シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全1015件中、481~500件目を表示
完結
ラストにシンジがやる気になる!
あれだけ殻にこもっていたシンジが成長したなぁ。
ゲンドウにもラストには認められた感があり本当に終わりなんだな、と気持ち的にも納得。
ストーリーの途中、漢字で見ないとわからないような単語がバンバン出てきたりしたり、よくわからないというエヴァ特有の展開が盛り沢山だったけど、面白かった!
ナウシカの続編にみえた
さよなら、エヴァンゲリオン
良かった。理解が追いついてない部分もあるけど、3時間あっという間の時間だった。
庵野秀明さんのプロフェッショナルを見ていた人はのり楽しめたんじゃないか(プロフェッショナルが作品をみて、関係のあるスタジオのシーンとかを意図的に残した?)。最後のシーンはスタジオにいるシンジ君自体、庵野さんと被せているように感じられ、そのシンジくんまでも救った終わりは、ある意味今の世の中に対して希望を残し、自分自身を救ったように思えた。
内容全体としてもプロフェッショナルで言っていたように、今までと違いかなり丁寧に説明が繰り返されていた。また、戦闘シーンをはじめ、カット1つ1つ作り込まれてて、アートにかんじられるレベル。カット1つでシンジくんの感情表現を伝わるトンネルの絵のような繊細な表現をし、戦闘シーンのカットでは360度かつ、距離感を含めた動きを多彩に扱うことで全く飽きることのない展開の早さを楽しめた。
ポスターが途中から全員が映った絵に変わったのはネオンジェネシスで、映画で表現しきれなかった全員が元気でやってることを表現したかったからかな。
ここからは自分の記憶の為にメモ。
・ファーストインパクト
白い月の衝突。地球のはじまり。
・セカンドインパクト
南極で発見されたアダムを卵状態まで還元させる(葛城父)。これによりアダムは胎児化、肉体がなくなることで爆発。ただし胎児化した為、アダム系の増殖阻止に成功。海の浄化を目的とした。
・ニアサードインパクト
初号機の覚醒。シンジがレイを取り戻す為に使徒のコアに干渉した為に発生。カオル君がカシウスの槍で強制停止。ほとんどの人類はここで死んだ。人類のインフィニティ化が一部発生。
・サードインパクト
ゲンドウが、自立式マーク6自らとリリスををロンギヌスの槍で刺すことで起こし、カジさんとマリ?が止めたカシウスの槍を貫くことで止めたインパクト。大地の浄化が目的。インフィニティ化を止める為にリリスの首を落とす。
・Qの最後
13号機でリリスと6号機に刺さっているカシウスとロンギヌスの槍を回収しにいくが、ロンギヌス2本になっており、これにより13号機は覚醒、また12使徒が生き残って13号機に侵食した為にカオルが13番目の使徒に落とされる。カオルが自殺することでインパクトにならず。
・フォースインパクト
ゲンドウがアスカを生贄に、覚醒した13号機をトリガーにセカンドインパクトの地獄の門を開いた。条件としては覚醒した13号機と、生贄の使徒、黒き月の復活、アダムスの器4つ(マーク9-12)。器は進化系エヴァで、中身の魂用に作られたのがアドバンスト綾波シリーズ。魂の浄化が目的。
・アディショナルインパクト
この為に槍2本を温存。マイナス宇宙のゴルゴタオブジェクトで起こしたが、ミサトがヴンダーでガイウスの槍を届け、インパクトはシンジが引き継ぐ。目的は世界の書き換え。条件は裏宇宙にあるゴルゴタオブジェクトに行く、エヴァンゲリオンイマジナリーを槍で刺す、槍はトリガーと生贄に2本必要。裏宇宙に行く条件が、使徒化された状態で覚醒したエヴァに乗ること?人を捨てたゲンドウ、覚醒した13号機、覚醒した初号機、使徒化されたシンジ、マリとオーバーラッピングされた8号機、アダムスの器プラスフォーインワン状態。
・それぞれの目的
ゼーレの目的は1つの肉体に1つの魂を集めるのが目的。それに対して、ゲンドウはユイと会う為、初号機に全ての魂を集める為、初号機を主にインパクトを起こす必要があり、その為に神になる(神殺し)をする必要があった。ゼーレとリリスとの契約は、アダムとリリス以外の使徒10体の殲滅。
・流れと感想と推測
最初の平和な日常シーンは、確かに何もかもを失った時に、人は助け合い感謝できる未来を作れるのかも。というよりそういう希望を持ちたい想いを感じた。確かにQで終わらせない必要性があったと感じれた。
ナギサくんのループ的な要素も疑問としては残った。ナギサとカジさんが上司部下だったのはゼーレだったから?でも、ゼーレの人を捨てたと言われながらゲンドウに死を告げられるシーンと噛み合わない気がする。
アスカが生贄になったのは、新しい使徒として認定された人種を生贄にする必要があったから?
