ふがいない僕は空を見たのレビュー・感想・評価
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とっちらかってるかなぁ
原作は読んでます。読んでいないと、レビュータイトルな感想だっただろうな。
原作は連作形式で、タクミ視線、アンズ、良太~と繋がって行って、良太視線の話でもタクミが出ているので、一つの話として出来ているけど、映画での良太部分ではタクミはかなり削られているので、二個の作品を無理矢理繋げている感じがする。
原作はそれ程長い話ではなく、一方映画は140分と長め。その割に結構削られている、構成を変えている部分が有り、それが効果的、逆効果と両方。前半のタクミとアンズの出会うコミケシーンを両視線で入れる必要有ったのかなぁ。タクミ父親の出番が一分程度で、アレだと映画だけの人は「?」となるだろうし。七菜は結構バッサリ、後半かなり大事な田岡の部分もサラッと。
セックスシーンが有るのでタクミ役に実際の高校生くらいの子を使うワケにもいかなかったのは分かるけど、タクミ役の永山が20歳前半という事で、流されがちなタクミの頼りなさ(ふがいない僕感)がイマイチ感じられず。
悪意が飛び交っているけど、現実もこんなもんだろうなぁ。
原作ではアンズの浮気を知った旦那が「今度やったら映像をばらまく」と言った(映画では言ってない)のに、カメラが有るのにまた部屋でタクミとセックスしているアンズの思考が不思議だったが、それは映画でも同じだったな。
この作品時、まだ売れる前の吉田羊が自然分娩に拘る妊婦役。それが数年後、ドラマ「コウノドリ」で自然分娩に拘る妊婦を自然分娩困難で受け入れる病院の助産師役と言うのは不思議な巡り合わせ。
愚かだから、いとおしい
不倫相手の高校生、斉藤から別れを告げられ、あんずは「やだ、やだ」と、引き留めようとする。自分の気持ちを相手に押し付けようとするだけの言葉。相手の立場や気持ちは視野に入っていない。
いじめや、義理の母親からの理不尽にぶつかると、コスプレの世界へ逃げ込む。
逆に、斉藤もあんずからアメリカに行くと告げられ「やだ、やだ」と言う。斉藤とあんず、似たものどうしだ。
あんずは、もちろんアメリカなどに行かない。すでに、マザコンの旦那と別れ、だから、不倫の事実をネットで拡散されている。
あんずは斉藤との別れを決意する。現実に向き合い、自分で生き方を選び取り、そして斉藤のことを思いやる。だから、斉藤には本当のことを言わない。そして、一人旅立つ。
認知症の祖母をもつ福田は、斉藤の母親からもらう弁当を捨てる。自分の境遇と抗いながらも、プライドは高い。福田からすれば、斉藤とつるみながらも、経済的にも家庭的にも恵まれている(あるいは女の子からもてる)斉藤に、複雑な感情を抱いている。
だから、トラブルで引きこもる斉藤に優しい言葉をかけながらも、斉藤の不倫写真をばらまくという矛盾した行動をとる。自分だけが不幸だと思い込むんじゃねえ、自分が選んでやったことじゃねえか。俺は、選び取らずに不幸の渦中に生まれてきて、抜け出せねえんだ。彼が、もやもやと感じている気持ちを、言葉であらわすなら、そんな感じだろうか。
でも、クラスの仲間が、斉藤の苦境を喜ぶと、ブチ切れつかみかかる。上から見下して、人の不幸を喜ぶ奴は赦せないんだ。
暗闇の中でもがく福田も、バイト先の大学生から受けた導きに、光を見出す。だから勉強を始める。そして、家の外に出された少女に、優しい思いとチロルチョコをほどこす。自分が大学生から受けたほどこしが、彼をやさしくしたのかもしれない。
福田のバイト仲間、純子は、どうやら斉藤が好きらしい。福田から指摘されると「はぁ」と攻撃的な返事。斉藤に告白したクラスメイト七菜に、不倫動画の話を伝えたのは、可愛い七菜へのどす黒い気持ちからか。そして、写真をまき散らしたのは斉藤への屈折した思いからか。
そんな身勝手に見える純子は、福田の祖母がまき散らした水を掃除する。アパートの他の住人たちは非難するだけの中、無償のやさしさだ。
