここまで、すご、と思わせられる映画は少ない気がする
わかる人にはわかる映画
三回見てきました
変更点や特典もふくめて満足しました
シンは見ましたが 昔の旧劇のまごころを君には 一種の芸術ともいえる映像でインパクトもありますし好きです あのラストのサードインパクトは わかる人にはわかる内容をはっきりだしてます
都市伝説やもろもろ知ってれば表現したいことはだいたいわかります
それにたいして 今回のシンは 曲もそうですし 各シーンが対比になってるところもあります
旧劇は 甘き死よ来たれ
心身は 日付のない墓標
人の死にたいして 絶望と それをうけとめる未来
りつ子さんの 銃のシーン
まごころを君にでも 最終的にシンジ君は絶望のはてに 世界をひとつに望まないでいましたが テレビシリーズでも旧劇でも 心の葛藤と成長はあったものの 今回父親をとめ 人の死を乗り越えるということをして より心の成長を描いてました
背景もいわゆる宗教や 都市伝説もからみつつ ゲンドウとのシーンは精神世界を描いてて かなり深い映画ですので 表面上だけでは見てはわからないと思います
エヴァンゲリオンは世界でも日本でしか作れない映画です
それは間違いないと思います
宗教とかで問題になりますし 繊細なメッセージはなかなか難しいですからね
現象世界でも いろんな世界の可能性を示してくれているのです
あの 第三村はすごい大切なメッセージかなと思います
×エヴァだからすごい ○すごい映画だからすごい
エヴァと言えば難解なことをこねくりまわして言わねば……というような流れが年月を経てユーザーの間で勝手にできてしまっていたが、本作はその必要が全然ない。かといって全編が説明的であるかというとそうではなく、
・難解な内容を説明しきった作品、ではない
・そもそも描かれていることがシンプルな作品、である
そして
・そのシンプルさは、人間の根底に響くどこまでも深い「王道」の良さである
という完成を果たしている。
シンジという1人で世界の命運を背負わされた少年に、シンジになれなかったただの大人達になった元少年少女たちが温かく接して、シンジは少年から青年へと成長し、成長を止めてしまった父と父の用意したエヴァを超えて、自分の世界の一歩を踏み出す。
遠い過去にエヴァンゲリオンを視聴し、シンジ=世界の命運を握る力を与えられ、悩むことを許された中学生に憧れた少年少女であった私たちは、彼のような世界の中心にいる存在にはなれないまま、その後の混沌とした十数年・二十年をなんだかんだ生き延びて、すっかりおっさんおばさんになってしまった。というか、もがいていたら、なれた。いろいろあったけど、本質はほぼ変わらないまま、ちゃんと生きてる。その凡なる私たち(はっきり言ってケンスケ)が、特殊な力など持たずともシンジを助けて結末を見届ける構図は、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」にあまりにもふさわしい筋立てだ。
かつて「特別な少年」で、憧れや嫉妬の象徴であったシンジが、今や応援の対象になっている。
そしてエヴァは性能的には盛りに盛って凶悪化しているのに、画面の隅で子供のケンカのような戦いをしている程度に封じ込められていく。書き割り、撮影現場。「作られたもの」だった。憧れ求めていた力がちっぽけだったと私たちが俯瞰したそのとき、シンジもまたエヴァの力ではなく自身の言葉で父を理解して、父とは違う一歩を踏み出す。倒す、というよりは独立する。
言ってしまえば「少年少女の独り立ち」という実にジブリ的な脚本なのだが、冒頭の引きや演出などエンタメ的な配慮、最新技術も駆使してどこまでも貪欲に追求された映像表現など、
・「非常によくある強い脚本を」
・「今の人間の限界でつきつめてみたらどんな作品になるか」
・「それも、エヴァの終わりということで」
という、天才たちの挑戦ここに極まれりという内容になっている。
3時間という尺があるが、夢中になっているうちにあっという間に終わってしまった。エヴァQは個人的に「最低」とすら思える出来だったが、エヴァQが前編でシンエヴァが後編として一気見すれば、普通に良作以上に思えてしまいそう。
ここまでシンプルな「映画力」で勝負してくる、最高点を打ち出すとは全く思っていなかったので、大満足な結果となった。「エヴァだからすごい」ではなくて「すごい映画だからすごい」。王道脚本の手堅さは当然として、それを他を突き放すレベルの映像で表現しきっているのだから、進歩を止めず一段階も二段階も上を達成した製作チームに拍手を送りたい。声優たちも歴戦となったプロ中のプロばかりで、一切の妥協無し。プロフェッショナルたちが挑む世界観を完璧に表現してくれている。
「手堅い脚本」「声は話題性起用」「いつもの絵」で「これがアニメ映画だよ」としていた人たちが、一番焦っているように思う。とくに声優たちの一切の妥協がない(ゆえに話題性もない)座組については、作り手として格の違いを見せつけられたと言われても仕方がない。完全に軸をかぶらせて前ではなく上に行ったので、これはこれでシンジのゲンドウに対する決別というか独立なのか。まあそんなことはさておき、この映画は面白く、素晴らしかった。
新劇場版は、4作を通して大傑作となった。
気持ちよい!
