「【87.9】桐島、部活やめるってよ 映画レビュー」桐島、部活やめるってよ honeyさんの映画レビュー(感想・評価)
【87.9】桐島、部活やめるってよ 映画レビュー
作品の完成度
本作の核心的な完成度は、不在の主題を巡るメタ構造と、時間の反復を用いた視覚的修辞の徹底にある。吉田大八監督は、朝井リョウの原作が持つ群像劇の形式を、単なる多視点ドラマではなく、「桐島が部活をやめた」という一つの事件を起点に、同一の金曜日から週末にかけての出来事を、登場人物の社会的階層(スクールカースト)に沿って何度も巻き戻し、再構築することで、緊張感のある不協和音として響かせた。この構造が、映画の主題である「誰かの不在が、他者の存在証明となる」という現代社会の普遍的なテーマを鮮烈に浮き彫りにする。映画は「桐島」という中心空洞を中心に回り続け、その空洞が逆に周囲の生徒たちの小さなヒエラルキー、焦燥、そしてカタルシスを増幅させる機能美を持つ。特に終盤、カーストの底辺に位置する前田と、頂点にいる宏樹といった少年たちが邂逅する屋上でのクライマックスは、日常と非日常が一瞬で交錯する劇的な瞬間であり、青春映画の枠を超えた普遍的な達成として評価されるべきである。第36回日本アカデミー賞最優秀作品賞をはじめ、国内の主要な映画賞を軒並み席巻した事実は、この作品が時代と批評の両方から、その完成度の高さを認められた揺るぎない証左である。
監督・演出・編集
吉田大八の演出は、徹底した客観性と抑制が効いている。彼は登場人物の内面に過度に深入りせず、あくまで彼らの行動や表情、そしてその物理的な配置を通して、高校という密室空間の「空気」を冷徹に切り取った。この「空気」を可視化したのが、日下部元孝による編集の妙である。同一の時間軸を反復し、視点を切り替えることで、個々のエピソードが単なる断片ではなく、一つの大きな社会構造の歯車であることを示す。特に、バドミントン部の面々と映画部の面々、あるいは吹奏楽部の沢島亜矢が、同じ空間にいながら完全に異なる世界を生きているという対比を、編集のリズムが効果的に強調している。演出面では、淡々とした会話の合間に訪れる、吹奏楽部の演奏や映画部の撮影といった「部活動」の非日常的な熱量が、凡庸な日常に一石を投じる瞬間の爆発力を巧みに引き出している。
キャスティング・役者の演技
本作のキャスティングは、その後の日本映画界を担う若手俳優陣の才能を的確に見抜き、彼らの持つ生の息吹を作品に焼き付けた点において、特筆に値する。彼らの瑞々しくも生々しい演技が、高校生の持つ多層的な感情をリアルに描き出し、作品のリアリティを根底から支えている。
• 神木隆之介(前田涼也 役)
本作の真の主人公であり、スクールカーストの底辺に位置する映画部部長という役柄を、神木隆之介は抑制された、しかし内面に熱い炎を秘めた見事な演技で体現した。彼は、自身が愛する映画作りという非日常の情熱と、クラス内のヒエラルキーの中で見下される日常の屈辱との間で揺れ動く、複雑な青年の葛藤を、細やかな表情と眼差し一つで表現する。彼の視点は常に下を向きがちでありながら、一度カメラのファインダーを覗くと一転して世界を支配する者としての鋭さを覗かせる。特に、カースト上位の人間に対する鬱積した感情を屋上で爆発させ、「桐島」という空虚な偶像から解放される終盤のシーンは、彼のキャリアにおける一つの転機となり得る程の凄絶なものであり、彼の持つ静的な存在感と動的な演技力の幅を改めて証明した。彼は単なる「オタク」の記号的な描写に留まらず、芸術を志す者の孤独と誇りを深く表現しきった点で、主演として極めて高い評価を受けるべきである。
• 橋本愛(東原かすみ 役)
バドミントン部に所属する東原かすみ役を演じた橋本愛は、カースト上位の目立つ女子グループの一員でありながら、常に周囲の空気を読み、一歩引いた位置から世界を観察する少女の繊細さを表現した。彼女はグループ内で唯一彼氏がいるという事実が、彼女の地位の強固さを示す一方で、グループ内での噂話やゴシップには加わらないという冷静さを保っている。彼女の演技は、感情を表に出すことをためらい、内側では確かな焦燥感と諦念を抱える現代の若者の肖像である。その寡黙な表情の中に、高校生活における様々な諦めと小さな希望を宿しており、抑制された演技が観客に強い共感を呼んだ。
• 大後寿々花(沢島亜矢 役)
吹奏楽部に所属し、部長を務める沢島亜矢役を演じた大後寿々花は、カースト上位にいる宏樹への秘めたる純粋な恋心に苦しむ、学校内の「その他大勢」の側の心情を見事に表現した。彼女は、授業中に前の席の宏樹を見つめたり、放課後に彼の姿を見るために屋上で個人練習をするなど、報われない片思いの切実さを、内向的でありながらも部活ではリーダーシップを発揮するという二面性を持つ役柄に深く反映させた。彼女の持つ静かな眼差しと、テナーサックス(劇中ではアルトサックス)を吹く真剣な横顔が、カーストという壁によって隔てられた青春の純粋な憧れと、現実の諦念を象徴的に描き出している。
