シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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納得ずくめの最終エヴァ
月曜日から今日まで我慢しきれずにアマプラで冒頭12分を10回くらい見てしまった。そのかいあって冒頭のバトルシーンは細かい部分まで堪能できた。マリのハンドルさばきは、何度見てもかっこいい。ジャイロスコープのような装置に吊るされながらエヴァ42A航空特化タイプを撃破していく。もうこのシーンだけで料金分は回収できた。ユーロネルフの復活シーンもしびれるが、トドメのエッフェル塔がまたエグい。iPhoneの画面でもクォリティ高さはわかっていたが、IMAXレーザーで見るともうエクスタシー。
冒頭のバトルシーンから一転して、ニアサードの生き残った人たちの拠点「第3村」に舞台を移す。ここでは、つつましいもたくましい生き残った人たちが登場し、綾波タイプ、碇シンジはそれぞれが心を変化させていく。このシーケンスから、徐々に心象風景が増え、1回見ただけでは消化不能なラストへと向かっていく。
エンドロールで流れる宇多田ヒカルの歌声をききながら、庵野監督は、本気でエヴァンゲリオンに決着をつけたことを実感した。エヴァンゲリオン=「庵野監督の私小説」の説に沿えば、壮大な親子喧嘩に舞台を借りて内面の葛藤をさらけ出したのだと思う。あまりのさらけっぷりに見ている自分の心もスッキリ。
碇ゲンドウが実現しようとしている究極の理想世界は、感情すらもゆるされない管理型デストピア社会のなれのはてだとも言えるし、実際、人類はそこに向かいつつある気がする。そんな世界は、まっぴらごめんなんだけどね。
生きたいわけでもなく死にたくもない状態から立ち直る碇シンジの心の軌跡には、すごく感情移入ができた。DSSチョーカーを見ただけで吐いてしまうトラウマ状態から立ち直るまでの過程が、同級生やアスカ、綾波タイプとのふれあいでゆっくりと変化していく。155分の長編になるのはしょうがないね。たっぷりと尺を使わないと納得できないから。
完全に理解するまでには、後2回は必要だと思う。それにしても、待ちに待ったかいがある作品だった。
前作みてなくても楽しめます・・・たぶん
中二っぽいキーワード満載ながら難しいようでそうでもない、落としどころもパーソナルな問題、プロローグでのあらすじの説明ありということで序破急観てなくても結構楽しめました。
(逆にこれから新劇場版みても楽しめるのではないかと思ってます。)
TVは全部みてますし前の劇場版は観てます。
TVシリーズでは出てなかった人もいますしアスカの苗字も違いますが、その辺はパチンコで知ってましたので問題ありません。
面白かったしよくできているとは思いますが、技術的な面だけでも気になったところはあります。
テレビのオマージュなのか回想シーンで原画風の絵のループなどありましたが、静止画に耐えられなくてループにしたんでしょうけど、ちょっと目が痛いし目立つ割に中途半端なクォリティで終わってしまったのが残念。
あと皆さん思ったでしょうが3Dのクォリティが全体的に微妙。恐らく作った人も劇場で観てたら痛い気持ちになるパターンなんじゃないかと・・・。流体をエヴァンゲリオンに置き換えるやつなども、ただパーティクルをエヴァにするだけじゃなくてもうひと頑張りあってよかったんじゃないかと思いました。
デッキのソープオペラのフリが丁寧すぎる割にあまり効いてない。ホラー映画の空かしっぽい感じで結局はフリのフリみたいな役割になってますが全体尺が長いのでないほうがよかったかなと。
あとはパチンコの演出にしやすそうなカットが多すぎ。
でも、なにより初めてTV版を見た時の驚きを超えたことは一度もないというのが一番残念なところですかね。
少年は神話ではなく大人になった
シンジはシンクロ率が無限=インフィニティになり神になった。
神の力を得たシンジは全ての登場人物を補完していく。
補完され人の姿に戻り、地上に舞い降りるのは我々だ。
インフィニティの成り損ないとは、シンジになれなかった我々だったのだ。
全てと決着を付けたシンジは過去と決別し、時計を進め大人になる道を選ぶ。
そう、インフィニティとは「大人」のことだ。
少年は神話ではなく大人になった。
心は原始ではなく未来へ進んだ。
幸せはもう罪の匂いではないし、残酷な天使はもう居ない。
成長し前を向けたシンジは過去に囚われるのを辞め歩き出した。
最後のセリフは我々へ向けてのものだ。
「さぁ行こう」(現実へ)
完膚なきまでの終劇。
このエンドを見て尚カップリングがどうだ納得が行かない等とのたまうことこそ「インフィニティのなり損ない」なのではないかと、私は思う。
「さようなら全てのエヴァンゲリオン」と、
卒業の時がついに来たのだから。
なんつって。
エヴァの完結編としてこれ以上ない落とし所だったと思いますよ。
ぐうの音も出ないほど完璧に終わった。