本作は2回観ました。最初はシン・エヴァ序から予習した上で鑑賞し、序からの伏線とQの謎解明まで一連の物語として清々しくまとまった、良作の感想でした。
その後、改めてTV版から旧劇場版を見直し、2回目を観た時、庵野監督の描きたかった内容と旧版で出来なかった事がシンで出来上がったことが理解できたような気がして、ものすごく感動してしまいました。
特に旧劇場版ではアスカから気持ち悪いと言われ、子供のまま終わったシンジが、シン版ではアスカを救えるくらい大人になった、その過程とラストが心地よく、実は母にずっと守られていた核心の部分は涙ものでした。
TV版から25年余り、一つの大きな物語が補完され、監督、声優、スタッフ全てにおめでとうと言いたい感じです。
全て含めて現実の世界
序盤
当たり前のことが幸せ。
って思わせたいのか?と
農作業や自然、人の温かさなど
日常のありきたりなことを繰り返す演出に、
エヴァとしてみると、ガッカリだった。
また心を閉じるシンジにも腹が立ってくる。
が、やっぱりこれでは終わらない。
心を開き出し、幸せを感じ始めると変化が訪れてくる。
シンジの心が開き、父と向き合っていく
成長を感じる。
それぞれのキャラの気持ちが吐露されていくことで、
最期感が炸裂
撮影スタジオの背景になると
現実感に戻され、
アニメと現実との葛藤の中の様に感じる。
NHKの庵野さんのドキュメントを観た後だったからか、
これが庵野さんの思いの様に感じる
エンディングでは
アニメの前の線画
現実と2次元と3次元が混じり合うよな印象だった。
なんとなく
清々しいというか、爽快というか
もどかしさを残しながらも
達成感を感じた。
マジで終わらせた…
これが終わった直後の素直な感想。
それは段々と喪失感に変わり自分の中で2度目のエヴァの終わりがズンと押し寄せてきました。
あれだけ『本当に終わるのかよ?w』『結局また続くでしょ』なんて言っていたのにも関わらずに。
Qから数年の間ネット上には色々な考察や憶測が広がり、ファンの中には僕も含め色々な人が自分の中の理想のシンエヴァ像を作り上げてたのじゃないかと思う。
結果、自分が観たかったエヴァではなかったが素直に面白かった。素晴らしかった。
庵野監督自身の投影とも取れる内容で庵野監督がエヴァンゲリオンと言う作品とガチガチに向き合った渾身の1作だと感じた。
本編冒頭のパリのシーンは既に公開されていましたが、エヴァに関しては本当に本編に入ってるかも怪しい所でしたが公式通りの始まり。
そして歩く3人のパイロット。
シンエヴァはQではなく旧の続きになるかもしれないなんて考察されてた方が居ましたがガチガチにQの続編です。
本当に安心した。
Qで撒いた謎や伏線の回収はやって貰わないと観てるこっちは堪りませんからね笑
意外だったのはここから。
殺伐としたQとは少し雰囲気が違い、第三村の生活を割と長い時間を使い描かれてます。
お馴染みのトウジやケンスケ、ヒカリなど28歳になったメンバーはそれぞれの幸せを見つけ暮らしています。
『そっくりさん』と言われる綾波の初期ロットの感情を学ぶ一連の流れや、鬱モードだったシンジの立ち直りをちゃんと描いてくれており和やかな雰囲気。
Qを観た後の人間からすればある程度いろんな意味で覚悟して観てると思うので拍子抜けしたと言うか、観ていて安心した。
ただ、ネット上でも一部ファンが怒っている部分『アスカとケンスケの関係』もここでぶっ込んで来ました。
正直あの状態のシンジに裸のアスカが隠す素振りもせずケンスケと話をする様子を見せるのはまさに地獄。まさかとは思ったが内心『マジか…』と、、
結構な叩かれ方をしていますが僕個人としてはこれまでアニメシリーズからアスカは報われておらず悲惨な運命ばっかりで、流石に観ているこっちも滅入ります。
相手がケンスケだろうとアスカ個人の幸せが叶うのであればそれで良いんじゃないでしょうか?