斉藤の母親は、神社で手を合わせた時、息子から何を願ったのか聞かれ「生まれてくるすべての子どもの幸せ」と答える。人類愛といえば、コッケイだろうか。性と生をめぐる、愚かで、でも純粋で真摯な営み。抽象的なテーマを、みごとに具象化した映画。タナダユキ監督に感服。
いい意味で「生きる」事に意味なんてないと思わせてくれる作品
あらすじだけ読んで、純粋に恋愛映画なのかなと思ってたらとんでもなかった。コスプレ趣味の主婦がただ不倫(しかも高校生と)してる映画なんかじゃなく、この世で生きていく事の残酷さや貧困について深く考えさせられる作品だった。
どんなに望んでも子供ができない人、そもそも子供を望んでない人、自分の子供に子供を産ませたいと強く望む親、逆に簡単に子供ができちゃっても何も考えてない人、そんな親から生まれた子供、生きづらさを抱えた人などなど…さまざまなキャラクターを通して、ただただ生きる事にフォーカスした中に様々なメッセージがあった。
一度この世に生まれてしまったら、もうあとはとにかく生きていくしかないという残酷な現実を、団地のある小さな町の中で淡々と表現していく。
親の貧困が子供の貧困に連鎖し、闇深いその団地から何とか出たいともがき苦しむ子供の苦悩を窪田くん演じる福田を通して伝わってくる様はとても痛々しく、自然と涙が溢れた。
一番印象に残ったのは、永山瑛人君演じる卓巳のお母さんからの弁当を最初は受け取らずに捨てていたけど、いよいよギリギリの生活が続いてチロルチョコしか食べるものがなくなり、祖母の粗相も重なって精神的にも肉体的にも追い詰められた時に外に届いていたお弁当を見つけて、無心で頬張る姿をみた時。
これは今まで心の中にあった小さなプライドが0になり、生きる事への執着が芽生えたことが強く伝わった瞬間に思えた。
それと、三浦君演じる田岡が言っていた「俺は本当にとんでもない奴だから、それ以外のところはとんでもなくいい奴にならないとダメなんだ」という一節もとても印象に残った。
軽い気持ちで見始めたけど、とても考えさせられるいい作品だった。
母強し
私が男児持ちだから?
斎藤くんのお母さんがとにかく気になった。
聖母のように描かれていたら、うざい説教映画だなーーーという感想になっていたかもしれないけど、そうじゃないところがよかった。
「夫婦仲が一番大事」と言っておきながら自分のとこは最悪だったり、ナチュラルなお産に関しても綺麗事ばかり言ってるわけではなく現実味があって、そのあたりの人間臭さが逆に信用できると感じた。
もし完全無欠の教祖様っぽく描かれてたら、一気に胡散臭く思えて、何を言われても入ってこなかったと思う。
息子があんな風になったのにドンと構えていられるのはただただ凄い。「謝る必要ない」と言い切ったり。あんな励まし方、なかなかできないと思う。
家庭訪問してきた先生を逆に指導しちゃったりも。(まああの先生は流石にないだろ、って感じでちょっと寒かったけど、出産シーンは凄かったからよし!!!
踏みつけられても芽は伸びる
オムニバス形式で綴られる「生」を描いた作品。いずれの主役も好演。特に田畑智子は、やってることを考えると、そのキャラは本来同情しがたいものであるが、芯の強い存在感で、生きていくことの性、罪を犯しながらも生きていく姿を体現しており、キャラへの嫌悪感を打ち消してくれる。
窪田正孝のパートは印象的なシーンが多かった。チラシをばらまくシーンやおにぎりを貪るシーン、虐待された女の子の悪態シーンなど。
不幸な要素が多く、見てて少し疲労感も感じた部分もある。窪田、原田パートはもう少しコンパクトにしても良かったのかもしれない。
お母さんすごい。まじすごい
良かったなぁ。
小説を読んだときは「エロいなぁ」っていう以外あまり何も感じなかったんだけど、映画で観たらすごく良かった。
永山絢斗、田畑智子、原田美枝子、窪田正孝、三浦貴大っていうキャストも大好きな感じ!
みんな何かかしら闇を抱えまくってて、スカッとするキャラは梶原阿貴扮する長田光代くらい。
家庭訪問に来た先生に啖呵切ったシーン、超かっこ良かった!