そう思うのは長年追って来た故のものかもしれないけど、もう「1映画好きとしての視点」みたいな目では絶対に見れないので、贔屓目に見てエモくなるのも仕方ないかなと。
25年間追って来た人への最大限の感謝とサービス、そして「これでもう本当におしまいなんだよ」っていう容赦の無いシャットアウト。
現実は希望の光に照らされても尚残酷なのだ。
圧倒的説明不足の過去作と比べて、説明過多なのではと思うほど分かりやすい今作。
(いや、分かりやすくはないか。これを分かりやすいと捉えてしまうのも訓練されたヲタク感があって辛いな)
庵野からの「もう考察するな」っていう想いを感じたと同時に、それは否定や拒絶ではなく優しさと許容から来たものだなと感じた。あの庵野がこんなにファンサービスしてくれるとは思わなかったもんね。
最終的に描きたかったことも、辿り着いた結末も、結局は旧劇と変わらないのかもしれないけど、圧倒的に「生」の方向にシフトしていた。
そういう意味でも真に大人になったのはシンジでもファンでもなく庵野だったんだなと思いました。
最終戦で特撮やったのも、やりたいこと貫いたんだなって感じがして良かったよ。
これからも現実で生きていく為に、今日の日はさようなら。
大変面白かった。
でもすぐにもう1回とはならないかな。
卒業式には何度も出たいとは思えないからね。
心に残る一抹の寂しさも「青春」に似ている。
エヴァは青春だったんだなぁ。
エヴァの呪縛から僕も漸く解放された。
あの後じゃもうグッズを買うのもバカバカしい気持ちになる。卒業したんだもん。
そういう意味でも完璧に「終わった」。
いや、感想書き終えるとともにもう一度見たくなってきたな。
僕もまだまだインフィニティの成り損ないか🤷🏻♂️
Qからの展開だと、まずまず。
ありがとう、庵野監督
TV版、旧劇場版を視聴したのが四半世紀前。
当時からずっとモヤモヤして続けていたことを
すべて、すっきり、きれいに片づけてくれた。
「良い作品を語るために多くの言葉はいらない」
そんな気にさせる映画だった。
・強くしなやかになった碇シンジ。
「涙で救えるのは自分だけだ。僕が泣いても他の誰も救えない。だからもう、泣かないよ」
は人として自立することができた証。
・旧劇場版で成り損なった、シンジの母親役を務め切ったミサト。
Qで14年の歳月を経過させたのは、そのためだった。
最期の戦艦特攻は泣けた。
・息子のまえで素直に「すまなかった」と謝罪できたゲンドウ。
ユイとひとつになり、新劇場版でもっとも救われたのは彼だった。
・ほかにも
「人間らしさを手に入れたレイ」
「新たな相棒を得たカヲル」
「ケンスケが心の支えとなったアスカ」など
すべてのメインキャラが救われた。
・さんざん空気と揶揄されながら、
シンジのパートナーとして重要な役目が与えられていたマリ。
物語の終焉とともに虚構は解体され、現実に還る。
彼らは大人になり、街に飛び出す。
そして最後に流れる宇多田ヒカルの『One Last Kiss』。
製作者も観客も、キャラクターでさえも、
「エヴァ」という名の呪縛から解き放たれ、
爽やかな余韻を残す、完璧な締め方だった。
ありがとう、さようなら
いろんな解釈があるでしょうが、TVシリーズ、旧劇とループしている説や、序破の世界からQ(旧劇)の世界に転生などの説に違和感を持っています。
全作をライトに楽しんで来た自分的には、渚カヲルがこの世界のキーマンで、彼の目覚めた回数だけ世界が存在し、それぞれに結末があるパラレルワールド説を支持します。
TVシリーズ、旧劇と新劇シリーズは渚カヲルを中心とする別世界の物語という関連であり、単なるリブートではないけれど、物語の直接的な関係性はないという解釈です。
最後の駅のシーンはそのパラレルワールドの内の一つが実はこの世界でしたというオチですね。
まぁ徹底考察したわけでもないので、軽く流してくださいw
今作の感想としては「面白かった」というより「楽しめた」「堪能した」というのに近いです。
25年間お疲れ様でした。
大団円。
おつかれ様でした
色々と思うところもありますが素晴らしい映画でした。
完結おめでとうございます。
トウジとケンスケと委員長が生きていてよかった。
ニアサーで彼らも苦労したと思うけど一切シンジを責めず、むしろ本気で心配をしてくれている描写はなんだかホッとしました。
トウジとヒカリの子供を見ることができたのは感無量です。
個人的に旧劇から惣流アスカとシンジのカップリングが好きだったので残念に思う気持ちも最初はありましたが、かっこよく成長したケンスケが14年近く式波アスカを支えてたんだと思うとこれでよかったんだなと思えてきます。できれば破からQの間のエピソードもみたいなと思いました。
黒波さんの田植えや村の人たちの交流も良かったです。
最初はありがとうの意味も知らなかった彼女が、村で暮らすうちに自然にありがとうと言えるまで成長し、ずっと村に居たいと願うところは切なくて悲しくなりました。
加持さんがすごく英雄になってましたね。
息子の加持リョウジくんイケメンだったな。
でも父親と同じ名前つけられたら周囲にはややこしくないかな?