ヴンダーによる回収からは話が一変。
対ネルフに話はシフト、一気にラストに向け突っ走ります。
今作は前作Qと違い庵野らしからぬ説明及び回収して行くのが『ああ、マジで終わらせるつもりだな』と。
個人的にミサトさんとの和解がグッと来た部分でもあります。
帽子とグラサンを取り髪を下ろしたあの姿には胸が熱くなりました。
終盤一気にバトルパートがQのCGバトルを彷彿とさせ何が起きているか分かりづらい辛いパートが少しあります。
ここでぶっ込んで来た、アスカの使徒化。
驚いたのはアスカが『式波シリーズ』と呼ばれるクローンだった事。たまげました。
『ゲンドウの狙いは使徒化したアスカ』
出ました『ゼーレのシナリオ通り』発動。
冬月は溶け、ゲンドウは人間を辞め最終決戦へ。オリジナルを思わせるようなシンジの精神世界の描写。例の電車!
子供の頃嫌いだったシーンです。
ここで碇ゲンドウがよく喋る。
何故か痛い程気持ちが分かってしまい少しうるっと来た。
ユイに会いたい。只それだけの為に他人を犠牲にし世界を犠牲にする。
誰よりも人間臭かったのはゲンドウ。
13号機と初号機のバトルは正直意味を持たず少しガッカリ。ここを予告に使うのはズルい気もした。
終盤はメンタル覚醒したシンジによる主要キャラの魂の救済。良い演出だった。
浜辺のアスカに違和感を抱いたがアレは旧劇のアスカなのか両方なのか。
アニメシリーズや旧劇の画像を差し込んでくる辺りやはりシンジは全記憶を見たのか。
変にループしたり前後したりしなくて良かった。
最後は新劇最大の謎人物『マリ』
ユダでありマグダラのマリア。
やはりゲンドウの同期でした。
が、何よりもこのシンエヴァでは大活躍。
マリのシーンはかなり多かったと思います。破で2号機に乗った時点でマリはアスカの替わりになるキャラかも知れないと思ってたが、やっぱりそうなのかな?
