「花の愛情が偏りすぎていて萎える」おおかみこどもの雨と雪 minさんの映画レビュー(感想・評価)
花の愛情が偏りすぎていて萎える
取りあえず、クライマックスの花が雨を探しに森へ行く件に関して。
・花が雪を放っておきながら、それに対して何の葛藤も無い。←親としてどうよ?
・雪を追って森へ入った花だが、森で雪を見付けられたとしてその後どうするかのプランが皆無。森へ入るには軽装すぎ、実際に事故まで起こしていて、愛情深い親というよりもただの馬鹿。
・助けられた後、雨の遠吠えを聞いた途端に雨を人間的に育てようとするのをいきなり諦める。唐突すぎ。
・で、花が雪を放っておいた事に関する言い訳もなにもなし。現実問題として、台風の中で親を待っている子供を放っておきながら、その点に関して無かった事にしている作り手の倫理観には疑問が残る。
・全体に花は雨に対してのみ愛情を注いでいて、雪に対して愛情を注ぐ場面が少なく、子供に対する愛情が不平等。
・あと転校生の男の子の親が「新しい子供がいたら、お前はいらない」と男の子に言ったとされるけれども、あの母親の設定では権利や世間体にはうるさい母親では? 我が子も迎えに行かない親というレッテルを貼られても平気なのかな? そういう母親というレッテルを貼られている事を、新しい夫に知られても平気なのかしらん。
・基本的には、その他にも問題の多い映画だと思う。
・前半30分くらいの、引っ越しをする前までの件はただ冗長なだけ。単なる説明に過ぎない。
・雨が溺れるシーンは通過儀礼として機能しきれていない。その前後でキャラクタとしての変化がない。(それ以前に狼や森について興味を持っているし、鳥を捕まえたのも溺れる前)
・本を読んで農業を学んでおきながら、種芋を知らないばかりか、切らずに植えるとか。どんな本を読んでるのか知らないけれど、そんな事も書いてない本てあるのか? それともやっぱり花って馬鹿なの?
・田舎や自然に対する過剰な幻想が鬱陶しい。
・つか、森に「主」って。
・しかもそれがキツネて。
・で、それの代わりが狼? 何がしたいの?
・背景のCG描写とキャラのアニメ描写の噛み合わせが悪い。
・単に自然の美しさを表現するなら、実写で十分な訳で、影を排除した不自然なCGで表現する意味が不明。
・とはいえ『サマーウォーズ』よか酷くないので、興味がある人は観てみても良いんじゃないかな。
【この作品への、他の方々のレビューも開いてみた】
minさんという最初のかたは、ずいぶんと不満をぶつけておられて、「シナリオの不備」がどうしても決定的に許しがたいご様子。
ついてはそれに対するコメントの応酬もかなりの本数に登っていて、いささかレビュー欄が荒れているのだ。
この作品は、観た者の心を揺さぶってくる。
神聖にして不可侵な我が母と、その子供であった自分の関係を、ここまで生(なま)に、ここまで他人の介入を許さず、そしてここまでこだわりの記憶として、
・レビューした者にも、
・コメントをした者にも、
各自双方に想起させるものだから。
だから、他人の口出しもアドバイスもお互い相容れないのだ。
― つばぜり合いの100本ものコメントを読んでいてそう思った。
レビュー氏、あそこまで突っかかって“放置された姉=雪”を庇(かば)い、ここまで母親や足手まといな弟に怒りをぶつけるのは、この作品が鑑賞者さんご自身の「家族についての思い出」に強烈な揺さぶりをかけてくるからかもしれない。
でも、
この作品は、ドキュメンタリーではなくて、文学ですからね。
映画って、
自分の心のスクリーンに映る、自分だけの物語になっていきますからね。
僕自身も
父母への不満、とりわけお母への満たされなかった欲求や、自身の悲しみ、そして怒りが、甦ってきてしまうことがある。
嵐の日に学校に取り残された雪の心中を思って、彼女の不安を代弁して怒っているレビュー氏さんは
なんて繊細で心優しい方なのだろうと思った。
でも、確かに
「ごめんね、雪」と独り言でもいいので一言あれば、雨を追う行為は納得感がましたとは思いました。
川で溺れてるシーンは、雪は意識もあって起きてました。
意識のない雨を抱き抱えるのは当たり前かなと。
そして、そのあと描かれてませんが当然雪の心配もしたと推測できる。
愛は目に見える行動や言葉だけが大事なのではなくて、伝わってるか
映画描かれているものだけを元に判断すべしなんですか?
なんだかつまらない映画の見方だなあと感じます。
行間を読むというか、描かれていた部分を元に描かれていない所はこうなっただろうと想像して私は納得しました。
雪をほったらかしていたのは事実ですが、あの後雪にトラウマが生じたとは感じませんでした。
ここで雪を置いていく葛藤とか愛情が偏っているという書き方をしている方に対して、それも一つの見方とも思いますが。ご都合的な捉え方しかしていないのかなと感じました。
現実的に雪は花の願う形つまり人間としての成長をしていますが、一方雨は人間としての成長では無く動物の世界での人生を選びました。
花の視点から描くと順調に育つ我が子と、自分の知らない世界に旅立とうとしている我が子ならどう考えても後者に意識を取られてしまうのは自然なことでは無いでしょうか?花は2人を育てる上で人間としての常識から、思考が追いついてないように感じます。
人間の常識から捉えるなら子供が台風の真っ只中森で行方不明なってしまう、どう考えても緊急性を要することです。
また森の主についても我々の常識から考えれば計り知れないですが、動物の視点から考えたらそこにコミュニティがあるのは自然なことで、特に犬科の種であれば群れのコミュニティがありリーダーもいる自然なことと感じました。
遠吠えを聞いて育児を諦めること、これも台風で雨のことを捜索して熊に遭遇したり、怪我をしたりどう考えても死の危険がある、その反面雨は生き生きとした遠吠えを上げています。そこの対比で花はおそらくもう雨が自分の世界の住人では無いのだと、獣の人生を歩むのだと無意識ながら感じたのでしょう。
その世界で無力な母親ながら雨をから以上引き留めないのが唯一の母親としての応援だと感じるのは必然では無いでしょうか?
何年経ってもこの映画は神映画だよ。
ちゃんと内容を理解していたら、好き嫌いはともかく、こんな何も理解していない酷いレビューにはならんよ笑
観てない方は観るべき映画ですね!いろいろ感じる事があると思うので。
今更ながらようやく読み終えました。
8割がたminさんに同感です。
>・花が雪を放っておきながら、それに対して何の葛藤も無い。
僕もとても気になって苛ついた部分でした。
ただ、この主人公は何か物事を深く考えるとか、2つ以上の可能性に対して考えを巡らすような事をしない人物に描いてあるので、だったら仕方ないかと無理矢理自分をなだめました。
>・つか、森に「主」って。
>・しかもそれがキツネて。
この辺りの展開は劇場で力が抜けました。
さかもとさま
えっと、新参者が失礼します。
たしかminさんがかなり前に一部とは全部の対義語であり
必ずしも少しの事を指すものではないとおっしゃっていたと
記憶しております。
そして、その事自体に反論するコメントも無かった筈です。
なので私はその主張が認められたと判断致しました。
だから、さかもとさまの主張の、言い方がおかしいという部分には
賛同し兼ねます。
ここから先は別に誰にあてたものでもございません。
ただの何処ぞの阿呆のひとりごとと思って下さり結構です。
何か話題ズレてません?
くだらない文章ですいませんでした。
他の方々がイライラするわけだなあ…。
申し訳ないけど、ここや、ヤフーなんかもそうだけど、あなたの言うように「1」とか極端な評価が目立つのに、平均すると「4」になるって事は、やっぱり圧倒的に評判いいんだって判断するのが自然じゃない?
一部で高評価、一部で批判って表現はやっぱりおかしいと思う。
「たくさんの高評価の中、ごく一部に受け入れられない人もいる」と 言うのが世間一般を表した言い方になるんじゃないかな。
探せばマニアックなサイトで批判の方が多かったりするかも知れないけど、メジャーの中だと3以下付けた俺らは一般と違う価値観って事だよ。
だって職場じゃ既におおかみこどもを批判すると、完全アウェーだし…。
あいりさんの批評の共感数が物語るように、やっぱり子育て経験者の圧倒的な支持があるんだろうね。
それでも俺は、この作品は映画としてより、連続ドラマとして2クール以上で描いて欲しかった。そうすれば、もっと各キャラクターを深く掘り下げれただろうし、ラストの別れの悲しさや、雪の卒業の感慨がより深まったと思う。
>病気の子供を託児所に預けながら、仕事を優先して迎えに行けない事なんていくらでもある。
仕事を優先して迎えに行けないとき、親御さんは心配したり悪いと思いながらも仕事に励んでいらっしゃったと思います。そして、出来るだけ早く迎えに行ってあげたいと考えていたと思います。
それは仕事を優先する事と矛盾しません。
>映画のああいった状況はいくらでもリアルに想像できるし、小学校高学年という事を踏まえれば、
>自分なら迎えに来ない母に失望感を抱くのではなく、「迎えにこれない事情」について母や弟を心配するだろうなと思った。
そもそもレビューでは花に対する批判を主眼として書いていたため雪に対する批判は書いていませんでした。
学校に取り残された雪が、雨に家に居るよう言われたことを反芻したり、(母に対して失望するというより)自分が母に捨てられてしまったのかも知れないという不安や、迎えに来ていない母を心配したりする心情描写がなく、ただ単に草平に自分の秘密を打ち明ける場面を作る為のお膳立てになってしまったのはやはり残念でした。
結果として花の人格描写が平坦になってしまったのと同様に、雪の人格も平坦になってしまったと思います。
ここは描写しだいで、花のキャラクタも雪のキャラクタもどちらも立体的になり得たと思うので、勿体ないと思いますね。
>あとは、所詮これだけどこのサイトでも批判より絶賛コメントがあふれているのに、批判と絶賛が同じくらいと言い張るのもどうかと。
同じくらいとは一言も言ってませんよ。
ただ、一部に好意的な意見があり、一部に批判的な意見があり、その中間が少ないという事。
単に細田作品は評価が割れやすい傾向にあると申し上げたまでです。
数で言えば、それは勿論好意的な意見の方が多いとは思います。
ただ、圧倒的という程ではなく、他の作品よりもかなり強い批判が聞かれやすいというのも事実だと思います。
作品の評価をしているのはこのサイトだけではありませんしね。
ちなみに『シネマハスラー』での『おおかみこども〜』を扱った際には、全体の3割ほどが熱量の高い批判メールだったそうです。
>さかもとさん
お返事ありがとうございます。
>例えば水戸黄門を見て感動している人に、無数にある突っ込み所を指摘して批判しても無駄。
>そういう部分を気にしないで見る人もいれば気になって滑稽に見える人もいる。
仰りたい事は理解しているつもりですが、『水戸黄門』が好きな人は突っ込み処を気にしていないのではなく、それに気付いていながらもそれを許し愛しているのではないでしょうか?
ですから、『水戸黄門』が好きな人にそれほど好きでも無い人が突っ込みを入れたところで余り論争にまでなりませんよね。
ですが、『おおかみこども〜』を評価する人たちは「その批判を受け入れる事」をまるで信仰を捨てさせられるかのような抵抗感があらわにしますよね。
私個人、自分が好きな作品(映画に限らず)が趣味に合わない人は相応にいて、私自身が(気付いていても)余り気にならないその作品の部分を批判する人と話をする事はありますけれども、そこまで気分を害するという経験をした事がないので。
自分で気付いていない点であれば新鮮な視点・発見に過ぎませんし。
>この映画はそういう感性だけで見ている人には琴線に触れる名画なんだと思う。
その点は否定してませんよ。
ただ単に、自分にとって気になった点や自分が感じたことをレビューしただけです。
基本的には、他人の感想を否定するつもりはありません。
>俺やあなたが気になる部分を「気にしていない人」に指摘して議論しても平行線でしょ。
本当に「気にしていない」のであれば、指摘されても気にならないでしょうから、そもそも議論が発生しないと思いますね。
議論が平行線になるのは、指摘される事で気になってしまったにも関わらずそれを認める事が出来ない人が、自分はそれを認めないという事を表明する為だけにコメントを書き込んでくるからではないかと。
勿論、そういう方ばかりではないのは理解しておりますが。
>自分とこもそうだったけど、全国にはたくさんのシングルマザーや、シングルファザーがいるってこと。
>そしてあんな置き去りは日常茶飯事ってこと。
日常茶飯事であるという事はトラウマにならないという事にはなりません。また、それが日常茶飯事であるという事がトラウマになる場合もあります。
3日ぶりに覗いたら、また新キャラ増えてますね。
長過ぎて途中で挫折しました。
minさん、サマーウォーズ見ましたよ!
絶賛です。生涯映画ランキングに食い込む傑作でした。
おおかみこどもよりもこっちが上かな。
細田は平成に絶滅しかけた昭和の良い部分を見事に表現して見せてくれている。
サマーウォーズの批判意見もたくさん見させてもらいました。
そんで思いました。
ここまでの原体験が違い過ぎるのかなと。おばあちゃん、田舎、親戚付き合い、近所付き合いなど、見事に自分の原体験と重なってリアルだったし、批判意見の大半は、「そんなんどうでもいいやん!」と気にも止めなかった事ばっかで、これは平行線になるのも無理無いなと。
どなたか突っ込んでましたが、「気になる人」「気にならない人」で議論するのは確かに不毛ですね。
おおかみこどもも子育て経験の有無、子育て体験の差、理想の母親像の差なんかでも、偶像にもリアルにも捉え方が変わるんでしょうね。
イヤ、マジ良い映画に出会えて機嫌いいです。
●花が作った雪の服について
minさんが書かれていることは全て、雪が周囲に溶け込めなかった要因になっていると考えられます。
ですが、服に関しては僕とは考え方が少し違っています。
僕の考えですと、服そのものに周囲に人として溶け込めるだけの効力があったとは思いません。確かに、周囲の反応は芳しく、雪本人もとても助けられたと語っています。
しかし、重要なのは服を欲しがっていた際の心情の変化だと思います。
周りの子たちとは明らかに異なる趣向により馴染めきれなかった雪は馴染もうとしました。その思いが花におねだりのような絡み方をした原動力であると考えます。
草平に追いかけられたときに、必死におまじないを唱えていた姿からも、狼になりたくないという強い思いを感じ取れます。狼という世界から離れ、人の世界に馴染もうとしてきたからこその必死さだったのではないでしょうか。
あの服に馴染む効果があったというよりは、それを欲した雪の気持ちに馴染もうとする力があったのではないかと思います。あの服は人間社会に馴染みたいという雪の気持ちの出現と、それを再確認するためのものだったのではないかというのが僕の考えです。
ほとんど主観で申し訳ないです。
●用務員について
確かに、隠れている際の緊張感を表現する目的はあったと思います。
僕は用務員、宿直員、警備員などの仕事の決まりなどは知りませんが、
呼びかけることによって発見できる状況の人が存在しないとは言い切れないと思います。
例えば、虐めに合い朦朧とした意識の状態で手足を縛られ、ロッカーの中に閉じ込められている子がいたとします。朦朧とした意識の中では足音や戸の開閉音では築くことが出来ないかもしれませんが、声をかけることによって人の存在を認識し、何らかのアクションを起こしてくれる可能性もあります。そういった、滅多にいないであろう危機的状況の人の存在可能性も考慮し呼びかけをしていたのではないでしょうか。
ほとんど主観でのコメなので、なにか思ったところがあれば反応していただく程度で結構です。別の解釈なんかがあればぜひお聞かせください。
●花に成長がないについて
minさんのコメからから考えた僕の考えは同じです。
農村に来たばかりの時の軽装は、都会から軽い気持ち出来た奴らのイメージをお爺さんたちが抱いているという分かりやすい表現になっています。
ですが、後半部ではもんぺなどで作業をしている方が、時間の流れによる花の成長とその土地に根を張ってきている姿を表現できると思います。
しかし、axialxxxさんに貼っていただいた細田監督のお話を読み取ってみますと
母なる大地という言葉があるように、豊穣を願う場というのは母性を表すのに適しており、そこでの新たな命を育む営みにはエロスが不可欠である。つまりそれはSEX…
というような勝手な解釈をしてみたのですが、何が何だか分かりません…
●オオカミの子供の成長について
記憶が曖昧で良くわからなかったのですが、
>雨が猫に虐められるまでオオカミがどう成長するのを知らない
とは具体的にどのシーンのどういったセリフのことなのかを教えていただけると幸いです。解釈が可能な描写でも構いません。
花が読んでいた中には、「オオカミと生きる」もあったので純粋な狼と狼人間との間に既存の知識だけでは分からなかった盲点が存在していたのかもしれません。
●自然の描写がしつこいについて
これは、個々人の主観による部分が大きいと思います。
冗長と感じるか心地よいと感じるか。長いと言い切ることは出来ないのではないでしょうか。仮に、2時間のうちの30分を走り続けていたのなら、主題ではないところに1/4を利用するのは長いと言えるように思いますが。
疾走シーンを2か所にしたことについても主観でしか考えられませんが、ある季節の描写に意識を偏らせたくなかったのではないでしょうか。反対の季節、色彩的にもまるで違う2つのシーンを描くことで、視聴者に対して作品内での時間の流れに意識を向けて欲しかったのではないかと。成長という本作の重要な部分にも、時間の流れの存在は不可欠であり、大きな要因ともなっておりますので。
minさんの気になった点について、僕の考えをいくつか書いていきたいと思います。
●姉弟の関係について
確かに、雨の小学校入学以降で姉弟が直接的に関わっているシーンはあまり見受けられません。この部分は、それぞれの生活スタイルに違いが生まれてきたからだとも考えられますが、家庭内での関わりを描写することは可能です。ですか、ここでは既に物語の重要な部分である生き方の選択という段階に突入していると思います。人間と狼の生き方の違いをより顕著にするために個別に描いているのだと考えられます。そして、両者をつなぐものは母である花だという構造です。家庭内において姉弟の関わり合いは存在していたのかもしれませんが、それを描いてしまっては異なった選択という伝えたい部分が暈けてしまうのではないかと思います。また、漸く出てくる二人の関わり(喧嘩)のシーンをより印象的にするためとも考えられます。その場において、二人はそれぞれの異なった価値観を押し付け合います。それは既に二人が異なった道を歩んでいることを明示しています。その後も関わり合いのシーンがないことから、このシーンを印象付けるために他に関わりの場面を描かなかったと推測することはできると思います。
二人の仲直りの描写がなかった点については、主観的に申しますとすこし淋しかったです。しかし、仲直りというのは人間社会でのお約束のようなものであって、それは動物社会にも存在するものなのでしょうか。仲直りをするということはとても世俗的な行為だと考えます。狼の道を歩み始めている雨がこの段階で世俗的な行為をしている描かれ方をしてしまうと、それぞれの道を歩んでいるという解釈が曖昧になってしまいます。喧嘩直後に表れた雨の獣の目もその効果が薄れてしまうのではないでしょうか。
●夫の屍体が清掃車に捨てられるシーンについて
法律や条例についての知識がないため、清掃員が無理にでも花を止めた理由は分かりません。
他人のゴミを無断で引き取ることがいけないのと同じ理由なのでしょうか。
>minさん
あ、橋のシーンで「明日話す」ってセリフがあったんですね。完全に記憶から消えてました。だとすると、その間での季節の跳びは考えにくいですね。
ということは、どちらか片方の日が特別暑かったか寒かったかという設定だったってことなんですかね。二人の服装が変わっているということは、どちらかに一時的な体温変化を引き起こす行動があったという推測はできませんし。
僕も、わざわざ花の健気さを際立たせたいという理由だけで連続する日の気温に大きな変化をつける必要性は無いと思うんですよね。両日ともに寒かったとしても、告白する日の寒さの演出に技巧をこらせば花の健気さは十分表現できると思いますし。
僕ですら疑問を抱くのだから、制作側にはその演出により他に表現したい何かがあったように思えてしまいますよ。それが伝わっていないというのは事実ですが。
もしかしたら、小説の方にヒントが書かれているのかもしれません。映画外ではありますが単純に知りたいという気持ちが強いので確かめてみます。
やっぱり忘れてる点が多いですね。
次はその部分に注意しながら見たいと思います。もしかしたら、自分で納得のいく解釈のできる描写が存在していたのかもしれません。
>外昼寝愛好家さん
お気遣いありがとうございます。
>>あと、時間の経過の表し方が個人的に好きです。
>>よく観ていないと、序盤で「おまえらもうそんな関係になるのかよ!」と思ってしまう
>>でしょう。(出会ったのは初夏だが、デートの際はクリスマスまで進んでいます。)。
>
>というのがありまして。僕は覚えていないので分からないのですが、もしかしたらminさんの言う告白のシーンも連続じゃなかったのでは?という気もしてきているのですが。
二人が帰り道、橋に差し掛かるところで夫が「実は話したい事がある」というような事を言います。花は話して欲しいと答えますが、夫は躊躇して「明日話す」と言って別れます。
そしてカットが変わり、バイト後の花がいつもの待ち合わせ場所に向かうも夫が現れず、夜中になって漸く現れる。
こうした展開だったと記憶しています。
翌日を指す具体的な台詞が存在していますから、二つのシーンは前日・翌日の時間差であると考えられると思います。
>告白前日であろう日の花は厚着だったんですかね?
