シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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終劇
いやぁー、終わったね。
シンジくんが大人の顔になってた。
あのシーンで泣いてもうた。
途中訳わからないところはまぁあったけど、それでも楽しめた。
波ってそういう意味だったんだね。
今までのエヴァとは別の世界線だけど、今までのエヴァも補完してるってことなのかな?
まぁ、そこらへんの解釈は人によって分かれるのかな。
思春期真っ盛りのシンジくんと同じ年齢くらいで見てたから、大人になった!!ってめっちゃテンション上がりました。
あと、あすかのパンツシーン。癖が出てるね。
控えめに言って最高でした。
映画のセットで最終決戦したりとか、みんながクランクアップしてるシーンとか、やりたい事グリッドマンみたいな事だったんかな?
今生きてる、僕らの現実はこの映画の上で成り立ってる的な。
んー、どうなんだろう。
ただ、こんだけ色んな解釈を観客が出来るっていうことがすごいよね。
作品の奥行きがあるっていうか、なんていうか。
とにかく、良い作品だったと思う。
映画を見た。っていう映画だった。
エンターテイメントにメッセージ性を載せる芸術になっていたと思う。
何様って言われるのかもしれんけど。
92/100
アニメじゃない、アニメじゃない、最後はリアル
TV版の終わりあたりから見てきたのでエヴァンゲリオンが終わるのは感慨深い。
今から25年前の2月に第22話から見始めて、25話から最終話の衝撃を受けてはまった一人です。
当時のアニメサークル内の沸騰ぶりは外からも分かるくらいだった。
それが意外なことに外に飛び火しアニメを見ない大学生が「エヴァエヴァ」言い出して違和感を覚えたのが25年前。それからいつの間にか大学生がアニメを見るのは当たり前になり、社会人になっても見続けて、アニメ文化が一般化していき、また同時にコスプレなども当たり前になっていった。
そして、日本人の男女の未婚率はあがり、恋愛経験のない20代もどんどん増えていったのが2000年以降の流れ。
そんな25年間で、自分はエヴァとガンダムと甲殻機動隊とジブリ以外はすっかりとアニメから足を洗いってしまいました。
序、破と来て、Qはつまらなく30分で寝てしまい12年経って話もほとんど忘れて、
全く見る気持ちもなく、事前の期待していなかったが意外と評価が高いので見に来てしまった。
とりあえず、Qを知らないでも楽しめることはできた。
ただ、エヴァTV版、旧劇、新劇、いずれも全く見ていないならかなり辛い作品ではある。
だから☆4
庵野監督とスタッフはこの作品でエヴァ以降の25年のヲタク文化を総括して
「いつまでも子どもでいるな、働いて、自立した異性と出会い、結婚して、日常を生きろ」
と投げかけた。
それも旧劇みたいな投げ出す形ではなく相手を受け止めて理解しながら。
二次元萌え、セカイ系、東日本大震災、IT化社会などの25年間の社会の変化を受け止めて
そしてこうだよと提示した。
もうエヴァ制作陣は子どもじゃない、大人になったんだとしみじみと感じました。
そして自分も大人になったことを実感した。
ですが、もし、大人になりきれず恋愛もできないまま40を超えていたら
ラストは相当に堪えただろうけど。
エヴァという呪いからの解放
熱烈にハマった経験はないものの、TVシリーズ、旧劇、新劇と観続けてきた。
リアルタイムでこの作品に触れることができたのは、やはり幸せだと思う。
物語前半を見ながら、3.11にこの映画を見ていることに何か意味があるかもと
ふと思ったり、卓越した戦闘描写や難解キーワード連発のエヴァらしいお祭り騒ぎを
楽しんだり、キャラクターの成長に感動したり、エンタメとして大満足。
そして結末。
考察や謎解きは苦手なので、庵野秀明の私小説としてシリーズを観てきた身として
納得で、清々しい気持ちになる終わり方だったと思う。
キャラクターも我々観客も、何より庵野総監督自身がエヴァという呪いから
解放されていっている気がした。
もちろん終わり方に別の選択肢があっても良かったかもしれない。
でも自分にとっては20年以上エヴァを観てきて良かったと思えるラストだった。
俺は大人になったよ。お前らもエヴァを卒業して大人になれよ。
庵野総監督のそんなメッセージが伝わってくる作品でした。
ありがとう、エヴァンゲリオン!