とにかく8号機共に大活躍です。1番エヴァやってた。
正直ポッと出の陽キャが主人公とくっ付けばそりゃ批判もくるでしょうね。まともに接点も無いままでしたし。
ただ個人的にマリの様なタイプは好きなので僕の中ではアリです。
乳のでかい陽気なオネェさんなんて羨ましい。
正直言って期待はしていませんでした。
が、庵野監督はちゃんとエンタメを意識した上でアンサーを出し終わらせてくれた。
少なくとも僕はそう受けました。
個人的には最高とまでは言いませんが一つの形の終わりを劇場で観れたことに感謝です。
文句言ったり叩いたりもするけど、それも含めエヴァらしいと言うか。
結局エヴァが好きなんだなと自覚しました。
あと、宇多田ヒカルは素晴らしい。
もう一度観に行きます。
鑑賞者への想いやりに満ちた傑作
20年という歳月の中で、エヴァンゲリオンという作品に触れ、そこに依存の様なネガティブなもの含め、様々な思い入れを持つ人たちのために、エヴァンゲリオンが前向きな方向に開けながら終わり、乗り越えるよう導く、慈愛に満ちた作品だった。
主な依存の対象となる、ひとりひとりのキャラクターについて、丁寧に蟠りをほどき、説明し、流れるべき方向へ解決させていく。
特に、碇ゲンドウについてのパートにおいて、シンジとの関係性の整理に至った事で、このエヴァシリーズにおける完全な物語的帰結に至ったと個人的に思う。アニメシリーズ当時10代だった自分たちは、大人になり、親になった。当時、恐れ、理解不能、克服不能の象徴的存在であったゲンドウが、今作において、今、図らずも父となった自分が、子との関係性に迷い不安を持つひとりの親として、男として共感の念を抱いたのに、自らに驚いた。
世界設定に関しても合理的な展開、結末を見せつつ、同時にそれが虚構であるという事についてもキャラクターに言及させている。それは本作が虚構のアニメ作品であるという2重構造と取りつつ、観客に対してある意味で、ややこしい、そして面白い、世界設定を詳細に理解出来なくても、あなたはこの物語を消化出来ますよ、と投げかけてくる様である。だって虚構だから面白いんだから。
終盤にかけての、アニメのリアリティにメタ的な揺さぶりをかける映像表現的な実験には、単なる技術的な挑戦ではない、本作のメッセージ性と連動した意味付けがなされ、前向きなラストへむけた「気付き」を観客に促している。
基本的に、庵野秀明監督が訴えている事はアニメシリーズの時から一貫して変わっていない。今作もある意味同じ事を言っている。しかし、それを伝える為の方法が優しく、慈愛に満ちたものになっている。監督自身にとってのこの20年の歳月や出会いも影響しているのだろうか。スタッフを含め多くの制作に関わる人たちの優しさが本作から感じられた。
ありがとう、さようなら。エヴァンゲリオン。
一つの伝説の終わり
まずは庵野監督に、本当にありがとうと伝えたいです。
新世紀エヴァンゲリオンから劇場版2作、そこから長い間隔が空いてのシン・エヴァシリーズ、そのグランドフィナーレを見事に締めくくってくれました。
新劇のアンサーとしての破のように、そして過剰に無機質で説明不足な前作Qは、生々しい生命感あふれる今作の対比としての存在でした。
エヴァという長いサガの中で、シンジが最も伝えなければならない一言を、ついに相手に伝えたラストの戦い。
これはシンジが大人になる物語であり、作中でもっとも子供だった碇ゲンドウ、そして多分庵野監督自身が大人になるための物語でもあったのでしょう。
優れた映像と演出技法のオンパレードで、自らの心をさらけ出してくれた庵野秀明という一人の表現者に、心から感謝と賛辞を送りたいです。
監督が終わりにしたかっただけの物語
全ての点が全くしっくり来ず、納得できず、共感できず、だから理解できない。
モヤモヤ感と気持ち悪さだけ残った映画となった。
モヤついた箇所をいくつか書きます。
○マリ
マリを肯定するか否定するかで、この物語を受け入れられるか否か決まろと思う。
私はダメだ。
最後までミステリアスに描き過ぎだ。
アスカのように背景や内面、シンジとの絆的なものをもっと描くべきではなかったか。(最もアスカにしても、ラストに詰め込み過ぎで見にくい)
マリはミサトより歳上でユイに好意を持つユイの後輩でしょう。
アスカが先に大人になったからとシンジから別れるシーンがあるが、そこで最初から大人なマリが「再見」と言っても説得力がない。
マリもアスカ同様14年シンジとの時間が空いた。なおかつ最初から大人。
シンジを待っていた理由なりを正面切って描いてくれないと理解できない。だから、ラストの違和感はハンパないものになった。
あのラストにいくのなら、アスカを描き過ぎだ。
意外性だけインパクト狙いの演出は嫌いなんだよ。
○トウジやケンスケの登場
Qでは死んでるように描かれていたよなぁ。
確かにこのキャラクターを使えば話は早いが、唐突感と今更感で話に入っていけなかった。もう少しQで、その存在なりを描く事はできなかったのだろうか?
