シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全1014件中、861~880件目を表示
見る前にエヴァってググるのも禁止!
どんなキーワードもいれずに観て欲しいと伝えたい。
解説、考察はその後!エヴァって検索もおすすめしません!予測候補にネタバレたくさんでてきます!
あとは、序破Qは嫌と言うほど復習する機会があったとおもうので、時間あれば漫画版と旧劇場版をさらっと見ておくとベターかな、と。
私はこれからパンフレット読んで、あと数回観に行きます。これだけ待たされたし、120%映画館で楽しまないと!見せ方がとにかく多種多様なんですよね。庵野監督もおっしゃってましたし。
個人的に大満足です^_^
最近見たものの意見
私は、エヴァの公開が決まってから(延期前)からエヴァを見ました。アニメでの伝説の最終回は知っていましたがロボット系の作品が苦手なので見ないできました。
しかし、今回ついに完結作品が出ると知り作品を全部見て足りない知識を動画などで補填しシンエヴァを見ました!個人的には、面白かったと感じました。まとめ方が特殊だと思いましたが、アニメの方の終わり方があったのである普通に受け入れられました。
個人的には子どもままで居るのではなく、一歩踏み出して大人になれよというメッセージにも思えました。エヴァっぽい終わり方だと思いました。サヨナラエヴァンゲリオン
よくやり遂げた、庵野監督。お疲れさまでした。 これから見る人へのアドバイスもあるよ!
まず最初にこれから見る人(主にエヴァ初見)へのアドバイス。
エヴァの最新作?途中から見て面白い?って思ってる人は見るのはやめたほうが良いでしょう。
そのような人は新劇の「序」から見て、ナニコレ面白い!続きが気になる!って人だけ「破」「Q」を見ましょう。
戸惑いながらも「Q」まで見れた人は、「シン」を見ても楽しめます!
●では、私の評価。
「新劇」の終わらせ方としては大満足でした。 エヴァファンなんで評価は星5でしょ。
しかし「シン」の映画単体としてはエンタメとして正直厳しい。続き物だからね。わけわからん世界は健在。
野球で例えるなら、今までの評価がひっくり返るような「一発逆転の大ホームラン」ではなかったが、
「スクイズで逆転サヨナラ勝ち」みたいな感じです。渋いですが勝ってます。(肯定の評価が優った)そんな感じ。
作品としては、極上A5肉のステーキに「納豆ペーストといちごジャムのソース」がかかってる感じ。
しかし、わけわからん世界=「納豆といちごジャムのソース」が平気で食べられる人いれば、むしろそれが好きな人もいるかもしれない。
私はちょっと苦手だが、まぁ食べられんこともない。そんな感じ。
●リアルタイムのTV放映1995年から見てきた古参ファンとしての感想。
TVシリーズはA5肉をずーっと食べ続けられた。最後胸焼けして、幸福から一転して胃もたれ腹痛に悩まされることとなる。
旧劇では、なにやら新しいソースが追加されたが、胃もたれは解消されることがなかった。
新劇がはじまり最初からわけわからん「納豆ペーストといちごジャムのソース」がかかってた。が、肉は流石のA5肉。極上。ソースの味には我慢しつつ、A5肉が食える喜びも味わった。
んで、25年四半世紀経って、胃もたれも何もかも忘れて、「納豆ペーストといちごジャムのソース」もありかな?と思ったところで食事は終了。
ごちそうさまでした。
なんかわけわからんこと書いてるのは自分になってしまったが、今の気持ちをネタバレなしで例えるとこんなところかと。どのくらいの人に共感してもらえるかは疑問だけど(笑)
庵野監督の何を知っているわけでもないが、やっぱ庵野監督のアニメーターとしての才能はTV版に有ると思う。だから大ヒットしたし社会現象にまでなった。多くの人を虜にした。
広げた風呂敷をたためなくなってたけど、やっぱりTV版のテンションは凄かった。
これからはエヴァの呪縛から解き放たれて、新しいシリーズ、アニメーターとしての庵野監督の才能を見たい。というか見れるチャンスができて嬉しい!
やっぱね、戦闘シーンのあれこれはズバ抜けて、文句なしに、楽しい!面白い!凄すぎる!!!!
これができるのは庵野監督だけだもんな。
最後に有言実行、終わらせてくれてよかった。ありがとう。
広げた風呂敷の畳み方、難しかった。次はストッパーになる「誰か」を横に置いてたのむぜ!