考察あり。ありがとう。お疲れ様です。
いくつか考察を読んで解釈するところもありましたが概ね個人的には納得のいく終わり方でした。
レイでもアスカでもなくマリエンドなのも納得です。
アスカは最終オリジナルではなくクローンの方が生き残ったと思っていいのかな?
カオルは自分の予想ではゲンドウのクローンで
元とは正反対の性格(社交的、シンジへの愛情あり)
として作られたのかな?と。
ピアノが趣味という共通点だけの考察ですが。
見た目は全然違うのが気になるけど笑
だから、ラストの場面ではユイのクローンのレイと一緒にいて結ばれたようにも見えるシーンになったのかと思いました。
最後のシーンはパラレルワールドなのか時間を巻き戻したのかがわからないですがエヴァをなかったことにせず的なことを言ってたので後者は可能性低い?
前者なら第3村の人たちや逃げたヴィレ隊員達はどうなったのだろと疑問点はやはりいくつか残ります。
すごく良かった!!
おっぱいがいっぱい!
補完された作品としてのエヴァンゲリオン
全てが圧巻!
作品内での人類補完計画に関しては
当然理解出来てません。???の連続です。
しかし序、破、Qと観てきて、謎だったり
釈然としなかった部分の殆どが回収されます。
しかも旧エヴァ劇場版「Air/まごころを君に」の
衝撃ラストシーンまで…⁉︎
個人的には圧倒的な作画の素晴らしさに
激しく感動しましま。
本作で初めて耳にした大量の新しい謎(設定)は
最後のエヴァを一日でも長く楽しむための
庵野監督の贈り物だと思っています。
ありがとう。さようなら!
小学生のときにTVシリーズに出会い、夢中になり、旧劇場版で大きなトラウマを負いって幾年…今は劇中の加持さんより年上になってしまいました。
旧劇場版の衝撃もあって、新劇場版にはそこまでハマらないようにしていましたが、笑
このネット時代、ネタバレを目にする前に観なければと…2021年3月11日に観賞しました。
「大人になってしまったなぁ…」
中盤以降、そんな感情でいっぱいになりました。
主人公の成長だけでなく、旧友たちの成長、主人公を取り巻く大人たちの成長、
それぞれが自分に向き合い、他人に向き合い、前を向くための決断をし…
その選択に、力強い意志があり、正直さがありました。
その姿が、もう本当に美しくて…。
これこそが、シン・エヴァの真骨頂なんだと感じました。
旧劇場版を彷彿とさせる映像演出もあり、「現実を向けよ」というメッセージは、旧劇場版のときと同じなのかもしれません。
しかし、その伝え方が、今回は心底刺さりました。
刺さりまくりました。
旧劇のときは、突き放された気持ちでいっぱいでしたが、
今回は、やさしさや愛情を感じるものでした。
「震災」「コロナ」という社会の構造が変わるような出来事が起きている背景があってなおさらでしょうか。
ラストの主人公の選択には、「大人の自分」としてはとても温かく感じ、しかし、「あの時(TV版に熱中していたとき)の自分」としては寂しさもあり…上映後は見事エヴァロス状態に(笑)。
エヴァンゲリオンという作品が自分にとって結構大きな存在だったんだなぁと気づかされました。
ああ、大人になってしまったなぁ…
大人として生きていくんだなぁ…
まるで、「あの時の自分」から卒業するかのような作品だと感じました。
監督をはじめとするスタッフのみなさん、見事に完結してくださって、本当にありがとうございました。マジでしびれました。幸せです。ありがとう。さようなら!
