シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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私は人類補完計画で心が浄化された
本作のコンセプトは浄化じゃないんですか?
シン・エヴァを観ても断片的にしか内容を理解できないし、
浅いエヴァ鑑賞歴での勝手な解釈ではありますが、
そもそも勝手な解釈が許されるのがエヴァ作品の良さだと決めつけて
自分なりの着地点を探した結果、こういう結論に至りました。
TVシリーズの時、監督はたとえ製作時間が足りなかったとしても
視聴者を人類ポカ~ん計画に陥れてしまったわけで、
その贖罪意識は旧劇場版でも払拭されず、
今作でやっちまった感を浄化したかったんじゃないかと想像してみたわけです。
Qからシン・エヴァまでの間、監督自らが作り上げたカオス状態に
ずっと苦められてきたのではないかと慮ってみたりもしました。
それが今回、キャラの浄化、観客の浄化が、
監督本人の浄化につながったとすれば、
監督もスッキリ、私個人もスッキリなのであります。
そして、もう一つの独自解釈、
「始まりと終わりは同じ」、Qでのカヲルのセリフが持つ意味について
本作をもってエヴァンゲリヲンは終劇となったわけですが、
終わり(=絶望的なストーリー)と同時に、
始まり(=希望を感じるストーリー)があるということも表現したかったのかと…
シンジの母親が終わりの象徴であれば、
綾波レイが始まりの象徴。
ゲンドーが終わりの象徴ならば、
ホニャララ(ネタバレ)が始まりの象徴だったのかという話です。
果たして正解があるのかどうかはともかく、
わけがわからないながらも
観終わった時の清々しさ、
観終わった後も考えを巡らせることができる楽しさ、
シン・エヴァのここが良かったですね。
作品の評価点数としては、
戦闘シーンのCGが妙、収束のさせ方が強引、
などなどマイナス要素も多々ありましたが、
庵野機長が奇跡的に胴体着陸を成功させたことの喜びで
思わず高得点を付けちゃったという感じです。
そんな人がいっぱいいるんじゃないかな?(^^)
良かった、、、(の意味は本文で)
良かった、、、本当に良かった。
緊張感ある吊り下げ戦闘シーン(このアイデア、面白い!)から一転して、ジブリ回帰のような牧歌的な暮らしの中でのシンジ回復という分かりやすい演出を見せてくれた後、無双と化したエヴァバトルを経ての、父VS息子。
物語への好き嫌いは二分されるだろうけど、随所に伏線回収のやさしさと丁寧さが垣間見えて、「なるほどね」と「やっぱりそうだったのか」がはっきり分かる説明過多が意外だった。個人的には槍の理屈が知識が無いのでそのままの展開を受け入れたけど、わかりすぎるのはエヴァらしくないのかも、とちょっと辛口(わがまま?)にも思ってしまった。
TVシリーズ最終回2話の放送後、「僕たちが作りたかったのはこれなんです」というインタビューを読んだことがあり「いや、絶対言い訳してるって」と思った記憶があったけど、それは本当だったんだとこれも納得できた。素直にこんな演出が好きなんですね、庵野さん。
「Q」まで、どうしてマリさんを新しく創作したのか謎だったけど、そうか、アスカもレイもシンジの恋人にはなれないんだ、と言う人間関係と、戦いの構図にどうしても後一人必要だったんだ、という理由で納得できた。
最初から大人で知的で、強くて優しい。
勝手な想像だけど、マリさんを登場させることでシン・エヴァンゲリオンを作れる(完成させられる)と庵野さんは走り出せたんじゃないだろうか。
だから、マリさんが好き。
ラストシーンに向けて、派手な見どころがないのは残念だったけど(ちょっと最後に大きなバトルを期待していたのでそこは物足りない)みんなが幸せに、満足な表情で終わっていく流れの中で、「ああ、終わったなぁ。完結したなぁ。こんな物語だったんだぁ」と余韻に浸っている自分がいた。
エヴァンゲリオンでそんな風に終わりを迎えられるなんて、なんだかんだで見続けてきて良かった、、、。本当に良かった!