とりあえずシンウルトラマン、楽しみです。
新世紀碇ゲンドウだった
これ以上あえて書きませんが、そういえばこれはこういう作品だったな、それぞれ、そう思ってたんだね、という事がよく分かる、いい終劇だったと思う。終わりらしい、ヲワリ。
当時は何もかもが斬新で鋭く色んな心情をえぐっていたと感じたけど、時が経ちすぎて観る方も作る方もキャラも歳を取り、なんだか懐かしくも感じた。
きっと沢山の大切なメッセージも散りばめられていたはず。言いたいことが多すぎて、でも時間が足りなくて、それでも納得いく終わりを見せたくて。それぞれのキャラに全ての納得と完全なる終わりを詰め込んだ2時間35分。
もう一度、落ち着いて観に行こう。
涙が救ってくれるのは自分だけ
追記.
一度目は衝撃を全身で受け止め
二度目は見落とした世界を回収
なか卯には三度足を運んだが
今度、
三度目はテロップのリアリティを
しっかりと味わいに行きたいと願う。
そんな、傑作品だと言える。
これこそ、
どっかの同調圧力なしに
素直に心から、終劇時に拍手。
(1回目)ちょっとガッカリ感はある。でも、これで良い。(2回目) 宇部新川に全員集合。ヤンキーでも良い。嬉しい。
宇部新川駅ですって。abホテルで宇部新川と確信ですって。映画帰りには、早速話題になってますもん。さすがローカル、あの画で分かるんかw
ネタバレ回避で、今日のところは詳細割愛。
エヴァの戦闘シーンは、物足りなさあり。壮大な物語りの「落とし前」、と言うか、広げ過ぎた感のある風呂敷の畳み方としてはですね。イヤ、劇場版としての幕の引き方としては、「これで良い」って思いました。「見たかったラストをやっと見れた」、と言っても、これまでのエヴァを全否定する訳じゃないと思いますし。
カラーヘアの2人をホームに残して、宇部新川駅から駆け出した2人。そう来るんかい?いや、年齢はどうなっとりますのん?えぇ?ま。良いかw
解釈大会の幕開け、って事で。
ーーーーーーーーーー
3/10 2回目IMAX
初回の「物足りなさ」を全く感じる事が無く。満足度は無茶高くて自分でも驚いてるでござるw
初回は通常、2回目はIMAXってのもあるかと思いますが。
思えばですよ。期待、と言うより予測とのGAPに戸惑ってしまったのが初回。1時間ほど続いた「村」と「イジケ」が完全に予測外。ここでダレた、気分的に。テザー動画から、アクションに次ぐアクションや、マリ&アスカのダブルエントリーを予測なんか勝手にしてたもんだから。イメージ世界での親子対決も、ちょっぴり肩透かし感ありましたもん。
それがそれがそれが。
2回目は全くダレない不思議。GAPが埋まった挙句だからでしょうね。村も、イメージ世界での1vs13対決も、巨大過ぎる&うじゃうじゃなアレも気にならない。
いずれにしても。初日から売り切れのパンフ、早く入荷して欲しいよー。
宇部新川駅ホームにアスカも居てくれたのが嬉しかったけど、宇部であの髪型&色じゃ、ただのグレたヤンキーやないですか!