次の作品を、楽しみにしています。今までの全てのエヴァに、感謝します。
心優し科学の子の遺伝子
作品そのものとは関係のない内容の事を書きますので宜しくお願い致します。
関係がないとは言っても、この作品を観て想起した内容なので、何処かで関連しているのでしょう。
で、今回は書きたいテーマが沢山あり、今パッと頭に思い浮かぶワードだけでも「中二病」「時代性」「創作者にとっての完結とは」「創作者と鑑賞者」などなどが飛び交っていて、取り留めのない話になってしまう予感がします(爆)
まず、「創作者にとっての完結とは」「創作者と鑑賞者」ってことについて
こいう映画を観て訳分からんという感想がよくありますが、そういう類の発言は全く無視して良いと思っています。
それって単なる創作家に対する想像力の欠如であり、そういう類の人は全てに於いて経験不足・勉強不足であるだけで、全く意味のない感想だし、経験も知識もある人なら自分の嗜好は理解していて、恐らく最初から観ないか観ても別の表現になる筈です。
多くの映画・小説・漫画等々(芸術作品も含む)を読んできた人なら、1度や2度考えたことがあると思うのですが「作品に完成(完結)って本当にあるのか?」という事柄です。特にその作家のライフワーク的作品などは、その作家の人生そのものでしょうから、本当はその作家が死ぬまでは完成しないでしょう。
完成とか完結っていう言葉はあくまでも商業的・大人の事情的・技術的・規格的・便宜的な意味に於いてであって、読者・鑑賞者に対しての作り手のギリギリの妥協点であり、作り手にとっての完成・完結では決してないのだろうなという思いが、私には様々な作品体験からあります。
なので、この作品の様な大ヒットしムーブメントにまでなった作品で、何十年も経ちいまだに継続している作品に完結なんてあり得ないし、完結という言葉よりも“ケジメ”という意味で受け止める方が、この作品に対し今まで関心を示して来た受け手側の真っ当な対応だと思います。
それでも、話題作というだけでなぜ観たのか分からない様な一見さんが「1本の作品として世に出し意味不明では欠陥品」などと、勉強不足を棚に上げ偉そうに宣うのが情けないですね。
私の経験しただけでも、完結しなかった作品など数え切れないほどあり(例えば漫画だと『カムイ伝』などは代表例で、小説だと私の贔屓の夢枕獏なども何十年書き続けて未完の作品が多々あり)完結してくれただけでも本当に有難く、個人的にはその完結が望むものと違っていても、これだけ長い作品を完結させる労苦に対して「ご苦労様でした」としか言葉が見つかりません。
そして「中二病」「時代性」について
本作が“中二病”というワードを現した代表的な作品と捉えられている風潮ですが、確かに本作主人公の思春期真っ只中キャラはその後の、多くのアニメに多大な影響を与えていて、ちょっと調べてみると“中二病”という言葉が世間で使われ出したのが1999年で、本作のTVアニメは1995年からでこちらの方が少し早く、当時の社会現象的な風潮に敏感に捉えた作品であり、それらの影響から出来た言葉の様な気がします。
そういう作品群がブームとなる要素が社会自体にあり、個人というよりも社会そのものが“中二病”であったから発生したのかも知れません。だから他者に対して“中二病”と揶揄すること自体が的外れであり、世界全体が中二病化しているとして認識し取り扱うべき言葉なのでしょうね。
その予兆として、その一世代前の1980年代にブームとなった『機動戦士ガンダム』アムロ(ニュータイプ)のキャラは本作の『エヴァ』のシンジに通じ、本作を観ると結局はシンジの父親の碇ゲンドウからの流れが感じられ、『ガンダム』世代から社会が“中二病”になりつつあったのだと分かりましたよ。
で、碇ゲンドウ=シンジは庵野秀明自身の投影であり、だからこそ今まで完結出来なかったのだろうということが本作を観て納得出来ました。
で、庵野秀明(私より5歳下)というのは、我々の時代(科学の子)を生きて来た同胞であり代弁者あるからこそ、ずっと気になってしまう存在であったのでしょう。
5しか付けられないなあ。
とにかく終わった。
みんな救われた。
こんな未来もあったんだ。
妊娠中ということも相まって、家族とは命とは愛とは。何度も泣いてしまいました。
それぞれの幸せに辿り着けばいいんですよね。
道はたくさんある。
正解はないけど、自分が納得していればよし。
テレビでエヴァを観ていた小学生の自分。
怖くて見なくなって、中学生になって、見ていなかった回と劇場版をDVD(VHS?)で観た。
新劇場版は大学1年生の時。エヴァ好きの中学からの友達と、4部作だから最後の作品見る頃には社会人になってるね!なんて話してて。
それが終わりました。
私はもうすぐ母になります。
ありがとう、みんな
さようなら、エヴァンゲリオン
終わりました。さようなら!