Qが実は未完だったと言われた事がある。
シンを見たら、やっぱりQは未完だと思った。トウシ達の存在や、アスカの苦しみなどQで描いていいと思う。
なんか描き忘れたもの、あのラストにたどり着かせるための後付的描写すべてシンで描こうと無理したように見え、詰め込み感ハンパなく感じ、理解できない一因となった。
○アスカとケンスケの組み合わせ
今更感強すぎ!で入れなかった箇所の一つ。
今更感強すぎて、ケンスケがアスカを受け入れてくれる男と印象づけるカットが二つ程あったが、後付けの言い訳にしか感じなかった。(ケンスケが悪いわけではないのだが)
もっと説得力を持たせる描き方はできなかったのか(過去シーンが足りない。回想ではない直接的な過去シーンとか過去に触れる会話など、もっと欲しかった)
それに最後の最後で、1カットとはいえアスカ一人で登場させるのだから、第3村からアスカは一人で良かったと思う。
今回のエバァでは、この「今更」と言うことが多い。
大胆に変えたのだから、収束させるためとは言え、旧作では途中退場させたキャラクターに今更頼るな、無難過ぎる。
どうせなら、ここで大人シンジを登場させるぐらいのぶっ飛んだ演出が欲しかった。
○アスカ
式波(クローン)にした意味あったのか?
ラストで怒涛のごとくアスカについて描くシーンがあるけど、惣流で語られたこととほぼ同じ。これなら母親から生まれた惣流の方が良かったと思う。
スカイ・クロラのような秀逸なクローン物を見てるから、クローンとして綾波以上にひねりをきかした描き方を期待したが残念だ。
「頭を撫でて欲しかった」という下りも、25年前からの進歩を感じさせない箇所で今更だ。
25年前のエバァは、女性の描き方が斬新だったと思う。そこからの進化は感じない。もっと尖った描き方ができたはずだ。(例えば、マリはしっかりレズビアンとして描けばよかったと思ってる)
別に強い女性として描け、と言ってるわけじゃない。14年の歳月を与えたのだから、もっと別の描き方はできなかったのか?
○終わり方
「この程度の終わり方なら旧劇場版でもTV版でもできたはずだ」と書いた大学教授の論評を読んだ。また「「よくわからないが、何かすごい物を見た感じ」が無い」と書いたライターの記事も読んだ。
この二つがよく表しているかなぁ。
この程度かよと思い、凄いものを見た感じは全くおきない。かと言って、大団円の優しい終わり方でも無い。
劇場版4部作の超大作にして、14年もひっぱって終わりがこれぇぇ!?
悲鳴しか上がらん。
キャラクター達それぞれに安息の居場所を与えて、主人公は成長し、助けてくれたヒロインと未来に歩んでいく(ように見える)ラストカット…「この程度」だよな。これだったら予定通り2013年に終えて欲しかった。もっと言えば4部作ではなく3部作にまとめて2010年くらいに終わって良い。そのぐらいに見たら、多分納得できた。
終わりの気に入らない点を列挙する。
□落とし前
なんか「責任を取ることが大人(になること)」と言いたいのかと思わせる箇所がいくつもあったが、正直ウザいだけ。と言うのも説得力があるように描いて無い。
例えばシンジが、アスカを助ける事も出来なかったことを「責任を取りたくなかっただけ」と発言するが、それ大人の話。責任を取りたく無いから何もしないのは大人で、子どもはそこまで考え回らん。
今回、とにかく大人になることが前面に出て、物語が矮小化したと思う。
多様性への希望とか、もっと神話的な部分とか必要でしょ。
□総員退艦、ミサトの死
ヤマトレベルだよ。
今回のエバァであった「誰かが犠牲に」と言うセリフは、大嫌いな言葉の一つ。
今回のストーリーラインでミサトが死ぬ必然性を感じない。むしろリツコが生き残るのに違和感を感じる。ここは全員で戦いミサトを助け、リツコが死ぬ方が自然だろう。
□ゲンドウ
ただ、ただ気持ち悪い存在になっただけ。