解説を読んで確かに浜辺の絵コンテシーンはコア化が進んでいて、マリが来ることで現実に戻った。マリの存在は、庵野さんにとってはマリアとして、世界においては復活の証人としてのマグダラのマリアという意味だったのか。イスカリオテのマリアというのは聖書には出てこないらしい。イスカリオテのマティアはあるらしく、それもユダの後任の復活の証人として新たに使徒に入ったものだった。マリも年をとってないから使徒としてカウントされる?
ネオンジェネシスでマリとシンジだけが記憶が残って2人で旅立った。恋人とみる人もいるが、自分としてはシンジくんの母親であり、庵野秀明と安野モヨコさんに思えた。
髪が伸びたレイは、感情を手に入れ人間になった正面なんだろうな。
アスカもシンジも、結果的にはそれぞれ使徒化されていたことで、それぞれ使徒にカウントされる?11番目の使徒。
マイナス宇宙はLCLで満たされた記憶の世界。撮影スタジオのシーンが出てきたのは、世界の書き換えの途中で、アニメの世界観の書き換えをスタジオに見せていくのは面白いカットだと思った。
アスカが新2号機で最後にシングルエントリープラグじゃなかったことを驚いていたが、誰が乗っていた?アスカのクローン?オリジナル?
アスカは、式波がクローンであったことが今回で発覚したが、最後浜辺にいたのはオリジナルの惣流だったんだろう。赤いスーツが前のバージョンだったらしい。
いやー安心した(笑)
いやー安心した。これがシンエヴァンゲリヲンを見た率直な感想である。
エヴァとは深夜の再放送と97年の旧劇場版からの付き合いである。
設定の詳細や深掘りは私より鋭く洞察されている方がいらっしゃる。私は1995年から26年間、エヴァンゲリヲンにどういった感情で接して来たか書いてみたい。
まず95年のアニメ版。
95年、当時のテレビ東京は18:00代に結構際どいアニメをやっていた。女性の裸体を強調した容姿や内容もグロ、残酷なものが多かった。(もしよかったら爆裂ハンターやブルーシードを画像検索してほしい)
まだアニメは子供が見るもので夕方の時間帯を与えられていた。しかし内容は完全にアダルト向け、当時はOVAという文化の始まりでアニメ媒体でハードなものを作れる人々が夕方の地上波の時間を与えられているような感じだった。
そんな時に始まったのがエヴァンゲリオン。女性の裸体のようなプラグスーツやグロ描写もこの時間帯だから生まれたものかなと思う。
アニメ版のラストは訳が分からなかった。ラスト前から物語の謎に置いてけぼりで全然ついていけなくなっていた。
「これどんな話だったんだろう?」それが素直な気持ちだった。
そして旧劇場版。
なんとなく凄いものを見た感想はあるのだが、意味が分からなかった。なんとなく恥ずかしい気持ちにもなった。
キャラクターが当然のように知らないことをしゃべり、なんとく救われていないことは分かった。
アニメ版を録画したVHSを貸してエヴァに引き込み、一緒に旧劇を見に行った友達とあれこれ話したが、何だったんだろうなぁ…というモヤモヤした感じで終わった。
それから10年。庵野さんがもう一度エヴァをやるという。序、破、Qいずれも旧劇を見に行った友達と行った。
旧劇で中1、序で大学4年、破で社会人と大学院生、Qでお互い社会人になっていた。エヴァは社会的立場が変わりながら鑑賞してきた。
とうとうお互いに世帯を持って子供も出来た。
そんな友達と一緒にエヴァの最後を見届けた。
エヴァンゲリヲンが終わるにはシンジ君がまた明日も生きていこう、と前向きになるしか物語を終われないと思っていた。
そしてちゃんとそうして終わってくれた。
細かい設定や裏で起きている事象はもう良い。俺には追えない。
シンジ君が前を向けたラストだったことが嬉しかった。
私はエヴァンゲリオンは「巨人の破壊」を描写するための作品としてスタートしたと思っている。まず撮りたい画があってストーリーはその理由づけでしかない。
その中で出てくる登場人物、特に女性は庵野さんの人生で出会ってきた人を当てはめたように映った。
綾波レイは母、葛城ミサトは仕事に生きる女性、アスカは接点が無かった美人でギャルなクラスメート。