普通にカーディガンか何かを着ていた様な気がしますが、ちょっと細かい事は覚えていません。
ですが、厚手のコートや手袋などはしていなかったと思います。
>minさん
いやいや、minさんのページの統治者はminさんですよ。
交互にコメントを挟まれていたとしても、気にならないですよ(笑)
話変わりますけど、minさんの季節についての考えで、ロンTを着ていた日と告白をするシーンは連続している考えられていますが、その部分で僕も分からないことがありまして
laughing manさんのレビューにあったのですが
>あと、時間の経過の表し方が個人的に好きです。
>よく観ていないと、序盤で「おまえらもうそんな関係になるのかよ!」と思ってしまう
>でしょう。(出会ったのは初夏だが、デートの際はクリスマスまで進んでいます。)。
というのがありまして。僕は覚えていないので分からないのですが、もしかしたらminさんの言う告白のシーンも連続じゃなかったのでは?という気もしてきているのですが。
告白前日であろう日の花は厚着だったんですかね?
僕は細かい部分がほんとにすっぽぬけているので、もう1度見に行きたいと思っています。
>外昼寝愛好家さん
せっかく考察を書き込んでくださっていたのにそれに気付かず、当方の書き込みが被ってしまい申し訳ありませんでした。
削除しようと何度か試みましたが、「正しくないページ遷移を検出しました」と操作が完了されない状況です。
ご寛恕いただければ幸いです。
●自然の描写がしつこい
雨が川で溺れる直前に雨と雪が森を走り抜けてその先に遠くの山が見える長い尺のシークエンスの後、たぶん30分くらいしか離れていないのに、再び雨とキツネが森を走り抜けてゆく同等の尺のシークエンスが来る。
二度やる意味がなく、ひたすら冗長。ストーリーに関係ない部分であり片方だけで構わない。
●花が作った雪の服
雪が周りに馴染めなかったのは「服装」のせいではない。蛇やカエルと遊び、小動物の骨を集めるという女の子らしくない「行動」のせいである。
それなのに、青い服を着たおかげで周囲と馴染む事が出来たと、問題がすり替えられている。
●用務員
雪と草平が隠れている教室を見回りにきた教師か用務員が「誰かいないか」というような事を呼びかけているけれども、これは何故?
誰もいない構内を巡回するだけならわざわざ声を出す必要はないし、雪と草平が居なくなっていると認識しているのであれば二人の教室は真っ先に電気を付けてしっかり探すだろう。
二人の緊張感を高める目的なのだろうけれど、やはり不自然。
●季節
夫が花に自分が狼男だと打ち明ける前日にはロンT一枚という格好だが、当日の格好ではジャンパーを着ている。同様に花も突然厚着になっている。
寒い中で夫を待っていた花のけなげさを表現しているのだろうけれども、だったら前日の服装も厚着で良いのではないか。
当日だけいきなり厚着にさせる意味が不明。
本日放送の「ウィークエンドシャッフル」の映画評コーナー「シネマハスラー」でも、「嵐の夜、花が雪について逡巡しない」事の他に、これらの幾つかは取り上げられると予想。
何となく放送前に書き込み。
パーソナリティの宇多丸氏自身は『おおかみこども~』を絶賛に近い褒めをすると予想。批判的なコメントはメールという形になるかと。
宇多丸氏が細田監督とも個人的に親しい事もあるが、『サマーウォーズ』は褒めている上、何より『おおかみこども~』の応援コメントも寄稿している。
応援コメントを寄稿しながらその作品を貶める様な評をするというのは、映画評などで収入を得ている身としてはあり得ない。
CMの出演タレントが、商品の悪口を言わないようなもの。
次に草平と雪の違いについて考えました。
二人の大きな違いは期待の有無であると考えています。
草平はどうせ来ないというような発言から、親が来ることへの期待はしていないと考えられます。また、一人で教室へ戻り暗い中眠っている姿は、孤独感と周囲の温かな親子の空気に耐えかねるほどの疎外感を感じているように受け取れます。
同じ状況下にある二人でも、期待を持つ雪は不安を、諦めしか持たない草平は疎外感を胸の内に抱えていたのではないかというのが僕の考えです。
次に花についてです。
母親としての葛藤の有無については前のコメに書いたので省略します。
謝罪をする要因になりえる部分について考えてみたいと思います。
花は無断で雨を追いかけて、雪を放っておきました。それに対して雪が不安を抱いたというのが前述した僕の考えです。花が雪に対して不安を抱かせる行動を取ったのは事実です。また、不安は心に傷を負わせる原因になりうるという考えも前述しました。よって、花は雪の心に傷を負わせる可能性のある事をしたと考えられます。
一方雪は、無断で学校に残り一夜を過ごすという行為をしています。この自分勝手な行為もまた親に不安を与えるものであると考えられます。
minさんの言葉を借りるなら、この二つは親として看過してはいけない問題であると僕は思います。ですので花は、親として謝ることと叱ることをすべきであると考えられます。
ですが、minさんとは違い僕は妄想が好きなので(卑猥な意味でなく)取り分けて描写の必要性は感じません。
minさんの反応コメを読んでお二人の主張にずれがあるように感じたのでコメントさせて頂きました。
ついでに僕の考えも添えておきました。添えるレベルを大きく超えましたが。
あと、minさん、時かけを見たというコメントを後から見つけました。すいません。
待ってます。
出来れば考察より感想寄りがいいかな。僕の理解力の問題で(笑)
次に、お二人の考えを受けた上での僕の考えです。
嵐の学校に残ったことによる哀しみは考えにくくなりました。ですが、いつまでたっても迎えに来ない花に対してなんらかの思いを巡らすことは自然ではないでしょうか。
そこでminさんの
> 親が迎えに来ないという事は、小学校高学年でなく、大人でも心の傷となり得ます。
というコメについて考えてみました。
僕は、大人というのは自立している存在だと理解しています。なので、大人が親に迎えに来てもらう状況というのはあまりないと思いますが、姿を見せない親に対して抱く感情はあると思います。それは「不安」です。期待していることが起こらない。はっきりとした理由も分からない。そこには不安が生じると考えられます。
不安という感情も十分心の傷になりえると思っております。
雪について考えてみましょう。
僕は雪の物の受け取り方は大人寄りの物であると妄想しております。根拠はありません。
ですので、雪は自分の悲しみよりも母の心配を優先的に考えてしまうように思います。
つまり、不安という感情の比重のほうが大きいと考えています。作中で、雪が花に何かあったのでは?と思いを巡らすセリフがあることから不安という感情の存在は確認できます。また、嵐という設定もpppwwwさんのコメにあるようなアクシデントを想像しやすく、不安をあおる描写として機能していると考えられます。
この作品について、他に気になった点を幾つか書いてみます。
●姉弟の関係について
作品自体は子離れという形で落ち着いたが、雪と雨の関係が修復される描写がないのは作りとして巧くない。
そもそも雨と雪の関係にまつわるエピソードが少ないと思う。
飽くまでこの作品は花と子供たちの「親子」の物語であり、「家族」の物語ではないというだけに過ぎないのだろうけれど、「家族」の空白というのは作品としてどうか。
ここにも演出や脚本の拙さが表れてしまっていると感じた。
●夫の屍体が清掃車に捨てられるシーンについて
駆け寄ったものの間に合わず、夫が捨てられてしまい清掃車が走り去ってしまうとういのでは駄目だったのか。
花の絶望感を盛り上げる目的の記号的な描写とは言えるだろうけれど、ここでも花の頭が悪い様に見える。
清掃員だって好きで犬の屍体の処理をしているのではく、飼い主が現れているのに屍体を無理矢理捨ててしまうのは余りに不自然。
有無を言わさず捨てられてしまう処をみると、よっぽど意味不明な事を花が話していた風に見える。
●花に成長がない
薄着で畑仕事をしていた花は最後まで薄着のまま。これは後の方では厚着になるべき。それによって畑仕事への習熟度が表現出来る。
薄着の畑仕事は「都会から軽い気持ちで来た奴ら」的イメージを孕んでいる。成長が見えないのだから、土地と馴染み自立した生活を送れているのを表現出来ていない。
●オオカミの子供の成長
花は子供を産んだ後、オオカミの子供について勉強するという場面がある。
それなのに田舎に引っ越し、雨が猫に虐められるまでオオカミがどう成長するのを知らないというのはおかしい。
結局、何を勉強していたのか。ここでも花が馬鹿に見える。
えーと、僕がこのコメをするにあたって一番書きたかったのが
>嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安
ということに対するお二人の主張の違いについてです。
それぞれが重要視しているポイントが違うために食い違いが生じているように見受けられました。そのポイントとは雪が心に傷を負うであろう瞬間についての違いです。
pppwwwさんの考えだと、「minさんは嵐の中で長い間学校に取り残されることにより雪は傷つくと言っているのだからその部分について反論すればよい」というように僕は受け取りました。雪には家へ帰る選択肢が存在していたにもかかわらず自らの意志で学校に残っているという考えとも一致します。この部分で考えると、minさんの問いである
>嵐の夜に学校や自宅ではない場所で夜を明かすという事が、子供にとって何の心の傷に
>ならないとでも言うのですか?
というのには"ならない"と考えることが出来ます。pppwwwさんが挙げた根拠が描写シーンとして作品内に存在しています。自らの意志に基づいた行動が自らの心を傷つける要因になっているとは考えにくいです。
ここまでがpppwwwさんの今回の主張であると受け取りました。
ですが、minさんの考えの中心は雪が残された瞬間、つまり、花が無断で雨の追跡を選択したという瞬間にあると僕は受け取りました。
雪が自分から学校に残っていようが花が何の情報もなく迎えに来ないというのは事実です。嵐の中学校に残ることには何も感じない雪でも、迎えに来なかった花に対して何らかの感情を抱くことは考えられます。その感情が、疎外感や哀しみであるというのがminさんの主張であると僕は受け取りました。
以上が、お二人の主張にずれがあると考えた根拠です。間違ってたら指摘しちゃってください。
>人間は論理だけで生きているのではありません。
>放っておかれた子供も、後から説明をされればその時に別の子を優先した事を理解出
>来るかもしれません。
>しかし、放っておかれたという事実はそう簡単に割り切れるものでしょうか?
ここのコメント欄を見るだけでも分かるように、様々な受け取り方、考え方が存在しています。論理以外にそれぞれが独自の思考を有して生きていると考えられます。そうした違いの保持を根拠にすると、放っておかれた子供にも反応の違いが生じるだろうということは推測が出来ます。しかし、間違いなく事実は存在しているというのだと主張しています。
>物語にしか存在しない薄っぺらい人間ではなく、実在の人間であるならば。
おそらくこの発言以前に「現実的」「リアル」などといった現実社会と結び付ける言葉がコメント内に存在していたのではないかと思います。(調べてませんが)
そういった考えに対しての皮肉めいた反応だと考えられます。
上記は発言に根拠が存在しているため、妄想とは考えられませんでした。
重要なのはこの部分です。
>嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安は、後付けの理解とは別個のも
>のであるはずです。疎外感や哀しみを強く覚える筈です。
疎外感や哀しみといった具体的な感情は推しはかることでしか理解することは出来ません。たとえ、心情を表す描写があったとしてもそれを「疎外感」などという具体的な感情に置き換えるには主観が働きます。答えの無いものに自ら答えをつけるわけですから。
ですが、少なくとも描写されたという根拠が存在するため妄想というよりは一解釈だと僕は思いました。
以上がpppwwwさんの問いに対する僕なりに客観的に考えた答えなのですが。
考え方が偏っていると気分を害されたらごめんなさい。
お邪魔します。
minさんとpppwwwさんの議論、楽しく拝見させていただいております。
pppwwwさんは相変わらず独特の書き方をしていますが、今回は自分の言葉で内容に対する考えを書かれているので面白いです。そのうえ、今まで出ていなかった部分に対する考えを持ち出してきていらっしゃるのでとても興味深いです。
ですが、少し気になった部分がありましたので、僕の考えを書かせていただきます。
まず、axialxxxさんへの質問について考えてみました。何故か僕が考えちゃいました。
今までのminさんのコメントから考えると、現実主義的で妄想は認めないというように受け取れます。ですので、ご自身に妄想コメがあるのならそれは矛盾に値するという理由でpppwwwさんは妄想だと思われる部分について厳しく言及しているのだと受け取りました。minさんのコメに妄想があったかどうかという問いに対する僕の答えは、あったです。ですが、僕の考えだとそれは妄想というより持論と解釈の違いがあったという方が適しています。僕は、妄想というのは根拠のない主観性の強い想像であると理解しております。それを踏まえたうえでご指定された部分について考えてみました。
>どこが矛盾しているのか、的外れなのか、間違えた主張を繰り返しているのか、具体的なご呈示をお願い致します。
基本、あなたも私も細かい部分が気になってしまう人種なようで、いくつか賛同できる点もることはある。でも絶賛派の方々は違う。
例えば水戸黄門を見て感動している人に、無数にある突っ込み所を指摘して批判しても無駄。
そういう部分を気にしないで見る人もいれば気になって滑稽に見える人もいる。
この映画はそういう感性だけで見ている人には琴線に触れる名画なんだと思う。
俺やあなたが気になる部分を「気にしていない人」に指摘して議論しても平行線でしょ。
ただひとつだけ気になった点で言わせてもらうと、置き去りにされた子供がトラウマになるって件。
自分とこもそうだったけど、全国にはたくさんのシングルマザーや、シングルファザーがいるってこと。そしてあんな置き去りは日常茶飯事ってこと。
病気の子供を託児所に預けながら、仕事を優先して迎えに行けない事なんていくらでもある。幼稚園の頃、よくお迎えが遅れて、母親が託児所の人に怒られてる姿を見てきた。
でも仕事しながら一人で育ててくれる親に対する信頼感は、あくまで自分の主観としてだが、両親いる人よりも片方に特化して強く結ばれているものだ。
映画のああいった状況はいくらでもリアルに想像できるし、小学校高学年という事を踏まえれば、自分なら迎えに来ない母に失望感を抱くのではなく、「迎えにこれない事情」について母や弟を心配するだろうなと思った。
だから「トラウマになる」とか、花が母親として失格って決めつける意見はどうかと思った。
無論そういう解釈もありだし、トラウマになるケースもあるだろうが、頑なに決めつけた言い方が気になった。
あとは、所詮これだけどこのサイトでも批判より絶賛コメントがあふれているのに、批判と絶賛が同じくらいと言い張るのもどうかと。
作品が注目されればされるほど批判意見は多くなってくるが、それを凌駕する絶賛がここの平均点4に表れてるってことでしょ。うちら3以下の点数は少数派。それでいいじゃん。だめ?
そんなしょーもない部分でだらだら議論している姿もどうかと思った。
minさん宛てにレスをつけていないからとかじゃなくてわざわざ他のサイトやページをはるところなんかそっくりだよ、ウフフ、オッケー☆
他の人でそんな人いたっけ?よくわからないや☆
だんだん文体もminさんそっくりになってきてるよー。
カミングアウトいつなんなんだろ、ウフフ☆
>花が雪と会えると認識する根拠としては、教師からの連絡で充分かと私は考えております。
雪が友だちの親といっしょに帰ってたらわからないよ☆
>親に迎えに来て貰えない状況で疎外感や哀しみを覚える
これだけでも充分に妄想、オッケー☆
意図主義・行為無価値を基準で、ふーん☆
迎えにいくといわれて体育館にいるべきだったのに勝手に移動、雪には花へ反省や謝罪の気持ちは何ら浮かばないのですか?
子どもだからっていうのはだめだよウフフ☆
意図主義・行為無価値を基準とはいっても妄想フィルターかかってるよ☆
何を言っても同じことばかり返されてってminさんも同じだよ。
ROMに戻るって言ってたわりにはけっこうコメントしてるよね☆ま、そんな人に質問するのもいけないんだけどね☆
じゃーねー、ウフフ、オッケー☆
外昼寝愛好家さんのように落ち着いた、かつ有意義なコメントが多くなるといいですね。
minさんはいらないとか、minさんのページに書き込んでおいて……意味が分からないと思います。
minさんも最低限のネチケットすら守れていない書き込みはスルーされていいと思いますよ。多分何を言っても同じことばかり返されてminさんが疲れるだけだと思います。
あと私がminさんと同一人物というのは全くの言いがかりですよ。私にminさんからのコメントがないのは、私がminさん宛てにレスをつけていないからです。
>minさま
>ちょっとでも農業に携わった事があれば、あんな背中が見えるようなフリルの付いたTシャツでの農作業に、リアルさを感じるという事はないと思うんですよね。
最初はそれでも良いのですが、最後までそういう格好での農作業を続けており、少なくとも自分には花の成長もリアルさも、どちらも全く感じられませんでした。
この件については以下で細田監督が答えられているみたいですよ〜。要するに「エロス」の表現だったようです 笑
私は見ていて「田舎はあんなに余所者に優しくないだろう」と突っ込みながら見てました。
a.excite.co.jp/News/column/20120728/Shueishapn_20120728_12951.html
あ、ごめん。やっぱ同一人物か、ウフフ、オッケー☆
minさんコメいらないの、axialxxxさんが共感しているらしいので。よく読もうね。
親に対して行為無価値的な論点で批判しても「親が迎えにこない」という事が心の傷になるとはイコールではないよ。
道路通行止め、自動車事故、「親が迎えにこれない」理由いろいろあるよ、ウフフ。
よく考えようね☆
もう一回いうけどminさんいらないよ。ちゃんと読めた?