ちょっと、違う登場の仕方にして欲しかったよねw
良かった。とっても。
---------------------
3/13 追記
ヘーゲルのトリアーデ(Triade)からの考察で遊んでみたいと思いますw
「テーゼ」→「アンチテーゼ」→「ジンテーゼ」はヘーゲルの弁証法。「テーゼ」はアニメ版の主題歌タイトルにもなっていたんで、こっち方面から考察してみたいと思います。
「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」「肯定・否定・否定の否定」「正・反・合」などなどなど。トリアーデの第三項は、「対立や矛盾を包括しながら、高い段階の状態にとどまること」を指す「Aufheben」と言う言葉で表されたりします。
トリアーデとは、カントによると「対立的なふたつの範疇のつぎに、第三の範疇をあげる」と言う三分法です。概ねは、第三項に、先行の相関的な二範疇の「総合された統一的全体」をおいています。以下、ヘーゲル自身による三分法の「言葉遊び」と、その解釈をシンエヴァに当てはめてみる試みです。
①まずはラストの解釈から。
綾波を送り出す時のシンジと綾波のやり取り
「時間は元に戻さない。エヴァを必要としない世界を作る」
「Neongenesisね」
Neongenesis=Re-Generation=(組織レベルからの)再創成
つまりは、時系列上の不可逆性は維持したまま、世界(人類)を再創成すると言うのがシンジの意図であり、ラストシーンは、それが具現化した世界。
この工程を「有→無→成」を当てはめて解釈。ここで、成のモメントは、有と無からなり、この有と無からその全体としての第三のもの、成へとすすむという事であり、厳密には「直接的成→有と無→媒介された具体的な成」のトリアーデになると解釈されます。
よって。
「有」=「直接的成」とは、ファーストインパクト前の世界と人類
「無」=「有と無」とは、その後、リリン・使徒・エヴァなどが混在する世界
「成」=「媒介された具体的な成」とは、裏世界の神の力とシンジの意図によって再創成されたリリン(何と呼べば良いか不明)が生きる世界。
②シンジ
「肯定→否定→否定の否定」と言うシンプルなトリアーデ。
「肯定」=誰かのためにエヴェに乗る
「否定」=自己喪失・自己疎外・自己外化
「否定の否定」=自己内化・自己帰還。自己否定・自己疎外において、その「他在化」したものの中にや投影された姿に自己そのものを見出して自己に帰る、もしくは自己を獲得する
序破急シンの各作品の中で、シンジはこれを繰り返してる訳ですね。
③ゲンドウ
「直接性→反省と媒介→自己還帰存在」と言うトリアーデ。「抽象的悟性→弁証法的否定的理性→思弁的肯定的理性」とも。
劇場版とアニメ版しか知らないワタクシ的には、ゲンドウの内面変化が、全然わからないんです。なんで、このシンエヴァの終盤のみを取り出してみると、こうなるんだろうね、って事で。
「直接性≒抽象的悟性」=人類補完計画を淡々と実行するプロセスにおける冷徹
「反省と媒介≒弁証法的否定的理性」=シンジとの対話の中における気づきと変化
「自己還帰存在≒思弁的肯定的理性」=1号機の中にユイを見出しユイの選択を受け容れること
④エヴァンゲリオン
「制約→非制約→被制約とそれの制約との合」
「制約」=リリンの乗るエヴァ
「非制約」=使徒になったアスカ等、解放されたパイロットが乗るエヴェ
「被制約とそれの制約との合」=ユイが同化した1号機
取りあえず、今日はここまで。
ありがとうございました
評価は人それぞれだと思いましたが 、エバァを好きになって18年ぐらいたった自分にとっては最高な終かただと思いました。 グロテスクな部分もあって受け入れられない人もいると思いますので、エバァが本当に好きでないと時間がもったいなかったと感じる人がいてもおかしくない作品でした
終劇 |❙
ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの続編にして最終話だけど、なぜか今回はシン・エヴァンゲリオンの表記と相変わらず意味深な作品。
上映前、これまでのエヴァンゲリオンとして、序・破・Qのあらすじをダイジェストでみせてくれるけれど、当然の如く、これだけ観てもチンプンカンプンだし、忘れていた人がこれを観てもへのツッパリにもならないでしょうねw
そしてお馴染み、ざっぱ~んの映像を背景に、お馴染み誰かさんの懐メロ鼻歌が聞こえて来て始まっていく…今回はチータ+佐良直美ですかw
前作からの繋がりをしっかりと描きながら様々な人物が登場し、シンジ君達と絡んでいく様子から、今回で終わりだからねぇ…という思いになっていく前半。
まあ、殻に籠もるシンジ、苛立つアスカ、そして今回はすっとぼけ感増し増しで賑やかし要因かよっ!とツッコミと絵面に笑いどころ満載な初期ロットw
なんかほのぼのチンタラしている様にも感じたけれど、ここまでで既に結構時間が経過していてあっと言う間だったし、中には設定を匂わせる、えっまさか?なセリフもチラホラと。
いよいよ話が本格的に動き出して、お馴染みの説明ゼリフの嵐だったり、聞いたことの無いワードが飛び交い捲りだったり、設定や理屈はチンプンカンプンな部分もあるしで、かなり脳内補完が必要ではあるけれど、何がしたいのか、どうなって行くのかは理解出来る。
又、前作でガキんちょで諸悪の根源的扱いのシンジや、冷静に振り返ると14年間の空白があるのを知っていて何も説明しないWILLEが悪いんだろというモヤモヤや、その他登場人物の設定等々を補完してくれるという、珍しく優しい展開w
トレーラーでも流れている紫の二体のバトルの後、ほんの少しだけダレ気味だったものの、それ以外は終始賑やかし要因がいるしテンポも良いし、何より、ちゃんと終わってくれてとても良かった。
???が沢山あるのに、話がわかって、終わりを迎えるというだけで☆を+したくなるっていう甘い補正は止む無しでw
エヴァンゲリオンの集大成でした!!