誰も男として自分を受け入れてくれる存在では無い。だから旧劇でいくら女性に救いを求めても拒絶され続けたのだろうと思う。
アニメ、旧劇では男にとって彼女や嫁さんに当たる女性が居なかった。
だからマリが登場したとき俺には安野モヨコにしか見えなかった。彼女だけがシンジの隣に居ようとし続けたキャラだったから。
本作、何度もシンジの口から「決着を着ける」や「終わらせる」という言葉が出る。それは、エヴァに乗る=アニメを作るという庵野さんの本音だと思うし、それはやりきったと思う。
撮りたい描写の理由付けでしか無かったキャラクターを救うことでエヴァンゲリヲンを終わらせたのだと思う。
こっちも大人になったからかトウジ、ケンスケ、ヒカリは良かったなー笑
皆んな立派になっていた。特にケンスケ。私はアニメ版からケンスケが好きで(アイツはシンジが家出した時も付き合ってくれたし、アニメ版で唯一良い奴だった)シンジ達を同級生ではなく大人にとして受け入れていた。
そう、シンジ、アスカ、レイはもうずっと子供だ。周りは成長しているのに26年間歳を取れなかった奴らが大人になる話だった。
シンエヴァンゲリヲンには子供、新生児、妊婦が出てくる。エヴァンゲリヲンが今まで見ようとしなかったものだ。私はエヴァンゲリヲンには内臓が無いように映っていた。設定上はあるのだが生物が生きていくための捕食、排泄、性行為といったものに対する嫌悪感がビジュアルに出ている。
だけど今回の映画では人間が生命を紡ぐシステムの描写、そしてその先にある人々の繋がりを肯定できるようになっていた。
だから全てのキャラクターを救うことが出来たのだと思う。
ブンダーの連中もQで見た時、なんだコイツらと思った(特にピンク髪)が、皆んなに見せ場があり好きになった(ピンク髪は言ってることもやってることも至極当然、そりゃそうだと思う。一番感情移入できた笑)
ラストはシンジが自分の意思でエヴァに乗り、父と対峙するというこれ以外エヴァを終わらせる方法が無いというシチュエーションにきちんと向き合った。
旧劇になかったゲンドウの心情吐露、これがエヴァを終わらせる槍だったと思う。
シンジは破の辺りから逞しい奴になっていたが、今回ちゃんと自分で立ち直れた。
その方法が三番目の綾波との会話。これも良かった。二番目と三番目を区別してそれぞれを救ってくれた。
そしてアスカ。
彼女はエヴァンゲリオンからずーっと不憫だった。それはアスカが男から見た繋がれない女の象徴だからだと思う。嫁さんを貰った男にとって、他の女はどうでも良くなる。だからクローンだったのかなと思った。
そんなアスカも帰る場所を見つけた。それを受け入れるケンスケ。(オマエいいポジション着いたなー笑)
全部を救ったシンジ君は大人になった。そして伴侶と歩き出す。これ以外ないラストだった。本当に良かった。
一点だけ!最後に残酷な天使のテーゼ流れてたら号泣してた笑
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【追記・鑑賞から時間が経った後の感想】
エヴァンゲリオンはなぜ終わったか
庵野監督はなんでエヴァンゲリオンをこういう終わり方にしたんだろう。
NHK プロフェッショナル仕事の流儀の終盤、安野モヨコさん(マリ)によく出来ましたと褒められる庵野監督が映る。
普通に見れば良い作品を作ったね、よく頑張ったね、という労いに観れるのだが私は安野モヨコさんが「(沢山の選択肢から)よくこのラストを選択したね」ということを褒めてるんじゃないかなと感じた。
なんというかサービス、サービスし過ぎなのだ、シンエヴァンゲリオンは。
シンエヴァで言っていることは旧劇と同じだ。ただ、それを映像表現としてダウナーに見せるかアッパーに見せるかの違いで。
庵野監督の実力からしたら観客を満足させて帰すことなんて簡単だ。それをしたくないからエヴァを作ってたんじゃないのか?なぜ、庵野監督はエヴァをこんなに綺麗に終わらせたんだろう。
それは庵野監督自身がウルトラマンを作れることになったからだと思う。もうエヴァに足を引っ張られたくないから観客を満足させて映画館から帰したんじゃないか。
