シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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浅い...何も感動が無かった。
感想は他の低評価つけた方と大体同じです。
この作品って熱烈な信者の方々一生懸命ステマ啓蒙を頑張っているけど中身がスッカスカで表現も新しく見えるだけで実際のところガイナ時代の頃から手法は変わっていないというのを改めて認識できた。
監督筆頭に制作陣もファンもずっと停滞しているんだろうという感想を持ち
だから表現者として特撮実写に逃げているんだと改めて納得出来ました。
この程度の出来で満足している方々は今までエヴァンゲリオン関連にかけたお金をもう少し他のスタジオにまわした方がもっと良い作品が見れると思いますしこの国のコンテンツ力UPにも寄与できると思います。
監督はアダルトチルドレンのままだった
正直な感想です。酷い映画でしかなかった。
映画を見終わって解説を読んでも腑に落ちない。
全く理解不能の映画でした。
ストーリーも映像も回を追うごとに酷い、、、
何の感動も意味もない、ただ最後まで見終わるのが苦痛でしかない映画でした🥲
特に主人公にイライラしっぱなしでした。
どうして人気が一定の人にはあるのか、全くわかりません。。
どこが良いの??
エヴァは謎を多くして、分かりづらくしてちょっと刺激的なシーンをふんだんに入れたり興味を沸かせる商法の映画なのかな?としか。。
何となく大人的に誤魔化してまとめてる。
宇多田ヒカルの歌が唯一の救いかな。
日本のアニメ映画って、昔はもっと深い意味や難しさがあって大人になっても観られる映画だったけど、昨今のアニメは良いものもあれば酷いものもある。
特に刺激を求めたシーンの連発だとか、性欲だとか、アニメだからと観るに耐えない血が噴き出るようなイメージの惨殺シーンとか、人間であっても機械や物であっても酷すぎる。
エヴァだけに言えないけど、ちょっとエグすぎる刺激を利用した漫画やアニメは子供や未成年や若年層のうちからこういった描写を目にして育つと必然と犯罪にも繋がる気がするし、昔に比べて身近に増えた気がする。
もうちょっと考えほしい。
こういった部類のアニメに一定数人気があるって事が個人的には怖いと思う。
見に行かなくてよかった◎
友人の代わりに
1 はじめに
私はエヴァ初心者であり、にわかだ。
これを書くにあたり友人の見識や考察サイトから色々なものを補完し、いまこれを書き連ねている。
私とエヴァの出会いは中学生の頃だった。
当時周りはヤシマ作戦で盛り上がっていたと思う。その頃、何故これがこんなに面白いと言われているか正直分からなかった。
おそらく、当時や今含め私はシンジのことが分からず、好きとは言えなかったからだと思う。
ただ、周りの熱狂はその後も数年あいては再熱し、鎮火し再熱することを繰り返していた。
その間に、当たり前のように私も歳を重ねて行った。
そういう過程の中でエヴァンゲリオンに面白さを、親しみを、愛着を抱いたのだと思う。
今回、シンエヴァンゲリヲンを観て、ああ終わってしまったのだと思った。片手間のように追ってきたこの作品に対して一抹の寂しさを覚えた。それこそが、にわかでも私がこの作品を好きだと言える証明かもしれない。
2 シンジとアスカ、マリ
アスカとシンジがあの形で終われたことに嬉しさがあった。どちらかと言うと、エヴァの醍醐味であるシンジへの好意と嫌悪よりもアスカへの投影が私にはあったからだ。
そうとは限らないことを前提に書くけれど、幸せになりたいと思えるひとと幸せになることは割と難しいことだと思う。この人が好きとこの人と幸せになれるは意味が違うことがある。
学生の内の恋愛はとくに、大概歳の近いひとと付き合うので、同じ速度の同じ温度感で成長できないと距離や理解が遠ざかってく気がする。
