「見終わっても、「うん、知ってた」としか言えない」シン・エヴァンゲリオン劇場版 猫シャチさんの映画レビュー(感想・評価)
見終わっても、「うん、知ってた」としか言えない
「まあ、こうするしか無いんだろうな・・」
本作を見た直後の、これが率直な感想です。
「エヴァ」という作品を牽引していたものとして、
・学園エヴァとしてのラブコメ要素
・既存のロボットものの枠にハマらないバトル描写
・謎によるクリフハンガー
・私小説的でさえある心情描写
などがありますが、今回の「シンエヴァ」でどれほどのものが残っているでしょうか。
今の庵野さんがラブコメを描けない事は既に「破」で露呈していますし、
バトル演出はほぼ全てをCG化する事で作画時代のケレン味を失い
屋上屋を架すような謎を本気で追いかけるのは一部の好事家のみとなり
そして一番大事な事として、すでに庵野監督自身がシンジ君に仮託するほどの熱情を失っている。だからこそ9年かかるわけです。作りたいものを作っているなら、こうはならない。
Qのラストに続く物語に、私が期待していたのはジュブナイルSF的な展開でした。シンジ、綾波、アスカの3人が赤い荒野の大地を旅する・・そこで人としての何かに触れる、気づく、取り戻す・・どんな壮大なお話になるかと期待していました。確かに作るのはむつかしい、9年かかっても仕方がない、と。ところが出てきたのは災害後の日常をサバイブする共同体。after3.11のアレです。「あーこっちに持っていっちゃったか・・」って、思いましたね。楽な方を選んじゃったなと。
このコミュニティの住人がまたやたら饒舌で。綾波に絡むおばちゃん達や、委員長やらが、聞かれてもいない事まであれこれ語る。限られた尺の中で役割をこなすために、みんなが都合の良い住人になっている。綾波もまた、やたら素直に順応する。シンジに勧められても本を頑なに読まなかったQとは既に別人です。段取りをこなすための、舞台装置に過ぎない。そんな描写の薄っぺらさが、見ていて辛い。前半はアスカだけが救いでしたね。
シンジ君が復活してからも、艦長がひとり特攻するヒロイズムだとか、父殺しを行う息子だとか、最新の映像技術を駆使して古典を見せてくれます。庵野監督のご年齢を考えれば、新しい引き出しがあるわけもなく、こうするしか無かったのでしょう。もちろん、古典やお約束が悪いわけでもないですし、実際よく出来ている。だから感動する人が居ても不思議じゃないです。それを否定するつもりはありません。ただシナリオが弱いから、引用したシーンのコラージュで終わってしまっている。ヤマトだったり、999だったり、ナウシカだったり。「旧エヴァ」も引用は多いんだけど、それらが修飾する中心に「エヴァでしか見れない熱量」があったわけですが、新劇場版の中心には何もなくて、空っぽなんですよ。だからこそ脚本でもう少しスイングさせたい所ですが、原案が監督だとこの辺はどうにもならないですね。
さてラストですが、庵野監督が富野さんの「新訳Z」を見て今回の連作を作ることを決めたと聞いた時から、こうなるだろうなとは思っていました。そして「新訳Z」のラストがオリジナルに比べて語られる事が少ないように、ハッピーエンドというのは物語の死を意味します。「エヴァ」はこれまで、例えお話として一応は完結していても、何かを観客の心に宿題のように残してくれてきました。問題作とされたQですら、その意味ではれっきとした「エヴァ」でした。だからこそ、綺麗なお姉さんと走り出すシンジ君を見て、「あーほんとにエヴァ終わったな」って思えました。私が受け取るべきものは、もうこの作品にはないなと。
まあ、だから、これで良かったのでしょう。だって終われたのだから。
PS.それでもシンジ君はアスカとくっついてほしかったな~