Q以降ゼーレの存在を消し、ゲンドウと冬月だけでネルフを描いたから、リアリティが欠如し、ゲンドウがただの悪役になった。化け物にしたから尚更。見に行った知人女性は、ゲンドウの独白に「ただイラついた」と言っていたが、そう言う人多いと思う。
ゲンドウの行動に説得力を感じ無いので、ラストの父と子の戦いも滑稽な喜劇にしか見えなかった。
Q以降、物語を成立させる最低限のリアリティを無視する箇所が多く、共感できない原因となっている。(例えば冒頭のパリのシーン。白人も黒人も誰一人出てこないのはとてもおかしい。「前任者」と言うセリフだけ。14年も戦争するには、国以上の組織が必要で、ここは海外で戦っている別部隊が登場しないと(そこにアスカのクローンが登場すれば面白かった))
□アスカとの別れ
「捨てた女の扱いに似ている」見た知人の感想。
成る程と思った。
この辺りのシーンを、ちょとした救いに見るレビューもあるけど、全然足んない。
キスシーンの一つぐらいあってもいい。
リツコのところに送りましたで終わり。
大人シンジと大人マリのシーンでは、パーカーかぶって一人でいる。
この対面にアスカ、レイ、カヲルがいるカットについて、いろんな考察ができるけど、ここにケンスケ、トウジ、委員長がいてもおかしく無いと思う。
ポスターでもアスカ一人だけなんだよね。しかも少し不機嫌。
ケンスケという居場所を与えましたよ、と言うのならこの辺も徹底すべきだと思う。
そもそも、適当な男あてがって安息を与えましたよ、と言う描き方は、今の時世的にどうよと思う。アスカというキャラクターを矮小化した感じしか受けない。
言うこと聞かない女を追い出し、好みの女に美味しいとこ与えたように見えた。
エバァに思入れは無いと公言している監督だけのことはある。
□レイとの最後の会話
正直覚えてない。理解できない部分が多かった事もあるが、絵がとにかくみにくい。レイに被せるように今までのタイトルを映すから、レイの表情が全くわからなくなった。だから話にも入っていけなかった。
レイの住んでいた無機質なアパートで、もっと落ち着いた演出の方が良かったのでは。
実写や線画など取り入れたアニメーション表現を讃める人もいる。
予定通りの2013年だったら斬新だったけど、もう他の作品でいろんな表現やっているので、二番煎じのただ見にくいアニメにしか見えなかった。特に終盤。
Q以降、マリを活かすためひたすら影が薄くなった、と言うが薄くさせられた感じしか受けない。三人目の消し方は、何の意味があるのかと理解不能だ。
□大人シンジと大人マリ
これさえ無ければ、評価は3をつけたかも。
このシーンを入れたことで、第3村とケンスケのところに送ったことにしたアスカが吹き飛んだ。いや、第3村は存在して、アスカは無事再生して安息を得ましたよ、と理解すればいいのだが、私は上書きされた感じしか受けない。
このシーンは、今までの物語と繋がりを感じ無い。
シリーズ通して、観客それぞれが意識的にまた無意識に読みとってきたものを、無理やりに一つにしようとしたように見えた。補完計画かよ。
最後のテロップのバックに、第3村と無事再生できたアスカを描いて欲しかった。せめてそのぐらいの描写が有れば、評価は2をつけた。
ラストカットまでマリが行くことにどうにも納得がいかない。マリの立ち位置はユイの代役。アスカが言った「必要なのは母親」がマリにかかっているわけで、マリも役目を終えた的にホームに残るのならまた納得した。
気持ち悪いのは大人シンジの服装。スーツにネクタイが大人の象徴的に描かれているのは、感心しない。(後「胸の大きいいい女」発言も問題だよな)
話の筋からすれば、最後の服装は農作業着じゃないのかな。
声をわざわざ昔の人気子役にしたのも感心しない。
ラストを長い間シンジを演じた緒方さんに飾らせてあげない演出は、作品への思入れのなさしか感じず腹しか立たない。