上手く噛み合わないまま恋をし続けるのは結構大変だと思う。
私自身が初恋を拗らせ、何年も沢山のことがあったからかもしれないけれど。
好きだなと思う反面、未来も幸せもそこにはない。
Q前日譚の中ではアスカはシンジが死んだものだと一旦理解してるのも理由のひとつ。
だからこそ、最後に明確にアスカとはそうならないよと庵野が言ってくることは現実だなとおもうし、くっついていたら安っぽいなとすら思う。(庵野がエヴァにおいて掲げてるテーマに現実を生きろというのがあるので)
成長の先で新しく現れた相手と幸せを望むのは現実的思考で、マリがシンジを迎えに来るのは自然かも。
最後、惣流が救われたのも良かった。14年間あの海辺で待っていた惣流は式波と同化して救われた感じがして、この辺に庵野が全てのエヴァを回収して終わらせようとしてるが見える。
3 ゲンドウとシンジ
ゲンドウの独白は本当、ゲンドウさあ…である。
孤独な幼少期を選び、人と関わることが嫌であることはいいけれど、シンジに同じことを押し付けているのはどうなんだと思ってしまう。
ユイに会ってわたしの世界が変わったなら、それ以前に自分から動けばもっと変わっていたのでは?ひいては、シンジが生まれる前にもう少しコミュニケーションを覚えられたのでは?という。
これについてはもうどうしようもない所だし、生きている誰かを傷つけそうなのであまり言えない所ではあるけれど。
作品としてはゲンドウの人間性の理由や想いが伝わってエヴァの解決に向かうのに必要な所だったと思う。
シンジがかなりゲンドウに近しい道を歩んでるのも分かる。
それでも、シンジが一歩先に成長した。
何故か考えた時、特異点はケンケンとトウジという純粋な友達がいたことなのかなと思う。
メタ的な視点になるが、14年後のケンケンとトウジが第三村でそれぞれ色々なものを乗り越えている世界線だから特異点になり得ているので、昔の友達の形ではシンジはエヴァを終わらせられないとも思うけれど。
トウジは感情に任せてシンジを殴らないし、ケンスケは裸のアスカをみてもはしゃいだりしない。どちらかと言うと、シンジの方が少し捻くれた大人びた雰囲気であった。
14年間の間に2人は成長し、ただ静かにシンジに寄り添っていたからこそ、第三村の綾波をまたしても目の前で失ったことから進もうと出来た。
アスカが生きるための尻叩きをしてくれ、2人がそのままの自分を受け入れて待ってくれている。
シンジの「なんでみんなそんなに優しいんだよ」色々集約されてる気がする。
4 ゲンドウとカヲルくん
ゲンドウとカオルくんは近い存在であることがシンエヴァで分かった。
ピアノの連弾はもう一つの親子の形か??
もちろん同一人物足り得ないのでこれは拡大解釈すぎるが。
ゲンドウもカヲルくんもシンジの幸せを決めつけ、シンジの幸せを見つけれあげられなかった点でも合致しているのかなと思う。
ゲンドウがシンジに注ぎたかった愛情をカヲルくんが持っているって言うのが近いかもしれない。
宇部新川駅でレイとカヲルくんが一緒にいるのもユイとゲンドウの再会になのかもしれない。
最後の方のシーンでカヲルくん自身がループしているので視聴者もループを観測している側か?
冬月が都合の良い逆行はないとも言っていたのでこの辺は少し曖昧。
5 ミサトさん
これまでのエヴァ作品で、ほぼ毎回ミサトさんはシンジがすることへの責任をもつと発言している。
これについて私は漠然と薄いなと感じていて、世界観として仕方がない部分があるのは前提として書く。
大体の場面において責任の所在を作ろうが責任は果たせないし、シンジの保護者という点でもシンジがしたことをシンジ自身がミサトさんに預けられる所ではない。シンジは目の前で身体で体験をしてしまっているので。
けれど、今回のミサトさんの「責任はわたしが持ちます。」というのは不思議と本当にその気があるぞと思わせてくれた。(もしかしたら、ミサトさんも私もあの場面のシンジに幼さを感じなかったからかも?)