ちょっと仰っている事が意味不明でしたっていうのも、もうちょっと考えようね。
やっぱり構ってちゃん?かわいー☆
>それよりあなたが怖くて書けない、あなたの5つ星映画を教えてくださいません?
その単なるアンケートが、ここでの話に何の関係があるんですか?
挙げた作品によって私やあなたの意見の妥当性が変化したりする訳ではありませんから、無駄でしかありません。
まあ別に、あなたがスルーしている問題に対してすべて答えたら、別に答えても良いですよ。減るものでもありませんしね。
ただ、その作品についてやそれを選んだこと等についてのコメントはスルーさせて戴きますが。
まあ何にせよ、あなたがスルーしている問題は「一部」の語義や「常識」の他にも色々ありますよね。
勿論、何の他意もなくただご面倒なのでスルーしているだけなのだと存じております。
お手数かと存じますが、よろしくお願い致します。
>でも、私の知り合いのようにロボットのおもちゃ買ったりする人にとってみれば、
>おもちゃのプロモーションとしてこの作品の内容は多くの人に高い支持を集めたのではないですか?
何度も言いますが、高評価が多いという事は低評価が少ないという事になりませんし、そう何度も申し上げております。
どうして何度も同じ誤解を繰り返すんですか?
>ランボーはスタローンのアメリカ万才アクションを見る映画で、脚本なんて仮面ライダーと変わらないレベルでしょ。
「ランボー」はベトナム戦争とその帰還兵への差別を描いた社会派の映画ですよ。ただ単にアクションの馬鹿映画としてだけ評価されているのではありません。
だからこそ多くの観客に指示され、続編などが何本も作られる様になりました。
仮面ライダーも作品によって高評価ですけれどもね。。
>これも批判より圧倒的に支持する方が多かったから未にTSUTAYAでコーナーみますよね。
糞みたいな映画がレンタルのコーナーに並び続けているのを観た事はありませんか?
仮に作品を高評価する人が低い評価をする人の1/10だったとしても、監督が俳優、もしく作品自体が有名であればレンタルで並び続けるでしょうね。
映画を評価している人のパイが大きければ、評価する人の割合が少なくても絶対数はある訳ですから、店としても利益が出せる訳です。
>好きな芸能人うんぬんはあなたが勝手に持ち出した話で、前述したとおり私の意見の反論としてはずれてますので再度スルーします。
ずれていませんよ。
「高評価されるものは低評価もされる傾向にある」という事の例ですが、どこがずれているんですか?
そうやって都合の悪い情報や反論はスルーし続けるんですね。
>あいりさん
>さぞかし必死に条件が合う作品を探したんでしょうね。お疲れ様でした。
私が必死かどうかは議論とは関係ありません。
必死だとして、どうかなるんですか?
私が必死であるかどうかを話題にする事で、自分に都合の悪い情報をなかった事にしたいのですか?
>ある作品に対し、あなたの前に100人批判する人が見えたら、あなたにはその作品は評価が低いと判断されるでしょう。
>でもその作品には1000人の絶賛する人がいるとしたら、100人は少数派となり、高評価が多数派という事になります。
えっと、実際の数字では答えてくれないんですね。
『おおかみこども~』の低評価の割合が低いという数字はないんですか?
自分の周りだけの意見でないという事の例として、ラジオ番組のポッドキャストを提示しました。
『サマーウォーズ』は発表から数年経ち評価が定まってきている作品です。
そうした作品が「評価がはっきり分かれる」と言われるのは何故だと思いますか?
そして、『おおかみこども〜』もそうした傾向があり、実際にそういう話も聞かれているという話だったのですが、どうしてその点はスルーしているのでしょうか?
少なくとも、私の周りだけで細田作品が低評価をされているのではないのは明らかであるという事の例として、ポッドキャストを提示致しました。
あなたの意見にとって都合の悪い事をスルーするのはやめませんか?
>そしてラジー賞をとった作品が低評価との事ですが、それも違いますよ。
>ロボットだけがウリの作品に芸術作品や社会派作品の尺度で評価すれば、当然最低作品となりますよね。
あのう、ラジー賞が「芸術作品や社会派作品の尺度」をもって作品を選んでいると仰るのですか?
ちょっと意味不明なのですが。
いつからラジー賞が「芸術作品や社会派作品の尺度」なんかで評価する映画賞になったんですか?
ラジー賞は一般人も投票に参加して、多数決で最低作品を決める映画賞ですよね。
多くの人にその作品が最低だと認められなければ、受賞はしません。
>pppwwwさん
>minさんのコメントはいらないです。
>以前自分からやりとりしたくないとおっしゃてますので。
「作品の内容についてご自分の言葉で触れている」と判断させて戴いたので、お返事致しました。
私からのコメントが要らないのであれば、私のレビューにコメントを書くのを控えるべきかと存じます。
>さかもとさん
>なんか議論が続くにつれてコメントが矛盾したり、的外れな引用したり。
>コメ数が伸びるのわかりますね。
>minさんは何を言われても、間違った主張をただただ繰り返しているように見えます。
どこが矛盾しているのか、的外れなのか、間違えた主張を繰り返しているのか、具体的なご呈示をお願い致します。
>totoroさんのコメント
>>心情描写の根拠として「お子様向けTVアニメならよく説明的な描写」なんかを例に挙げている時点で、
>>余り映画を観ていらっしゃらないのかと愚考いたします。
>と言い放ったのはminさんの方です。
>それに対して反論させないってほうがアンフェアなのでは?
それに対する反論ならば「自分は映画を観ている」という事をおっしゃれば良いのではありませんか?
私がウェルメイドな映画を提示する事で、「余り映画を観ていない」という事の反論になるというのが理解できませんでした。
>しかしまあぶっちゃけminさんの五つ星作品に特別な興味もないからいいですけどね。
ですよね。
私も興味を持たれていると思っておりません。
>外昼寝愛好家さん
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
こちらとしても誠意をもってお答えさせて戴きたく存じます。
お返事はしばし待っていただけましたら幸いです。
申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。
minさんのコメントはいらないです。以前自分からやりとりしたくないとおっしゃてますので。
ふーん、だから?
もしかして大人は汚いとか主張する中学生ですかな。
で?
otoroさんのコメント
>>個人的に、この映画を観ている間、現実的に捉えてしまうか、ファンタジーと捉えるかで、
>>楽しみ方がまた変わってくるのではないかなと色々読んできて思いました。
>
>そこは共感します。私なんか最初からファンタジーとして観ていたので、minさんのつっこみはズレてるとしか思えなかったですね。
現実的であるかファンタジーであるかは相反するものだと、少なくとも私自身は考えておりません。
必要なのはフィクション・ラインにぶれがないかどうかという事だと考えています。
寧ろファンタジーである程、現実的な描写が求められるという作品も数多く存在しているでしょう。
>また農業の厳しさはリアルに感じてまんまと感情移入してしまいましたもの。
ちょっとでも農業に携わった事があれば、あんな背中が見えるようなフリルの付いたTシャツでの農作業に、リアルさを感じるという事はないと思うんですよね。
最初はそれでも良いのですが、最後までそういう格好での農作業を続けており、少なくとも自分には花の成長もリアルさも、どちらも全く感じられませんでした。
>pppwwwさんのコメント
>体育館から離れたことで仮に花が学校に迎えにきていたとしても体育館にいない以上雪と会えなかった可能性もあります。。
それは花にとって事前に知り得ない情報なので、花の行動判断の妥当性とは関係ありません。
>②以降の状況に花が雪と確実に会えたと思いますか?雪は草平と隠れていました。
教師からの連絡があった時点で、(実際の状況がどうであろうと)花は自分が迎えに行けば雪と会えるという事を認識していたと考えられます。
教師から連絡があった時点で、自分が迎えに行っても自分が雪とは会えない可能性を花が認識し得る根拠を示して戴けますか?
花が雪と会えると認識する根拠としては、教師からの連絡で充分かと私は考えております。
>映画の中では雨を追って花は迎えに行けなかったのは事実ですがminさんは雪は花が迎えに来れなかったことに
>
>>嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安は、
後付けの理解とは別個のものであるはずです。疎外感や哀しみを強く覚える筈です。
>
>と結びつけてるんです。
>
>雪と草平の立場をごちゃまぜにして。
ごちゃまぜにしていません。
親に迎えに来て貰えない状況で疎外感や哀しみを覚える子供は、草平だけなのですか?
迎えに来て貰えていた子供も、もし迎えに来てもらえなかったら疎外感や哀しみを強く覚えるのではありませんか?
>pppwwwさん
>もしかしてminさんは台風が来た時の雪を保育園児か幼稚園児だと思っているのでしょうか。
>それとも捨て犬みたいに考えてませんか。雪はあの場面小学校高学年くらいですよね。小5か小6くらいか。
親が迎えに来ないという事は、小学校高学年でなく、大人でも心の傷となり得ます。
>親に迎えに来てという連絡をしたがいつまでも迎えに来ないから
>最終的に嵐の夜に学校で夜を明かしたことが心の傷になるってことですよね。
>
「夜を明かしたこと」ではなく「親が迎えにこない」という事が心の傷になると申し上げております。
とりわけ他の子供が親に迎えに来てもらえている状況で、自分が迎えに来てもらえないという状況自体がまず心の傷になるのは想像に難くないと思います。
>雪自身が家に帰ればいいだけですよ。
>それともminさんは雪が家に帰ったとしても家から閉め出し状態にしてると考えてますか。
えっと、花が迎えに来ない状況でどうやって一人で家に帰れるのですか?
最後に低学年の子供が教師に送ってもらうというシークエンスでもって、それ以降に自力では帰宅できない事が示されています。
基本的に私の意見は親に対して行為無価値的な論点で批判をしています。
つまり、子供の視点では対して問題となっていないかも知れなくとも、親としては看過してはいけない問題として意見を述べています。
パチンコの駐車場でクーラーの聞いた車内に取り残された子供が居たとして、子供が快適に過ごしていたら、その親の行為は正当化されるのでしょうか?
結果だけで判断する場合もあるでしょう(結果無価値という判断です)。しかし、私は意図主義・行為無価値を基準にしているので、花の行動の妥当性を(花が知し得ない)雪の行動や心情を与して考えるという事をしておりません。
>pppwwwさん
>そういえばminさんはライムスター宇多丸のラジオ紹介してたけどあれなんなんですかね?
>とりあえず著名な人が否定的コメントしたら自分とレビューで述べてるのと同じだと思ってるんですか?
あのう、宇多丸氏は『サマーウォーズ』は絶賛していると私は書きましたけど?
著名な人の誰が否定的なコメントをしたんですか?
ちょっと仰っている事が意味不明でした。
また、宇多丸氏は『おおかみこども〜』を好意的に批評すると私は予想している事は上記にも書いた通りです。
ただ単に、細田作品が毀誉褒貶がはっきり分かれるという事の客観的な意見の一つとして例に挙げたまでです。
>実在の人間であるならば…なんていうのなら熱の入ったコメントしてますがなんかおかしくないですか。
「なんかおかしくないですか」などという曖昧な印象ではなく、具体的なご批判をお願い致します。
体育館から離れたことで仮に花が学校に迎えにきていたとしても体育館にいない以上雪と会えなかった可能性もあります。。
②以降の状況に花が雪と確実に会えたと思いますか?雪は草平と隠れていました。
映画の中では雨を追って花は迎えに行けなかったのは事実ですがminさんは雪は花が迎えに来れなかったことに
>嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安は、後付けの理解とは別個のものであるはずです。疎外感や哀しみを強く覚える筈です。
と結びつけてるんです。
雪と草平の立場をごちゃまぜにして。
まあminさん自身がそんな体験をして心の傷になってしまっているんでしょう。
minさんの妄想じみた反論はいらないのでminさんのレビューには共感している部分が大きいというような立場のaxialxxxさんのコメント聞きたいです。
>
人間は論理だけで生きているのではありません。
放っておかれた子供も、後から説明をされればその時に別の子を優先した事を理解出来るかもしれません。
しかし、放っておかれたという事実はそう簡単に割り切れるものでしょうか?
嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安は、後付けの理解とは別個のものであるはずです。疎外感や哀しみを強く覚える筈です。
物語にしか存在しない薄っぺらい人間ではなく、実在の人間であるならば。
というところにminさんの雪と草平の立場をごちゃまぜにしている妄想がなかったといえますか?
親から何の連絡もなく、嵐の夜に学校や自宅ではない場所で夜を明かすという事が、子供にとって何の心の傷にならないとでも言うのですか?
てあります。
もしかしてminさんは台風が来た時の雪を保育園児か幼稚園児だと思っているのでしょうか。それとも捨て犬みたいに考えてませんか。雪はあの場面小学校高学年くらいですよね。小5か小6くらいか。
親に迎えに来てという連絡をしたがいつまでも迎えに来ないから最終的に嵐の夜に学校で夜を明かしたことが心の傷になるってことですよね。
雪自身が家に帰ればいいだけですよ。それともminさんは雪が家に帰ったとしても家から閉め出し状態にしてると考えてますか。
映画の中で雪は車で送ってもらえるであろう場面が三回ありました。
①同級生の女の子の親が迎えに来て雪ちゃんもいっしょに送るよと誘われた場面
②体育館内に残っている子どもが少なくなってきて残っている児童は職員が学校の車で家に送るという場面
③雪と草平が教室に隠れていて宿直の職員が見回りに来た場面
①では母と行き違いになるのがいやだから言って断ります。
②では草平を追っていなかったわけですがそれでも残っていた2人の低学年らしき児童に一言残していけば帰れていた可能性ありです。
③では宿直の職員がライトで教室内を見てさらに誰か残っていませんかーをたずねています。草平が隠れたため雪も流れで隠れてしまったという場面でしたが雪が宿直の職員に自分の存在を示せば車で送ってもらうこともありえたと思います。見回りの時以降でも宿直室に行けばということもあります。
結局、家に帰れたのに雪は自分で学校に残る選択をしてるわけです。草平が体育館から移動し、新たな子供が生まれてくるならば草平はいらないといわれたという噂と聞いて、その草平を心配して。で追いかけて草平を見つけ教室で残っていたわけです。
おお、一日おいてもたらまた新たな方々が…。
そういえばminさんはライムスター宇多丸のラジオ紹介してたけどあれなんなんですかね?とりあえず著名な人が否定的コメントしたら自分とレビューで述べてるのと同じだと思ってるんですか?
途中にさかもとさんという方が作品否定派ですが、この方のレビューはちょっと理解できませんと書いておられます。否定派でも理解できずコメントしてる人もいますよ。自分の同僚もそうです。評価: 2.0と言ってました。でも花の愛情が偏りすぎていて萎えるというレビューは妄想が入ってることを否めないと。
ちなみに私は評価: 3.5か4.0くらいかな。
ゴマゴマひよこさんのコメント以下のやりとりでminさんに対して攻撃的なコメントばかりといわれてもいたりするのでゴマゴマひよこさんのコメントより上だけで明らかにminさん妄想箇所を。原点に帰ってというかんじに。
minさんレビュー
↓
tendaさんのコメント
↓
minさんのコメント
そもそも発端の冒頭だけでも明らかにおかしいところあるので自分もコメントさせていただきます。
□□□
>この場合、雪は最悪、学校で一夜明かすだけです。
親から何の連絡もなく、嵐の夜に学校や自宅ではない場所で夜を明かすという事が、子供にとって何の心の傷にならないとでも言うのですか?
二者択一として雨を探す事を選ぶという事自体は百歩譲って認められるとしても、雪を迎えに行かない事に対する葛藤や反省、謝罪が全くないというのは、花の親としての不適正を表しているに過ぎません。
人間は論理だけで生きているのではありません。
放っておかれた子供も、後から説明をされればその時に別の子を優先した事を理解出来るかもしれません。
しかし、放っておかれたという事実はそう簡単に割り切れるものでしょうか?
嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安は、後付けの理解とは別個のものであるはずです。疎外感や哀しみを強く覚える筈です。
物語にしか存在しない薄っぺらい人間ではなく、実在の人間であるならば。
□□□
とありますよね。これって解釈以前にminさんの妄想全開の意見です。実在の人間であるならば…なんていうのなら熱の入ったコメントしてますがなんかおかしくないですか。
axialxxxさん
コメントをお借りしますが私も外昼寝愛好家さんが上手く解説してくれたなーと思いました。
>個人的に、この映画を観ている間、現実的に捉えてしまうか、ファンタジーと捉えるかで、楽しみ方がまた変わってくるのではないかなと色々読んできて思いました。
そこは共感します。私なんか最初からファンタジーとして観ていたので、minさんのつっこみはズレてるとしか思えなかったですね。
逆に、子育ての大変さ、子離れの時の寂しさ、また農業の厳しさはリアルに感じてまんまと感情移入してしまいましたもの。それを人生経験の浅い青二才に馬鹿呼ばわりされりゃカチンとくるでしょう。minさんの実際の歳は知りませんけど 笑
念のため、minさんにたいしてのコメントじゃないのでminさんからの返信はもう結構です。すみません。(ウェルメイド映画も教えてくれないし 笑)
外昼寝愛好家さんのコメントを読んでスッキリしたので、これにて失礼します。
これまた横からですが、外昼寝愛好家さんのコメントを読んで、とても胸にすとんと落ちるものがありました。特に雨の服装に関しての、
>雨は青すらも取り払った無色の一着のみ。その無頓着さというのは人として生き、染まっていくのを拒んでいる雨の主張のように受け取ることは不可能でしょうか。
この解釈は個人的にとても好みです。雪ちゃんが花さんの手作りのかわいいワンピースという、「人の手」によって、人の世になじむように作られたものを喜んで着ていることから、より対比になったのかもしれないなと個人的に思いました。
個人的に、この映画を観ている間、現実的に捉えてしまうか、ファンタジーと捉えるかで、楽しみ方がまた変わってくるのではないかなと色々読んできて思いました。
私個人は、「サマーウォーズ」はファンタジーとして、観ている間何も考えることなく楽しむことができたのですが、「おおかみこども」は色々考えてしまいながら観たせいで全力で楽しめなかったのかもしれません。
(勤勉な学生が突然こどもをふたりも妊娠して、相手は分からず失踪扱い? 入籍もしていないはず、こどもも後に片方が失踪扱い? になるのか? どうやって周りの人に説明するの!? など。夢がないですね 笑)
>ばるすパパさま
>決めつけが~
外昼寝愛好家さんもおっしゃられておりますが、先に感情的になられたのはコメントを入れていらっしゃる方々の方かと思われます。minさんはつとめて冷静に返してらっしゃったように見えます。ただ、さすがにこれだけ集中砲火されれば、だんだん口調が厳しくなっていってしまったのではないかと思われます。
まず、ばるすパパさんのコメントはとても感情的で、「議論」としては成り立っていないと思われます(人格を否定している訳ではありません。あくまで書き込まれているコメントに関して、客観的に見てという意味合いです)。
これはわざわざ書かなくてもお分かりいただけるかと思うのですが、私はばるすパパさんに対して何の感情も抱いておりません。「~ではないですか?」と尋ねられたので、回答しないのでは無責任にあたると考え、「それは違いますよ」と意見を述べたまでです。
「あなたは青色が好きですよね?」と聞かれたので「いいえ、私は赤色が好きです」と答えたのと同じで、そこに何の感情もありません。思ったまま、事実を答えています。青色が好きな人の人格否定も、尋ねた人への人格否定もした意図はありません。ただ答えられたことに対して述べたまでです。相違があったからといって「プライドが傷つけられた」といわれても、私としては理解に苦しみます。
これは個人的な意見ですが、ぱるすパパさんのおっしゃっている内容は議論ではありません。ただの喧嘩です。よくお読みになられるときっとお分かりいただけると思うのですが、私はばるすパパさんの人格を否定してはおりません。ばるすパパさんの主張されている意見が、私の意見とは異なっているということを述べているに過ぎません。それは人格否定につながるものではありません。
(ばるすパパさまへの返信はここまで)
以下のURL、これは特定の個人に向けての発言ではありませんが、ご参考になれば幸いです。
話し合いの先に、お互いにとって新しい発見があるよう、感情的なコメントはお互い控えませんか。
www.ml-info.com/weekly/archives/2010/101024t.html
ずいぶんと長くなってしまいましたね。ごめんなさい。ごめんなさい。
最後に考えをまとめますと、この作品は12年以上の歳月を2時間で描いたものです。なので、至る所に時間の跳びが存在します。その空白部分を各自が独自の妄想で補うことでしか完全な物語にすることは不可能です。言わば不完全な作品です。
minさんの考えは、フィクション映画とは実在するものではないため、その世界は映画の中にしか存在しえず、それ故に映画内で描かれたことのみがその世界のすべてであるというように受け取りました。
僕を含め支持派のみなさんの考えは、各自が欠落部分を補って見ながら話を進めるために事実無根の部分が出てきてしまい、minさんには納得のできない話になってしまう。
この二つの見方にどちらが正しいなどという判断を下すことは出来ないと考えます。
どちらも正しい。ですが、事実と想像がどれだけ論争を繰り広げても、どこまでいっても平行線のままのように僕は思います。価値観が共通していないわけですから。
これは一種の異文化相対主義の限界と言えるのではないでしょうかね。
ただ、皆さんが論争を続けてくれることは僕個人としては楽しいですけどね(笑)
ああ、あと最後にminさんに一つお願いが。ああ、張り手は勘弁してください。
時をかける少女はご覧になりましたか?時かけについての記述がなかった気がしたので。記憶違いならすみません。なんでもいいので感想を聞かせてもらえませんかね。
因みに僕はとても好きでした。当時、青春真っ盛りだったというのもありますが。
おかしな点などには目もくれず、ただひたすらに心を揺さぶられていました。
賛否なんでもかまいませんので、もしも見ていたら率直な感想を聞かせてください。
minさんは愛情のバランスについてとても拘っていますね。では、その愛情を比較するための基準とは何なのかを考えました。ですが、愛情には尺度というものが存在しないため定量化をすることは出来ないという結論に至りました。そこで、minさんの考えである、映画の世界とは描かれた部分が全てであるという考えを踏まえると、ここでの愛情の度合いとは直接的に関わっている場面の数に比例するものだという考えに行きつきました。
minさんの映画観を倣った場合それは僕にとって納得のできる考えの一つでした。確かに、平等とは言えない愛情なのかもしれないと。なので、愛情バランスについての考えは納得しているのですが、それは夫への性対象の代理だからという理由付けには納得できません。曲解をしていると指摘されるかもしれませんが敢えて申しますと、minさんのその考え方だとシングルマザーは息子に対して夫の姿を投影し、性的意識を持っているということになるのでしょうか。僕の家はシングルマザーでした。ということは、母が僕に与えた愛情は父を投影した性的なものによる愛でしかなかったということでしょうか。僕はそうは思いません。息子に与えられた愛情は息子に対してのもの以外の何物でもなかったと実感しております。いや、そう思いたいだけなのかもしれませんが(笑)
映画に戻りましょう。雨の服装に関してですか、確かに父に似ているようにも見えますね。ですが、あの服装は何かを意味しているというようには受け取れないでしょうか?
例えば、雪と雨は二人とも幼いころには暖色と寒色の服をしばしば身に着けていましたよね。ですが、成長するに従い雪はいろいろな模様や色の付いた服を着るようになりましたが、雨は青すらも取り払った無色の一着のみ。その無頓着さというのは人として生き、染まっていくのを拒んでいる雨の主張のように受け取ることは不可能でしょうか。
確かに父に似ていることは否めませんが、そこには単に似せているということ以外に表現したいものがあったのではないかというのが僕の考えです。
ですが、minさんの考えにどうしても疑念を抱かずにはいられない部分もありました。それは、
>雨に対する愛情は亡くした夫を投影しているだけで、性的な対象の代理に過ぎません。
と言い切っている部分です。
直接的な表現はなくともそう解釈できる例として「シャーロック・ホームズ」と「かもめ」を挙げていますね。とはいっても僕は両作とも読んだことがなく、無知無学なため内容も知らないのですが。しかし、これらのように背景から推測できる性意識というのが今作にも当てはまると言い切られるのには納得できなかったので考えを書かせていただきます。
次に、僕の主観的な感想です。長いじゃねえか馬鹿野郎?そこをなんとか。
初めに申しますと僕はこの作品を面白いと思った支持派です。minさんとは反対ですね。
具体的な今作品への感想は自分のレビューに書いておりますので省略しますね。
minさんのコメントは全て読ませていただきました。正直、驚きました。僕にはここまで現実主義的な視点から考察することなど出来ませんので。馬鹿って言わんでくださいね。
minさんのレビューへと行きつく分かりやすい理由が書かれていたのも有難かったです。
minさんのコメを読んでから自分でもこうした方が良かったのではと考えた部分があります。それは、minさんが拘っていた花が雪を迎えに行かなかった際の葛藤の有無についてです。それまで僕は、衝動的に目の前の雨を追うことに何も疑いを持ちませんでした。坂道で一瞬躊躇した以外は作中で描かずに、あとは視聴者の受け取り方で補完をすればよいものだと。あの場面で雪についての葛藤も描いてしまっては心情をより複雑化してしまい、蛇足になりかねないのではないかと。なので、雨を追うシーンの前半では花の心の中では雪を待たせているという思いも存在しており、早く雨を捕まえて意地でも引っ張ってきて一緒に雪を迎えに行こうという、どちらか片方の選択ではなく、両方を守るというある種母親の独占欲の強さを表現しているシーンであると脳内補完しておりました。
ですが、minさんの挙げていた例にあった、一瞬でもいいから「雪」と名前を呼ぶシーンでもあれば母親として当然存在するであろう葛藤の表現にはなっていたというのを目にしてはっとしました。なぜなら、その方が自分でも納得がいく上に、より生々しい心情が伝わってくると思ったからです。このシーンについてminさんの考えは自分にとってとても収穫のあることでした。どもです。
突然の参入失礼します。邪魔ですか?そこをなんとか。
少しだけ僕の感じたことを書かせてください。感想はいらん?そこをなんとか。
まずは、やり取りを客観的に見て感じたことです。
minさんのレビューは一読して分かるようにとても現実主義的な考え方です。
個人的な感想を含む部分も多少はありますが、ほとんどは現実と照らし合わせて感じたことについてです。それは、後にminさんが主張する中心部分とも一致しています。
そして、特徴的なのがやや乱暴な言葉使いと馬鹿という言葉を使うなど否定的な表現の多用です。もちろんこのレビュー自体は人とやり取りをかわすために書かれたものではないので問題などありません。事実、後の論争時には一貫して丁寧な書き方をしています。ですが、このサイトの中だけで見た場合この書き方は浮いているように見受けられます。そして最後にサマーウォーズを否定する書き込みも残しています。これらの事は支持派の方々の眉をひそめるには十分であると考えられます。反対意見の存在を認めることと不快感が現れないということは一致しないので。
案の定、支持派の方々からの意見がぶつかってきました。
そのあとはaxialxxxさん仰る通りの展開のように見受けられます。
初めのうちは互いに紳士的なやり取りを交わしていたのですが、意見食い違いによる他人の意見への反論を繰り返すうちに支持派の方々が感情的になってきました。minさんのコメント内には書かれていない事実無根ともいえる想像による人格否定の言葉もしばしば見受けられました。一方minさんは至って冷静な書き込みを貫いていたように見受けられます。ですが、
>ちょっとリテラシーが低いのではないでしょうか。
>あなたが大人ならば、可能ですよね?
この二つは不必要に火に油を注いでいる言葉のように見受けられます。
無論、先に挑発的な文を書かれているのは支持派の方々だということは承知しています。ですが、相手の安い挑発に対し更なる挑発を返し、自ら議論の展開を妨げるような真似をするのはminさんの本意では無い行為だと考えています。議論を展開させることは好きだとのコメントがありましたので。まあここまで言われて頭に来ない方が驚きですが(笑)
axialxxxさん
決めつけが多い言い方はminさんの方が圧倒的に多いですよ?
残念ながらあなたにもフィルターかかって見えませんか?
そしてあなたも矛盾の罠にはまってますね。まるでminさんそっくりに。
腹が立たないのなら傍観者を決め込めば良いでしょう。そう宣言して置きながら反論されて、あっさり反論返したのはなぜですか?
私の意見に対して言わずにいられなかったからでしょう?その根源となる感情はなんですか?
私は自分の意見に責任と自信を持っています。あなたの反論は、私の視点で見れば人格否定に等しい受け止め方をしました。プライドが傷つけられた思いです。
だから反論します。
これが議論の本質だと思います。
徹底的にやればいい。
ただし、minさんとの議論は前述したとおり終了します。あいりさんへの返答でお分かりのとおり、無駄と判断しました。
あと、minさんの五つ星評価は単純に興味ありますね。これだけ都合のよい解釈をする方が絶賛する映画はなんだろうと。よりその人を理解できる元になるでしょう。
ただ、実際おっしゃる通りけなす為に待ってる人も多いかも知れません。その気持ちもわかりますけどね。
コメントの数にひかれてのぞかせてもらいました。
基本私もこの作品否定派ですが、この方のレビューはちょっと理解できませんね。
なんか議論が続くにつれてコメントが矛盾したり、的外れな引用したり。
コメ数が伸びるのわかりますね。
minさんは何を言われても、間違った主張をただただ繰り返しているように見えます。
あと、作品をけなされて腹立たしいのはわかりますが、他の方も大人げないと思いました。
以上
それじゃあ結局ウェルメイドな作品を教えてくれないんですね。
ウェルメイドな映画を観た方がいいって進言してくれたのではなかったの?
それともただ上から目線でもの言いたかっただけ?
axialxxxさん
>あと、minさんの5つ星映画を教えてほしいという質問は完全におとなげないなあと横でみていて思いました。多分minさんがどのタイトルの映画をあげられても、否定コメントを書き込まれることが目に見えているからです。>好きな作品を批判されたので、minさんの好きな作品を批判してやろう、と思っているのか、「そんな映画が好きなんてあなたの価値観は~」とつなげたいのか。>自由にレビューが書ける場所であるはずなのに、よってたかって、本当におとなげないと思います。
>心情描写の根拠として「お子様向けTVアニメならよく説明的な描写」なんかを例に挙げている時点で、余り映画を観ていらっしゃらないのかと愚考いたします。
と言い放ったのはminさんの方です。
それに対して反論させないってほうがアンフェアなのでは?
しかしまあぶっちゃけminさんの五つ星作品に特別な興味もないからいいですけどね。
横から入って議論の邪魔になってしまってはいけないと思い書き込みを控えていたのですが、エゴだとおっしゃられてしまうのは大変遺憾ですので、お邪魔にならない程度に書き込みいたします。
私は中立ではなく、minさんのレビューには共感している部分が大きいというような立場です。ばるすパパさんは書き込まれている内容のみで判断すると、失礼ながら「~でしょう?」というようなおっしゃり方が多く、決めつけが多い言い方だなと感じました。個人の意見・感想と、その人自身の人格を一緒にされているのでしょうか。反対意見を述べる際に相手の人格否定につながるような発言をしないというのは、一般人の大人として当たり前のことかと思われます。
>わざわざ他人のレビューに対して批判してくるという方が、よっぽど自分の価値観を絶対視していると思いますね。
minさんのこの部分に同感です。人の感想はそれぞれですが、批判レビューを見て腹立たしいと思うのであれば見なければいいだけの話です。同じ感想をもたれている方のページだけを見ていればよろしいかと。ここまでコメントが伸びたのはminさんのせいではないと見ていて思います。ゴマゴマひよこさんのレビューから下は、minさんに対して攻撃的なコメントばかりですよね。ばるすパパさんがおっしゃるように「自分の価値観を全力で弁護しようと書き込む行為」が正しい行為なら、minさんのその行為だけを否定するのはおかしいと思います。ここはminさんのレビューのページなのですから。価値観が異なる人のページにわざわざいって、自分の価値観を押し付けようとすることのほうがおかしいのではと私は思います。完全に矛盾しています。
あと、minさんの5つ星映画を教えてほしいという質問は完全におとなげないなあと横でみていて思いました。多分minさんがどのタイトルの映画をあげられても、否定コメントを書き込まれることが目に見えているからです。好きな作品を批判されたので、minさんの好きな作品を批判してやろう、と思っているのか、「そんな映画が好きなんてあなたの価値観は~」とつなげたいのか。自由にレビューが書ける場所であるはずなのに、よってたかって、本当におとなげないと思います。まあ、色々な年齢層の方が集まってくる場所だと思われるので、仕方ないことかもしれませんが……
さぞかし必死に条件が合う作品を探したんでしょうね。お疲れ様でした。
ある作品に対し、あなたの前に100人批判する人が見えたら、あなたにはその作品は評価が低いと判断されるでしょう。
でもその作品には1000人の絶賛する人がいるとしたら、100人は少数派となり、高評価が多数派という事になります。
でも、あなたの意見は変わらず低評価。そして私は高評価。
私が言いたいのはそう言う事です。
そしてラジー賞をとった作品が低評価との事ですが、それも違いますよ。
ロボットだけがウリの作品に芸術作品や社会派作品の尺度で評価すれば、当然最低作品となりますよね。
でも、私の知り合いのようにロボットのおもちゃ買ったりする人にとってみれば、おもちゃのプロモーションとしてこの作品の内容は多くの人に高い支持を集めたのではないですか?
ランボーはスタローンのアメリカ万才アクションを見る映画で、脚本なんて仮面ライダーと変わらないレベルでしょ。これも批判より圧倒的に支持する方が多かったから未にTSUTAYAでコーナーみますよね。
ま、付き合いでどっちも見ましたが、女にはキツイ内容でしたね。
好きな芸能人うんぬんはあなたが勝手に持ち出した話で、前述したとおり私の意見の反論としてはずれてますので再度スルーします。
それよりあなたが怖くて書けない、あなたの5つ星映画を教えてくださいません?
皆さん気にされているようですよ。
>平和人さん
>映画に詳しい口ぶりだけど、他の作品の映画レビューはないのかな?
レビューしたい作品があったら、その時に書きます。
>当人の高評価の映画作品を皆知りたがってるのに
>そこは一貫してスルー(なぜ!?)
『おおかみこども〜』と関係がない上に、一連の議論とも関係がないので。
>ちなみに私はこの作品は近年の映画の中ではとても良かったと評価してます
個人的には、今年観た映画の中で下から5番目くらいでした。
>ばるすパパさん
>>「minさん自身~人種だと思います」などこのように、
>>個人の人格否定(しかも憶測を持ち出している時点で「議論」という言葉を使うべきではありません。
>
>私もそうだと、申し上げておりますので、人格否定したわけではありません。
>私は心理学をちょこっと学び、自分の性格が多少自己主張の強いタイプだと自覚しております。
心理学において、性格や人格の傾向を指して「人種」などという言葉が遣われる事はあり得ません。
倫理的にデリケートな問題を多分に含んでいる為、もっとも注意して遣わねばならない言葉の一つであり、心理学はその方向性から人種差別と結びつけて考えられやすいという事もあり研究者が初学者向けのテキストに書くというはまず無いと思うのですが。
>>私が嫌悪感をおぼえるのは、自分の価値観こそが唯一絶対に尊く、その価値観に至らなかったものは自分より劣っているというような攻撃の仕方です。
私は自分と違う意見を劣っているなどとは思っておりません。
ただ単に自分のレビューに対するコメントに対し、思うところを書いているだけです。
少なくとも、私は自分と意見が違うレビューがあったとしても、それに対して論破してやろうとするコメントを書いたり、人格攻撃などを書き込んだりすることはありません。
わざわざ他人のレビューに対して批判してくるという方が、よっぽど自分の価値観を絶対視していると思いますね。
>「反論」「反対意見」とはどんなにオブラートに包んでも、一度は対象者の人格否定になるのは仕方ありません。
それは単なる偏見です。
>あなたの意見だって正論ですが、立場や見方を変えれば私に対する攻撃であり、人格否定です。
意見を批判されているのを、人格を否定されていると混同するのは如何なものかと存じます。
そうした誤解が、他人の人格を否定する様な書き込みに繋がってしまうのではないでしょうか?
>ばるすパパさん
私に対するコメントではないのですが、気になったところだけ。
>自分の好きなものをけなされれば、腹が立つのは当然だし、
当然ではありません。
>自分には理解できない作品を過剰に絶賛する奴には、嫌悪感を抱く人もいて普通ではないでしょうか?
少なくとも、私はこの作品だけでなく他の作品でも、自分が評価していない作品を絶賛している人に嫌悪感は抱きません。
ここで議論になっているのは、ただ単に自分の意見が(自分には納得の出来ない形で)批判をされたからに他なりません。
現実に私がどんなにダメだと思っている作品でも絶賛している人いますし、私が絶賛している作品を最低の作品だと思う人もいます。
映画に限らず、色んなジャンルのものでそうした経験など無数にありましたが、それが理由で相手に嫌悪感を覚えた事など少なくとも私にはありません。
>ですがminさん自身、こういった議論はむしろ好きでしょう。
>そんな中傷を論破してねじ伏せる事に快感を覚える人種だと思います。
議論が展開するのであれば、それなりに楽しいとは思うのですが、ここでの議論は展開がないので楽しくありませんね。
>憶測ですが、やりとりや自信にみちあふれて言い切った記述の文章見ればそんな感じしませんか?
自身に満ちあふれている訳ではありませんけれどもね。曖昧な言い方は潔くないと思っているだけです。
字数制限もあり、無駄に冗長になるという事もあります。
>私もそうだし、「5」「1」など極端な評価をする大半はエゴイストだと思いますよ。
1.5って、極端なんですかね。
まあ、この作品に関しては1.5か2.0で迷って1.5にした感じで、別に2.0にしても良いかなっていう程度ではあるんですが。
コメントの数すごいね、読むの疲れた
とりあえずレビュー主の個性ありすぎて
みんなが口を挟みたくなるのわかるよ
徹底して上から目線なのだけど、映画の内容を覚えてなかったり
おもしろいね。
質問
映画に詳しい口ぶりだけど、他の作品の映画レビューはないのかな?
当人の高評価の映画作品を皆知りたがってるのに
そこは一貫してスルー(なぜ!?)