もう一回、観に行こう。
新しくも、最後のエヴァ
MX4Dで鑑賞 期待し過ぎたかな
観終わってTV版の最終回と同じ感じがした。
なんていうか、無理矢理終わらせた感じ?
新劇3部作で終わるって言って1本増えちゃって、さすがに今回で終わらせるしかなかったのか、もういい加減終わらせたかったのか。
とりあえずまず良くなかったところから。
CGの戦闘シーンがチャチかった。
PS3のゲームみたい。
動きが機械的?机上の放物線的な動きなのでリアリティない+ダイナミクスが足りなかった。
アスカがずっと半裸で歩き回ってるのが違和感満載。
回収できてない伏線多数。
ゼーレって結局何の団体? メンバーは何者?
なんで毎回ゼーレのシナリオ通りなん?
ガフの扉って結局何?
マリはなんでエヴァに乗ってんの?乗れてるの?
「イスカリオテ(裏切者)のマリア」って大層な呼び名付けて、ただ冬月のとこに一緒にいただけやん。そんな大仰なことをする機会はなかったはず。全部シンジ君がやっちゃったし。
あとは、賛否分かれる碇ゲンドウの動機。
自分的には、そんな子供の我儘みたいなことで人類を全滅させようとすんのん?!
と、ツッこんどいて良かった点は、
MX4Dだったんで最初の戦闘シーンはかなり楽しかった。ガコガコ!ピカピカ!
中盤ののんびり田舎シーン。
レイがかわいい!
無理矢理作ったサブキャラのその後だけど、平和な感じで良かった。
そのまま終わっても良かった 笑
前回同様映像はとても綺麗だけど、今回音楽が良かった。各シーンに期待通りの曲を流してくれた。
総評としては、
無理に終わらせないで、もう一本作っても良かったんちゃう?
とは思うけど、
25年引っかかってたのがパラドックスやら夢落ちじゃなく、綺麗に終わらせてくれたのはスッキリしたかな。
CGが凄かった
ずっと楽しみにしていました。
初見で見た感想は、CGが凄くてみんなかっこいい!やはりエヴァの工場風景や送電線やら、退廃的な風景はとても素敵でした。
映像も音も素敵でした。
みんな割と生きてるじゃんと思いました。Qみたいに意味分からん気持ちで終わらなくて良かったです。ハッピーエンドでよかった。
殆ど伏線回収もされていた感じでした。マリのことはもっと知りたかったです。
神木隆之介が大人シンジやっていたのも、私は大人になったシンジを表現出来ていて悪くなかったと思います。
ミサトさん、シンジくんと目を合わせないように、加地さんのこともあって、目を背けたかったのかな、辛かったです。泣きました。艦長ミサトさんめちゃくちゃかっこよかった!
初日は、長年続きを心待ちにしていた方が多かったのか、拍手が沸き起こっていました。
話の流れは上手くできていると思いました。
やはり長すぎて、1回じゃ見逃していたこともあったので、2回以上見た方がいいと思いました。
2回見ましたが、また見に行きます。
完結はしたけど・・・
【現代アート】考えずに感じる芸術
観客に黙ってゲテモノ食わせるのやめなさい、気持ち悪い。
旧劇、新劇通して最も駄作。
後半は私小説的なプライベートフィルムに成り果てる。
「air/まごころをきみに」でも使われた手法、表現がより稚拙で醜悪な形で
映像として展開される。
糞便をたっぷり食わせて育てた養殖輸入鰻を国産天然物と偽って
とびきり旨いタレにつけて客に食わせるような映像表現に辟易する。
エヴァンゲリオンシリーズは元々庵野秀明が↓以下引用
「自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい」というきっかけで
作られることになった。「庵野ほかスタッフ自身がアニメほか映像作品を観て育った世代であり、無数のアニメや実写作品のパロディーによってしか作品を作ることができない」と「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」という方法論に基づいて創作されている【引用】庵野秀明と終わらない90年代。『シン・ゴジラ』を経てたどり着いた『旧エヴァ』という爆心地 照沼健太 より
>「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」
確かにその通りであるが、それさえも所詮「よくある話だな」で済むのである。
