「アスカを迎えに行ったという解釈」シン・エヴァンゲリオン劇場版 海老太さんの映画レビュー(感想・評価)
アスカを迎えに行ったという解釈
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ラストシーン、マリに手を引かれシンジが向かった先は何処なのか。
様々な解釈が出来る様になっています。
作中、頻繁に語られる大人と子供の関係を通してあからさまな迄に不遇なアスカの状況を観客に見せつける作りになってます(コレは旧劇から)。
物語終盤までシンジとアスカは「(完全に)大人になれていない」という点で一致しており、互いに恋人ではなく保護者(親)を求めています。シンジ=マリ、アスカ=ケンスケ
終盤で精神的に成長したシンジはアスカにかつての好意を伝えます。
赤面する大人になったアスカ。変わらぬシンジへの想いがあるのでしょう。
ラストシーン、向かいのホームには1人ベンチに座るアスカの姿が。
誰よりもアスカの救済を望んだマリに手を引かれ、シンジが向かった先は。。
こう解釈するとなんかしっくりくるのです。
話の流れとして、ホームでアスカのそばにケンスケが居てもなんら不自然ではないのですが、、敢えてそうしないのは、やはりシンジがアスカを迎え行く(救う)ラストを想起させる庵野さんの粋な計らいなんでしょう。
古くは旧劇からアスカの不遇を嘆く声がありましたが、旧劇、新劇含めてアスカの魂を救済ラストシーンにもなっていると思います。
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