ご返答よろしく
ちなみに私はこの作品は近年の映画の中ではとても良かったと評価してます
>ただ、あなたは名作や難しい言葉を羅列して、上から目線で都合の良い論理を展開していますが、感覚や引用がずれてる分、物凄く滑稽です。
私からすると、ご自分に都合の良い論理ばかりで、都合の悪い事は観なかった事にしているんはあなた自身です。
まず作品内容に関係ない興行成績などの話を持ち出した時点で、話をずらそうとしている様に見えますね。
それに、あなたが私に『ご自分の考え方や価値観が多数派であると勘違いして「常識」という発言もされている』と批判した部分について、私は実際に「常識」という言葉を遣った部分を提示してご説明したのですが、そうした部分はスルーしてますよ。
スルーしている部分は、ご納得していただいていると考えてよろしいですか?
それとも、この四カ所は常識とは言えないのですか?
・約束を守れない場合は連絡をする
・二人の子供がいる親は、両方の子供を愛いるのだから、両方を心配する
・評価が高い作品だからと言って良い作品とは限らない
・雑誌は構造的な問題から、作品を悪く書けない
あと、「一部」という言葉についてのあなたの誤解についてもご説明しましたが、それについては如何ですか?」
「好きなタレントランキング」と「嫌いなタレントランキング」の例もスルーしてますね。
スルーするだけならば良いのですが、それでもなお「高い評価の人が多い」という事と「低い評価の人が少ない」という事を混同されているのが残念です。
>大人なら数字を示してくださいな。
ならば、まずご自分が「低い評価をする人が少ない」という数字を示してください。
「高い評価をする人が多い」という数字は、根拠にはなりませんので。
あなたが大人ならば、可能ですよね?
>あいりさんのコメント
>サマーウォーズが持つ「1~5」までの数字が、一般的に「高評価」と判断すべきなのか、
>「低評価」と判断すべきなのか、「一般常識」として火を見るよりも明らかですよね。
何度も言っていますが、「サマーウォーズ」は評価がはっきり分かれている作品です。
「高評価」「低評価」のどちらの評価も存在しています。
あなたが、どうして片方の評価だけしか存在しな状態しか認められないのかが、ちょっと判りません。
世の中に、どちらかの評価だけが圧倒的に多い作品なんて(少なくとも評価の定まっている過去の名画以外には)ほぼ存在しないと思うのですが。
>「おおかみこども」についてはまだ結果を論じるには早いですが、すでに「1」「2」の数字については非凡な高評価といえますよね。
何度でも書きますが、高い評価をする人が多いという事は、低い評価をする人が少ない事の根拠にはなりません。
低い評価をする人が少ないという事の根拠をお願いします。
>だから批判するなとは申しません。むしろそういった作品ほど批判意見をしたくなる人種も数多くいます。その気持ちも分からないでもないです。
私は他の人の評価を観る前にこうした感想を持ちましたし、その状態のままこちらの感想を書きました。
そもそも私がここにレビューを書いたのは公開当日であり(レビューは翌日ですが)、他の方の評価を確かめるのが難しい時期であったという事もあります。
>1.「興行成績」
>2.「批評投稿サイトの高評価と低評価の数」
>3.「DVD等関連商品の2次売り上げ」
>4.「テレビ放映時の視聴率」
>5.「受賞暦」
あのう、これのどこが「作品を批判する人が少ない」という事を示す根拠になり得るんですか?
「高く評価している人が多い」という事は「低く評価している人が少ない」という根拠にはなり得ません。
前回のお返事で「好きなタレントランキング」の上位に来ているタレントの多くが「嫌いなタレントランキング」でも上位にくる傾向があるという事を申し上げました。
数字が数字がとおっしゃるのであれば、「高く評価されている人が多い」数字ではなく「低く評価している人が少ない」という事を示す数字を提示していただかないと、あなたの意見を補完する情報にはなりません。
例えば、マイケル・ベイ『トランスフォーマー/リベンジ』という作品があります。興行成績は8億4千万ドル。アメリカとカナダだけで4億ドルで、これは当時の興行収入の歴代9位の記録となる大ヒット映画です。
こちらのサイトの評価では、まあ8割方が好評価を付けているといって良いでしょう。スピンオフ作品も配信されたり、フィギュア等の玩具やノベライズ、ビデオ・ゲームが出版され、ご存知の様に続編である『ダークサイド・ムーン』が公開されております。アカデミー賞にもノミネートされたのをはじめ、国内外で数多くの映画賞を受賞しています。
しかし、この作品はマイケル・ベイ自ら失敗作だと認めるほどの駄作です。2009年のラジー賞では最低作品賞、最低監督賞、最低脚本賞と主要部門を総なめにしました。
みなさんご存知の『ランボー/怒りの脱出』も、3億ドル以上の興行成績を上げ、テレビでは何度も放送され、アメリカン・フィルム・インスティチュートの「感動の映画ベスト100」にノミネートされた上、エンタテインメント・ウィークリーの「The Best Rock-'em, Sock-'em Movies of the Past 25 Years」では23位に選ばれています。
でも、これもラジー賞では最低作品賞、最低主演男優賞、最低脚本賞、最低主題歌賞を受賞してますね。
これらの例からも、あなたの仰る1~5のすべてを満たしていたとしても、低い評価をする人が少ないとは限らない事が明らかだと思います。
あいりさん
>
>「私の知る限り」という部分に全てが集約されてますね、狭い世界の住人さん。
まるであなの言う事は、あなたの知っている事を超えた事までをも語っているかの様ですね。
知っている以外の事をどうやって語るんですか? あなたは広い世界の住人なのですか?
>ちなみに教えますけど、映画の興行成績を支えているのは「映画ファン」ではなく、デートや行楽に利用する一般人ですよ。
まるで「映画ファン」はデートや行楽に映画を利用していないばかりか、興行成績には関係ないかのような表現ですね。
映画ファンというだけで一般人じゃないとか、無理がありませんか?
>映画館の組合が発表している、「どれくらいの頻度で映画を見ますか?」というアンケートで「半年に1回」が一番多かったそうです。
半年に一回くらいの頻度で映画を観ている映画ファンもいるでしょうね。
「どれくらいの頻度で映画を見ますか?」というアンケートを、「どれくらい映画ファンですか?」と間違えてませんか?
>月に何本も劇場に足を運んで批評を投稿するのは「マニア」と呼ばれる一部の少数派です。
>クチコミでロングランする場合、細田作品として見に来る人なんてわずかです。
口コミでロングランする映画を評価する人が多いのは判りますが、それは評価する人が少ないという事の反証にはなり得ないという事を何度も申し上げています。
出来れば「低く評価する人が少ない」という事を示す数字をご呈示下さい。
口コミなどは「高く評価する人(の絶対数が)多い」という事を示す根拠にはなり得るでしょうが、「低く評価する人(の割合が)少ない」という事とは関係がありません。
>「あの映画面白かったよ。」「そうなんだ、行ってみる。」
>「どうだった?」「超感動した~!」
>だいたいその程度の会話で終わりです。
>私が申し上げているのはそうした「一般人」の話です。
ここに書き込んでいる時点で、あなた自身が「一般人」ではない事が明らかですね。
まあ自分には都合の悪い情報は「映画ファン」だ「マニア」だと無かった事にしないとご自分の説が成立しないのですから、「一般人」とかいうこのに拘るのもわからないではありませんが。
axialxxxさんへ
人は自分と違う意見を言われれば反論したくなるものです。わたしの反論に黙っていられなかったから反論意見を書いたのでしょう?
>以降、私への返信は一切不要です。
言いたいことだけ言ってそれはないでしょう。それこそエゴだと言いたいわけです。
>「minさん自身~人種だと思います」などこのように、個人の人格否定(しかも憶測を持ち出している時点で「議論」という言葉を使うべきではありません。
私もそうだと、申し上げておりますので、人格否定したわけではありません。私は心理学をちょこっと学び、自分の性格が多少自己主張の強いタイプだと自覚しております。
やり取りを通じて同類と感じたので、とことん納得いくまで議論しようと一度は思いました。だから「憶測」と申し上げたわけで、違うなら反論すればいいだけの事では?
>私が嫌悪感をおぼえるのは、自分の価値観こそが唯一絶対に尊く、その価値観に至らなかったものは自分より劣っているというような攻撃の仕方です。
それは同感です。
minさんの発言にそれを感じたため、一度は議論と相成りました。私はminさんを論破できませんでしたし、彼もまた私や他の方を論破できませんでした。これ以上は時間の無駄だと思い、第三者の目にゆだねようと提案しました。
「反論」「反対意見」とはどんなにオブラートに包んでも、一度は対象者の人格否定になるのは仕方ありません。だからお互いのプライドをかけて議論は白熱します。
あなたの意見だって正論ですが、立場や見方を変えれば私に対する攻撃であり、人格否定です。
ただ、あなたがここへ書きたくなるように、ここまでダラダラと伸びたコメント欄に、私自身も大人げないというか、みっともないというか、恥を感じているのも事実です。
ですからあなた同様にこれ以上の議論は控えようと思っていますが
・・・どうなることやら。
ROMのつもりでしたが返信をいただいてしまったのでもう一度だけ書き込みさせていただきます。
人様のコメント欄で申し訳ありません。以降私への返信は不要です。
>ばるすパパさま
>自分の好きなものをけなされれば、腹が立つのは当然だし、自分には理解できない作品を過剰に絶賛する奴には、嫌悪感を抱く人もいて普通ではないでしょうか?
価値観は人それぞれのものだと思っております。例えば私自身は自分の好きなものをけなされたからといって特に腹は立ちません。共感がほしいのであれば自分と同じ意見の方のレビューだけを読んでいればよいと思いますし(丁寧に見出しがついているわけですから)、わざわざ嫌いといっている人のところにいって文句をいって論破してやろうという気にもなりません。
私が嫌悪感をおぼえるのは、自分の価値観こそが唯一絶対に尊く、その価値観に至らなかったものは自分より劣っているというような攻撃の仕方です。
>価値観はひとつじゃないのは理解できますが、自分の価値観を全力で弁護しようと書き込む行為や、それに反論して議論がエキサイトする事自体は普通の現象ですよね?
「minさん自身~人種だと思います」などこのように、個人の人格否定(しかも憶測)を持ち出している時点で「議論」という言葉を使うべきではありません。議論上の意見と個人の人格を一体化してしまっている時点で、それは議論と呼べるものではありません。議論が白熱していることに対して何の否定もいたしませんが、人格攻撃を持ち出した時点で、所謂「負け」だと思います。
>「5」「1」など極端な評価をする大半はエゴイストだと思いますよ。
とんでもない偏見だと感じます。しかし、人それぞれという点には同意いたします。
何度も失礼いたしました。以降、私への返信は一切不要です。
それではROMに戻ります。
>axialxxxさん
一般社会では模範的な仲裁意見だと思います。
ただ、この手のコメントを返せる批評サイトでは別に普通の事だと思いますよ。
私も別のサイトでは「信者うざい!」とか書き込まれてますし。
自分の好きなものをけなされれば、腹が立つのは当然だし、自分には理解できない作品を過剰に絶賛する奴には、嫌悪感を抱く人もいて普通ではないでしょうか?
価値観はひとつじゃないのは理解できますが、自分の価値観を全力で弁護しようと書き込む行為や、それに反論して議論がエキサイトする事自体は普通の現象ですよね?
そのためのコメント機能や共感機能だと思います。
確かに人格攻撃に発展するのは関係ない方から見れば見苦しいかと思います。
ですがminさん自身、こういった議論はむしろ好きでしょう。そんな中傷を論破してねじ伏せる事に快感を覚える人種だと思います。憶測ですが、やりとりや自信にみちあふれて言い切った記述の文章見ればそんな感じしませんか?
私もそうだし、「5」「1」など極端な評価をする大半はエゴイストだと思いますよ。
こう言う荒れたスレはむしろ批評サイトの名物みたいなものだと、私は理解してます。
人それぞれでしょうけどね。
書く必要性もないだろうと思い書きませんでしたが、私は勿論minさんとはまったくの別人です。
>そもそもなんとか言い負かせて自分の望む方向へもっていこうとしているような流れになったのにminさんには責任ありませんか?
なんとか言い負かせて、という流れは失礼ながらminさんと、コメントされている方両方から見受けられます。ですから私は「お互い敬意をもって」とコメントいたしました。意図が伝わらない書き方をしてしまって失礼いたしました。
>少しでも否定的なコメントがあると~
こちらに対しては、コメントの数ではなく、そういったコメントが「つけられている」か「ない」かという意味合いで書きましたが、振り返ってみれば余計な記述であったかと思います。混乱させてしまいまして申し訳ございませんでした。
所謂一般的に評価が高いとされている映画であっても、そのことと個人の感想がどうあるかは切り離して考えるべきと私は思います。気に食わない考えであったとしても、敬意を持って書き込みされるべきと考え、余計なこととは思いつつもつい書き込んでしまいました。「クソガキ」「これだからゆとり~」など、相手を非難するためだけの感情的な言葉は慎むべきかと思います。
駄文失礼いたしました。以降ROMに戻ります。
axialxxxさんのコメントを読んだあとにお互い敬意をもってやり取りすべきというとも思いましたがそもそもなんとか言い負かせて自分の望む方向へもっていこうとしているような流れになったのにminさんには責任ありませんか?
一番始めのtendaさんのコメントに対してのコメントに最初から言い負かせてやろうという印象を今でも感じますよ。
映画の感想は人それぞれですが映画に限らず小説、マンガ、戯曲、演劇などの話題においてもminさんと絡めば同じような展開になるのではとも思います。
あとaxialxxxさんのコメントを読んで、始め失礼ながらminさんが別アドレスのIDでログインしたのではと一瞬疑いました。文体や文章の行の詰め方など違ったかんじですが。中立的にしつつ議論を続けさせようとしてるのかと。
また
>しかし色々な感想を見てきましたが、こちらのサイトでは特に、少しでも否定的なレビューがあると、肯定派の方たちがコメントを一生懸命入れているという印象を受けました。逆(肯定派の方のレビューに否定派がコメントをいれる)はあまり見かけないようです。
とあったりしたのに?と思いまして。
おおかみこどもの雨と雪で今のところそれ当てはまりますか?
少しでも否定的なレビューがあると、肯定派の方たちがコメントを一生懸命入れているというのはminさんのレビュー以外わかりませんでした。あっても2〜3コメくらいだと思うのですが。30コメ以上のっておおかみこどもの雨と雪レビューでありますか?
すみません。違うという前提で疑ってしまったことお詫びいたします。まことに申し訳ありません。
最後にminさんと議論してもストレスたまるだけだと私も思います。
皆様お疲れ様でした。
たしかに無駄ですね。こちらもminさんからのコメントはむしろ必要ないのでしてほしくないです。
私に対してはもうminさんのコメントいりません。コメント返すことは「構ってちゃん」疑惑が強まるだけです。
以下のコメントはこのレビューに書き込まれたminさん以外の方、及びこのレビューを見た人に対してのコメントです。
まず
>TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」という番組では映画評のコーナーがあるのですが、来週取り上げる映画に『おおかみこども〜』が選ばれました。
その際にパーソナリティの宇多丸氏は「細田さんの作品は、何でこんなに極端に賛否が分かれるんだろう」「特に今回は物凄く(賛否が)分かれている感を感じている」と語っています。
とありますが、子どもを持つ親とそれ以外の方で他のレビューを見てもかなり違った受け止め方があるように思います。宇多丸氏はたしか1〜2年くらい前に結婚したような報道がありました。現在お子様はいらっしゃるのかわかりませんが親になる前と後ではこの映画は感想変わる気がします。
私は現在28歳で4歳の子どもがいますが親になる前と後ではかなり印象が違う映画が以前ありました。『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』という作品です。親になってから見たらもう…。
minさんの花の愛情が偏りすぎていて萎えるというレビューを初めて読んだときはクソガキの戯言くらいの印象でした。確実に子どもを持つ親のレビューではないと感じました。
花の愛情が偏りすぎていてという以前に愛情が偏っているのではと思われる草平の母には
>あと転校生の男の子の親が「新しい子供がいたら、お前はいらない」と男の子に言ったとされるけれども、あの母親の設定では権利や世間体にはうるさい母親では? 我が子も迎えに行かない親というレッテルを貼られても平気なのかな? そういう母親というレッテルを貼られている事を、新しい夫に知られても平気なのかしらん。
という反応。よりダイレクトに育児放棄の母親にはそれだけなのに。
はじめて書き込みいたします。自分もこの映画を観たものです。いろんな方の意見を見てみたいなと思い、検索からこちらのサイトにたどり着きました。
minさんの書かれている感想は自分としては「ああ、言われてみれば」と思うところもあり、非常に勉強になりました。
映画の尺のこともまああるだろうなと思いつつ、一連のこと(雨君との別れ)が終わった後に、例えば雪ちゃんを花さんが笑顔で迎えにいくようなシーンがあれば自分としてはよりわかりやすくてよかったかなと思います。個人的にはどの登場人物にも共感できなかったため、そういう感想にいたったのかもしれません。
しかし色々な感想を見てきましたが、こちらのサイトでは特に、少しでも否定的なレビューがあると、肯定派の方たちがコメントを一生懸命入れているという印象を受けました。逆(肯定派の方のレビューに否定派がコメントをいれる)はあまり見かけないようです。
映画の感想は人それぞれのものですし、どの意見、どの感想が正しいというものでもないと思います。個人の感想はそれぞれ尊重されるべきですし、こちらのコメント欄を見ていて、自分と異なる感想をもたれたからといって、相手の人格攻撃などに走るのは見ていて気持ちのよいものではないなと感じました。はじめのほうにコメントを入れられていた方とは、気持ちよく議論をされていたように見受けられましたが、下の方にいけばいくほど感情がたかぶり、冷静なコメントがなくなっていったように見えます。個人の感想は個人のものですし、それを否定し、なんとか言い負かせて自分の望む方向へもっていこうとしているような印象を受けました。落ち着いて、お互い敬意をもってやり取りすべきと私は思います。
>あいりさん、totoroさん、pppwwwさん
これ以上、無駄ですよ。
何を言ってもごらんのとおりで、恥の上塗りのような返信を延々して来るだけです。
もう十分、彼の恥ずかしいコメントが引き出せたので、今後どうコメントしようとも見る人が見ればminさんという方の人となりが知れるでしょう。
皆様お疲れ様でした。
無論駄作でもミリオンを売り上げるものもあるでしょう。それは出演者の人気や、シリーズの固定ファンによる力が大きいので「1」「3」の数字はかんたんに作れますね。
でも1~5の数字を全部満たすことは固定ファンの熱心な活動をもってしても不可能です。
某宗教団体がアニメ映画作って「1」で月間興行成績1位をとった事がありましたが、「2」は圧倒的に批判というか失笑コメントが多かったですし、「4」「5」など信者がいくら頑張った所で絶対に不可能ですよね?