小便をするときに右手で持つのか左手で持つのか、両手なのか、はたまた
手放しなのかとかそんな事でオリジナリティーを主張されても失笑しかない。
劇中ある女性キャラクターは日常を半裸で過ごしている。
しかし乳首を見せることは絶対にない、カメラワークや
羽織っているジャケットで乳首部分だけギリギリ見えないようにされている。
これは作劇的にまったく意味は無く、ただただ視聴制限を下げる為にある。
もし視聴制限がないなら躊躇無く露出することだろう。
で、あるから乳首だけ見えなければいいというポイントを逆手に取った
露悪的な作画が恥ずかしげもなく続くのである。
物語は続くが最終決戦に出発する前にある男性キャラクターが
件の女性キャラクターにふいに撮影カメラを向ける。
ファインダー越しに女性は「捕らないでよ」と嫌がるが
男性は「今日という日は特別だから~」的な事を言い女性キャラクターは
渋々承知する。
私は目眩がした。
このシーンの意図することは
「これで世界が終わるかもしれないから・・せめて」という
撮影してる風を装った観客に対する犯行宣言なのである。
「これからお前の身に起こる出来事は決定的に不可逆的な物になる。
だから失われるこの瞬間のお前をファインダーに納めておこうニヤニヤ」
どうしてこの女性キャラクターがここまで加虐されるのか。
それは現実に起こった出来事に由来するからだ。
その事情を知らぬものは当たりさわりのない表現に見え、
事情を知るものにはとてもまともな人間とは思えない表現になる。
エヴァンゲリオンシリーズには常にこういった二重構造的な
演出意図が明確にある。「所謂分かる人には分かる」的なものだ。
表現者としてやりたい表現があるのは理解できる。
それが「ろくでなしこ」的なものならば社会も事前に認識して
回避しやすい。しかし確信犯的にこういった映像表現をステルスで
仕込むことを私はあまり歓迎しない。
そういった表現がやりたければ適切なアンダーグラウンドでやればいい。
社会的責任が付きまとうメジャーコンテンツでやるべきではない。
こういった不適切な映像演出も低評価の理由にあるが
もっとも大きい理由は単純に映像的に退屈で詰まらないからである。
劇伴もシーンも何一つ心に響かず空虚な芝居が転がるだけの作品。
文字通りエヴァンゲリオンはここに終わったのである。
また、いつか会いたいな
26年越しの完結
何だ?
色々詰め込んだように見えた
Qとの落差
タイトルなし(ネタバレ)
なんのゆかりもない神木隆之介が最後にシンジをとして出てきたとこだけ疑問だった。緒方恵美さんの声を低く編集してやってはダメだったのか。
でもきっと俳優を起用していることにも意味があったんだろうなぁとおもう。
気持ち悪い
なんかレビューの点数が高いですね。まぁ、公開直後、しかも直近発表月曜日からのスタートだから濃いファンが多いのもあるでしょうけども。
自分もテレビシリーズ、旧劇場版、新劇場版と見てきましたが・・・・この終わり方はどうなん?としか思えない。多分、当初の序・破、とQ、そして本作で作りながら監督は迷ったんだと思う。
序ラストで、旧から繰り返しの世界なのは分かっていた。綾波の扱いに関しては、まぁ分かる。旧からクローンだから。が、アスカは何故、この世界ではクローンにされたんだ?必要性も前振りも無い。どう考えても旧のアスカがクローンでは無いだろう。
そして、最後にマリとシンジがカップル?マリはコミック版ラストで出て来たキャラ。飛び級しているとは言え、シンジ両親の後輩ポジションなのに?
アスカもクローンであるのに、どうもこの世界では相田とくっつく?綾波はネルフから離れては生きて行けないのに?いや、そもそも、それなら、Q序盤でのアスカの苛立ちって不自然。
旧ラストよりシンジが大人になったから、アスカも綾波もクローンで切り捨て?
渚司令って何?
破でサードインパクトを起こしたが、加持の活躍で完全なサードインパクトとはならなかった様だけど、加持が何をしたのか分からないまま。ネルフと、ミサトたちが袂を分かつ前ってどうしてた?サードインパクト~加持の行動~ミサトたちの行動で凄い時間がおかれていないと無理だが、それが放置。
結局、テレビシリーズラスト2話と旧劇場版の焼き直しにかならなかった。むしろ、旧作の方が納得出来た位の内容。
ラストシーン、本当にアレで良いのか?
