劇場公開日 2012年9月7日

「最後のケジメ。」踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 蒔島 継語さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0最後のケジメ。

2012年9月12日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

笑える

楽しい

興奮

どんな会社にも、組織にも、しがらみはあるだろう。ホンネとタテマエがあるのだろう。人が集まってできている以上はルールがある。決まり事がある。

時にそれが足かせになる。あと一歩のところで。もうちょっとのところで。もう少しだけ手を伸ばせば、という時に限って、組織の理屈や規則が割ってはいる。それはいつだって冷徹で、無慈悲で、動かざる事山の如しで、どうしようもない。

それはいまも、この日本中のいたるところで起きていること。

だから社会に出れば、誰しも身に覚えはあるだろう。頭でわかってはいても、膝を折ってなお割り切れない苦しさを。

国家を運営するお役所の世界では特にそうだ。法を執行する機関であれば、なおさらのことだ。そしてそれはいつも「踊る」シリーズの中心に静かに在り続けた。

例えば、劇場版の第1作を思い出してほしい。青島刑事が瀕死の重傷を負っていたあの時、幹部クラスの官僚たちは解放感いっぱいで会議室を後にする所だった。あのカットは人の不在の空間を映しているのと同時に、抗えない無慈悲そのものが画面いっぱいを覆った、象徴的な瞬間だった。

第2作めでは、「事件は会議室で起きているの」というひとことで、露骨に擬人化した。

「あの日見た夢の続きを今も憶えているから」、青島刑事も室井さんも、そういった「組織の宿命」と戦い続け、幾度も苦渋をなめながらも、「あてもなく過ごす日々を どうにかこうにか切り抜け」てきた。事件を解決することはできても、彼らが相手にしてきた「ホンボシ」との決着はいつもおあずけで、だから青島刑事はこう言い続けてきた。

「室井さんはもっと偉くなって下さいよ。現場の俺たちが、正しいことができるように」

そんなふたりが対峙してきた、巨大で理不尽な「警察機構のしくみ」との、最後のケジメを、創り手は物語の中心に据えた。それは正面きっての最終決戦。

だから物語を通して生起する事件は表層に過ぎない。映画の表面を覆うテクスチャに過ぎない。決戦は「会議室と現場のはざま」で起きており、そのゆくえは事件を「どう解決するのか」にかかっている。

その戦いが始まるとき、青島刑事も室井さんも、一気に窮地へ突き落とされる。青島刑事は辞職勧告のうえで警察手帳を没収され、捜査権を剥奪される。室井さんは一連の警察官の不祥事の責任を取る役割を強要され、湾岸署へ派遣される。全てを闇に葬るため、そのいけにえとして捧げられるために。

その時、青島刑事は、室井さんは、何を思い、何を信じるのか。ふたりの理想はどこへ向かうのか。

サブタイトルでもある「新たなる希望」がスクリーンに出現する瞬間、踊る大捜査線は15年の歴史に潔く幕を下ろす。わかる人なら、そこで思わず涙するはずだ。そのカットで物語ははっきりと終わるのだから。あなたがもし、シリーズを追いかけ続けてきたファンだったなら、ぜひその目撃者になってもらいたいと思う。

結末を、湾岸署の皆とわかちあうために。

蒔島 継語