サマーウォーズが持つ「1~5」までの数字が、一般的に「高評価」と判断すべきなのか、「低評価」と判断すべきなのか、「一般常識」として火を見るよりも明らかですよね。
「おおかみこども」についてはまだ結果を論じるには早いですが、すでに「1」「2」の数字については非凡な高評価といえますよね。
だから批判するなとは申しません。むしろそういった作品ほど批判意見をしたくなる人種も数多くいます。その気持ちも分からないでもないです。
ただ、あなたは名作や難しい言葉を羅列して、上から目線で都合の良い論理を展開していますが、感覚や引用がずれてる分、物凄く滑稽です。
知識をひけらかしたくてしょうがない子供に見えますね。申し訳ないけど・・・。
大人なら数字を示してくださいな。
「私の知る限り」という部分に全てが集約されてますね、狭い世界の住人さん。
>少なくともちょっとでも映画について知っている人からすれば細田作品が「世間では圧倒的に評価が高く、批判意見の方が少数派」などではないのは明らかです。
ちなみに教えますけど、映画の興行成績を支えているのは「映画ファン」ではなく、デートや行楽に利用する一般人ですよ。映画館の組合が発表している、「どれくらいの頻度で映画を見ますか?」というアンケートで「半年に1回」が一番多かったそうです。
月に何本も劇場に足を運んで批評を投稿するのは「マニア」と呼ばれる一部の少数派です。
クチコミでロングランする場合、細田作品として見に来る人なんてわずかです。
「あの映画面白かったよ。」「そうなんだ、行ってみる。」
「どうだった?」「超感動した~!」
だいたいその程度の会話で終わりです。
私が申し上げているのはそうした「一般人」の話です。
1.「興行成績」
2.「批評投稿サイトの高評価と低評価の数」
3.「DVD等関連商品の2次売り上げ」
4.「テレビ放映時の視聴率」
5.「受賞暦」
これらの「数字」が示すものが全てまやかしとする、あなたが提示した根拠は、今のところあなたの狭い世界でフィルターにかかった情報から仕入れた「あなた個人の印象」だけですよね。あるいはあなたの価値観による判断、分析といった類のもので、まるで数字的な裏づけがありませんよね?
そんなもん出しても議論が平行線ですよ?
>世間がどう言おうとも、あなたがどう感じて、どう評価しようと自由です。
>でも批評するからには、ご自分の意見が世間では少数派であると認識しないと、はっきり言って見苦しいです。
>だから私のように噛みつく人がいっぱい出るんですよ。
>細田作品は今の所「おおかみこども」も含めて、世間では圧倒的に評価が高く、批判意見の方が少数派ですよ?
>それにあえて批判的な意見を述べるのですから、覚悟と、せめて矛盾するような論理展開はやめましょう。
私の知る限りでは、細田作品が「世間では圧倒的に評価が高く、批判意見の方が少数派」というのは成り立ちません。
寧ろ毀誉褒貶がはっきりと分かれているという印象です。
実際にサマーウォーズの脚本については多くの批判が寄せられています。
TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」という番組では映画評のコーナーがあるのですが、来週取り上げる映画に『おおかみこども〜』が選ばれました。
その際にパーソナリティの宇多丸氏は「細田さんの作品は、何でこんなに極端に賛否が分かれるんだろう」「特に今回は物凄く(賛否が)分かれている感を感じている」と語っています。
(この部分はポッドキャストで配信されています。38分11秒くらいからです)
(「シネマハスラー 苦役列車」で検索して下さい)
podcast.tbsradio.jp/utamaru/files/20120728_hustler.mp3
少なくともちょっとでも映画について知っている人からすれば細田作品が「世間では圧倒的に評価が高く、批判意見の方が少数派」などではないのは明らかです。
また来週は番組に細田監督がゲストとして登場する予定で、「評価ポイントとして、皆さんばっくり分かれている、賛否が分かれている辺り」も直接聞くとの事です(ここは40分10秒くらいから)。
この時点で、すでに『おおかみこども〜』が圧倒的に評価されているとは言えないでしょうね。
何にしましても、ご自分が良いと思っている作品だからといって世間のすべてが圧倒的に支持している訳ではありません。
興行収入や賞などだけ取り上げて作品を持ち上げようとしても、無理がありますよ。
>>あいりさん
>やはりこの方は自分に都合の悪い情報や、異なる価値観にはフィルターがかかってしまうようで、
>他の方が指摘されているように、ご自分の論理展開に矛盾や破綻があってもまるで気づいてない。
他人の意見を矛盾していると言うのであれば、それに対して具体的にご指摘下さい。
反証できない形で、ただただ「論理展開に矛盾や破綻があっても」などと言われても、議論が成立しません。
>それだけならばまだしも、ご自分の考え方や価値観が多数派であると勘違いして「常識」という発言もされている。
私が「常識」という言葉を遣っているのは、4カ所だけです。
・約束を守れない場合は連絡をする
・二人の子供がいる親は、両方の子供を愛いるのだから、両方を心配する
・評価が高い作品だからと言って良い作品とは限らない
・雑誌は構造的な問題から、作品を悪く書けない
私からすればそうした価値観は、多数派が持っている常識だと思っているのですが、違うのでしょうか?
違うのであれば、具体的にどこが常識に沿っていないのかをご指摘下さい。
>「サマーウォーズが一部で高評価」というのがあなたの現状認識なのですね。
>映画公開時には口コミでロングランとなり、2度もゴールデンタイムに放送されて高視聴率で、Blu-ray、DVDのセールスランキングで総合1位になり、国内外で様々な賞を獲得した作品が、「脚本が酷いのに一部だけで高評価」な作品だと、あなたは言うのですね?
まず一般論ですが「一部」というのは「全部」の対義語です。必ずしも少数を意味しないのですが、誤解されていませんか?
あと作品がロングランになり、賞を受賞し、視聴率が高いという事が、その作品に批判が集まらないと言える事の根拠はなんですか?
毀誉褒貶がはっきり分かれる作品が賞を受賞し視聴率も高いという事は往々にあるでしょう。
例えば「好きなタレントランキング」で一位の人は「嫌いなタレントランキング」でも上位に入る傾向があります。
あなたの論理が正しければ「好きなタレントランキング」で一位の人が「嫌いなタレントランキング」で上位に入る事はあり得ないですよね。
そもそも映画の良し悪しは賞などによって決まる訳ではありませんし、そう考えている人ばかりではないと思いますよ。
ちょっとリテラシーが低いのではないでしょうか。
>>pppwwwさん
本当にただ私の悪口を言いたいだけなんですね。
作品の内容についてご自分の言葉で触れている箇所がなく、もはや議論が成立するとは思えません。
作品の内容については他にコメントを書かれた方の言葉で、私の人格攻撃には同僚の方の言葉でしているだけですし。
ご自分の発言として責任を持った発言の出来ない方とはやり取りをしたくはありません。
可能であれば、ご自分の言葉でのご批判をお願い致します。
そうでない場合は、以後お返事を致しかねます。
なんか可哀想な方ですね…。
やはりこの方は自分に都合の悪い情報や、異なる価値観にはフィルターがかかってしまうようで、他の方が指摘されているように、ご自分の論理展開に矛盾や破綻があってもまるで気づいてない。それだけならばまだしも、ご自分の考え方や価値観が多数派であると勘違いして「常識」という発言もされている。
「サマーウォーズが一部で高評価」というのがあなたの現状認識なのですね。
映画公開時には口コミでロングランとなり、2度もゴールデンタイムに放送されて高視聴率で、Blu-ray、DVDのセールスランキングで総合1位になり、国内外で様々な賞を獲得した作品が、「脚本が酷いのに一部だけで高評価」な作品だと、あなたは言うのですね?
世間がどう言おうとも、あなたがどう感じて、どう評価しようと自由です。
でも批評するからには、ご自分の意見が世間では少数派であると認識しないと、はっきり言って見苦しいです。だから私のように噛みつく人がいっぱい出るんですよ。
細田作品は今の所「おおかみこども」も含めて、世間では圧倒的に評価が高く、批判意見の方が少数派ですよ?それにあえて批判的な意見を述べるのですから、覚悟と、せめて矛盾するような論理展開はやめましょう。
引用された文学や、作品が気の毒です。それほど拙い、子供っぽさが伺えますよ。
ちなみに
おおかみこどもの雨と雪を見た会社の同僚たちにこれまでのminさんとその他多くの方のコメントの流れを見てもらったところminさんのレビュー及びコメントは
「ネグレクトを受けたことのある中二病メンヘラニートの構ってちゃん」のものと言われてました。
たしかに「子供にとって心の傷」とかminさんはネグレクトを受けたことのあるトラウマでもあるかのように思われる表現を繰り返し使ってます。そうなると健常者とメンヘラの価値感ではそもそも議論は無理ですよね。
中二病は「反証可能性が担保されてない」「愛情希求の表れ」「ダブルバインド状態」などムダに小難しい表現を使いたがるからですかね。たいして理解もしていないのに新しく知った言葉を使いたがるのに中二臭がするのでしょう。
ニートは時間がありあまった暇人かと。
minさんとその他多くの方のコメントの流れからの同僚たちの解釈ですのであまり気にしないでください。
まあそれらが当たっているのかはわかりませんがそうだとしたらお悔やみ申し上げます。
>少なくとも、ここのレビューでは批判意見がたくさんあるとは言えないと思うのですが。
それに私の解釈は特に目新しいものでもなく、他では同様の解釈や批判をされている方もいらっしゃると思いますよ。
とありますのでここではなく某巨大掲示板のアンチスレででも中二病メンヘラニート同士でトラウマの傷をなめあうのがいいのでは。
あなたが一方的に賛同してると感じてるtendaさんから
>逆に、minさんはどのような映画が好きなのか、というのが凄く気になります。
いろんな映像の良さを知って、今後役立てていきたいと思うので、差し支えなければおすすめの作品とか、良かったところなんか教えていただきたいです!
とあります。スルーしないで教えてあげないんですか。tendaさんかわいそう。
最後にあなたが「ネグレクトを受けたことのある中二病メンヘラニートの構ってちゃん」かはわかりませんがあなたのレビューで7人ほど釣れましたよ。構ってもらえてよかったね。
花の愛情が偏りすぎていて萎える
ではなく
minさんの「おおかみこどもの雨と雪」への見方が偏りすぎていて萎える
というタイトルだったら納得します。
鬼の首を取ったように騒ぐpppwwwです。映画の内容に対してのご意見は?とのことだったコメントをしようと思いましたが平日は時間的余裕がなく週末にコメントさせていただくつもりでした。
すごいコメントの数ですね、大人気w
他に低評価でレビューされてる方をみても2コメとがぐらいなのに30コメ以上。
評価: 1.5だからとかではなくばるすパパさんのコメントにある
「とりあえず低評価のコメントの中で、もっとも個性的で突き抜けた意見」
だからでしょう。
さて映画の内容に対してのコメントをしようと思っていたら私がコメントしようと思っていたことを先にムーさん、totoroさん、ばるすパパさん、あいりさんが詳しくコメントしているので割愛させていただきます。ほとんどコピペに近いかんじになってしまいますので。ほぼ同意見です。
たしかに「ゆとり」という表現は失礼だったかもしれません。ゆとり世代に失礼ですね。ゆとり世代と呼ばれる方たちにもこの「おおかみこどもの雨と雪」にあなたのような見方をする人も多くないでしょう。
あなたに「ゆとり」という表現を使ったの単なるイージーミスからだけではありませんよ。tendaさん、ゴマゴマひよこさんのコメントに対するコメントからです。
それにしても実に面白いコメントですね。
>そんな場面は描かれていませんし、暗示もされていません。
映画は描かれているものだけを元に判断すべきです。ご自身の妄想を押し付けるのはどうでしょう?
>何にしましても、映画とは実際に描かれた表現から解釈をしていくべきものです。
ですから、私は映画で描かれた場面からそう解釈したというだけです。
で解釈の例をして映画からではなく小説「シャーロック・ホームズ」や戯曲「かもめ」を持ち出す始末。
minさん自身が解釈と名を借りた妄想を反論コメントでいろいろと人に押し付けようとしてますよ。こわいこわい。
>totoroさん
>あえて指名はしませんが、子どもには向いていなかった、とか
>CGの映像が全体の邪魔をしていた等々のコメントをされていました方々です。
>それは納得出来ました。
「小さい子には向かない映画」と書かれているHelgueraさんの評価は「3.0」ですから、これを低評価という範疇に加えるには無理がありますね。「3.0」っていうのは「普通」という事ですから。
ご自分が絶賛している映画を絶賛していない人の評価は、すべて低評価に加えちゃうのでしょうか?
ちなみにHelgueraさんは本文で、こう書かれていらっしゃいます。
>>内容は可もなく不可もなく。
>>おおかみこどもを育てる話。
そもそも小さい子には向かないというのは、評価の高低とは直接は関係ありませんよね。だからこそ、作品を評価していない発言には噛み付かないではいられないtotoroさんにも受け入れられたのでしょう。
CG演出の拙さに関しては、私自身もレビューに書いております。
>あなたを評価してもしょうがないんですが、あなたの一連のコメントを読んでいると
>あーいえばこーいうタイプの方のようで、他人の意見を素直に受け入れることができないため、
他人のレビューにコメントしてきて相手が自分の思う通りの評価に改めないからと言って相手の人格まで責める人間についてはどうお考えですか?
自分と違う評価のレビューをやっつけるためにコメントを書いておきながら、自分の思い通りにならないと相手を「他人の意見を素直に受け入れることができない」と評価するような人についてです。
>どんどんご自分の意見に矛盾が生じていますよ。
矛盾しているのであれば、その矛盾を提示すべきです。
具体的な提示をしないのであれば、反証可能性が担保されないため、議論として成立し得ません。
「どんどん」とまでおっしゃるのですから、沢山あるんですよね?
沢山あるのにどうしてそこを提示して下さらないのでしょうか?
提示しないで済むのであれば、いくらでも相手の意見には矛盾があるっていう事に仕立て上げられますよね。
>おそらくこれ以上の議論は無駄とみたので、返信も結構でございます。あしからず。
議論が無駄な原因は、あなたのご意見に反証可能性が担保されてないためかと存じます。
ありがとうございました。
>後学の為に、参考になったというその評価の低いレビューをお教え戴けますでしょうか。
お手数をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。
あえて指名はしませんが、子どもには向いていなかった、とか
CGの映像が全体の邪魔をしていた等々のコメントをされていました方々です。それは納得出来ました。
まあそれも私にとっては低評価に値する理由にはならなかったですが。
あなたを評価してもしょうがないんですが、あなたの一連のコメントを読んでいると
あーいえばこーいうタイプの方のようで、他人の意見を素直に受け入れることができないため、どんどんご自分の意見に矛盾が生じていますよ。
おそらくこれ以上の議論は無駄とみたので、返信も結構でございます。あしからず。
あいりさん
>花にとって雨が旦那の性的な対象の代理って、どうひねくれて育ったらそんな解釈ができるのかびっくりしました。
>映画の中で言って無いですよね?言うわけないですよね?
「どうひねくれて育ったらそんな解釈ができるのか」との事ですが、こうした読解は文学作品や映画などで一般によく用いられるのですが、余りそういう種類の評論などは読まれないのでしょうか?
何にしましても、映画とは実際に描かれた表現から解釈をしていくべきものです。
ですから、私は映画で描かれた場面からそう解釈したというだけです。
というか、解釈とはそういうものではないのでしょうか?
例えば、有名どころでいえば小説の「シャーロック・ホームズ」シリーズでは、昔からホームズとワトスンがホモ・セクシャル関係にあるという解釈があります。
もちろん作中の二人の言動にそうした行為が直接描かれる事はありません。しかし、この解釈が成立するのは描かれている二人の信頼関係が単なる友情を超えた親密さをもって表現されているからに他なりません。もちろんホームズの女性への無関心さも一因ではあります。
作品が描かれた19世紀には同性愛を表現する事が出来なかったので、こうした形で表現されているのだという人も多いですね。
チェーホフ『かもめ』での、マーシャは実のところドールン医師が過去に関係した女性との娘であるという解釈なども同様ですね。
勿論、この作品にも二人が親子であるという直接的な描写はありませんが、台詞などからそういう解釈が成立し得える訳です。
ですから『おおかみこども〜』での「雨を追って迎えにいけなかった事に関して花が雪にあとで謝った」という解釈には、その解釈の根拠となる場面が(直接的にも・間接的にも)存在しないと申し上げた次第です。
>たくさんの批判意見の中で、あなたの意見にだけこんなにいろんな人が噛み付いている理由にいまだに気づけない気の毒な人・・・。
少なくとも、ここのレビューでは批判意見がたくさんあるとは言えないと思うのですが。
それに私の解釈は特に目新しいものでもなく、他では同様の解釈や批判をされている方もいらっしゃると思いますよ。
>そこをわざわざ、雨を必死に追いかけている時に雪の心配をしている描写とか必要とは思います。
必要なものがないのですから、そこは批判されても仕方ないと思いませんか?
良いたとえではありませんが、嵐の森を歩く花が小さく一言だけ雪の名前をつぶやく、たった一秒にも満たない台詞をいれるだけで花が雪を心配していて雪に対して罪悪感を抱いている事は表現できます。
また、そうした罪悪感が表現されていれば、そこを根拠に後で花が雪に謝ったという解釈は成立するでしょう。しかし、この作品ではそうした根拠となる場面が存在しないのですから。
>お子様向けTVアニメならよく説明的な描写してますけど、そういうのを求めているなら、それはお門違いというか。。。
>もしかして貴方自身子どもなの?それなら、これまでの貴方のちょっと偏った発言も理解出来ますが 笑)
人を子供扱いする前に、ウェルメイドな映画をもっと観た方が良いと思いますよ。
説明的な描写などなくても、ちょっとした台詞やカットだけで充分にキャラクタの心情を手際よく簡潔に表現している作品が沢山あります。
心情描写の根拠として「お子様向けTVアニメならよく説明的な描写」なんかを例に挙げている時点で、余り映画を観ていらっしゃらないのかと愚考いたします。
>これも間違いです。もしそうなら、評価の低いレビューをわざわざ見たいと思わないでしょ。
私はtotoroさんの事を存じあげないので、どう思ってレビューを見ているのかはわかりませんでした。
ただ参考にするためにだけレビューを見ているというストイックな人が、そう多いとは思っておりませんでしたし。
>評価の低いレビューこそファンにとっては気になるし、はなから反論しようと思う訳ではなく素直に受け入れられるレビューもありましたし。
後学の為に、参考になったというその評価の低いレビューをお教え戴けますでしょうか。
お手数をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。
>totoroさんのコメント
>これも間違いです。 あなたの記憶違いか、貴方が見逃したのでしょうか、雪が意識があったという描写はありました。
>雪は頭を起こしていて、雨は目を閉じて完全に横たわっていました。
ご指摘ありがとうございます。今度、調べてみます。
>そして、あなたの多分一番拘っているところの、雪への愛情表現の描写が足りないとのことですが、
>先にも申しましたが所々に、ワンピースを手づくりしたり、クラスメートを傷づけた時に叱責せずに抱きしめたり、
>雪への愛情は十二分に汲み取る事が出来ました。
愛情表現が足りないというよりも、雨と比べてバランスが悪いと申し上げているだけです。
雨への愛情表現を無視して個別に取り上げれば、雪への愛情表現が描かれているとは思いますよ。
>貴方の求めている嵐のシーンでの雪への罪悪感ですが、
>上記の通りの花の十分すぎる子ども達への愛情から貴方が再三疑問に思っている、
>学校にほったらかしの雪への思いも無いわけがないってこと、汲み取る事できませんか?