ブンダーに戻った後もQで敵意全開だったと思ってたクルーも実は(一部を除いて)そうではなく、ミサトさんもずっとシンジくんを気にしていたと聞いて涙が。やっぱりミサトさんはミサトさんだった。
シンジとリョウジくんのツーショット写真を大切に眺めている姿も特攻して槍を届ける時の「お母さん何もできなかった」も涙腺崩壊ポイントでした。
あとピンク髪の人...もっとヘイト溜めるかと思ったら案外普通の人だったとわかった。
鈴原サクラちゃん...もうこの子ヒロインでいいじゃんってなった。シンジへの感情がぐちゃぐちゃで重たくていい。本当に躊躇いゼロで撃ってピンク髪の子の存在を完全に食ってしまった。すごく好きです。
ゲンドウの独白は共感してしまった。
回想でちょくちょくマリっぽいのが出てくるんだけどゲンドウはユイ以外眼中にないのね。
なんか単眼になってたり脳みそこぼれたり人間やめちゃってたけどシンジとエヴァ対決してミサトさんの汚部屋で取っ組み合いしてる姿はシュールだった。
小さなシンジを抱きしめることができた時、ゲンドウは救われたんだなと思った。
その他にもリツコさん有能すぎる(居ないと詰んでいるレベルで)し、男前だし、日向さんと青葉さんは拳コツンするし見どころ多い。マヤさんの「これだから若い男は」もラストは意味が変わるのがいい。
式波アスカも一見シンジを突き放しているように見えてQのラストでシンジを助け出したり、見捨てず村まで連れて行ってあげるし、家出した後もちょくちょく様子を見に行ってあげたりでなんだかんだかなり献身的に面倒見てるなぁと思った。態度はかなりつっけんどんでキツめだったけど(笑)。
色々言われているレーションを無理矢理食わせたのだって食わないと死んでしまうっていうのがわかっていたからだし、食べろと言われて食べない人には物資が限られている中では、ああする他なかったんだと思う。
立ち直って戻ってきたシンジを見た時もつっけんどんだけどどこかホッとしてるように感じました。
補完シーンや和解シーンも良かったです。新劇の式波アスカはこれで良かったんだなと思えました。寄り添って頭を撫でてくれる人がいて本当によかったねアスカ。
シンジは、最初は目の前でカヲルくんが死んじゃってショックで何もかもを放棄していたけどトウジとケンスケとアスカや黒波たちとの交流で立ち直って覚悟完了してしまった。14歳なのにメンタル強いなぁと思いました。ゲンドウより大人だね。最後まできっちり決着つけたのはさすが主人公だなと嬉しくなった。ただ成長したシンジの声?が思ったより若くて声変わり前から声変わり後っていうより、声変わり途中のように感じてしまった。神木くんの声は嫌いではないけど普通に男性声優使えばよかったのでは?