元々、ウルトラマン(神)の代わりに作ったのがエヴァンゲリオン(神に似せて作ったもの)だ。
私は庵野監督がエヴァンゲリオンへの執着が無くなったんだと思う。だからこそ終わらせることが出来た。
歴史的傑作
鑑賞前日までの数日間で新劇場版3作の予習をして臨んでも若干難解ではあるものの、ある程度その後のセリフで説明してくれるし取り残されることはない。
とにかく映像だ!
手描き、CG、3DCGと、その複雑な組み合わせによる圧倒的映像で畳み掛けてくる!
そりゃ程よい難解さにもなるだろうし、それは観てる側にとっては心地良さにしかならない。
自分は決してアニメに詳しい訳ではないが「これがアニメ映画の最新型か!」と唸ってしまい、入場者特典が変わることも手伝って2日後に早速2回目を観に行った。
難解さは完全には解消出来なかったものの、しかし映像は相変わらず凄い!!
完全に理解したいので、あと2回位は新しい入場特典考えて下さい!😅
明確な答え
「大人になれ。子どもたちを守れ」
まず、アニメーションのクオリティがめちゃくちゃ高くて驚きました。
作画、CG・VFX、演出、音楽、声優などの完成度が高く、こんなん作る労力と時間を考えるとスタッフの皆さんに感謝しかないです…。
エヴァのグロいメカが大好きなのでめちゃくちゃ興奮しました。
ただ、ご都合主義な展開や批判を怖がってるのかな〜?と言う点がちょこちょこあって残念でした。
旧作のメッセージが「現実をみろ」なら、シンは「大人になれ。子どもたちを守れ」かと思いました。
決して、「恋愛、結婚、子育てしよう!普通の人間の生活しよう!」ではなく。
子どもが子どもらしく生きれないと大人になれない。エヴァの世界は大人になれなかった子どもだらけでした。その連鎖を断ち切って、子どもが傷つかなくていい世界を作らなければならないという切実な思いを感じました。
最後のシーンは蛇足かなと感じましたが…
あ〜、もう何回でも観たいな。
壮大な神話の完結
ファンでもなく、最近アニメを一気に見てその流れで新劇場版を見て気になって見ずにはいられなかった今作品。あっぱれでした。
エヴァシリーズは難解な点が多く、複雑な解釈を求められる。そのため理解できていない点や疑問に残る点があるままの鑑賞で、結局分からない部分も数多くあった。てか解説見るまで最後らへんとかは理解出来なかった。
それでもこの超大作の最後にふさわしい傑作だったんじゃないかと思う。世界を壊したすべてぎ自分の責任であり殻に閉じこもってるしんじがトウジやケンスケと話すことで立ち直り、自分のケジメをつけるとヴンドーに戻ったこと。ネルフのなかでしか生きれなかった綾波が人間の心に触れて温かい心を持ち始めること。そんな綾波が目の前で消えてしまうこと。あすかのエヴァに対する想い、ゲンドウのユイに対する壮絶な愛。人類全てを消してまでもユイに会いたいという想い。みさとさんがシンジを庇って撃たれること。自分を犠牲にみんなを助けること。まりがシンジをどこまでと探しにいくと言ったこと。最後に救ってくれたのはお母さんユイであったこと。そして、エヴァのいなくなった世界で行こう!と言って走り出したこと。など、名シーンの宝庫。
詳しいこと、細かいことはたくさんあるけど、最後に生きることに気持ちが前向きになってくれたこと、それだけでも心が幸せなのかもしれない。いろんな人の思いを知ってこれから新たな人生が始まるんだと、そう思った。
個人的に第八村で綾波が人間の心に触れて感情を覚えていく場面はとても好き。シンジがトリガーとなって引き起こされたサードインパクトで多くの人がいなくなった一方で、残された人々が協力して自然と共存しながらたくましくいきている。そんな人間味あふれる場所だったからこそ、綾波の心に変化ぎあったのかな。
そしてあすかの使徒解放。左目に封印していた使徒を解放してまでも人類を救いたいという想い。自分が人に戻れなくなってもこいつを倒すんだという強い思いに胸を打たれたよ。
20年の歴史に終止符を打つと同時にこの映画を見るものに安らぎと興奮とじわーっという余韻を深く刻んでいく物語。壮大な神話。
庵野さんの手のひらの上
傑作です。ただし(いつものとおり)一見様お断り。