何度も申し上げている通り、嵐のシーンでは雪への思いが描かれている場面が皆無ですので、その解釈は成立しません。
ワンピースを作ったりする事は、嵐の後で雪に対して謝罪する事と結び付きません。
>そこをわざわざ説明的に描写するのも映画としてナンセンスというか、
説明的な描写が必要だなんて一言も申し上げておりません。
>観る側が汲み取るものだと思います。映画とはそういうものでしょう。
嵐のシーンでの花の雪への思いに関しては、観る側に汲み取らせる根拠が存在しないと申し上げております。
ですので、そうした解釈は単に観ている側の願望にすぎず、作品の解釈としては成立しません。
熱を帯びた攻防に割り込んで申し訳ございません。
あえて突っ込みを。
この方はばるすパパさんとのやり取りにおいてひどく矛盾した事を発言しているにも関わらず、まるで気づいていらっしゃらない。
他の方には映画の語られていないシーンから受けてが情報を汲み取ることに否定的な意見をおっしゃられていたのに、
>雨が着ている服が夫と似た服になっている処から伺う事が出来ます。
>またクライマックス後に夫が登場するシーンからも読み取る事が出来るかと思いま
す。
って、あなたの極めた個性的な妄想やん!
花にとって雨が旦那の性的な対象の代理って、どうひねくれて育ったらそんな解釈ができるのかびっくりしました。映画の中で言って無いですよね?言うわけないですよね?
たくさんの批判意見の中で、あなたの意見にだけこんなにいろんな人が噛み付いている理由にいまだに気づけない気の毒な人・・・。
>あなたにとって参考になるレビューというのは、あなたの意見と同じかまたは強化させるようなものだけなんじゃないでしょうか?
これも間違いです。もしそうなら、評価の低いレビューをわざわざ見たいと思わないでしょ。評価の低いレビューこそファンにとっては気になるし、はなから反論しようと思う訳ではなく素直に受け入れられるレビューもありましたし。ただし、あなたのに限っては他の人に誤解を招きそうなのでコメントしたのです。
あくまでも一意見として目にして頂ければと思いました。すみません、ちょっとお酒もはいっているので、誤字脱字、気に障る文面がありましたらお許しください。
あくまでも一ファンとして黙っていられなかったもので では。
必要ないかなと思いましたが、ご丁寧な返信があり、しかしこちらの言いたい事が伝わってなかったことと、誤解もあるようなので、しつこいようですがファンとしてはいちおうコメント入れます。
>えっと、劇中では雪が意識を戻していたという描写はなかったと記憶しています。
花が川下に駆けつけた時、二人ともが岸辺に倒れ込んでいたにも関わらず、花は雨に駆け寄り抱きしめました。
これも間違いです。 あなたの記憶違いか、貴方が見逃したのでしょうか、雪が意識があったという描写はありました。雪は頭を起こしていて、雨は目を閉じて完全に横たわっていました。
そして、あなたの多分一番拘っているところの、雪への愛情表現の描写が足りないとのことですが、先にも申しましたが所々に、ワンピースを手づくりしたり、クラスメートを傷づけた時に叱責せずに抱きしめたり、雪への愛情は十二分に汲み取る事が出来ました。
貴方の求めている嵐のシーンでの雪への罪悪感ですが、上記の通りの花の十分すぎる子ども達への愛情から貴方が再三疑問に思っている、学校にほったらかしの雪への思いも無いわけがないってこと、汲み取る事できませんか?
そこをわざわざ説明的に描写するのも映画としてナンセンスというか、観る側が汲み取るものだと思います。映画とはそういうものでしょう。
そこをわざわざ、雨を必死に追いかけている時に雪の心配をしている描写とか必要とは思います。
お子様向けTVアニメならよく説明的な描写してますけど、そういうのを求めているなら、それはお門違いというか。。。
もしかして貴方自身子どもなの?それなら、これまでの貴方のちょっと偏った発言も理解出来ますが 笑)
>ばるすパパさん
>でも、あなたがこれまでに展開している理論からすると、この意見は映像表現には無いですね。
雨が着ている服が夫と似た服になっている処から伺う事が出来ます。
またクライマックス後に夫が登場するシーンからも読み取る事が出来るかと思います。
>あとサマーウォーズはまだ見てないので内容は知りませんが、酷評していたのはネット上のごく一部と、辛口が売りのマイナー批評雑誌くらいで、圧倒的に高い評価を得ていましたよね。
>だからこそ数々の賞を受賞し、何度もゴールデンタイムに放送されて高視聴率とってるのでは?そもそもおおかみこどもみたいな原作も無いオリジナル映画を作れたのも、過去2作品の高評価があればこそですよね。
駄作でも評価が高い事があるは、映画ファンには常識だと思っていたのですが。
テレビ局主体の作品に多いですね。
>まあ、だからネット上だけで批判するアンチが一杯いるんでしょうけど。
ご自分と同じ意見の媒体は良い媒体で、そうではない媒体はダメな媒体という事ですね。
ご自分に都合の悪い意見の媒体自体をなかった事にするなら、どんな事でも言えると思いますよ。
『サマーウォーズ』が一部で好評価なのは知っていますが、他方では酷評されているのは単なる事実です。
ネット以外でも批判もあります。
雑誌は映画会社からの広告費で経営しており、悪口を書けない構造的な問題を孕んでいるのも常識かと。
>ひとつ言えるのは、この監督の作品はそれぞれに、他の作品も見てみたいと思わせる力があるという事。
それについては同感です。
個人的には『時をかける少女』は高く評価していますし、だからこそ『サマーウォーズ』と『おおかみこども〜』も観ました。
期待をしていない訳でもないので、次の作品も観ると思います。
ただでさえ予算の低い日本アニメで相応に作り込める作品というは多くはありませんから、他に期待できる作品からして少ないという消極的な理由もあります。
>とりあえずサマーウォーズは近々見てみたいですね。
皮肉でも何でもなく、『おおかみこども〜』を高く評価する人であれば問題なく楽しめる作品だと思いますよ。
ただ、脚本の酷さは『おおかみこども〜』以上なので、作品に脚本の良さを求める人には厳しいとは思いますが。
>・葛藤についても根拠が薄いです。花は二人の子供を同じ人間の子供と見ています。
>片方は、学校にいて迎えにいかなきゃいけない。片方は、嵐の中山に入っている。同じ状況ですか?
何度も繰り返していますが、問題は花が雪の事を一瞬たりとも逡巡しないという点です。
学校への連絡というのは雪に対する感情の一つの証明になり得るというだけで、それがないのであれば別の描写を加えなければ花の「雪の親」としての適正を疑われても仕方がないと思います。
片方の子供がより心配であるからという理由が、もう片方の子供を心配しないという根拠にはなりません。
>片方は最悪一夜を学校で過ごす。もう片方は命を落とすかもしれない。(嵐の山中などかなり危険です)比べる基準が違いすぎませんか?
えっと、あなたは「一夜を学校で過ごす」という解釈を「一夜中ずっと嵐だったという記述はなかった」と否定していらっしゃいました。
「学校に行ってから嵐が起こり、花が助けられた時は晴れていたというだけ」「嵐だから日中暗いのは当然」との事でしたが、いつの間に一夜を過ごしたという解釈に変わったんですか?
仰っているご意見に一貫性がありません。
身体が安全であれば良い訳ではないというのは、以前に書きました。
>つまり、ここで葛藤が生まれるべきだというのは、雨にすぐに追いつけないことをしっているという神の視点での客観的視点を持てる人間でないと不可能なのではないでしょうか?
上記に書きましたが、雨を見失った時点で花がすぐ雨に追いつくという可能性は存在しないので、神の視点などは関係ありません。
ただ花自身が、その可能性に気付く事が出来ない程度の知性しか持ち合わせていないという事はあるかも知れません。
また、すぐに雨を追うという行動に出たとしても、葛藤しながら追ったり雪を案じたりする事は可能です。
人間は往々にしてダブルバインド状態に陥りますが、片方の判断を選んだ途端にもう片方への葛藤が全く消えてなくなる人間なんて、存在するのでしょうか?
>しかし、それを多少の差ではないという根拠はなんなのでしょうか?いきすぎという根拠は。
何度も書いてます。
>少なくともおぼれたシーンでは死にかけている子供と助けた子供を同じに扱えというのは無理がある批判だと思います。
劇中の描写では、二人ともが川岸に意識無く倒れていたというだけです。
花は雪が川岸に助け上げた場面を目視していません(作品の演出から雪が助けたという解釈は正しいとは思うのですが、花はそうした客観的な世界から物事を見てはいないので)。
意識無く倒れている二人の子供のうち、片方だけに駆け寄るというのは常識的には不自然です。
症状に差があったとしても、片方の子供だけしか心配しないというのは親として失格だと思います。
助けに入った子供の方が重篤な症状という可能性は、絶対にないのですか?
>(これは肌の色が違うことからも明らかに明示されています)
この点は記憶にありませんでした。ご指摘ありがとうございます。調べてみます。
ですが、花にとって他ならぬ我が子が二人とも倒れ、意識を失っているという事実には変わりません。
同じ様な状況で、意識を失っているもう一人の我が子を無視し続けるというのが心ある親としての姿でしょうか?
死んでさえいなければ、冬の急流で流された自分の子供が気を失っていても、放っておけるのですか?
>・さらに、嵐のシーン。私は普通子供が歩いて山に入って行ったらすぐに追うだろう、と述べたわけです。
>そうではない、連絡すべきだというのなら、ここに根拠を述べて反論するべきですよね。なぜそこを無視して、蛇足部分のみを批判しているのでしょうか?
自分よりも山に詳しく、また(幼少の頃からイノシシを追っ払い、自分がただ見ているだけだった溺れている雨をも助けた)姉の雪をもしのぐ身体能力を身につけているのが明らかになっている雨を見失った時点で、すぐ追いつけるだろうという予測をする方がおかしいのでは?
かなり本格的に山を散策しなければ事になるのは想像に容易いと思うのですが。
ただ、花は劇中の描写からはかなり頭の弱いキャラクタとして描かれているので(背中が出るようなシャツで畑仕事を続けちゃっていたり)、軽装のままで山に入るというのはそうしたキャラクタ性が一貫していると言えるかも知れません。
>ムーさん
>私の意見はtotoroさんとほぼ同じです。
どうでしょうかね。
といいますか、ムーさんのご説明では私程度の阿呆な理解力では意味が掴めない部分ばかりだったりします。以前のコメントとの矛盾もあります。
少なくともtotoroさんのご意見にはそうしたところはなく、考えていらっしゃる筋道自体はすんなりと理解する事ができますし。
>そして、あなたの批判は部分をあげつらっているだけで全体の感覚がないと感じます。
全体の感覚?
ここもよく意味がわかりませんが、これは作品全体に対する感想という事でよろしいでしょうか?
作品を通して、花の愛情が偏っていて感情移入が出来ないというのは全体の感想(感覚?)にはあたらないのでしょうか。
あと、これまでに書いて来た感想を纏めると以下の通りです。
こちらでは全体の感想(感覚?)として足りないでしょうか?
・花が子供から自立する事を通して夫の死という哀しい現実から解放される話である。
・そのテーマ自体は悪くないが、二人の子を持つ親として構成のバランスが悪い。
・冗長な部分も多く、構成はもっとスリムするべき。
・雨が溺れるシーンは通過儀礼として機能しきれていない。
・花が馬鹿すぎ。
・田舎や自然に対する過剰な幻想が鬱陶しい。
・全体にCG演出とアニメ部分との食い合わせが悪い。
・背景のCG描写とキャラのアニメ描写の噛み合わせが悪い。
・5点満点で1.5点(9段階評価で下から2番目)。
>私は雨を探しに行ったのではなく、山に入って行ったのを追ったと述べたわけです。なぜそこを無視しているのでしょうか?
無視していません。
基本的に探しに行ったのも追ったのも同じ事だと考えています。雨を追って山に入り、雨を探している訳ですから。
それとも、雨を追っているだけで全く探してなどいないとでもおっしゃるのでしょうか?
あと「無視している」と言えば、ご自分は私のコメントではない部分をさも私のコメントであるように勘違いして私を責め立てたりしましたが、そうした事に関しては無視しております。
また、「雪に対しての愛情がなさすぎると批判する」という事と「熊にあったくらいの時点んで引き返すとかできないのか?」という意味不明な論理に関しても、無視されておりますね。
〉雨に対する愛情は亡くした夫を投影しているだけで、性的な対象の代理に過ぎませんん。
いや、凄い解釈ですね。感嘆しました。
でも、あなたがこれまでに展開している理論からすると、この意見は映像表現には無いですね。理論を変えたのでしょうか?どちらでもいいですが。
あとサマーウォーズはまだ見てないので内容は知りませんが、酷評していたのはネット上のごく一部と、辛口が売りのマイナー批評雑誌くらいで、圧倒的に高い評価を得ていましたよね。だからこそ数々の賞を受賞し、何度もゴールデンタイムに放送されて高視聴率とってるのでは?そもそもおおかみこどもみたいな原作も無いオリジナル映画を作れたのも、過去2作品の高評価があればこそですよね。
まあ、だからネット上だけで批判するアンチが一杯いるんでしょうけど。
ひとつ言えるのは、この監督の作品はそれぞれに、他の作品も見てみたいと思わせる力があるという事。
とりあえずサマーウォーズは近々見てみたいですね。
例えば二人の子供のうちの一人が熱を出し病院へ連れていく事になってしまい、もう一人の子供を保育園へ迎えに行く事が出来なくなったとしましょう。
病院へ連れて行くという判断は正しいと思いますが、片方の子供を病院へ連れていっている最中、保育園で自分を待っている子供について一瞬も考えないという親がどれだけ存在するのでしょうかね。普通の親であれば、熱を出している子供を心配しながらも、もう片方の子供にも思いを巡らすと思えてならないのですが。
雨を追っていると、どうして自分の判断で迎えに行ってやらない雪の事を一瞬も考えないという不自然な行動が認められるのか、ちょっと理解できません。
> 学校は先生もいるし一応は安全という前提があるもの。
世の親は、身の安全だけでなく、子供の心情に対しても思いを巡らせるものだと思いますよ。
安全であれば約束を破っている事が何の関係もないなんていうのは、ちょっと人としてどうかと思いますが。
>あなたのいう親の愛情ってそういうところで判断しているの?
身体だけでなく、気持ちを汲もうとする事が重要だと思っています。
身体だけ安全であれば、子供の心はどうでも良いのでしょうか?
少なくとも、「二人の子供を心配する」という事をせず、「片方の子供だけしか心配しない」という点で親として偏っていると思いますね。
確かに雨の方が心配の度合いは大きいかも知れませんが、雪に対す心配がゼロであるというのには、何の疑問も抱かないのですか?
それが、あなたにとっての理想の親なのですか?
>あなたのレビューはトラウマ的ななにか偏りすぎていて、まったく参考にならないと思います。
あなたにとって参考になるレビューというのは、あなたの意見と同じかまたは強化させるようなものだけなんじゃないでしょうか?
>totoroさん
>←この時点で姉は憔悴はしているものの意識もある。溺れた弟は目を閉じて倒れている。
えっと、劇中では雪が意識を戻していたという描写はなかったと記憶しています。
花が川下に駆けつけた時、二人ともが岸辺に倒れ込んでいたにも関わらず、花は雨に駆け寄り抱きしめました。
何にせよ、二人の子供が同時に意識を失って倒れていたのであれば、片方だけを心配するのはおかしいというのは同意して戴けるとは思うのですが。
現実問題として、溺れた相手を助けようとした方が被害にあってしまうという事故も多い訳ですし、ただ単に運動能力が優れているというだけで倒れている自分の子供に何の心配も向けられないというのは、親として失格だと思いますが。
>嵐の中を10歳のこどもが一人で森の中に、そしてもう帰ってこないかもしれない予感もする。
>ふつうの母親ならここで雨を追いかけずに、雪の方を心配して学校に連絡するっていうのは不自然。
あのう、何度も繰り返しているのですが、一番の問題は雨を追っている最中に雪の事を一瞬たりとも考えない事です。
現実問題として、子供の事を考えればこそその子供との約束を破らなければならないという様な場面は存在すると思います。
しかし、心ある世の親たちは、約束を破っている最中にその子供を心配したり、その子供に対しての罪悪感を抱くものだと思います。
雨を探す事や雨がもう帰って来ないかもしれないという不安は、雪を心配したり雪に対して罪悪感を抱く事と矛盾はしません。どちらも、同時に心に去来する事が出来るものです。
人間は幾つもの事を同時に考えてしまうものです。それが我が子の事であれば、どちらもどうしても頭から離れられない一大事の筈です。
それを、客観的に見て片方が重大だからと言って、もう片方への配慮がゼロになってしまうというのは、現実に存在する心ある親の姿と大きく矛盾します。
私の意見はtotoroさんとほぼ同じです。
そして、あなたの批判は部分をあげつらっているだけで全体の感覚がないと感じます。私は雨を探しに行ったのではなく、山に入って行ったのを追ったと述べたわけです。なぜそこを無視しているのでしょうか?
・兄弟に愛情の差異があるのは同意ですよね。しかし、それを多少の差ではないという根拠はなんなのでしょうか?いきすぎという根拠は。少なくともおぼれたシーンでは死にかけている子供と助けた子供を同じに扱えというのは無理がある批判だと思います。(これは肌の色が違うことからも明らかに明示されています)
・さらに、嵐のシーン。私は普通子供が歩いて山に入って行ったらすぐに追うだろう、と述べたわけです。そうではない、連絡すべきだというのなら、ここに根拠を述べて反論するべきですよね。なぜそこを無視して、蛇足部分のみを批判しているのでしょうか?
・葛藤についても根拠が薄いです。花は二人の子供を同じ人間の子供と見ています。片方は、学校にいて迎えにいかなきゃいけない。片方は、嵐の中山に入っている。同じ状況ですか?
片方は最悪一夜を学校で過ごす。もう片方は命を落とすかもしれない。(嵐の山中などかなり危険です)比べる基準が違いすぎませんか?
つまり、ここで葛藤が生まれるべきだというのは、雨にすぐに追いつけないことをしっているという神の視点での客観的視点を持てる人間でないと不可能なのではないでしょうか?
>・全体に花は雨に対してのみ愛情を注いでいて、雪に対して愛情を注ぐ場面が少なく、子供に対する愛情が不平等。
これは完全に間違っているので否定します。
私は姉弟のこどもの母親であり、私自身も弟のいる姉です。
そしてあなたの言う一連のシーンを観てあなたが思うような不平等さはいっさい感じず、すごく花と雪に共感出来ました。
例えば川のシーンでは、あなたは雪を抱きしめず雨だけを抱きしめたということにすごく拘っていますね。
幼く軟弱な弟が溺れていて、それを運動能力も高くたくましい姉が助けて引き上げた。←この時点で姉は憔悴はしているものの意識もある。溺れた弟は目を閉じて倒れている。
普通に考えて弟の方にいくよね? この状況で両方に行く方がなんか不自然だと思います。
そして嵐のシーン
嵐の中を10歳のこどもが一人で森の中に、そしてもう帰ってこないかもしれない予感もする。
ふつうの母親ならここで雨を追いかけずに、雪の方を心配して学校に連絡するっていうのは不自然。 学校は先生もいるし一応は安全という前提があるもの。(個人的にはわざわざこのクライマックスのシーンで学校に連絡するカットは不要です。)
あなたのいう親の愛情ってそういうところで判断しているの?
私はあなたとは逆で、花の雨と雪に対する愛情には恐れ入るというか、逆に理想的すぎて
もっと自分を甘やかしてもいいんじゃないかと思うくらいでした。
こどものために引っ越して、生活の為にしたこともない農作業をし、雪の為にワンピースを手づくりする。
これのいったいどこが愛情不足なのか。
あなたのレビューはトラウマ的ななにか偏りすぎていて、まったく参考にならないと思います。
それから
>後、一夜一夜と問題にしていますが、
少なくとも、私は一度も問題にしていません。
他の方のコメントと勘違いされていませんか?