マリ...一体何者?ゲンドウとかユイと同期だよね?貞本エヴァと若干設定変わってるっぽいし謎の存在すぎる。ラストではアスカやシンジが成長してることからエヴァの呪縛とかも無くなって年相応にみんな成長したのかと思ったけどマリは結構そのままだったな。ちょっとおしゃれだったけど。本当に謎の存在だ。この子もクローンだったりするのかな?でも綾波とも式波とも扱いが違うしなぁ。シンジくんのパートナーとしては文句はないのですが、謎の存在すぎて少しモヤモヤします。
そのうち設定資料集とかで明かしてくれるといいな。
気持ちが落ち着いたらもう一度観に行こうかと思います。まずは序からQを見直そうかな。
だいじょうぶだよ
アスカを迎えに行ったという解釈
ラストシーン、マリに手を引かれシンジが向かった先は何処なのか。
様々な解釈が出来る様になっています。
作中、頻繁に語られる大人と子供の関係を通してあからさまな迄に不遇なアスカの状況を観客に見せつける作りになってます(コレは旧劇から)。
物語終盤までシンジとアスカは「(完全に)大人になれていない」という点で一致しており、互いに恋人ではなく保護者(親)を求めています。シンジ=マリ、アスカ=ケンスケ
終盤で精神的に成長したシンジはアスカにかつての好意を伝えます。
赤面する大人になったアスカ。変わらぬシンジへの想いがあるのでしょう。
ラストシーン、向かいのホームには1人ベンチに座るアスカの姿が。
誰よりもアスカの救済を望んだマリに手を引かれ、シンジが向かった先は。。
こう解釈するとなんかしっくりくるのです。
話の流れとして、ホームでアスカのそばにケンスケが居てもなんら不自然ではないのですが、、敢えてそうしないのは、やはりシンジがアスカを迎え行く(救う)ラストを想起させる庵野さんの粋な計らいなんでしょう。
古くは旧劇からアスカの不遇を嘆く声がありましたが、旧劇、新劇含めてアスカの魂を救済ラストシーンにもなっていると思います。
期待以上の完結(ネタバレあり)
旧劇場版のトラウマをやっと払拭
してくれた感があります
すでに公開されていた冒頭の機械
と近代的なビル群とは打って変わっての誰もが予想外の前半
そして後半は悲惨だった旧劇と同じようでいて優しさに溢れた表現
で印象が好転!
ゲンドウがすまなかったとシンジを抱擁するシーンはまるで長年待たせたエヴァファンに監督が言っているようでした
それはあらゆる不満に対する謝罪になりますが特に旧劇でのアスカの気持ち悪いの一言で終劇した点
…このトラウマにつきます
直後このシーンを感動的にやり直してくれたのです!
自分はそれだけで十分でした
泣きに泣き、20年以上続いたエヴァの呪縛から解き放たれたようでした……
ケンケンが納得いかないってアスカファンもいるでしょうが、思春期の恋はうまくいかないもの…
大半の人が経験したほろ苦くも甘酸っぱい少年時の過去の恋として決別し、大人へと成長する過程…
それが旧劇の頃からエヴァを追ってすっかり大人になった自分にはたまらなく刺さりました
すべてがネタバレに。
テレビ版が、難解な終わり方をして考察されまくったのが25年前。
延期に次ぐ延期、コロナでも延期。
前作から9年待った僕たちには延期なんてちょっとした短いアトラクションだ。
それだけに期待度は大きく、ネタバレに敏感になる。
観賞後に出てくる人の表情も、映画館の近くのカフェでの会話、ネットの書き込み、全てが気になる対象に。
入口で貰える特典もある意味ネタバレに。
25年は長かった。だからこそ、完結したのか、しなかったのかもネタバレ。
「シン・」が付いた理由、面白いか面白くないか、わかったかわからなかったか、もう全てがネタバレの要素になる。
おそらく社会の全てが関係していて、世界が作品に侵食されていく感覚に襲われる。
これが、エヴァなのだ。
とりあえず、観ろ!
エヴァとガンダムの流れ似てない?
双方テレビシリーズで突然大ブレーク、最初の映画化とゼータで病み始め、新映画化と逆襲、新ゼータで丸くなる。流れが似てるなぁと。
誰しも歳を取れば丸くなることもある。シン・ゴジラを撮り終えた後、庵野監督はこれで行こうと思ったのかもしれない。
アスカが惣流から式波に変更した時点で新エヴァ劇場版の流れは決まっていたんだろう。
破で突然マリが参入したのも今作の担い手としだろうし。
コアなオールドファンは前劇場版を引きずって、大円団は納得出来ないだろうが、シンエヴァは四部作の完結編である。式波になった時点で過去のエヴァを引きずる必要が無いし関係無いのだ。
はっきり言って、マリのエヴァでしたね。オープニングとラストの使徒との対決では前作までと打って変わって大活躍。
綾波レイの可愛さとアスカの勇ましくも美しい様はファンもあるていどは満足したのではないかな。
ラストのシンジは父ゲンドウより大人になっていた。結局ゲンドウが一番ガキだったってことだ。
見終わった後、いちマリファンとしては、綾波レイファンやアスカファンには申し訳ないと思いながら、密かに小さくガッツポーズをした。
壮大な無駄遣い
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