自分としてエヴァは序・破・Qで見限っていたのですが、
NHK「仕事の流儀」庵野特集で、
・父親が事故で片足をなくし、ずっと世界を恨んでいた
・TVエヴァ終了後のファンからの殺人予告等で、自殺を考えた
・立ち直ったのは周囲の映画仲間や関係者、特に
何より、妻「安野モヨコ」が彼を支えた
・今回の一作で、決着をつける
という姿を見て、劇場に足を運んだ次第です。
こうした前情報があったせいか、徐々にシンジと庵野さんが
オーバーラップしていき、
「どうしてみんな、僕を放っておいてくれないんだ」
「それは、みんなあなたを愛しているから」のセリフや
今までどちらかというとサブキャラだったマリの唐突な
「何処にいても必ず迎えに行くから」のセリフに、
シンジ=庵野、 マリ=モヨコ、 同級生=映画仲間 という
構図があると気づいた次第です。
そうなると、後半にエヴァンゲリオンの映画製作風景が出てくるのは
映画と現実が侵犯しあっているということで納得。
となるとアスカは妹(実際に庵野さんには妹が実在)ということか?
ということでこの映画は、シンジの成長物語? 庵野さんの再生物語?
そしてNHKで庵野さんが語っていた「アングルと編集がすべて。内容は二の次」という
言葉から、結局自分の好きな絵をつくりたかっただけ?というすべてを多義的に
含んだ、実に奥行のある映画となったと思います。
さらに言うならば、庵野さんは、何故「仕事の流儀」に出演することを了解されたのか?
と聞かれた時に、「映画の為(番宣)」とちゃっかり答えておられました。
その手に引っかかって、見に行ったわけですが・・・
つまり全ては庵野さんの手のひらの上ということか。
それはそれでいいんです。
最後のホームの場面で、マリの手を引っ張って階段を
駆け上っていくシンジの姿を1日たった今もじんわりと思い返しています。
。
それぞれの贖罪。それぞれの落とし前。
何もかもが圧倒的すぎて抜け殻状態。
「とりあえず観た」という感想しか残らない。
まずは自分のエヴァンゲリオン歴について語らせてもらおう。
私がエヴァンゲリオンと出会ったのは25年前、と言いたいところだけど2020年5月なのでたかが10ヶ月前。
初めてのエヴァンゲリオンは『新劇場版:序』
はっきり言って「単調でサービスシーン多すぎでシラけた」というのが第一印象。
次に観たのは『新劇場版:破』
これも前半は退屈だったけど「今日の日はさようなら」引用シーンから作風がガラッと変わり一気に引き込まれた。
そして『新劇場版:Q』
世界観がわけわかんないのは序からなので、むしろ世界観をリセットしてくれたおかげでかなり作品に乗り込むことができた。当然意味不明なわけですが、CGIをフル活用した未知なる映像体験に酔い痺れた。
新劇場版の次に観たのは2021年1月に劇場公開された『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air /まごころを、君に』です。
TVシリーズの総集編的作品と聞いていたので「初心者にもってこいかな」と思い観たわけですが、これが初心者殺しのトンデモない映画だった。
またもや意味不明だし、脳みそをいじられるような感覚だったけど、とことん狂いに狂った「気持ち悪い」映像の虜になってしまった。旧劇は大好きです。
そして今作の公開前にやっと原点であるTVシリーズを鑑賞。観たからって何か分かったわけでもなく頭のモヤモヤは止まらないけれど、「エヴァ」という作品に馴染めたし愛情が出てきた気がする。
そして鑑賞前日に改めて新劇場版を見返した。
『序』は初見と対して印象は変わらなかったけど、『破』と『Q』が何故だか抜群にクソ素晴らしい映画に思えた。
と長々とエヴァ歴を失礼しました。
そんなわけで遂に完結編を観たのです。
どうせ理解できない事は目に見えているので「混乱するならとことん混乱してやるっ!」との思いで、日本で唯一、ユナイテッド・シネマ豊橋18にしかない4DX MAXシートで鑑賞することに。MAXシートは簡単に言えば、めっちゃ揺れる4DXって感じです。
「泣ける」とか「人生変わる」とか色々すごい噂は聞いていたからドキドキワクワクですよ!