これについては、割と漠然と思っていたことで感覚的なものなので、結末からの影響もあると思う。
それでも、14年たって28歳だったミサトさんも大人になったんだなと感じたし、母親になったんだとも思える場面だった。
また、カジさんの最後を知ってQでのミサトさんの態度にも納得した。
6 庵野
エヴァンゲリオンは庵野の私小説だと思っている。
少し調べたところQの後精神的にきつかったと聞く。
シンゴジラをやってみないかとか、ジブリの声優をやってみないかとか誘われたのは、庵野にとって休息と周りからの優しさを実感する機会だったのだろう。
だからこそ、シンエヴァでシンジは周りに助けられ前を見ることを決められ、ああいう終わりを見出せたのだと思う。
それまでのエヴァンゲリオンという作品は庵野しかり、視聴者しかりこじらせまくったもの。というか、拗らせてるからこそのエヴァンゲリオンとも言う。
最後の駅でのシーンも実生活で庵野が結婚したことも関係あるかなと思う。
シンジは自らの贖罪のためDSSチョーカーをつけているが、マリがそれを外す。
シンジ(庵野)を許し、救い、共に生きるのは、アスカやレイ(過去の女性)ではなく、新しく突然現れたマリ(安野モヨコさん)という所も反映されていそうだ。
7 ありがとう
ここまで書いてきたが、なんでエヴァが好きで、庵野のことを絶妙に雑に扱ってしまうのかはエヴァが庵野の私小説でシンジもゲンドウもおそらく庵野であったことを最初から感覚的には知っていたからなのかもしれない。
エヴァの呪縛で年を取らない子供のままのシンジは、いつまでもエヴァ(自分にとって居心地の良い世界)を卒業できない私でもあるので、完結ありがとうと言いたい。
エヴァがエヴァのままきちんと落とし前をつけれくれたことに嬉しさがある。
とにかく、製作者や鬱の庵野を支えてくれた方々、宇多田ヒカルありがとう。
8 蛇足
箇条書き感想
重複等あったらすみません▽
・庵野はシンジだと思ったらゲンドウか?
・シンクロ率無限大♾笑う
・パリ以外パチスロ感強い(新カットはマシになった方)
・アスカがシンジにレーション無理くり食べさせるシーン、シンジがまだ人間としてていをなしてる上に情けなさがあって良い(新カットは画角変わって薄れる)
・もしかしてゲンドウの眼鏡われすぎ…?
・綾波が第3村で爆けるシーン分かってたのにびっくりするし悲しい
・デカ波の恐さ
・ミサトさんの反動推進型エンジンね聞けて良かった
・綾波いつでも3歳だな
・シンジとゲンドウ戦うところ刃牙みあった。家で普通に戦ってるところとか
・その後精神性の会話する所はエヴァ
・エヴァは観測者視点からのループか?
・みんなコミュニケーション不足すぎでは?エヴァに関わると大人も成長遅くなるのか?
・大人役のシンジ神木隆之介声良い
・現実を生きろ
エヴァ大好きだったが、冷めました
心が動く作品
そうきたか
エヴァを理解するのはそもそも無理なことだと思っているので、分からない…という感想は割合。
レイに色々な感情を学ばせてから退場させたり、過去の名言、シーンを出すのが好きなんだなぁ…と見てて出た感想。
そもそも私はシンジくんに感情移入ができない。
作中前半もずーーーっとなよなよウジウジとしていて(言い方)アスカが激怒した時は「いやほんとそれな!?」となった。
でも後半では色々乗り越えて、初号機と13号機のようにゲンドウと対の存在になる。ここがなんとも強引だけどなんか良かった←
なんか、ゲンドウはユイの死を乗り越えられず世界を作りかえようとするけど、シンジくんはそれを乗り越えた上で世界を作りかえるんです。
だからラストはあえてミサトさんもアスカも出さなかったんだろうな…と思った。あれ、でもアスカは生きてるのか。
あと死んだキャラが出てくるので嬉しい反面、いやあえて出さないで欲しくもあったなと微妙な気持ちに。加地さん…いや、嬉しいけど……。
ミサトさんの死に方も(ミサトさんはなんとなく最初から死ぬとは思ってた)某宇宙のヤ〇トみたいで個人的に「ここもオマージュですか」となった。いやでもこの演出はしょうがないよな、うん。冬月が1番可哀想だった。
そもそも、ユイが死ななければこんな大事にはなってないかもしれないんだよな…と考えるとゲンドウの愛の重さって凄いんだなと思った。あと、みんな当たり前のように「これはまさに、〇〇インパクト(ちょっと忘れた←)なのね」と新しい言語を生み出すので(多分私の認知不足もある)ちょっとふふふっとなった。なんか面白かった。
人に勧めることが出来るかと聞かれたら多分おすすめはできないけれど、好きか嫌いかと問われたら好きと答えるようなそんな作品。
ラストは漫画版と同じような感じだったので、このレビューにあるように「そうきたか!」となった。成長してるけど、やはりどっちつかずな感じはシンジくんらしいな…(レイなのかアスカなのか)って感じで私は良かった。だってどっちも選べない。そしてそもそもこれはそういう系の話ではないと思ってる。
呪縛からの解放
アスカ、いっきまーす
宇多田ヒカルの歌は泣ける
色々ツッコミたいところはあるが、完結編としては、多分、こういう展開しかなかったんだろうなと思います。
マリエンドは劇中散々匂わせてたし、やっぱりムネがある成熟?した女を選べよっていうメッセージですかね?