25年後の現在へようこそ
終わってた。。
あのQから一作で終わらせるなんて、どうせ前後編とかでしょ? とか斜に構えてたけど見事着地成功、ウルトラC。むしろA。
↓具体的な言及はありませんが、勘のいい人はなんとなく予想つくと思うのでご注意ください。
正確に時計を見たわけではないけど、3時間ある本編のうち、体感的には日常が1/3+艦隊戦1/3+決着に1/3ていう感じでした。膀胱の目安にご査収ください。
印象だけで言うとエヴァ…?→ナディアじゃね?→いやエヴァじゃん! という塩梅。ラストにはほんのり新海誠み。
さらに旧劇場版の補助線がないと、初見じゃ何が起きてるのかすら飲み込めないんじゃ…?
アニメでは異例の長尺というだけでなく、1回で咀嚼するのは難しそうな情報量なのでリピーターが続出しそうな予感。
観客動員に苦しむシネコンにとってはまんま福音となるだろうし、私が見た劇場スタッフの顔もなんだか明るかった。
豊富なリソースが投じられたとはいえ、こんなDAICONフィルムが業界の救世主だというのはすごい事態になったなぁとしか。
まぁ好きにやってきた結果、てことなんだろう。逆に好きじゃない仕事はしない姿勢を貫いたこと、そして終わらせるためのカントクのモチベーションがちゃんと現在へと向けられたことが勝因なのでしょう。
明らかに震災を通過した銃後の描写や、個人的な疑念はあるけど「大人になった」キャラクターたちに思わず25年後の現在へようこそ、と祝福したくもなる。
あとCGによる不気味の谷の有効活用も良かった。好きなキャラNo.1がアスカの今となっては、あの描写がもはや観客にそこまでダメージ与えるか、という疑問はあるけど…かつての熱狂を知っている身としてはダメ押しの警告、ってとこですかね(綾波さんのことです)。
とにかく終わりそうになかったものが終わった、というのが評価の大部分であって、面白いかどうかはまた別の話。私にとっての面白さの評価軸とはだいぶ前にかけ離れてるので。。
破以降に通して言えることですが、戦闘の面白さって脚本で対立の力学をちゃんとコントロールしてることじゃないでしょうか。
次々にチート的なギミックが展開していくことがアリにされてしまうと、単純に緊張感が仕事しないわけです。ハイクオリティなアニメだからまだ観られるけど、画面がショボかったら誰にも見向きされないのでは。。
一方で、こんだけ長い制作期間の中で、今までなかったドラマの局面が描かれていたのはよかった(終盤のパート)。ていうかそれ、スゲー普通の展開だよね!? 普通まっさきに着手するよね?
アスカ頼みだった旧劇に対して、ようやく主人公らしい行動を見せるシンジ君とか。
冷静に考えると限りなく普通の展開なんだけど、ド直球の古典的ジャンルの上でそれを拒絶しつづけたことがエヴァの個性でもあったという逆説があり。熱々のアイスクリームみたいな矛盾を内包していたわけですが。
さんざんベタを回避してきて、事ここに至ってカントクがようやくそれを許容できるようになったことに祝福を…した方がいいのかなあ?
個人的なセラピーがひとつの産業を形成してしまうことが神に祝福された天才たるゆえんですかそうですか。。
これでモンスター的なエヴァビジネスも一旦ピリオド。これからの庵野監督はどこへ向かうんだろう?
2000年以降の宮崎駿並に「作れば当たる」状況はこれからも続くんだろうか?
気になるのは、カントクの伴侶の方や関わっている特撮関連の事業など、「身内」へのあまりに素直なコミットぶり。
以前、スタジオカラーの有望な作画スタッフが作った短編作品の、当時としても無邪気すぎる血中萌え度数の高さに絶望感を覚えたこともあり、そういう身内への甘さが2021年においても女子にはピタピタのスーツを着せ、ためらいなく記号的な萌え描写を披露する結果につながっているのでは、という懸念。
果たしてそれがないと「エヴァじゃない」んですかね?