はぁ…ここまではすらすら書けるんだ。
問題はこれから。
ネタバレしたく無いから多くは語れない、というのは口実で単純に理性が追いつかず語彙力喪失。
唯一ハッキリ言えるのは「スゲェもん観ちまった…」と「綾波はかわいい」ということだけ。
でもラスト「終劇」とでたとき「本当に終わっちゃうのか」と声が聞こえてきたし、隣のおじさんは無言で涙を流していたし、後ろの兄ちゃんは「やっば、サイコー!」と退場時話してたし、やっぱり完璧なピリオドなのかもしれないな。
自分に残ったのはとにかくヤバいもん観たという実感と、謎の罪悪感、敗北感。
一応、エヴァンゲリオンは一通り観たはずなんだけど今でも「エヴァ好き」とか名乗れないし「エヴァ初心者」である気しかしない。
音響効果が抜群なのは分かったので、また落ち着いたらIMAXとかで観ると思うので、その時に感想は書けたら書くつもりです。
ただいくつか気になるとこはあったのでそれは残しておこうと思う。
まず、CGIについて。
個人的にはTVシリーズや旧劇のどこか病的な画がとても好きだったんだけど、今回は複雑なビジュアルとかはほとんどCGIで表現していて、ポリゴンピクチュアズの作品を観ているようだった。平たく言えばめっちゃヌルヌルしてる。ヌルヌルはそれだけ滑らかだし表現の幅が広がるのでとてもいいことなんだけど、「なんかエヴァらしくない」と違和感を感じてしまう。
エヴァ素人に言われたく無いだろうけど、やはり背景とか戦闘シーンとかがヌルヌルし過ぎて浮いて観えてしまう。そこが少し残念かな、と。
あとラストシーン。
詳しいことは書かないけど「えーなんでそうなっちゃうのー!」と思ってしまった。
個人的にはTVシリーズ最終話にあった綾波が超陽キャの世界線で幕を閉じて欲しかった感はある。
そういうのも踏まえると初見の現時点では⭐︎4が妥当かな。
まあただの綾波推しの言うことなんで気にせんでください。
とりあえずまぁ、終わったと。別に大した思いいれないのに喪失感が半端ねぇ…
ちなみに題名にある「:Il」は音楽記号の反復という意味で、観れば分かるけど最初に戻るというコンセプトは実に庵野秀明らしい。序・破・Q(急)と筝(そう)の演奏形式だったからやはり音楽も大切なキーワードとなるのか。
3/23 ミッドランドスクエアシネマ2 スクリーン9 日本語字幕付き上映で鑑賞。
1回目のリピート(:||)なので2番ということで。
2回目ということもあり、冷静に観ることが出来た。字幕付きだったので状況や心理描写もすんなり理解。
シンジとゲンドウの対峙と辿り着く景色には感動すら覚えた。
真っ先に思い浮かんだ言葉は「カルタシス」
長年のエヴァファンが「人生変わる!」「泣ける!」と言う気持ちがよく分かる。対してエヴァに思い入れが無い自分でも「おぉ…終わった(´;ω;`)」となりました。
✩4から✩4.5に上げときます。
シンジとゲンドウのバトルからラストへの追い込みがすんごいのよ!
