「観客に黙ってゲテモノ食わせるのやめなさい、気持ち悪い。」シン・エヴァンゲリオン劇場版 アベシンゾーさんの映画レビュー(感想・評価)
観客に黙ってゲテモノ食わせるのやめなさい、気持ち悪い。
旧劇、新劇通して最も駄作。
後半は私小説的なプライベートフィルムに成り果てる。
「air/まごころをきみに」でも使われた手法、表現がより稚拙で醜悪な形で
映像として展開される。
糞便をたっぷり食わせて育てた養殖輸入鰻を国産天然物と偽って
とびきり旨いタレにつけて客に食わせるような映像表現に辟易する。
エヴァンゲリオンシリーズは元々庵野秀明が↓以下引用
「自分の気分というものをフィルムに定着させてみたい」というきっかけで
作られることになった。「庵野ほかスタッフ自身がアニメほか映像作品を観て育った世代であり、無数のアニメや実写作品のパロディーによってしか作品を作ることができない」と「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」という方法論に基づいて創作されている【引用】庵野秀明と終わらない90年代。『シン・ゴジラ』を経てたどり着いた『旧エヴァ』という爆心地 照沼健太 より
>「自らの人生だけはオリジナルである。そのオリジナルを作品に注入することで、作品をオリジナルたらしめる」
確かにその通りであるが、それさえも所詮「よくある話だな」で済むのである。
小便をするときに右手で持つのか左手で持つのか、両手なのか、はたまた
手放しなのかとかそんな事でオリジナリティーを主張されても失笑しかない。
劇中ある女性キャラクターは日常を半裸で過ごしている。
しかし乳首を見せることは絶対にない、カメラワークや
羽織っているジャケットで乳首部分だけギリギリ見えないようにされている。
これは作劇的にまったく意味は無く、ただただ視聴制限を下げる為にある。
もし視聴制限がないなら躊躇無く露出することだろう。
で、あるから乳首だけ見えなければいいというポイントを逆手に取った
露悪的な作画が恥ずかしげもなく続くのである。
物語は続くが最終決戦に出発する前にある男性キャラクターが
件の女性キャラクターにふいに撮影カメラを向ける。
ファインダー越しに女性は「捕らないでよ」と嫌がるが
男性は「今日という日は特別だから~」的な事を言い女性キャラクターは
渋々承知する。
私は目眩がした。
このシーンの意図することは
「これで世界が終わるかもしれないから・・せめて」という
撮影してる風を装った観客に対する犯行宣言なのである。
「これからお前の身に起こる出来事は決定的に不可逆的な物になる。
だから失われるこの瞬間のお前をファインダーに納めておこうニヤニヤ」
どうしてこの女性キャラクターがここまで加虐されるのか。
それは現実に起こった出来事に由来するからだ。
その事情を知らぬものは当たりさわりのない表現に見え、
事情を知るものにはとてもまともな人間とは思えない表現になる。
エヴァンゲリオンシリーズには常にこういった二重構造的な
演出意図が明確にある。「所謂分かる人には分かる」的なものだ。
表現者としてやりたい表現があるのは理解できる。
それが「ろくでなしこ」的なものならば社会も事前に認識して
回避しやすい。しかし確信犯的にこういった映像表現をステルスで
仕込むことを私はあまり歓迎しない。
そういった表現がやりたければ適切なアンダーグラウンドでやればいい。
社会的責任が付きまとうメジャーコンテンツでやるべきではない。
こういった不適切な映像演出も低評価の理由にあるが
もっとも大きい理由は単純に映像的に退屈で詰まらないからである。
劇伴もシーンも何一つ心に響かず空虚な芝居が転がるだけの作品。
文字通りエヴァンゲリオンはここに終わったのである。