私が書いていない事を、私のコメントだと勘違いされている点が多々あるように見受けられます。
今一度、ご確認をお願い致します。
とはいえ、一夜を明かしたという解釈がおかしいとは思っておりませんけれどもね。
>一夜中ずっと嵐だったという記述はなかったはずですよ。
>あくまで、学校に行ってから嵐が起こり、花が助けられた時は晴れていたというだけです。
>嵐だから日中暗いのは当然ですし、何を持って一日たったと言っているのでしょうか?
それは揚げ足取りというか、説得力のないご意見かと。
少なくとも、花が目を醒ました場面の描写から朝になったと解釈するのは、モンタージュ理論などを持ち出さずとも自然な流れとして受け入れられるものだと思うのですが。
無理矢理この作品を擁護するとしても、さすがにそれは無理があるんじゃないでしょうか?
では仮に、嵐が去ったのは日が暮れる前であり、目覚めた雪が見た太陽が昼間の太陽(もしくは夕日)だというムーさんの解釈が正しいとしましょう。
それだと夜を明かすどころか、夜には雪は家に帰ったかも知れません(だとすると雪の学校内でのシークエンスの魅力が半減するとは思いますが、それはおいておいて)。
それでも、花が葛藤していない・雪を逡巡していないという点には何ら変わりはありませんので、私の意見に対しては何のご批判にもあたらないかと存じます。
>もし雪に対しての愛情がなさすぎると批判をするのならば、熊にあったくらいの時点んで引き返すとかできないのか?という点ですが。
何を仰りたいのかよく判りませんでした。
「雪に対しての愛情がなさすぎると批判する」という事と、「熊にあったくらいの時点んで引き返すとかできないのか?」という事にどんなつながりがあるのか、まるで掴めませんでした。
この辺り、ご説明を戴けると助かります。
もしかして雪と雨を間違えていらっしゃるのでしょうか?
そうならば、私は雨に対して愛情がないなどと書いてはおりませんので、ご批判にはあたらないかと存じます。
>このとき引き返せないのが子離れできていない親を描いている証拠といってよいと私は考えます。
花が(主に雨から)子離れ出来ていない事と、花が雪に対して愛情を注いでいない・雨への愛情の注ぎ方と比べて偏りが大きい事は矛盾しません。
そもそも子離れ出来ていない親を描いていないなどとは一言も書いていない上に、子離れの物語であるという解釈を私自身も取っています。
>この点についてはたしかに配慮は欠けていると言ってよいと思いますが、付け足しても蛇足になるだけな気がします。
>ラストのピークは花の雨への子離れですから、その後のシーンは徹底的な必要を感じません。
最初に書いた事ですが、一番の問題は花に葛藤がないという事です。
電話で雪を迎えに行くと約束したにも関わらず、雨を探しに出るかどうかも悩まず、探している最中にも雪への逡巡は皆無です。
そうした葛藤などが描かれていれば、確かに省略という演出もあり得るかも知れませんが、葛藤がないので単なる無責任で愛情の薄い人物にしか映っていないのです。
確かに状況からすれば雨を探しにいくという判断が間違えているとは思いません。しかし、そうした判断を下す際に心ある親であれば当然思い浮かべる筈の葛藤が存在しないという点を問題にしているんです。
論理的に正しければ良いという問題ではない筈です。
子供を持つ親ならば、同じ様な状況というのは現実にも多く存在すると思います。
そうした状況で心ある親はその都度、悩み、葛藤するでしょう。残された子供に罪悪感を抱くでしょう。
悩まないというのは、蔑ろにしている対象が自分にとって価値が低いからに他なりません。
現実に生きる人間であれば。
>ムーさん
>つまり、花にとって雪は不登校の手のかかる子供なのです。手のかかるほどかわいいというのは自然ですよね。
(ここは雪ではなく雨ですよね?)
という事は、花の愛情が雨に偏っているという私の意見に同意して下さっていると考えて良いですよね?
つまり、花の愛情が雨に偏っている事の根拠が、雨の方が手がかかるから、という事ですものね。
>さらに推測として、雨が父親に似てきているという点も愛情をよりそそぐ要因になったかもしれません。
夫と同じような服を着せたりしている訳で、確かに息子としてではなく花は雨に夫を投影しているというご意見には強く賛同します。
基本的には、花が子供から自立する事を通して夫の死という哀しい現実から解放される話だと私は考えておりますので。
ただ、そのテーマ自体は良いとしても、雨と雪という二人のキャラクタを持つ親としてみれば酷くバランスが悪い構成であるのは否めないと思います。
>ちなみに、手の掛けられかたが兄弟で違うなど当たり前のことですよ。
>兄弟いたら多かれ少なかれみんな感じてます。
それは理解しているつもりです。
ちょっと、考えてみてください。
・二人の子供のうち一人が冬の急流で溺れてしまった。
・もう一人が助ける為に凍える川へと飛び込んだ。
・二人とも流されてしまい、見失ってしまった。
・急いで川下へと追いかけ、しばらくすると二人は岸辺に上がっていた。
・二人とも気を失っているのか憔悴しているのか、倒れ込んだまま動いていない。
さて、この状況であなたが二人の子供追いかけていた親の立場だった場合、どういう行動をとりますか?
ちなみに劇中の花は、片一方の子供だけに話しかけ、そして抱きしめました。
>別に少なかったからといって愛情が掛けられてないなどとは思わないものです。(この点はあくまで経験知)
普通は思うものですよ。
兄弟間の軋轢の多くは、(思い込みに過ぎない事はままあるものの)親が不当に自分を蔑ろにしているという事に単を発する愛情希求の表れです。
>ばるすパパさん
>私や大勢の方々は花の雪に対する愛情と信頼関係をたっぷり読み取ることができて感動したのですが、この違いは何なんでしょうね?
映画の良し悪しは多数決で決まるものではないのではないでしょうか?
それに、あなたがこの作品で感動したという事について、否定や批判をするつもりはありません。
ただ、私には花は雪に対して愛情を注いでいるとは思えませんでしたね。
そして、雨に対する愛情は亡くした夫を投影しているだけで、性的な対象の代理に過ぎません。
子離れと通して夫の死という事実を乗り越えるというストーリーやテーマ自体は悪くないと思うのですが、さすがに脚本や演出が拙いかと。
前作『サマーウォーズ』も脚本の酷さはかなり叩かれていましたが、今回もその点では作り手の成長が見られなかったのは残念です。
さて、雨に対して比重が偏りすぎているという点ですが、まず状況を整理しながら反論したいと思います。
おおかみこどもとしての対比として雨はオオカミとして、雪は人間として生きることを決めました。
しかし、花は雨がオオカミとして生きることを受け入れることができていません。つまり、人間として生きることを望んでいるわけです。これは作中でもオオカミでも人間でもどちらでも選べるようにとえらんだけれども・・(略)という言葉があることからも言えるでしょう。
つまり、花にとって雪は不登校の手のかかる子供なのです。手のかかるほどかわいいというのは自然ですよね。さらに推測として、雨が父親に似てきているという点も愛情をよりそそぐ要因になったかもしれません。
ちなみに、手の掛けられかたが兄弟で違うなど当たり前のことですよ。兄弟いたら多かれ少なかれみんな感じてます。別に少なかったからといって愛情が掛けられてないなどとは思わないものです。(この点はあくまで経験知)
さて、そんな子供が大雨の中目の前で、山に入っていきます。普通すぐ追いますよね?急げば追いつけそうなんですから。雨は急ぐことなく歩いているわけですから。ゆえに軽装なのでしょう。
批判はずれているとしかいいようがありません。もし雪に対しての愛情がなさすぎると批判をするのならば、熊にあったくらいの時点んで引き返すとかできないのか?という点ですが。このとき引き返せないのが子離れできていない親を描いている証拠といってよいと私は考えます。
・花が雪を放っておいた事に関する言い訳もなにもなし。現実問題として、台風の中で親を待っている子供を放っておきながら、その点に関して無かった事にしている作り手の倫理観には疑問が残る。
この点についてはたしかに配慮は欠けていると言ってよいと思いますが、付け足しても蛇足になるだけな気がします。ラストのピークは花の雨への子離れですから、その後のシーンは徹底的な必要を感じません。
後、一夜一夜と問題にしていますが、一夜中ずっと嵐だったという記述はなかったはずですよ。あくまで、学校に行ってから嵐が起こり、花が助けられた時は晴れていたというだけです。嵐だから日中暗いのは当然ですし、何を持って一日たったと言っているのでしょうか?
とりあえず低評価のコメントの中で、もっとも個性的で突き抜けた意見だなあと感心しながら読んでました。
花が謝罪してないとか、愛情が偏ってるとか思えちゃう所が凄過ぎて脱帽です。
私や大勢の方々は花の雪に対する愛情と信頼関係をたっぷり読み取ることができて感動したのですが、この違いは何なんでしょうね?
映画作りは難しいですね。
>pppwwwさんのコメント
>書き間違いも言い間違えもたいした差はないとおっしゃりそうですね。
はい。大した差があるとは思えません。
こちらが申しているのは、言い間違いだろうが書き間違いだろうが、ミスをしたという事がその問題に対する理解度の低さと比例する訳ではないという事です。
写本の時代から書き間違いというのは繰り返されてきました。
しかし、だからといってそれらを書き記していた人たちの理解が劣っていたなどという人はいません。
もちろんミスはしない方が良いのでしょう。また、ミスをご指摘してくださった点については感謝しております。
しかし、間違えたという事をあげつらって「ゆとり」だなんだと馬鹿にするのは発展的な議論を進める上で弊害にしかならないかと愚考致します。
>あまり顔真っ赤にして怒らないでください。あともっと文章ちゃんとよみましょう。
同感です。
単なるイージーミスで鬼の首を取ったかのように騒ぐのはやめませんか?
誤字脱字というような皮層的な部分ではなく、映画の内容に対してのご意見を聞かせていただければと存じます。
そんなにご自分が気に入った作品に対する厳しい意見が許せないのですか?
それとも誤字脱字の部分だけが許せないのであって、私の書いている意見そのものには賛同して下さっているのでしょうか。
>一応は一般論として書きます。以下略
これって言い間違いですよね。よく子供の名前を間違えて呼びますというのは。
私がいっていたのは書き間違いですよ。
書き間違いも言い間違えもたいした差はないとおっしゃりそうですね。
でもそれだとあなたのいう一般論ですと
複数の子供を持つ親は、よく子供の名前を書き間違いますが、以下略
書き間違えはなかなかないと思うので、貶せることはないまでも間違えてますよくらいは言ってしまうかもしれません。書き間違え(正確には打ち間違え)は残ってしまうこともありますので。
あまり顔真っ赤にして怒らないでください。あともっと文章ちゃんとよみましょう。
>pppwwwさん
ご指摘ありがとうございます。
>もう一度登場人物の名前と外見を一致させてから書き直したほうがいいと思います。
単なるイージーミスでして、登場人物の名前等は理解しておりますよ。
修正したいのですが、機能上不可能のようです。
しかし、イージーミスというのはコメント全体からご理解いただけると思うのですが、鬼の首をとったように「ゆとり」だなんだと書かれる事には驚きました。
一応は一般論として書きます。
複数の子供を持つ親は、よく子供の名前を間違えて呼びますが、そうした親は子供の名前や外見を理解していないと思いますか?
そう思うのであれば、我が子の名前を呼び間違えた親を子供の名前や外見も理解しえいない親としてその場で貶せば良いのではないでしょうか。
とりあえず誰も指摘しないからあえてスルーしてるのかと思いましたがあまりにアレすぎなんで言わせていただきます。これだからゆとりは。
>・雪を追って森へ入った花だが、森で雪を見付けられたとしてその後どうするかのプランが皆無。森へ入るには軽装すぎ、実際に事故まで起こしていて、愛情深い親というよりもただの馬鹿。
花は雨を追いかけていったんです。
雪は小学校にいましたよ。
書き間違いにしてもこの登場人物の少なさで致命的な恥ずかしさ。
もう一度登場人物の名前と外見を一致させてから書き直したほうがいいと思います。
あとtendaさんは同意ってより大人な対応してるだけでは?
>ゴマゴマひよこさん
お尋ねしますが、あなたは同じような状況の時に、何の迷いも葛藤もなく片方の子供を優先するのですか?
探している最中に、放っておかれている子供について何も思いを巡らさないのですか?
>嵐のあと、花を迎えにいき、心から謝りまた雨のことをしっかりと雪に話したに決まってるじゃないですか!
そんな場面は描かれていませんし、暗示もされていません。
映画は描かれているものだけを元に判断すべきです。ご自身の妄想を押し付けるのはどうでしょう?
花が葛藤・反省・謝罪していないのは単なる事実です。
そうしたシーンが存在するならばご指摘下さい。
>どうして花が語り手じゃなく、雪が語り手なのか、
>それは雪が母親の生き方に尊敬を抱いてるからでしょう。
雪が花を尊敬している事は、花が母親としての責任を全うしている事と関係がありません。
ろくでもない親でも、親だからという一点だけで尊敬している子供もいるでしょう。
>作り手が説明シーンを入れなくても、読み取れることだと思いますよ。
一番の問題は、花が雪に謝罪していない事ではありません。
後から謝れば良いというものでは本来ない筈です。
問題は、雨を探しに行くときに雪について葛藤はおろか逡巡すらしない点です。
また、探している最中にはただの一度も雪のことを考えない点です。
そうした花の心の有り様がいびつだともうしているのです。
>あと愛情が偏りすぎると言うコメントも、なぜ思われるのかわかりません…
雨が川で溺れたのを雪が助けたシーンを覚えていますか?
雪も憔悴しきって倒れ込んでいました。
しかし花は、自分の体を張ってまで雨を助けた雪を褒めたり労ったりせず、雨だけを抱きしめます。
どうして憔悴しきっている二人の子供の、両方を抱きしめてやらないのでしょうか?
雪は畑をイノシシから守ったりもしていますが、それについても褒められません。
諸々の結果として、狼であるというアイデンティティとともに「女性らしい」という範疇から外れる行為全般を雪は捨ててしまいますが、花はそれに対して無頓着です。
>基本的にはtendaさんと同意見です
tendaさんは私の意見に賛同して下さっていると思うのですが。
わたしはとても良い映画だと感じましたので、コメントしますが
嵐の日に雨を探しに行き、雪にはなんの謝罪もないとか、残された雪が可哀想だとか、いやいや、内容観てましたか?花はあんなにも苦労して二人の子供を愛して育てたんですよ。嵐のあと、花を迎えにいき、心から謝りまた雨のことをしっかりと雪に話したに決まってるじゃないですか!
どうして花が語り手じゃなく、雪が語り手なのか、それは雪が母親の生き方に尊敬を抱いてるからでしょう。嵐の日に迎えにいかず、謝罪なしで寂しくきづついたなら母親の花のことをあんなにも優しく語らないでしよ普通。
作り手が説明シーンを入れなくても、読み取れることだと思いますよ。
あと愛情が偏りすぎると言うコメントも、なぜ思われるのかわかりません…あんなにも雪に対して愛情いっぱいに育てていたシーンがたくさんあったのに…
基本的にはtendaさんと同意見です
ありがとうございます。
確かに、論理だけで見てはだめですね。
葛藤や反省、謝罪が全くない、というのは、言われてみればその通りでした。
そういうシーンも入れたほうが、観客は花にもっと好感が持てたと思います。
勉強になります。
逆に、minさんはどのような映画が好きなのか、というのが凄く気になります。
いろんな映像の良さを知って、今後役立てていきたいと思うので、差し支えなければおすすめの作品とか、良かったところなんか教えていただきたいです!
コメント、ありがとうございます。
>この場合、雪は最悪、学校で一夜明かすだけです。
親から何の連絡もなく、嵐の夜に学校や自宅ではない場所で夜を明かすという事が、子供にとって何の心の傷にならないとでも言うのですか?
二者択一として雨を探す事を選ぶという事自体は百歩譲って認められるとしても、雪を迎えに行かない事に対する葛藤や反省、謝罪が全くないというのは、花の親としての不適正を表しているに過ぎません。
人間は論理だけで生きているのではありません。
放っておかれた子供も、後から説明をされればその時に別の子を優先した事を理解出来るかもしれません。
しかし、放っておかれたという事実はそう簡単に割り切れるものでしょうか?
嵐の夜に自分が親に捨てられたかも知れないという不安は、後付けの理解とは別個のものであるはずです。疎外感や哀しみを強く覚える筈です。
物語にしか存在しない薄っぺらい人間ではなく、実在の人間であるならば。
あなたは同じような状況の時に、何の迷いも葛藤もなく片方の子供を優先するのですか?
そして、放っておかれた子供に対して、反省や謝罪の気持ちは何ら浮かばないのですか?
論理的に正しければ、何をしても良いのですか?
学校へたった一本の電話を入れるだけの事が出来ないというところからして、単に親として失格であるばかりでなく、社会人としてもダメでしょう。
電話が使えないという状況ならいざ知らず、電話は使えた訳ですし(蛇足ですが、停電というのが物語には何も機能していませんでしたね)。
ストーリー上は先生や保護者がいない間に教室へ行ってしまっていたので、そうした点が不問にされていますが、常識的に考えてアウトでしょう。
まあ、教師も酷いですよね。
体育館にランドセルが二つも残されているのに、大した捜索もしないんですから。
責任感のある大人が不在の作品としか言えません。
自分とここまで正反対な感想を持つ人もいるのかと興味が出たので、
前半部分だけいろいろ意見を交えてみたいとおもいます。
>・花が雪を放っておきな~倫理観には疑問が残る。
この場合、雪は最悪、学校で一夜明かすだけです。
対して雨は、一生戻ってこないかもしれないし、まだ10歳そこそこで山の主なんて出来るはずがないという崖っぷちの状況。
その理由から、自分の場合はですが、この行動にも納得しました。
遠吠えのシーンは、個人的にここが一番カタルシスを得られた場面でした。
息子のことが心配で心配で仕方がなく、思わず山に助けにいく母親。その母親を逆に助け、自分はもう大丈夫だから、心配するな、と、その証のような遠吠えをし、そしてそれを見て、「あぁ、もう雨は大人になったんだね」と悟る花。
この展開を、ここまで派手に美しくシンプルに見せる細田さんに感嘆します。
>・全体に花は雨に対してのみ愛情を注いでいて、雪に対して愛情を注ぐ場面が少なく、子供に対する愛情が不平等。
上記の通りなので、自分はそうは思わなかったのですが、もしかしたらそう感じる人もいるのかもしれません。
>・あと転校生の男の子の親が~平気なのかしらん。
世間体にうるさいのではなく、あの場合、息子が傷付けられたことを利用してお金を巻き上げようとしただけかと。。
クライマックスを観て、「ああ、あのときも端っから息子のことは何一つ心配してなかったんだなぁ」と思いました。
逆に、自分が気になったのが、父親が死んだ理由をもっと詳しく描いて欲しかったことです。
最後までその理由を明かさず、おそらく正当な理由があるんだろうなぁとほとんどの人は予想するのでしょうが、あれじゃ家族を残して妻に苦労をかけることになった父親を嫌う観客が出てきてもおかしくないと思いました。
でも個人的には、毎年50本以上見ている映画の中では間違いなく5本指に入る名作でした。
ただ、こういった反対意見を見ることは凄く役立ちます。
駄文失礼しました。