テレビシリーズから旧劇、新劇場版の伏線をひとつずつ回収していって1人ずつキャラを救済していく。
シンジの贖罪と落とし前をする物語でありながら、庵野秀明のエヴァファンに対する「贖罪」と、独り歩きし伝説と化した「エヴァンゲリオン」というコンテンツに対する創造主としての落とし前でもある作品だなと。
そう考えると初見に感じたCGIの違和感も納得がいく。すなわち「これは作り物なんだよ」というメッセージ。ラストの空撮も見た感じ3DCGだったし、「お前らもシンジみたいに前を向いて成長しろよ!」という庵野流のメッセージなんじゃないか。「世界はこんなにも美しいんだよ(beautiful world)」という。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』とは創造主からファンに対しての『One last kiss』だ。
そして見後に落とし前をした庵野秀明は自画自賛する。「beautiful boy」と。(総監督 庵野秀明 とクレジットがでたときの曲が『beautiful world』の「beautiful boy」というフレーズ)
とりあえず庵野さん。お疲れ様でした!
あなたは真のプロフェッショナルです!
追記
宇多田ヒカルの『one last kiss』を0.75倍速にするとヤシマ作戦で流れる「デン・デン・デン・デン・デンデン」と同じリズムになるらしい?
こんにちは。ありがとう。
考察は書かない。
この何十年間、すべての物語にありがとうと言いたい。
すべての人間の抱える、青年期から大人になる過程で
抱える悩みを、素晴らしいエンタメで、楽しませてくれた。
シンジの物語でもあり、ゲンドウの物語でもあり、
自分でもあり、アスカでもあり。
人類がつづく限り、繰り返される物語。
この作品と共に歩んだ、年月はかけがえの無いもの。
監督も、作品も悩み、それをリアルタイムで見られた。
同じ時代を同じ流れで過ごすことの出来た、
奇跡的な年代だと感じる。
庵野作品。
長嶋も見た。王も見た。尾崎、青木、イチロー、野茂、大谷
羽生、羽生、藤井、Qちゃん、手塚治虫、
そして、宮崎駿、等々、、、。
その時代だからこそ感じられる現実感。
今の若者に、長嶋、王、の時代の熱狂は皮膚感覚として伝わらない。
それと同じで、庵野の熱狂も、同じ時代を生きたからこそ
わかるものが確実にある。
しかし、この感想もエゴだと感じる。
ゴジラも、ウルトラマンも、より進化して蘇り、
より素晴らしい作品となり、繰り返される。
多分、エヴァも、そうなる。
ああ、もう、エヴァはエヴァ後の作品で多大な影響を
すでに与えてるか。
ただ、アスカファンからすると、アスカの幸せな大人姿を
見たかったな。
惣流・アスカ・ラングレーの。
鑑賞前には「NHKプロ〜」要視聴
「NHKプロフェッショナル」効果で混み合うかと覚悟してたが、上映回数が多いせいか、場内半分くらいの客入りでした。
TV放送から25年続いたエヴァも今作でようやくの終劇が出来ましたね。
内容結末には賛否両論あるかと思いますが、ちゃんと終わらせる事が出来た事に自分は満足しています。
「NHKプロフェッショナル 庵野秀明スペシャル」内で庵野氏からの禅問答かの様な無茶振りとも言える制作指示や絵コンテの無い新しい試みによりスタッフが翻弄される苦労がやっと実ったんだと思うと〜そりゃ試写で泣けてきますよね…
そして変人と言われる庵野秀明の生い立ち、特に父親の存在が今日の彼を形成した事を知った上で今作を考えてみると、「エヴァンゲリオン」とは庵野自身そのものなんだと思いました。
これでエヴァの登場人物はそれぞれの着地をする事が出来ました。
そしてなにより「エヴァの呪縛」から解放されたのは、エヴァを生み出した事により2回も自殺を考えた庵野自身なんだと。わ
2度目の鑑賞で評価UP
新劇場版がやっと完結で伏線回収
友人からの誘いで急に観にいくことになり、前作のQからだいぶ空いてしまっていたのと、おさらいをしないで観に行ってしまった為話が全く入らないまま序盤スタート。
何となくこんなんだったなとか思い出しながらスロースタートという感じで話が進む。
今回は前作よりもわりと話が分かりやすいかなと思ったのは伏線を回収するように話が進んでいたからかな?