3つの「まさか」でしたが、大筋では大団円ですね。
なにせ20数年、追いかけてきたものの「終劇」で、まだ冷静に評価できないのが本音。3つの「まさか」に驚きましたが、大筋では大団円ですよね。
最初のまさかは「高畑勲」展開ですね。農業を通して「そっくりさん」が人間性を獲得していく。確かにエヴァというのは、加持さんのスイカ、ぐらいで一次産業があまり取り上げられていませんでしたね。庵野秀明は宮崎駿をナウシカで、高畑勲を火垂るの墓で経験して、ようやく最後の劇場で、エヴァの世界の日常を観れた気がします。
もう一つの「まさか」は、アスカ&相田のカップリング!これは、どんな同人誌でも無かったんじゃないですか?これは結局、シンエヴァでは「全てを救う」というコンセプトだから、残ったもの同士なのかな?ラスシーンでのレイ&カヲルのカットもそうかな〜。シンジ&マリは、きっとマリは母親代わりですよね。マリ(マリア)と母親のユイは同世代ですしね。
最後の「まさか」は、ラストが貞本版漫画と同じ構成とは、、、。ちょっと正確に覚えていないので、違っていたらゴメンなさい、ですが。貞本エヴァのラストでは「転生」しなかった登場人物(ユイ、カヲル、マリ)が、新劇場版では救われるという設定。しかし、貞本エヴァと同じラストをやってしまうとは、、、。
こういう「まさか」はありますが、大筋では最大公約数的な終わり方ですかね。途中で「第7シンジ」とあったように、大方の予想通り「パラレルワールド」設定でしたし、初号機のユイと13号機にゲンドウが乗って心中。初めから初号機にユイがいるって設定だったので、当たり前の結論ですよね。
ただ、それはそれで良かった気がします。アニメのなかで「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」とあったように、我々も全てのエヴァ作品に「さよなら」を言えるような作品。庵野秀明にもエヴァに「さよなら」をして新たな作品に向かって欲しいです。
とは言え、もう数回は観て、噛み締めたいと思います。
ホントに観れてよかった。さらば全てのエヴァンゲリオン
語りたくなる作品/雑談(ネタばれ有)
エヴァほど多くの人に「語りたい!」と思わせる作品はないのかもしれません。友人が少ない僕もそんな一人です。
一人で映画館へ向かい、鑑賞後から一日中「あー、エヴァが終わってしまった、面白かったなー。」とふつふつと沸き起こる様々な感情を語りたく初投稿します。
開始直後の戦時日本のような集落、『この世界の片隅で』を思わせるような共同体での生活。
ほっこりしたヒューマンドラマ的な物語に「俺は何を見せられてるんだ!?これからどうなってしまうんだ…」と思わされましたが、中盤からのドーパミンが脳内に溢れ出すような戦闘シーンと内面世界を混沌と描くエヴァ的展開に安心しました。
(超余談ですが、東京駅に「綾波レイのにんにくせんべい」という商品が売っており「綾波レイの無機質なイメージと最もかけ離れた商品じゃないか」と笑ってしまったのですが、今回、土仕事に勤しむ姿や赤ちゃんと触れ合う綾波はそんなに遠くもないなと思ってしまいました…笑)
アスカが戦闘前にシンジと話に行くシーンでは、いざこざがあって別れたカップルが10年ぶりに再会した、みたいな生々しさがありました。
「なんで私があなたを振ったか分かる?」「あのときは俺は君のことちゃんと理解できてなかった。ごめん。」「あなたのこと好きだったな。でも、もう昔の話だね…。」みたいな。
庵野監督の恋愛経験を反映してるのでしょうか?笑
最後の結末は驚きのマイナーカップリングでしたね。
ケンスケ×アスカ、シンジ×マリはたまに同人誌でも見かけることはありましたが、少数派だったのでは…。ちょっとアスカの扱いが軽いのではないか、と思わせられる気もしましたが、何はともあれ幸せなら良かった!