近くの席に高校生男子のグループが座っており、自然と30年後くらいには、きっとこの直撃を浴びた中からたくさんの作り手が出てくるんだろうな、とか思いを馳せたりしたもの。
それだけに、この小さなトゲの行方が気になりました。
私小説であることを諦めなかった素晴らしい大団円
自分はテレビ版、旧劇場版から見てきた世代で、新劇場版も、楽しんでずっと見てきた。
ただ、エヴァが社会現象となった当時と今ではアニメの技術面とかそういう表層的な部分だけではなく、どこかエヴァが変質しているようにも感じていた。ファンの方もインターネットの時代になりネットやYoutube等でいわゆるストーリー、作品情報の「謎解き」を楽しむという側面がどんどんエスカレートし、エヴァの鑑賞の仕方が時代とともに変わってきたように思う。
で、今作を見て、エヴァとはそういった謎解きの部分だけでなく、アニメを通して語られる庵野秀明という一人の人間の私小説でもあったという側面を改めて思い出したのだ。その感覚がすごく懐かしかった。今までの新シリーズは旧版と異なり、「エンターテイメント」の枠組みに徹していたと思う。それをこのシンエヴァでは、庵野監督が再度自分の私小説的な部分を更新し、それをちゃんと物語の中に落とし込んでケリをつけてみせた。そして、それによりシンジをはじめ、アスカ、綾波、そしてゲンドウ(明らかに今回は庵野監督の分身としての役割が大きい)といった各キャラクターの中に他者への共感、自己を肯定する新たな視点、成長が生まれた。この変化は結婚し、自分の会社を経営するといった様々な人間関係を経験する中で、庵野監督自身が人として成長することによって可能になったのは明らかだ。なるほど、庵野監督はすっかりエヴァを終わらせ、過去の自分の分身であるキャラクターたちに丁寧な別れを言うために、新劇場版を作ってきたのだとよくわかった。
ただのエンターテイメントとして完結させても多くの人は十分エヴァというコンテンツを楽しみ満足できていたと思う。それを何度も過去に自分を追い込んだ、エヴァが私小説だという面倒な作業から逃げずに向かい合い、作品として最後の最後に完結させてみせた。なんという力量、そしてなんという律儀な人なんだろうか。旧シリーズも新シリーズも全部引き受けた(よって各時代のファンが皆納得できる)、物凄く満足感のある、感動的なエンディングだった。
エヴァという体験をありがとう
当方、夕方のTV放送から見ていたリアルタイム世代です。こみあげる涙はそのままに観賞後は四半世紀に渡る強烈なエヴァ体験に、関係者やファンの方に感謝したい気持ちでいっぱいになりました。
エヴァというフィルターを通さなければ、物語は至極シンプルで、コミニティでの作法や、人間関係が拗れてしまってコミニティから逸脱してしまった者の復帰や関係修復のひとつの方法を特に前半〜中盤にかけて丁寧に描いているなと感じました。
後半は特に関係が拗れやすい親子間の和解の一例を描いたように受け取りました。和解までに至る道のりはめちゃくちゃですが、解決策はとてもシンプルで清々しさすら感じました。
エヴァという視点から見ればよくもまあこんなにも沢山のしこりを2時間半で鮮やかに回収かつスカッと終わらせたなと一種の爽快感を伴ってエンドロールを迎えられました。
そして涙の後に大爆笑と、過剰すぎるマニアックなサービスの連続に鑑賞中は庵野、やりやがった!の連続でした笑
四半世紀に渡るエヴァというコンテンツは一旦終わりを迎えますが、同時にエヴァという土壌であれば何をしても良いというアップデートを施したようにも感じられました。それは別監督でも実写でも良いし、最先端技術の投入、実験の場でも問題ない強度まで高められた気がします。
ただ、ひとつの映画としては後追いでは追いつけないような体験、場面も散見されるのでその点の評価がどうなるのか気になるところです。
実際、周りの古参は絶賛していますが、新劇場版からのファンはさっぱりと評価が分かれています。
ともあれ長きに渡ってエヴァという体験ができたことは個人的には大変貴重な経験であり、感謝を述べたいと思います。
エヴァ、今までありがとう!
全1014件中、681~700件目を表示