恋のロンドン狂騒曲のレビュー・感想・評価
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ウディアレンの作品って、厳しいものが多い。 その厳しさってのは、人...
ウディアレンの作品って、厳しいものが多い。
その厳しさってのは、人間の愚かさを諦観の視点で描く、といったもの。
今作はそんなウディアレン作品の中でも特に厳しい。
今作の主人公たちは、みんな他力本願。
新作が書けない小説家は他人の作品を盗みもう一度一旗揚げようとし、その嫁は母の金を頼りにギャラリーオープンを夢見てる。
その母はイカサマ占い師の言う事を盲目的に信じ、その元旦那は金に物を言わせ若い女と付き合うことで老いる不安から解放されようとする。
そんな他力本願でどうしようもない彼らは、結局みんな上手くはいかない。
小説家は盗作がバレそうだし、嫁は母から金を支援して貰えない。オヤジは若い女の浪費が原因で火の車で、その若い女は浮気しまくり。
唯一上手くいったように見えるのが母だ。しかしどっぷりイカサマスピリチュアリズムにハマってしまってる母は事実全くハッピーエンドとは思えない。そう思ってるのは本人だけ。何と哀れなことか。
その哀れな母を、カメラは少し離れた所から見つめ、映画は終わる。
何と厳しい映画なんだろうか。
でもそんなウディアレンに、自分はとても共感するため、大好きだ。
人生は所詮単なるから騒ぎ
ストーリー上舞台がロンドンである必然性はないので、これはイギリス出身の俳優を起用したかったが故の舞台設定ではなかったか?
相も変わらず、いい年をした(いや、もう若くはない)大人が惚れたはれた、くっついたり別れたりのから騒ぎ。
いくら人生経験を重ねたところで、こと色恋に関しては、人間はベテランになることも、賢くなることも出来ないらしい。
死の恐怖に怯えるアルフィは長年連れ添った妻を捨て、夫に捨てられ傷心のヘレナはインチキ占い師の予言を盲信し、娘のサリーは甲斐性のない売れない作家ロイに愛想を尽かして勤め先のギャラリーのオーナーとの不倫を妄想し、ロイは向かいに住む若く美しい赤い服の女ディアに思いを寄せるといった具合。
多くのウディ・アレン作品では、最後は皆おさまるところにおさまりハッピー・エンドとなるのがお決まりのパターンだが、今作はちょっと違う。
ロイが作品を盗んだヘンリーは昏睡中で彼の悪事が露見するかも、サリーのギャラリーがどうなるかも、シャーメインのお腹の子は本当にアルフィの子どもなのかも分からず終い。唯一、予言や生まれ変わりを信じるヘレナとジェイソンだけが一応のハッピー・エンドを迎える。
これは原題“YOU WILL MEET A TALL DARK STRANGER”の通り、信じる者は救われるということなんだろうか?
ウディ・アレン作品の中で、特に傑作ということもないが、登場人物が喋りたおす安定のウディ・アレン印です。
「恋の幻想」にとらわれた懲りない大人たち
映画「恋のロンドン狂騒曲」(ウッディ・アレン監督)から。
作品を思い出すには、冒頭に綴られた、
「シェイクスピア曰く『人生は単なる空騒ぎ、意味など何一つない』」を
気になる一言にしようと考えたが、「薬より、幻想が効く場合もあるわ」や
「今は、ヨタ話が聞ける精神状態じゃない」
「僕らは助け合ってきたろ?」「そうかしら」
「人生は一度じゃないの、この世はナゾに満ちているのよ」
「この『無意味な空騒ぎ』の本は、そろそろページを閉じよう」
「人は思い悩むものだ。人生の不安と苦痛に『いかに対処すべきか』と」など、
短いなりに、ウッディ・アレン監督らしい皮肉が込められたフレーズが
私のメモ帳に書き込まれた。
いつものように、鑑賞後に見た予告編に、総まとめのフレーズを見つけた。
「『恋の幻想』にとらわれた懲りない大人たち」
そう、一言で言えば「懲りない大人たち」が主役のドタバタ劇、
もっとやることがあるでしょ?と言いたくなるほど、呆れるが、
本人たちは真剣そのもの、だから「狂騒曲」なのだろう。
逆に「人生に意味などないから、楽しく空騒ぎしよう」という、
監督らしいメッセージかもしれない。
原題「You Will Meet a Tall Dark Stranger」を翻訳(直訳)したら
「あなたは、背が高い暗い知らない人に会います」と表示された。(笑)
ますますわからなくなってきた、人生ってものに。
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