旧劇での全てを破壊するような結末、「全て壊れてしまえ」みたいな暗く陰鬱な衝動溢れるエヴァが好きだった僕には少し物足りなさも感じましたが、全ての登場人物を救う今回の展開はなんだか安堵も覚えました。
小説家の滝沢竜彦が旧劇のエヴァを見て絶望し、エヴァのエロアンソロジー『失楽園』に多くの人が魅了されていった、みたいなことを言っていましたが、同じように救いのないラストになっていたら日本にエヴァのエロアンソロが氾濫してしまったかも…笑)
宇部新川駅は庵野監督の地元だそうですが、そうなるとシンジ=庵野監督、マリ=安野モヨコなのか!?とか思ってしまいますね。
(そういえば、「シュガシュガルーン」とか、オチビサン?の絵本とか出てきてましたし。)
なんだかんだ、今までのほぼ全てのもやもやを回収し、爽快感・エンタメ感、内面世界の混沌的描写と、今までの総決算ともいえる最終回に安心と少しの寂しさと感じつつ、全体的には大満足で見てよかったと思える作品でした。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン
平日の真昼間だというのに映画館には多くの人が集まっていて、しかも年齢層は同年代から中年まで多岐に渡り、改めて同作の歴史を痛感しました。エヴァンゲリオンを初めて観たのは10歳の頃で高々6年しかエヴァに触れてきませんでしたが、そんな自分でさえ上映後は胸にくるもの(?)があったので、25年間同作を追い続けた人々はきっと良い意味でも悪い意味でも文字では表現できないほど多くを感じることができたと思います。
Qでかなり物語を引っ掻き回しての今作だったわけですが、序盤では荒廃した世の中でも強かに生きる人々の暮らしの豊かさを、中盤では個々人の繋がりの中でシンジが見出したものを、成長を描き、終盤では主要な登場人物の物語を、そしてシンジのエヴァとの決別を旧劇のタッチで実にエヴァンゲリオンらしく上手くまとめ上げたなと感じます。それでいて、これまでのエヴァンゲリオンと比べて理解しやすくかなり前向きな作品となっていてシンジがやっと報われたような気がしましたw。また、エンディングには様々な意見があるとは思いますが、シンジとエヴァの決別、ひいては我々エヴァに魅せられた人々とエヴァンゲリオンというアニメ作品の決別であるようにも思います。ですから、最後の駅のシーンは別世界に飛んだとかそういうのではなく、シンジの旅立ちの暗喩ではないでしょうか。
ただ、どの解釈が正解だとか、エヴァンゲリオンはどういう作品であるかだとかは庵野監督から語られない限り結局のところ答えは藪の中ですから、さほど重要ではないでしょう。個人的には本作で25年に及ぶこれまでの物語は伏線も回収して終わったという認識ですが、自分の感想、自分の解釈が有ればそれで良い。視聴者が勝手に考察しまくる作品、それがエヴァンゲリオンだと思います(投げやりですが、、、)。
最後に、長くなりましたが庵野監督に、全てのチルドレンに、ありがとう。そして、さようなら
まあ、"さようなら"はまた会えるおまじないですからもう一度観に行きますがね(^ω^)
旧エヴァからのファンの視点
エヴァの結末としては満点でした。
時代が変わって、環境が変わって、思いが変わってしまう…そんな現実に寄せて作られた結末なんだろうなと、この評価はそんな結末を受け入れられない一個人の感情からの評価です。
時が結末を変えてしまったなら残念でなりません。シンジは前を見て生きているのに私はまだ後ろを見て生きているからです。
泣きました(ネタバレあります)
ネタバレあり
かつてリアルタイムで10代だった私達にシンジ達がようやく追いついてくれました。
まさかエヴァで泣く日が来るとは。
真っ赤に染まったパリから始まるシンエヴァ。いつもの通り空白の何年間から始まると思って居たのにきちんと続編として始まった事に驚き。この辺は普通にエヴァンゲリオンしてます。
そして3人が汚染された街を歩いていくシーンへと移ります。ここで珍しくOPとしてスタッフや監督の名前が出ます。これはエヴァンゲリオンシリーズとしてはかなり珍しい。が、いよいよラストなのだな、と思いました。