かんたん批評っ☆ サービス、サービスゥ!
ありがとうさようなら
さようならはまたねのおまじない。
そんなことを言わずにこれで終わろう!見たい見たかったものを見たぞ!
この観念的な2時間半の映画に釘付けになり、ときには熱くなり、ときにはもう笑うしかないわとなり。
もうこの映画のいいたいことは、もう俺たちのナイーブな時間は終わり、生活が始まるということだ。
それを色んな角度からこれでもかと見せられる。
思ったのは、もうナイーブに悩むのはリアルじゃないってことだ。
それは時代遅れのシンクロゼロの状態だ。
90年代末のままの碇ゲンドウと貧しく物がなくても生活がありそれを愛しいと思えた碇シンジ君の差が眩しい。
綾波レイの物語が終わり、アスカ、そしてマリの物語になるのも必然だった。
アスカには幸せになって欲しいと心から思ったよ。
旧劇場版のラストと新劇場版Qを繋いでその後を描いてみせた。
旧劇場版のその後もきっとこんな世界があったんだろうな。
冒頭30分くらいの生活シーンはとても良かったな。
これだけ見ていたいくらいだった。
もうありがとう!お腹いっぱい!
これでもエヴァファンは考察するのか
一応テレビシリーズから一通り見てきたが、
破の歓喜からQから失望、待たされまくってあまり興味も無くなったはずなのに、やっぱり見ちゃうエヴァンゲリオン最終章。
久しぶりの大画面と迫力の音響に、映画館で観るのっていいなぁと思うところまで。
本編が始まると過度な期待なせずに観賞したエヴァはその期待を裏切らず、袋小路のように広げすぎた大風呂敷を
見た目派手で且つ必要性の無い戦闘シーンと、
やたらセリフで補完される場面展開と、
絵コンテやキャプチャCG、実写などツギハギだらけの絵作り(これまた必要性なし)と、
新シリーズとは言え荒唐無稽なストーリーで、
無理矢理終わらせてしまいました。
庵野監督、お疲れ様でした。
もうエヴァは作らなくていいんです。
北上ミドリが吐き捨てていたセリフが全てではないかと。
コアなエヴァファンの為のアンチテーゼ、私にはそう思えました。
これでもコアファンは両手をあげて拍手喝采し、全てのシーンにあーだこーだと考察をして楽しむんでしょうが。
エヴァ作品を封印するロンギヌスの槍
序盤のパリは緊張感みなぎる波乱の展開、これは流石。劇場版ではここまでのところ再現されなかったハッキングと実体の闘いが同時進行で描かれて緊迫感と迫力が素晴らしい。しかしその後は本当に何気ない日常ドラマが延々つづく。
ふさぎ込み顔を上げることすら出来ないシンジ。レイ、アスカそれぞれの気遣いは届かず、これでもかとばかり鬱の描写。これがQを制作した直後の監督、庵野氏の境遇そのものだと気付くまで、そう時間はかからない。
画面は美しい。今作までの間に新海誠監督のヒット作などもあったから影響はあったのかも知れないが目に鮮やかな絵作り。素晴らしい進化だった。これは終盤のアスカのアップなどでも驚かされる。写真以上に存在を感じさせる、息を飲むような瑞々しさ。
肝心のストーリーの方、これまでのエヴァとは異なる雰囲気に気付く。視聴者置き去りの序破Qとは打って変わった伏線回収の筋書き。何かおかしい。鈴原、ケンジ、委員長、加持、はてはペンペンにまでそれぞれの居場所が与えられて何か落ち着いている、おかしい。
