劇場公開日 2021年3月8日

「ヲタクという病 への最終結論がコレ」シン・エヴァンゲリオン劇場版 たまねぎ なきおさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5ヲタクという病 への最終結論がコレ

2021年3月14日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

幸せ

現実の中で幸せを見いだす事でしか、人が幸せになる方法はない。
これはヲタク先進国だった日本の最終結論だと感じる。

25年前にシンジくんと同世代だった人は今や40代~30代後半だ。
エヴァに何かしらのシンパシーを感じてシリーズを追っかけていた かつての子供も
それぞれの岐路をかいくぐり、大きな失敗だったり誰かとの決別だったり、精神の羽陽曲折を経て この最終話にたどり着いている。

背景を思い返してみれば
80~90年代に社会問題になった【ヲタク】という【現象】は2020年代現在、当たり前の存在であり概念となり
アニメや漫画やゲーム、アイドルや映画や小説、音楽等、全ての娯楽創作物は、つまらない現実の逃避先として認められている。

そう。
結局はヲタクかどうか 子供か大人かに関わらず現実は誰にとってもつまらないし、満たされない物だったという事だ。

それでも、
現実を受け止める勇気を持てた人達は既婚未婚 男女 年齢問わず、この現実世界の中で希望を見いだし 希望を持って生きる事が出来ている。

だが、現実から逃げて現実をボヤかし
切り離し過ぎてしまった人達はどうなっただろうか。
逃避先の世界の中の自分は幸せだが
【現実の自分】だけはいつも置き去りで
現実の自分と 理想の自分がドンドン剥離していき、自分(現実)が邪魔に感じる所まで来てしまっている。

簡単に言えば、楽しい娯楽に触れた時
「あー楽しかった。明日も頑張ろう。」
というのが正常な状態で
「あー楽しかった。明日なんて来てほしくないな」
というのが娯楽との距離感が狂いだしている状態、ということだ。

いくら想像の中で自分が幸せを感じたとしても、それを眺めている現実の自分が
現実との折り合いをしっかり保てていなければ、何を感じようが何を得ようが無意味なのだが
そのバランスを失った人が爆発的に増えたのがエヴァ世代だった。

この最終話でゲンドウは
現実を切り捨てひたすら想像の理想世界を追い求めていた自分の弱さを打ち明け、精神的な欠如に気付き、それを受け入れることで救われた。
シンジやアスカやカヲル、その他の登場人物全員、自分は幸せになりたかった事に気づき、認めて、打ち明け、その自分を受け入れる事で次の段階に進んだり救済されている。

終盤とラストを見れば分かるが
初期映画にも見られた
【これはアニメだ。作り物だ。】という演出がふんだんに盛り込まれ、現実の世界を映して物語は終るが
初期映画にあった怨念や憂鬱さは消えて、現実に帰る人達の背中を押すような演出だった。

これは庵野監督の師匠筋にあたる今は亡きジブリの高畑監督が提唱し続けて来た
「こんな世界に行きたいなーと思わせてしまうようなアニメは人を救うようで結果的には救わない。見た者が現実はつまらないんだと感じさせてしまうような作品は創作物として邪道だ。」というポリシーに通じるものがあり、蛍の墓やポンポコも同様の終わり方をしている。

話は反れたが
エヴァンゲリオンという現象は
80~90年代に人類が直面した 【娯楽作品への逃避行為】という死に至る病に対する
実録の取り扱い説明書であり、結論だと感じる。

たまねぎ なきお