ただ、正直普通レベルで映画鑑賞していた人にとっては話が難しすぎて一回観ただけでは全くついていけず終始置いてけぼりのまま終盤へ。
最後のシーンはヲタク、一般人共にとても分かりやすく良かったと思う。
これで終わり!という庵野さんの言葉がこもったラストだったと思います。
最後に、YouTubeなどで解説を閲覧したら更にもう一度観に行きたくなりましたね。
個人的は納得のいくラスト。
綺麗な終わり方。
正にその通りの結末の付け方だと思った。
いくつかの謎や伏線は回収されてはいないもののストーリーとしては気にならなかった。それだけ流れの組み立てが上手かったのか見せ方が良かったのかは分からなかったが個人的に腑に落ちたというのが感想です。
...ネタバレなしで感想書こうと思いましたがこれだけは書いておこうかと。賛否の分かれるマリのヒロインもよくよく考えるとアリなのかと思います。彼女の存在は特異点そのものです。その彼女の登場により用意されたシナリオの外側へと展開していく。そんな役回りの様に感じますね。映画の冒頭のセリフもラストへの伏線も兼ねているのも良いと思いました。
マリの存在はチートという批判もあったけどそもそもチーターと意識されたキャラだから仕方ない。Qとシンでマリが冒頭で歌っていたのは水前寺清子さんの楽曲。水前寺清子さんがデビュー前に使おうとしていた芸名は東京マリ。そしてその愛称はチータ(チートキャラの事をチーターとも呼ぶ)。製作側がこの辺りを意識してない筈がないですもん。
色々と語ると終わらない感じなのでこの辺にしておきますが、個人的にはよい結末だったと思います。
美しくもあり残酷でもある。
昔の良い頃のジブリぽいなぁ…と感じるシーンもあった。
あと、この映画スタッフの良いところ、キャストよりもスタッフのネームの方が先にロールされてる。
これだけの作品を作るのは本当に大変だっただろう。
涙は自分のために流すもので…
シリーズへの愛あるラストに感謝…!
期待してた以上に「エヴァ」シリーズ愛に溢れた良いラストだった…!観終わると、「さようなら 全てのエヴァンゲリオン」って言葉の意味がわかる…。
Qを観た感じだと「この物語をどう決着させるんだ(決着するのか)!?」と思ってたけど、ちゃんと伏線も回収されていたし、それ以上に、長い時間苦悩し続けたシンジくんをはじめ、すべての登場人物たちや、エヴァンゲリオンの各機体の鎮魂歌(レクイエム)になっていたのがわかる。
かつて子どもだったシンジくんやアスカ、トウジ、ケンスケたちはちゃんと大人になった。
碇ゲンドウは自ら構想し、囚われ続けた人類補完計画から解放された。そしてミサトさんたちも。
そして、たぶん作り手の庵野秀明氏もエヴァシリーズから解放された。
現実に流れた膨大な時間。受け取り手の私たちも年齢を重ねた。
だからそれらがひたすら感慨深かった。
そしてメディアミックスで出てきた機体、ネタ、TVアニメシリーズのモチーフも随所に出てきて、まさに集大成になっていたし、長年追ってきたファンへのサービスでもあるんだろうな。
長年続いた一大コンテンツを「ちゃんと終わらせる」のってとてもとても大変なことだと思う。でもエヴァは本当に「ちゃんと」終わった。
スタッフも新旧のアニメーターやアニメ制作会社が名を連ねてて、時間とたくさんの人の手を借りてエヴァシリーズは完成した。
愛あるラストを見せてくれた庵野監督やスタッフの皆さんに、1ファンとして感謝したいし、最初のテレビシリーズから足かけ20年近くかけて、ようやくフィナーレを迎えたんだな、迎えられたんだなと思うとすごく感慨深い。
しばらく余韻に浸りたい。
全1015件中、481~500件目を表示