エンディングの宇多田ヒカルの局は相変わらず良かった
それでも縁は残る
破壊と創造の物語
自分はコアなエヴァファンではない。にわかファンだ。
深い考察も出来ないし、監督の人となりも知らない。ただ、このシリーズと同じ時代を生きただけの人間である。
そんな自分でも鑑賞後、心臓が激しく鼓動した。
多くの映画を見てきたけれど、こんなにもドキドキしながら劇場を後にしたのは数年ぶりだ。感動と喪失感と希望を与えてくれた本作に感謝。
アクションも人間ドラマも超一級
作画も構図も超一級
影響力、メッセージ性も超一級
エヴァンゲリオンは神話になった。
見た人の人生を変えるほどの力がある作品は数あれど、エヴァンゲリオンほど日本の文化に影響を与えた作品は今後生まれるだろうか。
必ず生まれるはずだ。本作が生まれるために糧にした素晴らしい作品が有るように、本作を糧に素晴らしい作品が創造されるのは必然だから。
恩返しというものが有る。恩は受けた本人に返さなくてもいい、誰かに返せばいい。
そうして築き上げられる円環こそがより良いもの、より素晴らしいものに繋がるはずだから。
そんな円環を意識せずにはいられない。本作に対する感想はこれにつきる。
シンジの引きこもり描写やゲンドウの人間不信、親子の対話。
見ていてグサグサ心に刺さった。
監督の心情がもろに出ていて苦しかった。
自分にも重ねてしまった。
物語が終焉に近ずくに連れて、終わらないでくれ、もっとこの世界に居させてくれと願った。
しかしラストで解き放たれた。
それは悲しいお別れではなかった。
「行こう」と言ってくれた。うれしかった。
生きる事は進むこと。
これはエヴァ直撃世代ならもうすでに知ってる答えだと思う。
この作品に教えてもらったものではなくて、自分なりに歩んだ人生から学んだ答えだろうから。
しかしその答えをエヴァが提示してくれた。答え合わせをしてくれたことほどファンにはたまらないものはないだろう。
憧れた作品が、手が届かなかった作品が、苦しい道を進んでいた事、寄り添っていたこと、自分と同じだった事に喜ばないファンはいないはずだ。
だから私は泣いた。希望と共感と後押ししてくれた事を感じた時、涙が出た。にわかファンだけれど「ありがとう」と心の中で叫んでいた。
もう生きる術は知っている、もう歩む道程も見えている。でもそれ以上に大切な進む力を背中を押してくれたエヴァンゲリオンに感謝せずにいられない。
本当にありがとう、あとは我々の物語だ。
エヴァが私にかけた魔法、呪い、夢は解けた。
次は魔法も呪いも夢もかける番だ。
おやすみなさい
開拓してくれて
おはよう
新たな始まりを迎えたさせてくれて
ありがとう
そばに居て導いていくれて
さようなら
後を任せてくれて
明日へのおまじないを全ての人へ。
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劇中セリフより
「今が一番若いから」
生涯現役とか一生青春とか「寒い」と思ってたけど、体じゃなくて心が大事なんだと気が付いた。心や気持ちを衰えさせないようにしていきたいものです。
エヴァ一般人として勇気を持ってレビュー
やっと終わった
中盤までは第三村での昔懐かしい日本の原風景での束の間の生活、メカまみれの仮想都市を描いてきた反動なのかジブリ風に作風が一変。
女性陣が活躍することやB級映画のお約束のようなエロいシーンは相変わらず、この辺は庵野監督の昭和親父ぽさなのか。レイやアスカを振り回して結局はマリとくっつくというのはとんだプレイボーイ、最後になってやっと万年少年から色男風に脱皮しましたね。とはいうものの映画の大半はうじうじしたり拗ねたりで気が滅入ります、狂った親父との骨肉の争いというのも戦国時代じゃあるまいしテーマとしては頂けません。
最終章になってようやくゲンドウの企みが明るみに、人類が単一化すれば諍いも揉め事も無くなるから理想郷というのはどういう思考回路がもたらしたのか短絡的過ぎてどっ白け。
そもそもこの物語SFなのか宗教哲学なのか意味不明、聖書にまつわる逸話まで絡めて神だの人類救済などと如何わしい新興宗教のような権威づけで偽装しているが基本、淋しがり屋の一人好きという矛盾に悩む病んだ男の妄想劇に思えてしまい残念。