• 東出昌大(菊池宏樹 役)
本作が本格的な俳優デビュー作となった東出昌大は、桐島の親友であり、クラスの人気者である菊池宏樹という難しい役柄を、持ち前の端正な容姿と、内に秘めた虚無感を漂わせる演技で演じきった。彼は、カーストの頂点にいながら、その地位に何の執着も興味もなく、むしろ自らが属する世界に対する違和感を常に抱えている。その存在の曖昧さ、何者でもないという焦燥感を、常に伏し目がちでどこか投げやりな態度で表現し、観客に「見えない苦悩」を想像させる余地を与えた。
• 山本美月(飯田梨紗 役)
クレジットの最後の方に登場する主要な助演者として、山本美月が演じた飯田梨紗は、宏樹の彼女であり、クラスのカースト制度において女王のような存在である。彼女は、その美貌と地位によって常に周囲の羨望を集めるが、その裏側で、自分たちの地位や関係性が「桐島」という中心的存在に依存していることへの不安と、その中心が揺らいだことによる苛立ちを体現する。山本は、表面的な華やかさと内面の脆さとのギャップを、瞬間の表情や、宏樹との会話におけるプライドの高さで鮮明に描き出した。
脚本・ストーリー
脚本(喜安浩平、吉田大八)は、原作小説の優れた構成を活かしつつ、映画的な表現に昇華させた点が成功の鍵である。「桐島が部活をやめる」という出来事そのものではなく、その「出来事の余波」を主軸に据えることで、日本の高校社会における「スクールカースト」という不可視の権力構造を、ドキュメンタリータッチで暴き出す。ストーリーは、誰もが経験したであろう、部活や友情、恋愛といった日常の小さな事象が、実は見えない階層と密接に結びついているという残酷な現実を突きつける。物語が進むにつれて、カーストの上下が逆転するような劇的な展開はなく、それぞれのキャラクターが抱える焦燥感や諦念が静かに積み重なっていく手法が、主題の普遍性を高めている。
映像・美術衣装
本作の映像は、高校という閉鎖空間の生々しい熱気を帯びている。美術は、誰もが知る一般的な日本の高校の教室、体育館、部室を徹底してリアルに再現し、過剰な装飾を排することで、一種のドキュメンタリー的な緊張感を生み出している。これは、登場人物たちが日常的に生活する空間のリアリティを担保し、彼らの感情の揺れ動きを際立たせる効果がある。衣装に関しても、着崩された制服や、部活動のジャージ、そしてカースト上位者の持つブランド品など、それぞれの所属や地位を示す記号として機能しており、美術と一体となって物語の背景構造を構築している。
音楽
本作は主題歌を設けず、高橋優の「陽はまた昇る」がエンディングテーマとして使用された。劇中においては、吹奏楽部の練習風景や、映画部の撮影シーンで流れる「七人の侍のテーマ」が印象的である。特に「七人の侍のテーマ」は、映画部の前田涼也たちにとっての「闘い」を象徴する音楽として機能し、彼らが抱く「非日常への憧憬」と「現実への挑戦」を鼓舞する。静かな日常の描写が多い分、劇中の音楽は、生徒たちの内に秘めたエネルギーや、抑圧された情熱を代弁するかのように響きわたり、作品の emotional arc を下支えする。
受賞歴
本作は、その革新的な構造と完成度の高さから、国内の主要な映画賞を席巻した。特に、第36回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞、最優秀監督賞(吉田大八)、最優秀編集賞(日下部元孝)の三冠を含む複数の賞を受賞した。また、第86回キネマ旬報ベスト・テンにおいても日本映画ベスト・ワンおよび監督賞に選出されるなど、批評家からも高い評価を獲得し、2012年の日本映画界における最重要作品の一つとしての地位を確立している。
作品[The Kirishima Thing]
主演
評価対象: 神木隆之介
適用評価点: A9
助演
評価対象: 橋本愛、大後寿々花、東出昌大、山本美月
適用評価点: A9
脚本・ストーリー
評価対象: 喜安浩平、吉田大八
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: 近藤龍人
適用評価点: B8
美術・衣装
評価対象: 樫山智恵子
適用評価点: B8
音楽
評価対象: 近藤達郎
適用評価点: B8
編集(減点)
評価対象: 日下部元孝
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: 吉田大八
総合スコア:[87.945]