遂にNelvが動き出しVilleがこれを追う。またも迫力の艦隊戦、多少ご都合的なところはあるが見応え充分、凄い迫力。ゲンドウ、冬月、赤木、ミサトの駆け引きと闘いは大人の側の勝利、結局アナザーインパクトは引き起こされてしまう。しかしVilleの側も諦めず、もう一つのインパクトと槍で対抗しようとする。使徒を13体倒して命の実と知恵の実、それぞれの魂。この辺りは分かる、こちらも少しは勉強したので。
しかし物語は予想を遥かに超えて大きく動き出していた。AAAヴンダーの建造経緯、加持の物語、葛城ミサトの本音、アスカの怒り、左目の秘密、そして式波の名前にまつわる出自の謎、渚カヲルの役割、そしてレイの死を乗り越え完全に覚醒したシンジと父ゲンドウの闘いの中、遂にゲンドウの真意が語られる、しかもこれまで全く語られることのなかったゲンドウ自身の内面が、赤裸々に。
ベールに包まれたかのような彼の内面こそがエヴァンゲリヲン作品の根幹にまつわる謎でもあったのだが長い独白が語られ、未成熟かつ孤独そのもの、であるが故にユイの存在感と喪失感は彼の存在意義そのものだったことが明かされる。ここまで明らかにされるとは。次回作とかどうするんだろう。
ここまで来てようやくハッと気がつく。待てまて、庵野監督は本気でエヴァを終わらせようとしている!
もう何一つ謎が残らないほど丁寧に、余すところなく伏線は回復されしかも新登場してきたエヴァもたちまち討ち果たされてのあのフレーズ、さよなら全てのエヴァ、である。
父との異次元空間での闘いの中、舞台は移り懐かしいあの場所やあの部屋が登場する、エヴァの全てに別れを告げようとするかのように!そして渚カヲルのループすら、もう必要ないことが語られる。あぁ庵野監督は徹底的だ。もうエヴァンゲリヲンという作品にはストーリーを構築するだけの余地はなく全ての謎は明かされ、全ての登場人物に居場所が与えられてしまった!
エヴァンゲリヲン、の後の音符記号、まだまだリピートし、これからも続編やスピンオフが作られるものとばかり思っていたのに突然の、この完全集結の展開に打ちのめされつつ、画面には碇ユイの姿までもが登場し、エンディングを迎えてしまう。終わってしまった、何もかも。
思えば我々ファンはもう25年もこの作品に魅了され追いかけ続けてきた。しかし時にそれが制作サイド、取り分け庵野監督の重圧となり彼の素晴らしい才能を縛り付けてきた面はあったに違いない。大先輩、宮崎駿氏が監督としての人生を堀越二郎に託して引退作を制作したように、庵野秀明監督は、自らのエヴァ人生を碇シンジに、時に碇ゲンドウに投影し、本作でエヴァを完結したのだ。
エヴァの喪失は受け入れがたいものではあるが碇シンジは新しい伴侶を得、もう走り去ってしまった。ループはもうない。一人のファンとして彼らの門出を祝うしかないではないか。そしてひとり静かに感謝を述べたいと思う。長い間本当にお疲れさま、そして時に私に生活の原動力を与えてくれた素晴らしい作品。キャラ、メカ、ストーリー、シーン、音楽、全てが一級品だった。
ありがとう、さよなら!!
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