まあ、良くも悪くも庵野ワールド、作家性が全てなので好きずきでしょう。本作を観る為に序から一気に見直しましたが感想としては、やっと終わったということくらい・・。
気持ち悪いアニメ ネタバレになります
『ガキに必要なのは恋人じゃない。母親よ』アスカの言葉。
ゲンドウくんのねらいは、すぐに分かった。碇ゲンドウを悪役と決めてから、話の最後まで分かってしまった。(2回も見れば分かるが)
誰もいないのが、辛くなんかないよ。孤独なんて、なれれば普通だし、寧ろ、自由が増えてわずらわしさがなくなる。
兎に角、最後の説明がくどくて長すぎる。最後、30分はいらないね。火曜サ○ペンス並み。
所詮、二代に渡るマザコンでバカ男の破滅の話でしかない。
最後の歌があまり良くない。一時流行った歌手としり、なるほどと思ったが、生臭い場面で『美しいクラシック音楽』使って、ラストに経費かけることはないだろうと思った。まぁ、タイアップなのだろうと思うが。あまり、耳に残らない聞き覚えのある音楽と思った。
庵野秀明先生!こりすぎている!しかし、CG使いすぎて、キャラクターの動きと線が雑で、CG感が消えていない。それなら、いっそフルCGすればと感じた。
劇場で封切られていないが、ディストピアな話なら、少女終末旅行だなぁ。派手なアクションはないが、深刻さの度合いが全く違う。少女終末旅行は芸術的とも、文学的とも言える。やっぱり、芸術作品は、粗野で自己中で傍若無人なくせにモラトリアムなマザコン男よりも、賢明な女性の創造した作品が一番だ。
と言いつつ、そんな男今いないのかなぁ。僕も含めて、僕の時代は沢山いた。
過去最低駄作。
内容が浅い。
やはり最終作の脚本は庵野で無い方が良い。と言い切れるほど内容が浅い。
ネタバレはしたくないので本質を"抽象"に置き換えた形でレビューします。
思想・思考が合わない方もいるのであまり読まない方がいいです。
過去シリーズでは主に人間の本質・真理とは何か?というぼんやりとしたテーマを宗教観に沿って割と解りやすくストーリーが進んでいたと思います。
特に過去作では真理を求める過程を物語に置き換える手法が素晴らしかったです。
今作では庵野が真理を得たのかな?とワクワクして観ましたが、到達していません。
自己確立という意味では十分に到達しています。問題はその先です。
自己認識の中でのいわゆる神という座標は十分に表現されていると思いますが、最終到達点である真理には程遠く、前作からの数年の進歩が全く感じられませんでした。
もしかすると"老舗の変わらない味"みたいな事を求める方向性に変わったのかもしれませんが。(完全に物語を終わらせるつもりが全くないのかも)
個人的な満足度としては、続作を前提とすれば40%位です。
真理というのはなかなか発見する、又は知る事はかなり可能性が低いというのは重々承知しておりますが、庵野には真理を表現して欲しかった。
マリの言動に真理に近い所が多々あるのでそこが見どころとなるのではないのでしょうか。
もし、真理について本当に知りたいのであれば個人的に教えます。
キーワードは青緑と黄色と30です。探してコンタクトしてください。
ひたすら、もやもやする
半年間自分を悩ませ続けるこの映画。
碇シンジは旧劇場版に比べて精神的に退化してると思う。
一度は他者との境界を無くし、人類皆で一つになって楽になろうとした旧劇場版の碇シンジは、最終的にそれらを拒絶し他者の居る世界を選びます。あまりに困難な状況の中でこの様な立派な決断をしたシンジくんを自分は凄いと思ってました。
なので、会って僅かでよくも知らない相手と最後一緒に歩むと言う演出には違和感ばかりを抱きました。
それって結局ネオンジェネシスして、都合の悪い世界とおさらばしたってことじゃね?と…
しかしシンエヴァ公開直後、旧劇=バッドエンド、シンエヴァ=トゥルーエンドなどという意見が多くの場所で見受けられ非常に残念でなりませんでした。
映像も:Qの使い回しで10分近くあり、4年間何をしていたんだ?と。NHKの特集での監督の「思い入れはない」発言は本当だったのだなと実感しました。
舞台挨拶を見るために計4回劇場に足を運びましたが、4回目になる頃には全編通して眠くなってましたので印象に一つ加えさせていただきます。
他の印象は下の欄にはありません。
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