ただ歩いてる3人。特にセリフもありませんが仮称アヤナミレイの仕草がテレビシリーズとも序破ともやはり違い、そうだ。このアヤナミは綾波じゃないんだった、と思い出させてくれます。
そしてQで死んだと思わされていたトウジの登場。Qでは分かりづらかった空白の間をここできちんと視聴者側がついてこれるように間を取ってくれている。言葉で説明されるよりも分かりやすく、後の続くアスカのセリフやQでのアスカの態度も説明がつくようになっています。
これまではアスカは私、私、私!と自己主張が激しく表面上は自己中心的に見えるキャラですが、承認欲求が強いというキャラ。それが満たされたのが分かるのがアスカがここから相田ケンスケの家で過ごす数日間、自分の事ではなくケンケンはケンケンはと自分の事よりも彼を優先します。これはアスカの中での優先順位が異なったのでしょう。そして決定的なのが私は守るために居るのだというようなセリフ。
今までのアスカならば守るのではなく勝利もしくはエリートで居るため、つまり自己承認欲を満たすためでした。それが大事な人(存在)、自己を認めてくれる相手が出来た事で大きく成長したという事だと思いました。
そして物語は大きく完結へと進みます。アヤナミレイから綾波を超えて本当により人間に近づいた人造人間としての綾波レイ。そんなレイとユイが似ても似つかない存在になり孤独が増すゲンドウの心の内。
カヲルが何度も何度も同じ演者を繰り返しその内にシンジを自己のストーリーに加えたという事実。司令と呼ばれゲンドウと同じ服を着てあの机に座るカヲル。
親がしでかした事の後始末をしていったミサト。そして同じように後始末をしようとしたシンジ。
かつてミサトは自分とシンジを重ねて見ていたと吐露しますが、知らずの内に重ねていたのはむしろシンジだったのではないでしょうか。
セカンドインパクトではミサトは自身の父が代わりになり守られ、けれど守りきれずにその役目はかつて父の姿を見ていた加持へ。セカンドで父を失い、サードで加持、そしてフォースではミサトが。
劇中で大きく語られる事はありませんが、なぜミサトはミサトと加持の子供で加持リョウジとシンジがツーショット写る写真を見ていたのか。あれはケンスケが送った映像から切り抜いたかケンスケがミサトに送った物です。加持リョウジだけの写真ならばケンスケがシンジを加持リョウジに紹介する前に用意出来たはずです。
ミサトはシンジを自分の子供のように思っていたのでは無いか。かつての恋人であり子供も父である加持へ対する愛とは違う親に近い愛情であったのではないかと思いました。
そしてシンジはユイに守られ、海岸へ。ミサトというもう1人の親が用意した槍を使って世界を再構築するために。
そのシーン線画、絵コンテに変わる段階は文字通り槍で世界を描き直しているのを表しているのだと思います、シンジが。
それを破るように現れるマリ。あの屋上でぶつかって来た時と同じように空から。間に合ってよかったと、マリは言います。恐らくマリはアスカがしたように人を超えた存在なのでしょう。マリはかつて人を超えた使徒の力を見せると言ってビーストモードを使います。ですからマリの存在ならば置いてけぼりになる可能性もあったのかなと思いました。
一人一人が幸せになるその瞬間へ送られ、そして大人になったシンジ。今までの出来事がほんの数分のうたた寝の間に見た浅い夢の中のように感じますが、首にはまっているチョーカーとその後に現れるマリが夢ではなく、現実で、しかし使徒やエヴァの居ない世界を時間を巻き戻すことなく、むしろ、彼らが過ごすべきだった本来時間軸へシンジがきちんと作り直し描き直した事を示しています。
初日に2度観る機会を得ましたが2回目の方が号泣しました。今までのエヴァンゲリオンが遠回しにメッセージを送っていたのだとすれば、これはド直球です。ネタバレされたとしてもエヴァンゲリオンが好きならば観る価値があると思います。全ての謎が解明されるわけでも全てが説明されるわけでもありません。
けれどエヴァンゲリオンが好きならば嗚呼エヴァンゲリオンとしてきちんと終わってくれたと納得出来ると思います。
25年、待って本当によかった。
全てのエヴァンゲリオンに感謝を。
そしてさようなら。
庵野監督をはじめ関係者のみなさま、おめでとう。
ありがとう、、
全1014件中、861~880件目を表示