「25年経っても、相変わらず下半身丸出し」シン・エヴァンゲリオン劇場版 今日は休館日さんの映画レビュー(感想・評価)
25年経っても、相変わらず下半身丸出し
25年前に始まった作品だ。
見る側も何度も体験を積み重ね、同作に影響を受けた作品も数多く生まれている。ギリギリまで見る側の理解を阻害して惹きつける造りは同作ならではの魅力だが、その世界観にもはや新鮮味はない。独特な表現技法も、同作自身が付けてきた手垢にまみれている。
しかしこの作品が最後にぶち込んできたのは、監督自身のまるで衰えない衝動と作家性。私小説的な丸裸のパーソナリティだった。これが極めて鮮烈で衝撃的。
特に『シン・ゴジラ』に明らかなように、この監督は器用で上手い。しかしエヴァンゲリオンという作品においては、常に監督自身のパーソナルな部分を、混沌とした物語に乗せることを重視してきたように思える。
しかし25年も経っているのである。そこで私達は驚かされる。「こいつ、まだこんなに吐き出したいことが残っているのか……」と。そして庵野秀明は知っているのである。自分の下半身を晒すが如くのパーソナリティを作品にする術と、その商品性の高さを。
小学生の農業体験のような人々との触れ合い、自治体のCMのようなだっさい終わり方、マリへの偏愛、ゲンドウとユイのタイタニック、わざとらしいタイトル回収など、本当にこれでいいのか?という点も多い(シャンプーのCMみたいな、マリの海辺のシーンはなんなん?)。ゲンドウの独白だって、ラジオの人生相談にも採用されないほど、凡庸でつまらない悩みだ。
もう途中から「何を見せられてるんだろう」と笑けてくるのである。こんなでかい画面とでかい音で、「オタクおじさんの割礼」を見せられても、こっちはあなたの友達でもなければ、懺悔室の牧師でもない。知ったこっちゃないのである。
しかし、そんな訳の分からない作家性と人間性が迫り来る状況に震えてしまう。監督の剥き出しのパーソナリティに、嬉々として興奮してしまう。他では得難い映画体験だ。