大人になるのは歳ではなく経験を重ねること。発狂して当然の状況下を経験したシンジは15で十分大人として描いていい。大人シンジを出す必要性が無い。
ここまできたら、むしろ第3村に戻ると言うストレートな演出が良かった。この世界で戻るべき場所は第3村しか無いのだから(監督の故郷なんてどうでもいい)
トウジ達のところに戻って、農作業やるなり、無事再生できたところまでアスカを描いて再会させるなりの演出をしたら評価は4をつけた。
大人シンジと大人マリのシーンは、奥さんにエバァの呪縛から解放された監督にしか見えず、それ以外理解できない、と言うより理解したくない。これがある限り評価は1。
序から14年、その間に300本以上の映画を見た。終わらせ方や物語自体に疑問や不満を持った作品はいくつかあったが、その中で最大級の拒絶感を覚えた作品となった。
これでエバァが終わりだと思うと、悲しいを通り越して腹が立つ。
誰か4年後の30周年企画で、動画配信用にTV版をリメイクしてくれないかなぁ。
14年時を進めるような奇策に頼らず、監督のメンタルや都合に振り回されないしっかりしたプロジェクトで正面から描き直してくれないかなぁ。
庵野の呪縛から解放されたシンジ・アスカ・レイの物語を後一回見たい!
Netflix頑張ってくれないかなぁ…まっ無理か。
言いたいことはまだあるが、疲れたのでこれで終わります。
納得はできる終わりかたでした
本放送、旧劇場版ともにスッキリしないモヤモヤとした終わり方であったが、新劇場版はひとまずはキチッと幕引きがなされていたと思う。ゲンドウが他者のこと考えず、補完計画を推し進めていた理由と、「天気の子」の主人公が、世界より好きな彼女を選択したワケは同じではあるが、ゲンドウのほうが情けなく見えてしまうのはどうしてなんだろう。
さようなら全てのヱヴァンゲリヲン
ところどころ違うと言えど、
旧劇の簡易版ダイジェストみたいな
そんな感じがしました。
旧劇よりも、ストーリーや
映像が劣化していて
観ていて不快になりました。
特に巨大綾波レイのCG映像は
とても酷く旧劇の頃の綾波レイの方が
芸術的に見えるほど
今作の映画の巨大綾波レイはチープで
とてもがっかりしました。
こんなに不快になれる映画があるんだと
逆に感心しました。
こんな体験をさせて下さる映画は
なかなか無いと思います。
こんなものを好きだった
昔の自分が恥ずかしいです。
仮に、またヱヴァンゲリヲンの映画が
あっても見たいとは思いません
これで、ヱヴァンゲリヲンという
コンテンツとは未来永劫
お別れすることにしました。
今まで好きでいさせてくれて
ありがとうございました。
さようなら、全てのヱヴァンゲリヲン。
想定の範囲内すぎて逆に想定外
期待してることが全てされてて、過不足なしでした。
迫力のバトルシーン、演出の奇抜さ、伏線回収、そして分かりにくさ。
全てが良くも悪くも想定の範囲内すぎて、逆に想定外というか。
あ、前半の綾波萌えだけは想定以上です。
こういう難解なアニメは得てして何らかのメタファーになってますが、細かい設定が分からなくても、アニメ業界やそれに関わる庵野監督と周辺の人々がテーマになっていると、しっかり受け止めれる作りになっています。
全ての主要キャラクターがしっかり幸せな方向(?)に昇華されていってて、「エヴァが終わった感」に溢れた、まさに卒業式。
特にゲンドウは思ってた以上のさらけ出しっぷりでした。SFモノの一つのテンプレである、「自分は本当はこういうやつなんだー」と相手と対話する心象場面をハッキリ書ききっていたのが一番の驚きでした。
ただあの辺はちょっと時期を逸した演出でしたね。
ビューティフルドリーマー、グリッドマン、実写でも松本人志の大日本人でやってたことで。
数年早かったら大爆発だったんですが。
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