最後、卓巳の引きつった笑いが印象的。
高校生だもんなぁ。マジでよく学校行けたなぁ。
暑苦しい言葉にはせず命の尊さや自分への愛を伝えてくれたお母さん、むき出しの感情をぶつけてきた福田、自分と同じように傷付きながらお互い一人で生きていく道を選んだあんず、それぞれへの想いが卓巳を立ち直らせたんだろうなぁ〜。
とにかく卓巳のお母さんの神対応がすごすぎる。
絶対ゲッソリしそうなのに動揺を微塵も表に出さず仕事に邁進し(そういう意味で仕事っていつか必要になってくるんだろうなぁ)、その都度いろいろ悩んではいるけど根本がブレない感じ。
卓巳のお父さんのくだりは必要だったんだろうか、、、あんな立派なお母さんでも完璧じゃないっていうことかなぁ。
そうだとしても事件直後、引きこもった息子に対して「そのうち出てくるでしょう」っていうスタンス、神社で「お祈りにきたら息子に会っちゃった」っていうセリフ。
世紀末的に気まずい状況に直面した母親の言動としてリスペクト以外の何物でもない。
私でもこんなうまく立ち回れるかなぁ、、、無理だよなぁ、、、
福田がお弁当を食べるシーンは泣きそうになった。
プライドとか見栄とかそんな悠長なこと言ってられない状況になってしまって。
でもやばい系の田岡さんが助けてくれて。
闇を抱えた者たちが寄り添いあって助け合って生きていくんだけど、ときにその闇があまりに大きすぎて綻びを修正しきれない。
田岡さんみたいに逮捕されてしまう人もいれば、福田みたいにギリギリのところで踏みとどまる人もいて。
なんかリアル。呑気に生きてきた私は経験したことのない生々しさ。
卓巳とあんずがいつかまたどこかで会えたらいいなぁ〜なんて思いましたとさ。
救いを求めた人達を鈍器で殴打!
パラレル・プリンセス・バージョンアップ!
何かに夢中になって現実逃避していた人達が、鈍器で殴られるような衝撃を受けて、現実に戻ってくるお話です。
子供ができないことを姑に責められ、決して守ってくれないマザコン夫に嫌気が差した里美(田畑智子)は、高校生の卓巳(永山絢斗)を誘惑し、自宅でコスプレセックスをしている(あわよくば卓巳の子を妊娠したいと思っている)。田畑さん、脱げる女優さんだったんですね!今後も頑張って欲しいです。
パラレル・プリンセス・バージョンアップ!は、里美がコスプレしている姫の変身呪文です。現実から妄想世界逃げ込む際の、切り換えの言葉です。
けれど妄想世界まで、意地悪な姑はずかずかと踏み込んで来る。
姑にプレイを盗撮され、夫も知ることになります。
離婚して欲しいというと、夫に動画をばらまくと脅される。強引に家を出ると、夫が妙なSNSにその動画を貼り付けて、結果、卓巳の学校まで知られることに。
痴呆症の祖母と二人暮らしの高校生の良太(窪田正孝)は、サラ金まみれの母にバイト代を巻き上げられる。鬱積した感情は、SNSに貼り付けられた卓巳の動画のコピーを近所に配って回ることで発散している。
でもバイト先で、年上男性と知り合う。
勉強を教えてくれ、祖母を父親の病院に無料で入院させてくれた彼は、なんと幼児へのわいせつ罪で逮捕されます。ね、鈍器で殴ってくるでしょう?
二面性!今更ですが、人間の複雑な心理に戦慄すら覚えます。
あの、救いを求めてはいけないのでしょうか?
なんとかかんとか生きていて、ちょっと光が見えたから手を差し伸べた途端に、鈍器!
現実から逃げる人達を、運命は嫌いなのでしょうか。
こうして首根っこひっつかんで、「現実に向き合え」というのでしょうか?
なんだか恐ろしくなりました。
勿論、それぞれに希望が見える終わりかたになっています。
だって生きるしかないもの。
全てを受け入れて、空を見上げて悟る。そんな作品でした。
それぞれのどうしようもなさ
人は誰でもそれぞれに自分でもどうすることも出来ないどうしようもなさを抱えている。
里美にとってそれは間違った結婚だろうし、良太にとっては生まれ育った環境(父親の不在、祖母と良太を放ったらかして男に走った母親、貧困)だろうし、卓巳にとっては自分の本心さえ分からない自分自身だろう。
彼等のどうしようもなさを単純にくらべることは出来ないけれど、彼等はそのどうしようもなさをそれぞれに受け止めていくしかない。
登場人物は自分にとって決して身近な存在というわけではないけれど、観ているうちに彼等の気持ちに寄り添っている自分に気付く。それを可能にしているのは、それぞれの気持ちを丁寧にすくい上げるような脚本と演出だと思う。それに応えた役者陣も素晴らしい。特に、里美を演じた田畑智子と良太を演じた窪田正孝は強く印象に残る。
そして、忘れてはいけないのは、卓巳の助産師の母親の存在だ。
やっぱり、命預かる人の存在は強く大きくて、彼女自身の存在自体が何があっても生き続けるというメッセージになっていると思う。(助産院のみっちゃんの舌打ち、最高だったな!)
それぞれが静かに前を向くラストもいい。
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